森の魔物(2)
逸る足でめざした森の司祭館。
時が凍結されている心象を与えてくる、うらさびれた廃墟。人の気配がしないここで、独りで寝て起きて、リュウが訪れていない間の彼はどんなふうに過ごしているのだろう。庭で花の世話をする。ときどき森からカラスを召喚して無聊を慰める。あとは読書に勤しむ。そんな感じかもしれない。食材の減り方からして食事を充分に摂っているかどうかは疑わしい。
静かな居室へ視線をぐるりとやって、硬い寝台の上、ごわつくウールの毛布にくるまり壁を向いて丸まっている彼を見つけた。すぽっと頭までかぶった毛布の端から長い髪のみが一房、はみ出ている。全身を閉じこめるようにして手足を縮めて眠ると安心するタイプなんだろうか。
寝台の横に跪く。つい触れたくなって、指を伸ばして毛先を撫でる。すべすべしている。人差し指に巻きつけて弄ぶ。その己の手、剣だこに目が留まった。才能にふんぞり返っていたわけがないと、ジルが断じたてのひら。天賦の才ではなく、努力を認めてもらったのはリュウにとって初めての経験だった。
毛布の塊がもぞもぞして白い面が現れた。寝がえりを打つ。まっくろな双眸がリュウを映す。世界中のどんな色よりも一番きれいな黒に思えた。
「……な、ジル。門に獅子、いなくなってた」
「ああ……魔術の無駄遣いだから」
他者に煩わされたくなくて仕込んだが、“他者”の筆頭には獅子すら役に立たない。連日突破される無意味さに解除した、との旨を、覚醒しきれていない声で彼は語る。友だちにはならないと言葉では何度も拒絶するくせに、無防備な姿だった。まるきり気を許してる黒猫じゃん、こんなの。
体を起こし、寝台から立とうとしたジルが眉根を寄せた。何かを遣り過ごすみたいにそのまま座って、抱えこんだ毛布を胸に押し当てている。
「ジル? どした?」
「何でもない」
俯いた頬へほつれ髪がさら、と流れる。数拍の沈黙を空けてこちらへ目線を戻した彼は、普段と変わらない顔つきをしていた。
「それより今日、遅かったな」
「ごめんな、待ちくたびれて寝ちゃってた?」
「……待ってない。単なるうたたね」
「寝不足? 夜、寝られてねーの?」
「リュウ……あったかい茶、飲みたい」
「えっ。う、うん。わかった!」
頼まれて、俄然張り切る自分は我ながら単純だけれど、調理場にすっ飛んで行って湯を沸かし、丁寧にハーブを蒸した。安眠効果が期待できるラベンダー茶を淹れる。寝台へ運んで彼の手に持たせてやる。
「熱いよ。気ぃつけて」
「ありがとう」
律儀に礼をよこす、そういうところがリュウを骨の髄までこそばゆくさせる。
なあ、俺らってコレ、とっくに友だちじゃねーの?
カップに唇をつけたジルがこくん、喉を鳴らし嚥下した。
(あーもー……、すげぇ好き)
何をしていたって何もしていなくたって無性に魅了されてやまない存在が、リュウの用意した茶を飲んでいる。そりゃ、めちゃくちゃ好きってなる。なるだろ? 当然だ。
「城の姫さんがさ、おまえに、いつでも自分を頼ってくれって」
「城の姫、が」
「トゥールガルドって基本、旅人に親切な土地だよな」
「……そうだな」
「その姫さんに変な噂聞いたんだけどさ」
ミリアーヌから仕入れたネタを茶菓子に代えて、軽いウケ狙いで話した。噂って尾ヒレ付きまくって適当だよなーとでも二人で笑い飛ばすつもりだった。
「おまえ、魔の血を引く? 黒い魔物? ってことになってて。災いの雪を森に降らせてる、トゥールガルドへ仇なすもの、なんだって。ちょいかっこよくね? 姐さんを市場で見たときも『空人がいる』っつってみんなやけにピリピリしてたし、ここの人ら、筋金入りの怖がりなのな。魔術に不慣れなんだろーな」
「……」
「ジル? マジでどした?」
「……」
「もしかしてしんどい?」
押し黙って、彼は張り詰めた表情をしている。カップをマットレスに置き、「事実だ」と呟いて、胸のあたりへ毛布を再びたくしあげた。
「事実って?」
「雪は俺がここで降らせてる」
そして伏し目がちに淡々と明かす。降りやまない雪の正体と、叔母の余命を奪ったいきさつを。
「俺には災いがついて回る。おばさんが死んだのも、俺の責任だよ。俺がメモを黙読するなり、おばさんは消え、庭に花が咲いた。あの花園が金の雪の苗床なんだ。花びらが空へ昇って雪になってる。“金雪華の術”っていう術名と、術の構造は突き止めた。けど無効にする手立ては判然としない。書物のどこにも記されていなくて」
「……え? や、で、でもさ」
「アネッサが病で息を引き取った、とは言わなかっただろ、俺」
あれは彼女の死を悼む手向けの花で、ジルはその花守をしているのかと勝手に見当をつけていた。再会した翌日、花々の咲き誇る庭でよるべなく佇んでいた、彼。今も建物の外できらきらと舞い続ける雪が急に重くせつない意味合いを帯びて、リュウの呼吸をつかえさせる。花守は花守にしても、もっと直接的な弔いの花を彼は守っていたのだ。
「でも、さ。姐さんに謀られて、知らないでかけた術、なんじゃ」
弁護しようとするのを一睨みで遮られ、剣呑に切り返された。
「おまえに何がわかる? 術の種類は知らなかった、だとしても、おばさんの企み自体を俺が知らなかったなんて、なぜわかるんだ。……俺なんかといると、ロクなことねーぞ。それに領民から爪はじきにされる。天寿が尽きる前のおばさんに、俺が、手を下した。おまえも消されたくなきゃ、俺にはもうかかわるな」
片頬をわざと歪め、凶悪ぶった笑みを湛えるのはたぶん、リュウを遠ざけんとして。開きかけていた扉が一瞬でまた、強固に閉ざされてしまった。ぎりりと威圧的に注がれる黒い瞳は、しかし、感情を殺すのに失敗して涙の膜を作っていた。
指先がこわばるくらいの力で毛布を握りしめた彼が、「帰れよ」と吐き出す。
「ジル」
「帰れ」
「おまえが、どんなだって――」
俺はいいよ。人を葬った咎で詮議するならこっちこそ、世に威張れた経歴じゃない。言いさし、毛を逆立てている獣さながらの現状では何を伝えても受け容れてもらえない気がして、やめた。施錠された扉を無闇やたらと抉じ開けにかかるよりも気持ちを整理する小憩が必要だった。リュウではなく、彼に。
わだかまりをほぐすことは持ち越しにしてジルの望みに従い、部屋の戸口へ向かう。
「明日も会いに来るから」
約束はきっちり残し、どうせ拒まれるのだろう返事を待たずに、場を離れた。
(姐さん)
薄暮の庭で光の色をした花のさやぎを、雪空を、しばらく眺めた。
(どうか安らかに)
ジルと再会するきっかけを、彼女にもらった。てのひらに載せるそばから水になる寡黙な雪片は冷たく美しくて、そうと教えられると、多くを語らなかった美貌の人を偲ばせた。
同じころ、城の裏門前には二頭立ての馬車が準備されていた。清淑な面ざしを曇らせている貴婦人が車両へ乗りこむ。装蹄して豪華な馬具を取りつけた馬の歩みに引かれ、轍を刻む車輪の音が城下を秘めやかに移動する。
「呪い……呪いの雪……。わたくしたちへ復讐しに、あの子が帰ったのだわ……」
革製シートへ身を沈め、貴婦人は虚ろに呻く。定まらず宙をたゆたう視点は過去へと遡っている。騎士や官人、近侍、下働きなど大勢の者が暮らす城の居館において、養育係と家庭教師と召使いが事務的に仕えるのを除けば誰からも心を配られなかった、いつも独りで暗い瞳をしていた子どもの影が彼女の精神をじくじくと苛んでいた。
馬車は進む。ぬばたまの夜に吸いこまれるように木々の奥へ。
「……今の」
森に繋がる一本道を譲った木陰でリュウは胸騒ぎを覚え、馬車の去った方角に注意深く視線を凝らした。
日が没する時刻だった。町では随所でともしびが焚かれ始めている。じき周壁の跳ね橋は上げられて、よほどの事情でもないかぎり朝まで下ろされない。貴人の求めならばさておきリュウが願い出たところで門塔の衛兵は耳を貸さないだろうし、さっきの様子じゃ、あいつも泊めてはくれないだろう。つまり、一晩野宿か。今夜は寒そうだけれども。
(朝帰りしたらばあちゃん、怒るよなぁ)
天秤にかけるまでもなかった。ブーツの踵がザッと土を蹴る。
車輪の後をつけて雪道を走った。嫌な予感は的中し、来た道をそっくり引き返すはめに陥る。獅子が番をしなくなった鉄門前で待機する四輪馬車に描かれた、権威高き百合と鷲の紋章。トバーユ家の。隠密裏の訪問であるらしく従者は極端に少ない。見ざる聞かざる言わざるを主から申し渡されていると思しき馭者たちが闇の一点を向いて不干渉の態で直立しているのを幸い、車両の脇をかいくぐり、庭へ駆けこむ。壊れた壁の内部、聖堂から燭台の明かりが漏れている。




