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序(3)

 ゴツン、ドサッ…………ズル、ズルルルル……。

 何やら予想外の音がしたあと、周囲は静寂に満たされた。

 しばらく不動のままなりゆきを窺っていたが、リュウの身に異変は襲ってこない。おそるおそる薄く開けた瞼の向こう、飛びこんできたものは、意識を失い、ぐったりしている少年を木の幹に寄りかからせ座らせている青年、という、いくらまばたきをして見直したところで意味不明な光景だった。


「なっ、え、えっ?」

「勝負を妨げて申し訳ない。こんなボロボロの状態で大技を使ったら、自分だって疲弊しすぎて無事じゃ済まないっていうのに、何度教えてもそういう点は学ばないんだ、うちの弟子は。自分を大切にすることには無頓着でね。きみには命の価値云々と偉そうに怒鳴って説教していたけれど、目を覚ましたら、こいつには私がたっぷり灸を据えておくよ」


 現状への理解が追いつけず唖然と見つめる先で、青年は長い杖を握り、敵意などまるで漂わせることなく近づいてきて、リュウの榛色をした髪のつむじをコンコンと杖で叩いた。


「それで? きみにも、これをお見舞いしたほうがいいのかな」

「俺にも……って」


 緊張で油っぽい汗を掻いていた指から、剣の柄が擦りぬける。草むらに落ちた。その隣にリュウもぺたんと腰をついた。少年を気絶させた凶器であるらしい杖をひっこめた青年は、膝に手を添えてリュウを見おろし、双眸をやわらげた。


「噂を耳にしたことがあるよ。東の半島のどこかに聖なる戦士の里があり、そこには星を読む人たちと、その星の導きを受けて世界を股にかけ、秩序の歪みを正さんとする剣士たちがいる。彼らは、公平無私な正義をもって、諸悪を成敗する。星宿に出現する、世の乱れや災いとなる相を有する者たちへ、死の裁きを与えにやってくるのだと。それがなぜ私のもとへお出ましになったのかは、やっぱり、微塵も心あたりがないんだけど」


 青年は気さくな口調でリュウへ話しかける。森でたまたま知り合いになった子どもと接するかのように。

 リュウは、急激にくたびれてしまった。彼に中断されるまでもなく勝敗は決していた。今、標的であったはずの男がこうして語るのを聞くにつれ、敗北の上塗りをされていく気分に陥っている。はあぁ、溜息がこぼれた。


「わかった、こっちの負け。今回あんたに突きつけた裁きの剣は、とりさげる。負け残ったもんは、勝ったもんに捕まっても殺されても文句言いっこなし、ってのが俺たちの戦いのリューギだ。煮るなり焼くなり、俺も、あんたとそいつの好きにしてよ」

「リューギ? ……あ、流儀? こらこら。子どもがカッコつけるんじゃない。そんな潔さは要らないよ。安い命だってまた怒られるぞ」


 困り顔になった青年が、リュウの頭頂部へ力の入っていない拳骨をくれる。されるがまま黙って項垂れていると、続いて、わしゃわしゃ頭を撫でられた。先刻まで彼の命を奪おうとしていた敵に触れるにはふさわしからぬ、陽だまりのような、あたたかな手だった。


「こうしていると、ほんとに子どもなんだなぁ。もっとも、うちの弟子と互角にやりあえるなんて、剣術に関してはかなりの手練れとお見受けした。きみ、年いくつ?」

「十二。この春で」

「十二、にして剣士とは……。ここまでどうやって来たの? きみたちって、任務には必ず複数の剣士で隊を組んで、遠征するんじゃなかったっけ?」

「俺たちの集落じゃ、年はあんま、気にしねーんだ。みんな同じ里の仲間ってこと以外はどうでもよくて、年だとか血のつながりだとか、ゴチャゴチャ考えるやつはいない。仲間はみんな家族、チビだろうと年寄りだろうと、強けりゃ剣を持って戦いに出る。そんだけ」

「……なかなかに世俗離れしている、というか悟りの境地だね、一種の」

「ここへは五人の小隊で来た。舟漕いで」

「それが、今はどうしてひとり?」

「あいつら、ぶっ倒れたんだよ。昨日の朝、舟から上陸して全力で標的追い始めんぞってときに、突然みんな具合悪くして、次々に寝こみだしちゃって……、普段病気なんかしたこともない丈夫なやつらが、まっさおになって腹抱えて吐きまくるとか、何なんだって…………ハッ!!」


 尋ねられる内容に、肉体よりも精神的に疲れきった声で答えていたリュウは、そこでガバッと面を撥ねあげた。勢いにおされて青年が若干、身を引く。


「もしかしてあんた、呪いでもかけた!?」

「……はは……何気にグサリとくる発言を。魔術師ってそういうイメージなんだ。呪ってませんよ。まあ、きみに加えて四人もの猛者に全力で追跡されたのち、襲われなくて、助かったよ。きみのお仲間が患っているのは、ここらへんの地域で発生しやすい感染症じゃないかな。うつっていないところを見ると、きみは病の毒素を撃退できるくらい、健やかな身体に恵まれているんだろう」


 苦笑まじりに言い、青年は警戒するふうもなくリュウにあっさり背中を向けた。荷物から布袋を取り出して戻り、口紐をゆるめて丸薬が入っているのを示す。紐で封をしなおしたそれを、リュウのてのひらに置く。


「一緒に水をたくさん飲ませること。塩分の補給も欠かさずに。症状が進むほど回復は難しくなる。早く帰って、看病してあげなさい」


 不思議な男だった。少年が傷ついた己を盾にしてもこの人を守ろうとした気持ちが、なんとなく、わかりかけたように思う。


「あり、がとう」


 ぎこちなく感謝を述べたリュウに、青年は「どういたしまして」とほほえんだ。

 リュウは、木の根方にもたれている意識のない少年の、ほつれ髪が散りかかる白い顔へ視線を送った。最後に再び、あの氷めいて熱い眼がこちらを睨んでみせればいいのに、と願いながら。


「星読みの結果がどうだったって、あんたは……っていうかあいつが、今日、星の定めに抗ってみて、勝ったんじゃねーかな。だからあんたは生きてる。星が、あんたを選んで生かしたんだろ」

「なるほど。きみたちの里の文化では、そう解釈するのか」

「……名前、教えてよ」

「私はレイス。あっちは、ジルだよ」

「レイス……、……ジル」


 貴重な何かを扱うようにそっと舌先に乗せ、リュウはレイスに一礼をして場を離れた。病に伏せっている仲間たちが待つ野営地をめざす道すがら、往路には見ていても気づけなかった、森の木々の新芽、春を告げる足元の小さな草花がきらきらしく木漏れ日に照り映えているさまを眺め、頬をゆるめた。






 それは、リュウの世界に色彩が生まれた日の記憶。

 瞼を閉じれば、今もまだ、激しく燃えるような瞳の黒が焼きついている。月日を経ても褪せることのない、圧倒的な輝きとともに。

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