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終、あるいは新たなる始まり(3)

 一度、公爵が見舞った。不安定な状態は脱したと医師が太鼓判を捺してしばらく、大事をとって引き延ばしていた外部からの面会謝絶も解いた当日に。


『髪がずいぶん伸びたな。似合っている……、とても』


 リュウは寝台脇の椅子を公爵へ提供し、同室の片隅でなるたけ私情を無にして、壁と一体化すべく己を律していた。なんとなく、父子を二人きりにはしたくなかった。公爵からもジルからも場を外せとは求められなかった。


『あちらの国ではみな、伸ばすので』


 公爵は悔恨の面もちで息子を見つめ、背中側に枕を詰めこんで身を起こしたジルはそれとなしにみぞおちを押さえ、俯きがちに喋っていた。


『横になっていなさい。話すのもつらければ、日を改めよう』

『大丈夫です』

『しかし』

『大丈夫ですから。ご用件は何でしょうか』

『……末永く、ここに留まってはくれないのか?』

『俺の師は、放っておいたら古書に没頭して、書庫で干からびてそうな人なんです。誰かがそばで目を光らせてないと』

『……家に使用人はいないのだろう。そなたの日常の世話をさせる者を、連れて行っては?』

『いいえ、ご配慮には及びません。一人で生きるのに不可欠なことは、叩きこまれました』

『ほう』

 

 公爵が、感じいったもようで『炊事も?』と問う。


『羊肉と豆の香草煮込み、得意料理なんですよ』

『そうか……あの妹君に、よい躾を受けたのだね』

『……』

『……』


 ぎこちない親子のやりとりは早々に潰えた。ジルは所在なげに毛布をずるずる盛り上げて両膝を立て、腕に抱えた。


『父上。折々に、手紙を書きます。……お元気で』


 見舞いは本日かぎりにしてくださいと言外に匂わせていた。


『安心、しました……健やかなお姿を拝見できて』

『……私こそ。顔を見せてもらえ嬉しかった。身体をいとうのだよ、……ジルヴェール』

『父上もどうか、ご自愛を』


 決して険悪ではない。亀裂とも表しがたい。それでも硝子の仕切りのあちらとこちらで互いを思いやるように、埋まらない隔たりが存在している父と子だった。

 体調の回復したミリアーヌに付き添われて、カトリーンも訪れた。


『エルザさまの故国は、水も空気も、生活の習慣もこことは異なるのでしょう。苦労してやしない? かわいそうに、かわいそうに。何ら助力になれなくてごめんなさいね』


 公爵夫人は異国での暮らしを気の毒がり、先日は取り乱してあらぬ疑いをかけたと床へ跪いて詫び、ジルを閉口させた。涙ながらに何度も謝罪する母の隣で、ミリアーヌも声を湿らせた。


『あのころ言いそびれて後悔していたの。わたくしの中であなたが透明だったことはないわ。ジルヴェール、あなたは最愛の弟よ、忘れないで』

『姉上。トゥールガルドに姉上と奥方さまがいてくださって、よかった』

『……それは、幼くして嫡男を巣立たせておしまいになった父上にとって? それとも、いたいけだった、わたくしの小さな弟に……って、うぬぼれるのを許してくれて?』


 ジルはほほえみ、ミリアーヌは『ああ、嫌ねぇ、今日はハンカチは役立てないって自分自身に誓っていたのよ』と肩を震わせた。そうして、弟を案じつつも後ろ髪が引かれるのを振り切るみたいにやがて前を向き、母と腕を組んで退室した。

 車輪の滑走する音が朽葉の冬木立へ鳴り響く。

 帰路についた馬車を、リュウは窓から見送っていた。

 目線を窓下に投じれば地面を彩る、可憐な明るさの花。釣鐘形の膨らんだ部分はオレンジ、縁のほうでめくれている先端は白色をした小花が幾つも、こうべを垂れて揺れる。先頃、町の行きつけの花屋に珍しい鉢植えが並べられていた。そのうちの一鉢を、店主がくれた。曰く、南国からの行商人が置いてったんだよ、寒冷な気温でも枯れないよう品種改良した試作品だってんでね、お代は不要、ご贔屓さんへサービスだ、貰っておくれ。

 おぬしは薬草師を諦めて花売りに転向しおるのか、せっせとまァ。おかえりの挨拶代わりにまずはぼやいたキナダ婆に、根の付いた植物は“寝付く”を連想させるから病室にはふさわしくないと注意され、だったら、あいつが鑑賞しやすい近場へと地植えにしたものだ。

 この花さぁ、“あなたを守らせて”っていうんだって、花言葉。

 鉢と併せて譲り受けた豆知識について、移植時に土をいじりがてら閑談していたリュウを、キナダ婆は呆れと感心がごちゃまぜになっている口ぶりで評した。


 ――策士め。花にかこつけて、外堀から埋めゆくつもりじゃな。


 若さまがおわす部屋の窓辺を選んで植えおるとは、と。あれって、どういう意味だったんだろう。

 先刻までリュウをさんざん毟って懲らしめていたコルウスは、長旅の疲れを休めに森へと飛んでいった。

 今は他に咲く花もない庭へ目を遣って、思う。輝く雪を降らせた花の術は、ジルの生まれ育った地へ還ろうとした、アネッサの切なる願いを昇華させたのではないか。華は昇った。世にも美しい隠喩のかたちで。叔母から甥への愛情は確かにあったはずだった。だって、鍵を託された。


「俺さ、金の雪が降ったら会いにこいって姐さんに言われたんだ」

「……え」


 あのとき彼女は、誰に会え、と。

 リュウは窓枠から身を乗り出して眼下の花の茎を一本、摘み取る。

 三叉に分かれた茎の先にオレンジ色の釣鐘が三つ、ぶらさがっている。“あなたを守らせて”。寝台にいるジルへ手渡した。


「これからは俺がおまえの居場所になるよ。友だちだから」

「居、場所、って……おまえの友だち観、ほんとに、おかしい」


 頬を伝う静かな涙が顎からしたたり、毛布を濡らす。パタ、パタタ……。意外とよく泣くなぁ、こいつ。


「俺は、父にも母にも似ていると言われたことがない。でも似てるって、しょっちゅう言われたな……おばさんとは」


 また一滴。きれいな雫とともに呟きが落ちた。

 廃墟へ光をもたらしては沈む太陽と月に祈った。昨日より今日の彼の気分がすぐれていますように。今日より明日はもっと復調していますように。そうやって日を数えるごとに季節は進んだ。

 ジルは少しずつ寝台へ上体を起こしていられる時間が長くなった。暖炉にくべた薪で香ばしくあたたかい室内では、このところ、たどたどしい音読が繰り返されている。


「てんちかい、かいぎゃ」

「天地開闢(かいびゃく)

「天地かいびゃくのみぎり、神は大陸のまんなかに杖をお残しなさいました。杖は根を張り、おおき、だい、き?」

「大樹」

「たいじゅとなって天上をめざし、下界へみどり、かげ?」

緑蔭りょくいん

「を、さしかけました。以下省略」

「省略じゃない。ほら、十回読んで十回書け」

「……あああ休憩、休憩させて! これっぽっちも頭に入ってかね、つか“かいびゃく”だの“りょくいん”だのって普段使う人いねーじゃん!?」


 ロンヌ文字で書かれた本と我が身を寝台へ投げてリュウは呻く。はーっと聞こえよがしにジルが嘆息する。一時は危うい色でくすんでいた肌へだいぶ血の朱が通いだした最近は、皮肉も流暢。「スタミナ自慢の剣士がぐったりするくらい打ち込んでくれて、指南しがいがあるよ」と半眼でリュウを見おろした。


「なるほどな。実践的なことはさておき座学はからっきしなタイプなんだ。信じられない。読めば書いてあるのに、ここまで手こずるって」

「だからぁ、それが読めないから学んでんだろ?」

「おまえの脳みそ、筋肉で出来てんじゃねーの」

「ふはっ、口わっる! てか、ジルの毒舌ってアレだよなー。生まれはよく、育ちは悪い系?」

「あ?」

「こわ」

「ほっとけよ。逞しく育ってんだ」

「俺は好きだよ。おまえのそーいうとこ」


 満面の笑みを向けるリュウに、ジルも微笑する。柔らかに花の蕾の綻ぶごとく。


「黙れ。さもなきゃ唇を縫いつけるぞ。恥ずかしいやつ」


 ……わあ。

 う~ん破壊力ハンパない。ツラがいいって、ずりぃ。

 軽口を叩き合いながらリュウの相好は崩れっぱなしだ。楽しい。とんでもなく、嬉しい。ちんぷんかんぷんな文字列との格闘もドントコイだ。リュウが捧ぐ不屈の友愛にとうとう根負けしたわけでもないのだろうけれど、連日ジルは「時間はあるから」と病床の手慰みに読み書きを教えてくれている。


「体、治った後はやっぱ国に帰っちゃうの? 俺も一緒に……は、よそ者だから無理なんだっけ。決めた! じゃあ、どっか近くの国に俺は住も」

「住っ……」

「うん。住む」


 どこでもよかった。肝要なのは居住環境ではなく、食べていくための労働もどんなのだって厭わない。年齢を重ねるにつれて護衛の職なんかも得やすくなるかもしれないし、彼が嫌がるのなら不殺の掟をみずから課して、極力、生け捕りや撃退にも努める。


「ダ」

「メっつわれても、もう決めた。星の導きじゃなしに俺自身の気持ちに従って、決めたんだ」


 ジルはすごく困った顔をして、視線をふいっと逸らした。それが妙に可愛かった。心臓のあたりがくすぐったくなる。


「俺、そばにいるな。いるけど、毎日じゃなくても我慢するからさ、ときどきは会えたり」


 まなざしの黒を一瞬だけこちらへ戻した彼が、ぽつ、とこぼす。


「文字の練習に毎日でも、書けば。……手紙。友だちなら」


 う、わぁ……。

 うわぁぁ……。なにコレ。

 なんでこんななんだ、こいつ!


(……あーもー……、ふっざけんなよジル!!)


 魂がびりびり痺れた。素人目でトゥールガルドの星を仰がなくても、この先の人生が予見できてしまう。こいつのおかげで、きっと自分はたくさん泣いて笑う。悲しむ。喜ぶ。怒る。浮かれて幸せになる。めまぐるしく心を動かして、かけがえのない相手の命を大切にする方法をがむしゃらになって覚えるんじゃないか。いや、覚える。確定事項。

 未来に待ち受けるのは多彩な感情に富むまばゆい風景だと信じられた。

 なぜってそこには友だちがいるのだ。

 窓のむこうの、まだ暮れやらぬ空には銀ねずの雲が湧き、大地へ低く迫って、冬本番への秒読みを開始している。今にも世界は一色に包まれる。真綿のように白く儚く、優しい、純正の雪で。






   お読みくださったご縁に心から感謝します。ありがとうございました!

   この後、十五歳と十六歳になったふたりの次章へと続きます。

   が、体力やらストックやらが尽きてしまったので、いったん休載します。


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