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懺悔(5)



「かの人も亡くなったか……。空の人たちの内でも早世の家系なのやもしれぬ。妹君は先だって、私が連合会議へ出立する日に逗留許可を求めにみえてね。自分もそろそろ寿命だ、一人で置いていくあの子を返すに今のトゥールガルドがふさわしいかどうか、しばらく現状を見定めさせてもらうと、頭ごなしに凄まれた。本音では私も会議を取りやめ、ここへ残りたかったが、そうもゆくまい。次善の策として、旧聖堂へ出入りする者は不問に付すよう森番に言伝をしてから、発ったのだ。毎度彼女は前触れなしにやってきては喧嘩腰に話を押し通さんとする……、ふふ。エルザとは似ていない妹君だった。芯の強い人だったよ。思いがけず早く、冬を待たないで逝かれたのだな」


 アネッサもミリアーヌも、ジルも明かさなかった。秘匿されていた出生の真相を語りきった公爵は、罪を認める人の顔で「非難はいくらでも浴びる所存だ」とリュウを促した。


「あい、つ……、トゥールガルドの……公爵家の坊ちゃん、だったんだ」

「あの子から聞いていなかったのか?」


 首を横に振る。物知りで何でも教えてくれる彼は、肝心なことは何も教えてくれない。眼窩の奥がずきんずきんと疼いて、目と鼻の穴から大粒の水がボタボタ落ちる。我ながらバッチい、けど、すすってもすすっても追っつかない。嘘みてぇ、なんで泣いてんだ俺。

 幾つもの場面が幻聴を伴って去来する。


『このトゥールガルドが俺の国じゃないのは確かだから』

『半端者って意味』

『……馬鹿なんだな』

『師匠やおばさんといるほかは、一人だったし』

『俺なんかの何がいいんだ……リュウ』


 呆れている口調。困惑した表情。くずおれる体躯を腕に受け止めた感触を、あたたかな命の重みを、忘れられずにいる。まただ。また、未知の情動が吹き荒れる。悲しい。悲しくて、いとおしい、そして悔しい。


「んだ、これ……っ」


 ぶつけどころのない怒りでハラワタが煮えたぎっている。どう足掻いても生まれ育ちの取り返しはつかない。時間を巻き戻せないのが歯がゆくて、せつなくて、恨めしい。


「俺に手出しできねーとこであいつがずっと傷ついてたのが、腹立つわ、やりきれねーわ、心の中にいろんなもんがとっちらかって、わけ、わかんね」

「そんなふうに……そなたも、感情的になるのだね」

「……だ、って、あんまり、だろぉっ」


 しゃくり上げた。涙で喉が詰まる。顔面がぐちゃぐちゃだ。ついでに胸のなかみもぐちゃぐちゃだった。

 なあ、空にも土にも還れないなんて自嘲するな。


「私とエルザは紛れもなく恋をしていたが、子をなす覚悟は足りなかったのだ」


 親になるべきじゃなかった、無責任だと罵って片づけられたら、どんなに話は簡単だろう。やるせなかった。ジルの両親は運命の相手とめぐりあい、すべてを賭して恋をした。ただ、それだけ。全身全霊で、本気で互いを好きになったにすぎなくて、極悪人などどこにもいない。なのに、皆が苦しんだ。

 運命の恋とか愛とか、リュウにはよくはわからない。でも公爵家に秘められていたこれがそうだとすれば、あんまりにもあんまりじゃないか。


「俺さ、恋愛した経験はねーけど、こいつと会うために生まれたんじゃねえかなって、だといいなって、感じてるやつがいる。殿さんも誰も悪くないって言いたい、だけど、言えない」

「そなたは正しい。遠慮は要らない。非道な親だと罵倒してくれてかまわないのだよ」

「ち、くしょ、んなの俺だって言いたくねぇよっ、言わせんなよ殿さん! でもさぁ、でも俺、あいつはそういう星の定めを負って生まれついたんだ、しゃーねえじゃんって、今はもう割り切れねんだよ。親なら、そばにいたなら、守ってやってほしかった! あいつの父親はあんたしかいないんだ……!!」


 過去を蒸し返しても幼少期のジルの傷は癒やせない。そもそも恋も知らない、人の子の親でもない門外漢の自分が出しゃばって意見できる幕でもない気はしたけれど、口をついた言葉はどうしようもなく責める音で響いた。公爵は「ああ、本当に」と悲痛に微笑した。

 ひとしきり泣いた後にグッと手の甲で頬をぬぐって、リュウは、残存している謎解きに公爵の助けを借りる。答えを得られる予感があった。ズボンのポケットへ潜ませっぱなしにしていたものを外気に触れさせた。青い石が三つ嵌めこまれている、金の鍵。


「殿さん、見覚えない?」

「なんと……そなたの手に渡っていたとは」

「預かった。何の鍵?」

「あの子がトゥールガルドを離れる日、『甥の帰る場所はここにはない』と妹君が持って行ってしまってね。……リュウは彼女のお眼鏡に適ったのだろう」


 公爵はリュウを従えて廊下を歩き、階段をのぼり、東向きの部屋の前まで案内した。目で公爵に問う。頷かれる。身震いがせりあがって唾を呑む。粛々と鍵穴へ差した鍵は符合し、抵抗なく、回った。ガチャッと鳴る。

 内開きの扉を押す。リュウの手によって四年の空白を破られた扉はかすかに、軋んだ。

 厚いカーテンが引かれて窓からの眺望を遮っている室内は、薄暗く、埃のにおいがした。

 寄木張りの床に敷かれている絨毯。空気の対流で舞い上がった塵が、カーテンのすきまから射しこむ冬の光に照らされて躍る。バルコニーの眼下にはたぶん薬草園を望める。天井にはシャンデリア。壁掛けの複数の肖像画。一族の祖先だか歴史上の偉人だか、リュウには初見の紳士淑女が何人も。からくり時計。暖炉を縁取って装飾する大理石のマントルピース。ソファ。机。ミリアーヌの部屋と同様に高価な織物が使用された天蓋付きのベッド。ふかふかの夜具。色使いからして男の子の。

 ソファも机もベッドもサイズが子ども用だった。

 主のいなくなった、閉鎖されていた空間に脳裏の情景がかぶさる。


「殿さんは知ってる? あいつさぁ……手足縮めてちっこくなって、寝るんだよ」


 森の司祭館の硬い寝台で身を守るみたいにして眠る、ジルを想った。

 恵まれた地位にある親元で不自由のない暮らしをしていたはずなのに、なぜ、と叫びたくなる。寂しい。寂しい部屋だ、とても。こんなにも立派な城の、贅を尽くした一室で、たった独りで、あどけなかった年頃の彼は毎日どのような気持ちで息をしていたのか。

 なんで俺、そこにいてやれなかったかなぁ。ぐちゃぐちゃの頭で考えつくのはぐちゃぐちゃの仮定で、年月を遡る装置があれば、ひたすら剣を振っていたんだろう当時の自分を取っ捕まえてトゥールガルドへぶん投げてやりてぇ、とホゾを噛む。


『すごい厄介もの押しつけられてたら、どうする』


 アネッサはここに封印したのだ。孤独だった甥の幼年時代を。

 その過去ごと、この部屋ごと。


「殿さん。俺、貰ってもいい? 宝物にすっから」


 リュウは鍵を握りしめて姿勢を正し、公爵をまっすぐ見あげた。


「………………情熱的なのだな。息子を嫁にやる気分だよ」

「え……えっ? あっ、ええっ!? 鍵、のつもりだったんだけど!? ……や、うん。でも貰えるんなら、ほしい。ください。俺はあいつの帰る場所になりたい」

「……いやはや、末頼もしい。さらりと殺し文句を……」


 公爵は驚嘆し、リュウと合わせた視線の焦茶をやわらげた。いつだって哀愁を漂わせている双眸の理由が、今はわかる。無言のまま公爵の手がリュウの肩に載せられた。


「ジルは自分を大事にしねーって、あいつのお師匠さんが話してた。ジル自身も周囲もあいつのこと大事にしないんだったら、これからは俺が、大事にする」


 陸の果て海の果て、僻遠へきえんの荒野へも追いかけて、託された思いの分までしがみついて、一緒にいたい。あの眼に映る未来を隣で見届ける。

 外の風はすっかり温度を低め、庭園の落葉樹も丸裸になって冬支度を終えている。まっしろな呼気を寒空へなびかせ城の門から町へと駆け出すリュウの掌中には、金色の鍵がおさまっている。


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