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終、あるいは新たなる始まり(2)




 廃墟の花は散り尽くし、雪は止んだ。


「ただぁい――」

「どこほっつき歩いとったんじゃ、遅い!」


 語尾の「ま」は今日も発音できずじまいだった。リュウが貯蔵庫の薬草を詰めてきた袋をふんだくり、キナダ婆は器用にも小声で怒鳴って、司祭館の調理場へ作業をしに消えた。残された居室で、寝台脇がもはや定位置と化している椅子へ座る。ただいまと無音で言い直した。

 城の薬草園の手入れをした帰りに、町の路地めぐりをするのが最近のリュウの日課になっている。司祭館へは直帰しないで毎日一つ二つ寄り道をして思いを馳せるのだ。幼い公子が窮屈な城を飛び出してここに蹲っていたなら、何も怖くないよ、おまえをいじめるやつは俺がとっちめてやるよ、だからこっちへおいでと、手を引っ張って光のもとへ連れて行くのに。反面、もし過去を変幻自在に塗り替えられる魔法を操れたとしても、不憫だったその子を救うためにはリュウは力をふるわないだろう。複雑でいたわしい生い立ちがあってこそ、現在に繋がって出会えた。彼と。


「……ごめんな」


 枕辺で謝り、寝乱れた髪を手櫛で梳いてやる。いつものことながら壁側を向いて丸まっているジルは、けれど毛布は頭までひっかぶらずに横顔を覗かせて、眠っている。


「……ん……」


 眉間に皺を刻んで瞼がふるっと微動した。まっくろな瞳が現れ、スッとこちらへ流される。


「おはよ。体どう? しんどくない?」

「おまえさぁ……、人の寝顔見てんのやめろよ。悪趣味」


 リュウを捉えた黒目が眇められる。起きしなの声は物憂げで、芯を欠いている。でも口を開くなり毒づけりゃ上々。一昨日あたりから手でみぞおちを庇わなくなったし、会話をするのにつらそうな様子もひた隠して、気取らせなくなった。強がれりゃ上等だ。


「ちょい、触るよ」


 てのひらを彼の前髪の下へくぐらせた。薄々察してはいたがジルはどうも身体接触が苦手らしい。さすが城育ちの公子さまといおうか、自力で動けなかったとき蒸しタオルで体を拭いてやったり着替えさせたりしたのは案外、拒まずに受け容れていた。まあ、抗う元気もなかったのかもしれない。ちなみにキナダ婆に頼るのがなぜだか嫌で担当したのはリュウだ。なのに今は、たかが検温で、びくっと肩をわずか竦ませる。

 人肌慣れしていない。素肌へ素手を這わせた途端にこわばる、そのさまに、忌まれて敬遠されていた幼少期が想像できてかわいそうになるのを、看病看病と念じて耐える。こいつは誰かに全存在を愛しんで抱きしめてもらった経験、あるのだろうか。

 額の熱は依然として高かった。が、昏倒した直後からするとかなり落ちついてきている。


「もーちょい、シンボーな。目ぇ覚めたら飲ませてさしあげろって、ばあちゃんに言いつかってて」


 抱き起こすように回した腕で背中を支えて、唇にカップを運んだ。薬草茶を口内へ含んだジルは「にが……」と眉をしかめた。

 こんなふうに日々かいがいしく、リュウは病人の世話を焼いている。ひどい発熱が続いていたころは夜なべして水枕を取り替え、汗ばむこめかみや首筋をタオルで清めた。魘されていたジルの片手が突如浮いて、白い蝶さながら虚空を泳ぎ、パタ、と力を失ったのには肝を冷やした。熱に気怠く潤む虹彩でこちらを映して『雪……』と囁かれたのにはリュウも『止んだよ』と囁いて、寝かしつけた。昏睡すれすれに、しぃんと人形めいて熟睡しているのが怖くなって、バレたら鬱陶しがられるとは承知で寝がえりを打たせて彼と自分の指を絡めてしまい、そのまま寝落ち、寝台に突っ伏していた朝も一度ならずあった。当時のジルの眠りの深さは幸だったのか不幸だったのか、全然バレなかった。

 花も贈っている。『若さまにか?』と初回にキナダ婆には訊かれた。『うん。あいつって花、似合うだろ』と真顔で頷いてリュウは発問者を絶句させたものの、翌日も花束を持ち帰った。翌々日も。延々と。そして暇があれば花々に囲まれた病床につきっきりで、まだ一日のほとんどを眠って過ごす彼を飽きもしないで眺めている。リュウの友情の押し売りは実のところ方向性をおおいにカンチガイしていて、往々にして、周囲をぽか~んとさせている。しかし、交友のすべてが初体験の本人は至って真面目なのである。


「花だらけだな、この部屋。おまえ、花好きだったのか」

「や……きれいなもん、あげてぇなって」

「はあ? 誰に?」

「誰、って、おまえの他にいなくね?」

「………………ふ、ふうん」

「なあ。なんで殿さんの息子だって教えてくんなかったの?」


 はだけていた毛布を整え、肩までくるんでやって、尋ねる。


「わざわざ教える必要ないだろ」


 ジルは溜息を漏らした。わかりきってる質問すんなよとでも言いたそうに。


「ない、かなぁ」

「ねーよ」

「ねーかなぁ」

「おまえは会う人会う人に『剣士やってました』って自己紹介してんのかよ」

「してない」

「だろ」


 でもさぁ、とムクれる。俺には教えといてくれてもよかったじゃん。そこいらで袖だけ触れ合わせて擦れ違う仲になりたいんじゃない。友だちに立候補して猛アプローチかけてんの、ちゃんと伝わってんのかな。

 換気で窓を開けた隙にカラスが一羽、低空飛行で部屋に滑りこんだ。例の、番獅子が仕込まれていた初日にワケあって掃除した窓の鍵穴に嵌まる鍵は、書見台のひきだしから発掘した。カラスは寝台へ着地し、小股歩きで枕元に寄る。


「そいつっておまえの、えっと、何てんだっけ……あっ、使い魔?」

「コルウスは突然変異の個体で、翼の裏の色が黒くない。それで群れからハグレてた以外は、普通のカラスだよ」

「えっマジで? す、すげぇな」


 すりり、毛布の上からジルに体をこすりつけ、撫でられて恍惚と喉を鳴らしているのは、普通のカラスの甘えっぷりなんだろうか。「おばさんは俺が魔力で使役してるって誤解してたっぽいけど」と言い添えて、ジルの指が通信文入りの筒を取り外した。


「お師匠さん? なんて?」

「……見透かされてる。完治するまで帰国は禁ず、って。遠路をありがとうコルウス」


 仕事を果たしたカラスは誇らしげにさえずってリュウの右肩へと羽ばたいた、のみならず、鉤爪を立て、服にえげつなく喰い込ませて止まった。えっ普通のカラスってこんな意図的に凶暴? 翼を上下させバッサバッサ風を煽るどさくさで、後頭部をぶってくる。


「いてッ。こいつ、おまえが倒れたの俺のせいって思いこんでるみてぇ。めっちゃ敵視されてんだけど!」

「単に嫌われてるんじゃないか。師匠を殺そうとしたやつだし」

「あー。懐かしいな、それ」

「ガァガァガァガァッ」


 横髪を好き放題に啄まれながらも感傷的になり、手紙調に口述してみる。


「クフェンの皆々さま、お変わりないですか。俺は里を離れていろいろな人と会いました。毎日、これまで考えもしなかったいろいろな考えで頭いっぱいです。んで、今はカラスに襲われてます」

「ふっ、く……だっせぇ近況、っ、ふ……ははっ」


 あ。笑った。

 貰い笑いでリュウも「ぷはっ」と噴き出す。胸がほこほこする。ずっと笑っていてほしいなぁと願う。どうすれば笑っていてくれるのか知らないけれど。

 カトリーンが馭者ぎょしゃに指示を与え、医師を呼んでこさせたあの夜――診察されている途中で意識を取り戻したジルは城へ移送されることを固辞し、結果、森の司祭館で療養している。交換条件として、キナダ婆とリュウがここに寝泊まりする点は同意させた。同意といっても、一人でほっとけねぇよ城へ運びこまれんのやだってわがまま通してぇなら俺のわがままも通させろよ赤の他人の医者に看病されっよか俺のがいいだろいいよな俺は居座らせてもらうかんな! と、朦朧としている相手に強引につけこんで。

『そちも赤の他人ではないか』とか何とか、医師が後ろから憮然と口を挟んでいた。

 公爵家専属医の診断では、ジルは臓腑を痛めていて、とりわけ消化管を激しくやられている。嘔血しなかったのが奇跡なのだそうだ。


『相当無理をされていたのじゃろ。昔から何でもご自分の内側に溜めこまれて、許容量が上限になりなすったら高熱を出しておられた』


 リュウに乞われて森へ入った薬草師は一段と老いてしまったみたいなしわがれ声で追想し、ジルの眠る寝台へかがみこんだ。


『……大きゅうなられて……』


 帰りが遅い、と最大級の雷をくらった日。

 殿さんから全部聞いてきた、と調理場で火に当たって話したリュウにキナダ婆もまた、心へ堆積していた重たい泥を吐くかのように語ってくれた。


『わしはもともとカトリーン嬢さま……奥方さまの、ご実家にお仕えする者での。お産みなさった姫さまのお体が頑健ではのぅて、こちらの公爵家へご招聘にあずかったんじゃ。そういう身の上じゃて、奥方さまは“他国には一夫多妻制の社会も数多ありますから”と気丈にしておられたが、公爵さまと空の御方さまとのご成婚を、わしは、本心からは祝えなんだ。お二人の間のお子にも、何とのぅな、胸の奥が……こう……晴れんでのう。お小さい若さまが一人で寂しそうにしておられる姿はお見かけしておったに、いっぺんもお声がけはせなんだよ。何もせん、のが罪になることもある。忸怩たる思いでおるわい。わしも若さまを空気扱いし、ほんの十歳のお子に祖国を捨てさせた城の人間の一味じゃ。本来であれば厚かましく御前に差しだせる顔などありはせん』

『……“若さま”は誰も、憎んでも怨んでもねーよ』


 リュウは記憶にある言葉を代弁した。もういい。もう充分だってジルならきっと言う。皆、苦しんで、だけど過ぎた時間はやりなおせないから。


『“若さま”のこと心配して、俺とここに移ってくれてありがと。ばあちゃん』

『粗忽なおぬしに任せて、ご容態が悪化なすってはいかんからな』


 鍋を掻き混ぜ、薬草を煎じもってキナダ婆はひねくれた返事をよこした。主治医の見立てではジルの全快には春までかかる。リュウほど身軽に町へ出向けない老婦は、端から腰を据えて看護する腹づもりで、冬越しの防寒着をどっさり司祭館へ持ち込んでいる。

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