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森の魔物(1)

 噂が、トゥールガルドの民から民へと口づてに広まり始めていた。

 奇異な色をして降り続く雪の森へ肝試しに忍びこんだ若者が、黒い魔物を目撃したという。禍々(まがまが)しい漆黒の髪と瞳の、闇に魅入られし少年を、旧聖堂付近で見かけたのだと。

 町角でそろりと囁かれているそれを侍女経由の早耳で拾ったらしいミリアーヌに、城内へ呼び出された。採光の熟慮された南向きの、上階の部屋。天井画から床の絨毯に至るまで大領主の一人娘のために匠の技の粋が集められ、天蓋付きのベッドにはふんだんに高価な織物をたゆませて絞ったカーテンが張りめぐらされている。

 そのベッドで羽毛クッションに背を埋めて、公爵家の姫君は親しくリュウを手招いた。


「ごめんなさいね。わたくしがキナダの小屋へ遊びに行ければよいのだけれど」


 虚弱な質の彼女は半月ばかり前に風邪を患って以来、倦怠感にみまわれたり高熱がぶり返したりと不調を長引かせている。「今日の具合は?」と尋ねれば「大丈夫よ」と柔和に笑った。


「禍々しい……?」


 リュウは教えられた噂の、引っかかる単語を復唱した。腕組みをして右に左に首を傾げる。きれいだけどなぁ、あいつの、黒。髪も眼も濡れているような艶があって、透きとおりそうな白皙との対比が鮮やかで。


「あなた、何か知らない? キナダに聞いていてよ。毎日森のほうへ出かけているのでしょう。わたくしは熱風邪を拗らせているだけというのに、母上が心配なさって、神経質になっておられるの。お喋りな侍女から噂話を耳にされて、ここ数週のわたくしの体調が芳しくないのはあの雪に呪われているのじゃないか、って不安をお感じみたいで」


 ミリアーヌの情報では、噂は妄想を煽って穏やかならぬ憶測をも生んでいる。“魔の血を引く黒い少年”があの金の雪を森に降らせている。あれはトゥールガルドへ仇なすものだ、と。


「トゥールガルドを憎む存在が森に潜伏し、魔術で災いの種を撒いている……って」

「えぇ? デタラメだって。あいつ、そんなんじゃねーよ」


 憂い顔でいるミリアーヌへ、かいつまんで説明した。

 確かに森の古い教会で黒々とした髪と眼の、魔術師の少年と会ってはいる。ずっと探していて、念願叶って再会できたやつだ。警戒心の強い猫っぽい属性をしているし初遭遇がちょっとアレすぎたしで、ずいぶん嫌われているけれど、嫌いだろうが何だろうがあいつは相手に危険が及びそうなときは庇ってくれる。そっけない態度で、でも面倒見よく助けられて、ますます友だちになりたくなった。こういうのを男惚れ? って言うんじゃねーかな。


「とにかく、かっけぇの。あいつが喋るたび『男なら』って幻聴がするっつーか。『男なら』弱音をつべこべ吐いてる暇に考えりゃいいだろ、『男なら』自分で選んだ道を先へ進んでみせろって。んなこと言ったらまた『男も女もない』って怒られんだろーけど」


 口もとへ手を添え、相槌を挟むのも忘れて焦茶のまなざしを揺らしている彼女に自信満々、請け合う。


「あいつは優しいやつだよ。トゥールガルドに害をなしたりしない。魔物なんかじゃない。絶対」

「そう、よね」


 ほろ、と微笑してミリアーヌは愁眉をひらく。病のせいで感受性が過敏になっているのか、涙ぐんでさえいた。


「ありがとう……ありがとう、リュウ」

「俺、わかったかも。それで姐さんもあいつも森の外じゃマントやフードで、杖とか髪、隠してたんだ。魔術師だ空人だってバレたら、余計な反感買うもんな。ここのみんな、魔術への苦手意識すげーんだな」


 冬が迫る季節だ。夜を越えるごとに昼は短くなり、同じ城の敷地内といえども庭園の隅にある薬草園からミリアーヌの部屋へ寄った分、時間も費やしてしまった。太陽の位置を目測し、城下と森との往復距離に照らし合わせて気もそぞろでいると、ほほえみにこもる慈愛を深めた姫君に「早く行ってあげて」と退室を許可された。


「ねえリュウ。お友だちに『困りごとは何なりとわたくしを頼ってほしい』って伝えてもらえる?」

「ん? うん言っとく。つか、まだ友だちじゃねーよ?」

「あら、違うの?」

「違わなくしたくて、日参してる」

「まあ。ふふふっ、あなたの誠意が巨岩をも動かしますよう」


 慣用の言い回しとともに彼女は片手の指二本をクロスさせる。幸運を祈るしぐさだった。

 ミリアーヌの励ましに送り出され、城から坂をくだり大通りを過ぎ、日替わり市が開催される広場を横切った。本日はトゥールガルド特産の薬市が開かれていて、リュウも朝から顔なじみの調合師が搬入するのを手伝い、キナダ婆の買いつけの荷物持ちをしていた。

 昼下がりの現在、市はあらかた店じまいに取りかかっている。

 噴水の周りを走っていた小さな男の子が、石畳の凹凸につまずいた。よろけてリュウの脚にぶつかり、臀部から転ぶ。怪我をしていないか問う前にペシッと男の子の頭で軽快な音がした。追ってきた少女の平手が飛んだのだ。


「こらっ。だから人混みで走るなって注意したの! このお兄ちゃんにごめんなさいは!?」

「ご、ごめんなざ、う」

「泣くな! 人様に迷惑かけて自分のおしりも拭けないで泣いてごまかす子は、悪い子! 怖ぁい魔法使いに攫ってもらうよ!?」

「な、ないでない! まぼうづかいヤダ! おねえぢゃん、ごめんなざい!」

「謝るのはお兄ちゃんにでしょ! 弟がすみませんでした」


 少女はリュウへ一礼して男の子の手をしっかり引き、雑踏へ紛れてゆく。姉弟の後ろ姿に重ねて回顧するのは不機嫌な酷評だった。かつてこの広場で、トゥールガルドの民をコキおろしていたアネッサの声。


 ――表面ばかり善良ぶっているやつら。


 表面ばかりじゃないとリュウは思う。善良は善良な人たちだ、本当に。ただ、魔術に関するいっさいを甚だしく恐れていて、子どもの躾にも「怖ぁい魔法使い」が登場するってだけ。


(魔術師には住みづらい町、だろうなぁ)


 目はおのずと森へ馳せていた。町では不吉がられている金の雪も、雪や魔術に対してこれといった偏りを持たないリュウの主観ではむしろ、神々しく見える。

 広場の先の通りでリンゴ売りに呼び止められ、真っ赤な果実を差しだされた。

 季節限定ではあるが秋になってから常設している露店の店主だ。


「今日はいかが?」

「う~ん。前のを完食できてないんだ。今度にする。でもあいつ、他のさしいれはあんま自分から手ぇつけねーけどお姉さんのリンゴは、食ってるよ。口に合うみたいで」

「うちのは味も香りも逸品でしょ。お城の厨房にも卸してんのよ」

「へー」

「今の自慢したんだけど」

「えっ、あっ、すげえ、公爵家御用達かぁ!」

「お褒めに預かりましてどうも。ところで『あいつ』って? リュウ、あんた毎日町の外に出てるようだけど、薬草摘みに行ってるんじゃなかったのね。誰かと会ってんの? まさか、森へは入ってないよね? あの雪の色……あそこへ近づくのはよしなよ?」


 自慢ならリュウもしたかった。俺な、何が何でも仲良くなりたいやつがいて、んで運命的に再会できちゃって、そいつを懐柔したくて頑張ってんの。残念ながら正直に吹聴できる空気ではなく、が、とっさに巧い嘘もつけなくて「ね、猫」と口走っていた。


「森に、独りぼっちで俺を待ってるのが、いて。俺が行かねぇとメシもちゃんと食ってないっぽくて」

「猫!? ふーん! うちのリンゴを猫の餌に!」

「あっ、や!」

「ま、いいわ。違いのわかるグルメな猫なんでしょうよ。で、あんた、あんな不気味な雪の森に、猫のために足繁く通ってるっての? よっぽどその猫に入れ込んでんのねぇ。町に連れてきちゃえば?」

「そうしてぇけど十中八九嫌がるし、あいつに会えるなら、通うのも苦になんねーから」

「好きなのねぇ」

「好きなんだねぇ」


 リュウの隣で黄と緑のリンゴを一つずつ手に取って品定めしていた女性客が、会話に割りこんでくる。


「おまえさん、よそから旅して来たって子だね? キナダ婆さまのもとにご厄介になってるっていう? アレじゃないのかい、寂しいんじゃないかい? 猫より、もっとぴったりな遊び仲間がいるよ。あたしの息子なんだけどね、年の頃も一緒! 気が弱くて内向的なのが玉にキズ、でも親のあたしが言うのも何だけど賢い子なんだよ。どうだろ、友だちに? いっぺん会ってごらんな!」

「ええっと、ま、またいつか」

「旦那がね、あの子が内向的なのはあたしが代わりに全部喋っちまうからじゃないのかって、あたしをおちょくんのさ。口が達者で陽気なあたしにゾッコンだって顔に書いといて、憎たらしい人だよね!」

「あー、だね、んん~と、俺そろそろ」

「いいかい、おまえさん、シューだっけリューだっけ? くれぐれも森の深いとこまでは行くんじゃないよ?」

「深いとこに何かあるの、お客さん?」

「ははぁ奥さん、聞いてないんだね」

「何を? そりゃそうとあたし独身なんだよね」

「おや、そいじゃステキな人を紹介させとくれ! あたしの知人にいるんだよ、あんたと似合いそうなダンディなのが! と、それは一旦置いて、あたしも今朝耳にしたんだけどね、森の深くの旧聖堂付近に、黒い魔物の――」


 賑やかな女性たちからそっと後退し、リュウは枝分かれしている別の路地の、日陰に溶けこんだ。

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