廃墟にて(4)
あるときは同様に「なぁなぁ。姐さんの話して」とねだられた。両手で包んだカップには淡い緑色のレモンバームティー。心癒す、爽やかな香りの満ちる午後に。
「おばさんは、母と死別した俺をアバルデンへ連れていった。親代わりだった。鬼婆みたいなひとだったよ。冷たくて厳しくて、口は悪い、挙動が荒い」
「……う~ん安定の毒舌……」
リュウはなぜか感心している。
母がみまかり、父は深く嘆き悲しんだ。ひたひたと波を打つ哀哭の海へ溺れさせられそうで、生家にいたくなくて、亡骸もなしに執り行われる形式ばった葬儀の席から逃げ出したのは、四年前の初冬。
泣くこともできず、乾いた目をしてしゃがんでいた町の路地裏で、
――いきばがないなら私と共に来い。
どういう手法だったのか、雑作もなくジルを捜し当てた初対面の叔母は横柄に言った。今にして思う、あれは“行き場”ではなく“生き場”ではなかっただろうか。禁術に利用すべく引き取っただなんて、そんなわけがなかった。当時のジルは初歩の魔術すら扱えなかった。使い物にはならないと誰しもが嗤った。悔しくて、ほぼ独学の自己流で血の滲むような努力をして、近頃ではどうにか人並の使い手にはなれた気がしている。けれどアネッサは、最後まで一度たりともジルの魔術の腕を認めてはくれなかった。
優しい言葉をかけられた記憶がない。母性など微塵も感じさせない教育方針で甥を鍛えた彼女は、しかし、母の死後にアバルデンからはるばる迎えに来たのだ。ひねくれた子どもを手元に置いて養い、安全な住まいと日々の食事を与え、尊敬できる師につかせた。事実のみを繋ぎ合わせれば惜しみのない、言外の情はかけられていた。あの叔母なりの。
「……鬼婆みたいだった」
瞼を伏せて繰り返す。おそろしく伝わりにくかった。でも喪失したのが真の鬼婆なら視界が水気に煙ることもなかった。
「素直じゃねーの」
リュウの的を射た一言はひどくやわらかな響きで胸に落ちた。
旅の話もした。司祭館の調理場で、食卓の椅子に差し向かいで腰かけて。きちんと食べなきゃ体壊すぞ、と例のお節介を発揮してふるまわれたパンやスープへ、食欲はないながらも口をつけて。干し肉と根菜をハーブと塩で味つけしたスープは、不味くはなかった。それにしても飲食物を提供され、「なぁなぁ、…――の話して」と誘われる会話に慣らされつつある自分が不本意だ。
惑星テラは茫洋たる大海原と三つの大陸から成る。東のアッシア大陸、西のエヴラシア大陸、南のカリファ大陸。学説によると、三大陸はもとは一つであったのが中央で裂け、そこへ海が流れこんだ。よって大陸間では、大小さまざまな半島が内なる海に向かって密接に張り出し、地形の入り組んだ、幾つもの複雑な湾や入り江を作り上げている。アッシア大陸とエヴラシア大陸は北で地続きになっており、空人の王国アバルデンはこの北の地に、推測だが、リュウの故郷の里は東の地のどこかに存在する。見聞を豊かにするという建前でふらりふらりと、主に北方の各地へ趣味の古書漁りのために足を運ぶレイスに同行した先々の、印象深かった景観について語り聞かせた。
巨人族が築いたとしか考えられない巨大な石柱遺跡。紺碧の海に臨む断崖絶壁へ営巣して雛を育てる、何万羽もの海鳥たち。無辺の夜空にかかるオーロラ。首長竜が棲むと噂される湖。月を呼ぶ巫女の神殿。
「月は本来、テラの衛星として捕らえておくには大きすぎて、少しずつ宇宙の彼方へ遠ざかろうとしている。でも月が去ればこの星の潮力が狂う。海は荒れ、高波となって、陸地を呑む。未曾有の大洪水になるらしい。その悲劇を招かないよう月と呼応しあう特殊な引力を身に帯びる巫女姫が選ばれて、日夜祈りを捧げ、月をテラへ惹きつけている。神殿の神官はそんな話をしていた」
とりとめのない雑談にも、ひたすら新鮮そうに眼球の輝きを明るくしていたリュウが、
「ジルには広い世界のいろんなものが見えてんのな」
ぷはぁっと満腹時に漏らすみたいな息をこぼして、静聴を終えた。
「おまえ、すげーよ。俺は里の外にも、その……任務、でわりと遠征したんだけど、あちこち行ってたって俺ん中を素通りしてて、おまえに喋れるネタはいっこも思い出せねーの。前に注意されたとおりだった。網膜には映ってんのに対象をしっかり見られてなかった。世間のこともわかってなかったな」
そうして、剣の筋がよいと幼少期から周囲に持ち上げられ、トゥールガルドへ旅をしてもそれでどうにか食べていけると見積もっていたのだと白状する。世間知らずで甘かった、とも。
「ガキが剣一本で稼ぐって、難しーな。剣才あるっておだてられて、いい気になってたみてえ。あの森でジルにも全然敵わなかったしさぁ。つか、おまえは強すぎるけど」
自分のてのひらをしげしげ熟視しているリュウにつられて、テーブル越しに、ジルも彼の手を観察する。
「里を飛び出したときの俺の計画って、ジルに会うってとこまでだったんだ。おまえが国に帰っちゃったら、どうすっかな。里へ戻ったほうがいいのかなぁ。クフェンの戦士じゃない俺って何ができるんだろ。薬草師もさ、適性ゼロってばあちゃんにドヤされてばっかで」
「弱音をつべこべ吐いてる暇に考えりゃいいだろ。何ができる、じゃなくておまえは何がしたい? 夢中になれるものってないのか」
「剣の稽古は夢中ってか、飽きねーよ。でも俺、ジル」
「……なんだよ」
「ジルだよ。夢中になれるもの」
「っからそういうんじゃなくて!!」
「えっごめ、ダメ!?」
「馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけどほんっと馬鹿だな!!」
正真正銘の救いがたい馬鹿だ、こいつは。いちいちこっぱずかしいんだよ!
テーブルを叩いて立ち上がる。腕を伸ばし、正面にある左手首をガッと掴む。ジルの側からリュウに触れるのが珍しかったのだろう、ヘーゼルの目玉が落っこちそうに眼窩を丸く大きくされた。
「こんな手をしているやつが、単に自分の才能にふんぞり返っていたわけがないことくらい、見ればわかる」
指の付け根の皮膚が硬化している。ひとつの行為に打ち込んだ月日で凝り固まった痕を、指摘した。剣だこを。
「師匠が言っていた。人は何を持って生まれるかじゃなく、どう生きるかだと。おまえはそれを探し始めたんじゃないのか。だったら、みっともなく足搔きながらでも、自分で選んだ道を先へ進んでみせろ」
「かっ……けぇ。男前だなぁおまえ」
「俺じゃなくて、師匠の持論だって」
「や、おまえの言い方がさ、なんつーか、男はこうあれ! って感じ」
「男も女もない。俺がしてるのは人としての矜持の話だ」
「きょーじ」
「誇り。意地」
かつて無知をさらした彼だったが、やはり適応力が高かった。ランプの点し方も卵の調理法も一度でマスターし、最近では片手で卵の殻を割るという芸当まで披露する。素直すぎるほど素直な性格も相まって、砂地へ水が滲みるように吸収してゆく。学ぶ機会を得たなら読み書きもすぐ覚えるはずだった。きっと何にでもなれる。どこへでも羽ばたける。リュウは今も、毎日の剣の鍛錬を怠っていない者の手をしているのだから。
「おまえは努力の仕方を知ってる。俺は、根性のあるやつは嫌いじゃない」
「ジ」
「おまえは嫌いだけどな」
「あはは。好きになってよ」
直球な物言いに、ふ、と頬がゆるんでしまった。
「わら、った」
口をぽかんと開けた後、リュウはじわじわ口角を上げ、顔中へ嬉しさを漲らせた。こいつといると調子が狂う。望みもしない友だちごっこへ引きずりこまれる。
「うん……やっぱ、おまえと同じ世界が見たい。ジルの瞳が映してるものを隣で見てたい」
「……ば」
「その道を俺が選んじゃダメ?」
「ダメだ! 馬鹿!」
「マジか! なんで!」
「なんでって、…………だから」
こいつのこういうとこ、ある意味、最強だな。おまえが「なんで」だ。脱力してジルは椅子へ着座した。どうして俺にこだわるんだ。そこまで執着してもらえる価値なんかない、目を覚ませ。
はーっと長い長い溜息が肺から押し出される。
テーブルに肘を立て、組んだ手指へ額を預けた。
この、天性の人タラシ馬鹿につける薬がほしい。的外れな根性を示して全力の豪速で気持ちをぶつけてくる悩みの種に「とりあえず落ちつこ。な?」と勧められるがまま、食後の茶を啜る。物心もつかないうちから傍らにあった孤独とはかけ離れた晩秋の、外界にはまだ、金の風花が舞っている。




