懺悔(3)
他にも、結婚への過剰な拒絶反応をあらわにした人物がひとり。
「馬鹿な姉を誑かすのはやめていただきたい」
アネッサはオディロンを司祭館の裏へ連れ込み、喰ってかかった。
「空人と地人は相容れない。空人は魔力を有する秀でた種族。誇り高き魔族の私たちからすると、凡庸な非魔族は猿のようなもの。本来、恋愛対象の範疇にはない。猿に本気になる物好きがどこにいるでしょう。ましてや異種間で結婚とは」
「手厳しいね」
「一般論です。そちらは既婚者ですよね。姉だけを選ぶ腹も括れないくせに、身の程をわきまえてもらえませんか。姉は単に今、障害の多い恋、という額縁におさまるヒロインの絵面にのぼせている。血迷ってるんだ。年がら年中おつむがお花畑の、夢みがちな女だから」
「ならば私はあの人と同じ夢を見よう」
「……つまり、手は引かないと」
「引こうにも引けない。私たちは運命の導きで惹かれ合っている」
「愚かしい男」
握った拳をわななかせ歯ぎしりして、ギリッとこちらを睨み、彼女は荒々しく踵を返した。次には姉を捕まえ辛辣に謗った。
「姉さんは大馬鹿だよ。でなきゃ盛りがついて盲目になってる雌猫だね、けがらわしい! 異種婚は史上初の珍事も珍事。地人に嫁いで地人の国に定住して、平時はいい。でも、いささかなりとも災いの兆候がありゃ、必ず姉さんのせいにされるぞ。それが非魔族と魔族の間に横たわる宿命だ」
前例がないというのは恐れを招きやすく風向き一つで差別や嫌悪に転じかねない、と彼女はまくしたてる。
「子どもができたらどうする。空人と地人の混血なんざ見たことも聞いたこともない。異形扱いされて、生きづらい思いをするに決まってる! 姉さんたちの気ままな色恋のツケを丸ごと肩代わりさせられて生まれてくる子の苦しみを、考えてるのかっ」
「どうしてそう後ろ向きな言葉を並べ立てるの。あなたはいつも私を否定する」
「身内の責任で言わざるを得ないんだよ、姉さんが浅はかだから!」
「もういい……、あなたに頼るのはおしまいにする。オディロンはいつだって、私を肯定する言葉をくれるわ」
「口先の、肯定が……姉さんのためになるとでも」
重い沈黙があった。アネッサは拳の内側へ爪を食ませ、「わかった。勝手にしろ」と小声で吐き捨てた。
「耳触りのいい甘言ばっかり鵜呑みにして、予測できる課題を直視することから逃げて、逃げ続けられるっていうなら、やってみれば」
そして、姉妹は訣別した。夏はとうに去り、清涼な秋風が町から周壁の外、ブドウ畑へと吹き抜ける帰国の日。アネッサは傲然と頭をもたげ、背中で言い残した。
「さよなら姉さん。せいぜい幸せになって、私を見返してくれ」
「あなたもね。大好きよ」
答えはなかった。振り返らないその姿が街道の木立の遥かむこうへ消えても目を逸らせずにいるエルザの肩を、引き寄せた。
「妹からあなたに乗り換えて、結局、私は自分の足では立っていないんじゃないかしら」
「それでいいよ。私が一生、支えよう」
「本当、あなたは私を甘やかす天才」
「甘やかされるのは嫌?」
「……嬉しい」
ふふ、エルザが笑う。オディロンも皓歯をこぼして笑い、妹と道をたがえた彼女をいよいよ独占できる期待に心音を弾ませ、愛する人の孤立に歓喜してしまう己のひそかな欲の暗さに戦慄していた。
翌年、伯父の喪が明けた秋、エルザはオディロンの妻となった。森の聖堂で慎ましく挙げた式にはオディロン側の生母は無論、互いの親族も、彼女のほうは友人すらも参列しなかったが、荘園の人々は飲めや歌えの祭り騒ぎで七日七晩祝賀してくれた。当時トゥールガルドの民は、旅回りの詩人たちによって吟唱されている以上には魔族や空人について詳しくなく、ゆえに、さしたる偏見も持っていなかった。新年にはエルザは懐妊した。
「あなたに似て賢い子でしょうね、オディロン」
「あなたに似て美しい子に違いあるまいよ、エルザ」
アネッサに宣誓したとおりだった。彼女とともに夢を見ていた。ほわりふわりと宙に舞い遊ぶ夢のような二人の世界で完全無欠の幸福を信じていた。月日は流れて息子が誕生した。初冬の異常気象の、闇を裂いて稲光が走り、大地に雷鳴が轟く夜の難産だった。重婚を問題視していた教会からは出生の届け出と同時についに異端とみなされ、破門された。終始エルザとの恋に協力的だった老神父は、「よき頃合いですわい。これで趣味の薬膳研究に専念できますの」と引退した。雲行きがおかしくなったのは、このあたりからだ。
「神さまに背いちゃなんねぇよ。破門だなんて、何だかおっかないよ――」
「ロンヌのご母堂の兄君さまは、奇怪な死に方をされたっけなぁ。魔族のエルザさまと殿さまのご結婚を止めようってなさっている最中に――」
「お産は不吉な嵐の夜だったねぇ。ひどい難産で、空の御方さまがいきまれると城の庭木へ落雷したそうな――」
「お生まれになったジルヴェールさま……聞いたかい? ご両親に似ず、髪も目も呪われてるみてぇに、まっくろだって――」
伯父の死や冬の嵐といった偶然の不幸が人災を呼ぶ。祝福ムードの同調圧力の中では抑えられていた婚姻を快く受け止めなかった者らの不満も表出し、エルザの身辺で、陰口と心ない嫌がらせが横行した。彼女の可愛がっていた猫が城内から忽然といなくなった。人為的にヒビを細工されていたのだろう食器が彼女の食事中に割れた。おきにいりの香水が変質して異臭を放った。エルザはオディロンを除く誰とも接したがらなくなり、息子の世話は乳母へ任せっぱなしにして日がな一日、自室で塞ぎこむことが増えた。
「エルザ。元気を出しておくれ。あなたが萎れていると私の世界は太陽を失う」
「不安なのよ。何もかも悪い方向へ進んでく。皆コソコソ言ってるわ。私たち、やっぱり人の道を踏み外したのじゃない?」
エルザと荘園の民を不安に陥れた最大の要因は、息子ジルヴェールの容姿だった。運命の恋が結実して授かったのは宝石のように綺麗な男の子ではあったけれども、突然変異の、純黒の髪と目をしていた。両親はおろか、ロンヌ公国のどこを探しても黒い色素を宿して生まれる赤子はいない。空人の国も同じだという。
「おぞましい闇の色……、私のお腹を痛めて産んだ子があんな……どうして」
偶然だ嫌がらせだと個々の点は処理できても、点は重なり、線になる。神の怒りに触れたせいではないかと一度感じてしまったならもう、すべてが先入観に蝕まれる。音もなくトゥールガルドの空へ立ちこめた暗雲に、幸せは翳っていった。
「こんなはずじゃなかった。私たち二人に似た子と、睦まじい、絵に描いたみたいな家族になるはずだったの。種族の壁を越えてトゥールガルドの人たちに慕われる未来を夢みていたのに、実際には疎まれてる。私が間違えたんだわ。故郷へ帰りたい。アネッサに、あの子に会いたい……っ」
「妹君はあなたを見限った。つらいだろうが、わかっているね。あなたの送り続ける手紙に返信もよこさないのだから。けれど私は、全世界と敵対しようとも誠心誠意、あなたを愛し抜く」
「……そうね。私にはあなただけね」
エルザは精神的に夫へもたれかかった。並行して、夜ごと悪夢に魘されだした。錯乱して杖を手に取り、蜃気楼やら亡霊やらを出没させる。目撃した城の使用人に端を発して、魔術を弄する空人という種への恐れは民衆に伝染し、どこからともなし「若君は魔の血を引く禁忌の子だ」と噂がはびこる。農作物の稔りがよくなかったのも、領民のなにがしが怪我をしたのも、家畜に奇形が生まれたのも、世間の恐怖を掻きたてる材料となった。異変はことごとく“魔族の血が混ざる公子の命が、ロンヌの神を冒涜しているため”とこじつけられ、凶事にすり替えられたのだ。戸を立てられない人の口のさがで不運にも噂を耳にしたエルザはますます怯える。気を病み、真夜中の部屋を真昼のごとく光らせたり霧で白濁させたり、幻術を無意識に乱用しては城内外の者たちを震え上がらせた。悪循環だった。




