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懺悔(2)

 オディロンは席を立ち、彼女のいるテーブルへ進み、片手を差しのべた。白く小さな手が重ねられる。


「お嬢さん。お名前は」

「……エルザ・シェイド」


 頬を紅潮させて手と手を取り合う二人を前にして、アネッサは「は? 正気?」と的確につっこんだ。正気ではなかった。恋とは正気でできるものではない、一種の狂気だと、オディロンは齢三十にして恋愛の哲学を体得した。


「麗しきご姉妹の話へ割りこむ無礼を許してください。お困りの事情が聞こえてしまった。もしよかったら、力にならせてもらえませんか。森に我が家の礼拝所があるのですが、そこを任せている神父が薬膳に凝っていましてね、食材の善し悪しの選別から調理まで、一流の腕前なのです。私にとって幸運にも」

「あなたの幸運? いいえ、あなたと私にとっての天の御加護よ」

「……ゆきずりの男相手に運命だの天の加護だの、頭わいてんじゃないの、姉さん」


 腕の鳥肌をさするしぐさをしてアネッサが再度、つっこむ。冷静な第三者の意見は、彼女の姉にもオディロンにも歯止めにはならなかった。


「天が私たちを引き合わせたもうたか」

「そちらも……姉さんに負けず劣らずの芝居がかった寒い台詞を。人を眼中外に追い遣って、何おっぱじめてくれてるんだ」

「奇跡の恋物語みたいな、こんなことが現実に起こりうるんですね」

「私もまさにそう言いかけていた」

「無視か!」


 朝晩の早い、年老いた聖職者との共同生活にはなるが、森の司祭館に部屋を用意できますよと提案すると、「お願いします」とエルザが即決し、アネッサは「嘘だろ……、どうかしてる」とげんなりして天井を仰いだ。

 翌朝、オディロンの取り計らいで老神父は姉妹を丁重に迎えいれた。一室を宛てがわれた彼女たちの夏は、それぞれの熱中と充実のうちに過ぎていく。昼間、本人の希望もあって神父に師事した妹は、当初の予定どおりの知識と技術を身につけるべく勉学に勤しみ、姉はオディロンとの逢瀬を繰り返した。毎夜ベッドにもぐった就寝までのひとときに、妹は「馬鹿なまねしてないで目を覚ませ」と姉への忠告を発し続け、同じ布団を分けあう姉は「運命だからどうしようもないの」の一点張りで、躱し続けた。


「エルザ。妹君は私たちの関係を認めてくれた?」

「……ごめんなさい。頑固な子なのよ」

「あなたがたは似ていない姉妹だね」

「ふふ、よく言われる」


 誰にも邪魔されない、公爵家の管理下にある森。太い切り株に並んで腰かけ、飽きもせず焦茶と青を溶かすように双方見つめあって、目と目で語らう。屋内の酒場では蜂蜜色をしていた長い髪は、太陽のもとでは金色にきらめいていた。まるで濃縮した光だった。オディロンは瞳を細め、毛束を手で掬って恭しく口づけを捧げる。ほほえむ彼女が眩しかった。光よりもなお。


「私が頼りないせいで、アネッサは男まさりに育ってしまって。数年前に両親を相次いで亡くしてからは一段と」


 抱き寄せた胸でエルザは「あの子が大好き」と内緒話めかして声をひそめた。


「妹は口は悪いけれど、優しい子なの。五つも年下なのに、不出来な私をずーっと気にかけて守ってくれてる。この先も私がそばにいるかぎり、あの子自身の幸せを後回しにして私の世話に明け暮れるんだと思う。負担になっているのはわかっているし、解放してあげなきゃって何度も妹離れしようとした。だけど、だめなの。私はだめな人間。心が弱くて、誰かに依存しないといられないの」


 金の髪を撫でながらオディロンはわずかに嫉妬し、己の狭量に愕然とした。そうか、私は自分以外の対象へ彼女が情を傾けるのを喜べないのか――唯一の肉親である妹君にでさえ。真の恋はこうも浅ましく人を狂わせるのだ。


「これからは私に依存してください」

「……妻子ある公爵さまにそんな言葉を口にさせて、私、いけない女ね」

「あなたじゃない。私がいけない男なんだよ」

「奥方さまやお嬢さまに申し訳ない。でもオディロン、愛してる。この気持ちは止められない」

「私もだよ。エルザ、あなたを愛してしまった」

「私たち、神さまに罰を下されるかしら」

「ロンヌ公国の? それともあなたたち空人の国の神?」

「どちらにしろ二人一緒がいいわ。神さま、罪深い私たちを裁かれる際にはどうぞ諸共に」

「あなたへの恋慕を罰されるならば、私は神をも捨てる」

「ああ、私もよ、神だって国だって捨てる」

「空人のあなたと地人つちびとの私。還る場所を分かたれている私たちは、愛せども本質までは融け合えないのがもどかしいね」

「砂時計の砂の量が元より異なるから、お爺さんお婆さんになるまでは添い遂げられないけれど、短い私の命をあなたの隣で散らせたらどんなにか幸福だわ」


 妻子の存在も、神罰も、種族の違いも、立場としがらみを放棄してのめりこむ背徳は甘い情火の燃料にすぎなかった。禁断の恋に酔い痴れた。溺れた。まっさかさまに。

 かりそめの食指を気分次第で動かしては艶聞を広め、母を嘆かせるに留まらず不貞相手の女たちの品位をも貶めた、在りし日の父と自分の姿が二重写しになる。このままではいられなかった。エルザを娶る意志は晩夏には固まっていた。

 オディロンと妻カトリーンとの絆は強靭で、人生を歩む上での盟友に近い。幼児期に親同士が定めた許嫁であった彼女とは両家公認の筋書きをなぞって歳月をかけ、順当に信頼を結び、いずれ家庭を築く仲だという慈しみを培ってきた。夫婦となった現在も妻に対する敬意と親愛の念は尽きずにいる。彼女も、オディロンにとっては他者とは比べられないひとだった。


「第二夫人にしたい女性がいる」


 苦渋の色で洗いざらい打ち明ける夫を、カトリーンは一言たりとも責めないで赦した。「殿がご決断なさったことでしたら、わたくしに否やはありません」と、うら悲しい笑みを唇へかたどって。


「森で逢引なさっている異国の方でしょう。魔術師であそばすのですって? 素敵だわ。いつご紹介くださるかと楽しみにしておりましたのよ。わたくし、きっと仲良くできましてよ」

「すまない……すまない……! 私は強欲な男だ。彼女との恋もあなたとの家庭も手放したくない。あなたとミリアーヌは大切な家族。夫として父として心から愛している。しかし私は、彼女と出会って初めて、恋い焦がれる想いを知った」

「正直に申し上げて……わたくしは少し、殿が羨ましい。あなたもわたくしも、恋をしてきませんでしたものね」


 夫婦は涙して抱擁を交わした。誰を傷つけても、神に逆らっても、エルザと未来を紡いでゆけないのなら生まれた意味がないと、思った。

 都の母は婚姻に猛反対した。よりによって薄気味悪い魔族なんかと異種婚をせずとも、百歩譲って、妾にすればよいでしょうと不承知を公言し、実兄――オディロンの伯父を使者に立てトゥールガルドへ送りこんだ。母の代弁者となり説得に当たってくる伯父を、「これまで、私なりに母上の望みを叶えてまいりました。一つくらいは我を通させてください」とオディロンは退けた。「母の願いを邪険にするとは親不孝な子ね。縁を切りますよ」とは母の言い分。「致し方ありません」とは息子のいらえ。「なんですって!」と母。「母上が先におっしゃったんでしょう、逆上されても困ります」と息子。その度重なる応酬のさなか、伯父は急逝した。ロンヌとトゥールガルドの行き来が堪えたか、あるいは母子の諍いを取り持つストレスからか、深酒をして眠りに就いたきり再び瞼を開けなかったと伝え聞く。のちのち顧みればこれが不幸の始まりだった。母は消沈し、音信は途絶えた。

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