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序(2)

(なん、だ、この気配)


 戦士として鍛えられたリュウの感覚器官をもってしても、呼吸音も、体温も、生身の手ごたえは拾うことができなかった。それなのに、ただ確かに存在する、無数の影。ざわざわと這い寄る人間ではないものの動き。それらは互いに絡みつき、不規則にほどけては再び絡まり、空を覆う木々の枝からリュウをめがけ、一斉に襲撃を開始した。


「うっわ……、ツ、タ??」


 木蔦だ。反射的に切り落としてから、正体への認識が追いついた。あたかも知能を有する水生動物のように、蔓植物の群れが春先の森の中を泳ぐ。

 これが魔術ってやつか。魔の術。名が表すとおり、自然界の理では説明できない、妖しく惑わされる技ではある。立ちのぼる緑の匂い。しなやかな魔物が葉を揺らして降下し、槍のごとく突きを仕掛け、蔓先を巻いて囲いこみ、リュウを捕縛しようと縦横無尽に迫ってくる。片っぱしから返り討ちにし続けた。

 ひょいひょいと足場を移し、傍目には木蔦がみずから刃に吸いついているのではないかと錯覚するほどの剣さばきで、ブツ切りにしていく。周辺一帯の蔦を駆除し尽くしただろう頃合いでようやく、攻撃は止んだ。


「……やるじゃないか」


 不快そうに言い放った少年が、新たに杖を構えかけている。

 おまッ、待て、ちょい待てってば!

 息は上がっちゃいないし、体力的にはまだいくらでも戦える余力があるが、どうも魔術というものは厄介だった。さらなる術を発動されてはたまらないと、リュウは木蔦の残骸を飛びこえ、一気に彼との間合いを詰めた。


「おとなしく、しててくんねぇ!?」

「……ッ」


 杖を握っている少年の右腕を、刀剣の峰の部分で、深刻な怪我をさせない程度に、けれども数時間は痛みで杖を振れないくらいには、打ち据える。

 すかさず左の拳をくりだしてくるのを、向きあう右手でかろうじて受け止めた。やっぱり速い、こいつ。背筋にゾクリとした興奮が走る。細い体つきのわりに力があるのは間違いない。しかしそれ以上に、そう、速い。おそらくスピードが拳や蹴りの威力を補い、重さとして加算されているのだ。

 つまり、純粋な腕力のみなら――こちらが勝っている。

 リュウは右手で包みこんだ少年の拳を放さず、間近にある体を力任せに自分と繋いでおき、相手のみぞおちへ、これも大怪我をさせることなく足止めはできるよう調整し、剣を持つ手首をひるがえして柄頭をねじこんだ。呻いた彼が草むらに膝をつく。その隙に、一応は杖を手にしているものの外野の見物を決めこんでいる銀髪の男のもとへ、駆ける。


(もらった!)


 剣を振りかぶる。青年は杖を上げない。翠玉のような色みの双眸でひたすらじっと、リュウの動作を映している。のんきなのか大物なのか、読めない男だった。いずれにしろあと一瞬で終わる、終わらせる。


「やめろ!!」


 森に少年の怒声が響く。殺気を感知してリュウが後方から飛来する何かを避けるのと、ドスッと鈍い陥没音がするのと、どちらが先だったろうか。リュウの頬の表皮を裂き、少年がなけなしの力で放ったらしい彼の杖が、リュウと対面している人の、銀髪が流れる肩をかすめて背後にそびえる木の幹に突き刺さった。

 鋭利に尖った刃物でも何でもない、棒状のそれが、眼前の樹木にめりこみ垂直に留まっているのを、リュウは呆気にとられて眺めた。

 そうするうちにも、柄当てされて痛むのだろう腹部を左手で庇い、ふらつく体を気迫だけで動かすようにして瞬時に地を蹴った少年が、リュウと青年の中間に割りこんで来ている。杖はもはや手元にない。体も負傷してボロボロだ。彼には戦いを継続するすべはないというのに、一歩も退かない姿勢でリュウを睨み、薄い背中で師を守ろうと立ちはだかっているのだった。


「……なあ。なんでそこまですんの? 俺の標的はそっちの人だって言ったじゃんか。おまえにはヒドイコトしねえから、そこ、どいてくんね?」

「それ聞いて、はいそうですかと自分の師匠を差しだせるとでも、思うのか」

「差しだしてよ。斬らなきゃなんねーんだ。そうやって災いを取り除くのが俺の任務なんだって。世界のため、みんなのためなんだぞ。俺にもよくわかんねーけど、世界に災いをもたらすって星の相に出てんの、その人が生きてっと」

「貴、様」


 憎々しげに震わせた声で、少年が吐きだす。剣を所持するリュウと素手で相対していながらも、黒い瞳には、怯えはかけらも浮かんでいない。代わりに怒りが、凄まじい怒り一色があった。


「本気で言ってるのか!? 人間ひとり殺めようってのに、おまえの意思はどこにもないのか。だったらおまえは、星の定めのとおり生きて、星の定めのとおり死ぬつもりか。ふざけんなっ、ンな安い命があるかよ!」


 もしも視線で誰かを害せるならば、直ちにおまえを殺してやりたいと言わんばかりの、氷じみた冷たさ、それでいて灼熱を秘めているまなざしがリュウを射抜く。炎みたいだと思った。炎の色は一見冷たい感じがするほうが、実際には高温なのだそうだ。リュウは呼吸のしかたを、なぜか、忘れた。

 なんだこいつ、なんだ、この、眼。

 ヘタをしたら自分が斬られかねない状況で、いつでも自分を刺し貫ける剣を掌中におさめた戦士を前にして、恐怖は一滴たりとも滲ませない、我が身がどうなろうと断じて撤退しない気構えの眼をしている。なんで、そこまで怒ってる。なんで、そこまで誰かのために熱くなれるんだ。

 こんなにも熱い、火傷しそうな感情を漲らせた眼ができる存在に、リュウは生まれて初めて、遭遇した。


「全部星に委ねて、人生の選択も定めに抗うことも放棄してりゃ、今こうしてここにいるおまえは息をするだけの人形同然だ。自分自身の命の価値も満足に生かしきれない分際で、他人の命を奪おうなんざ、だいそれたことを考えたもんだなァ!? 星に運命決められてたまるかってんだよ!!」


 ほとばしる怒号、怒りを湛えるまっすぐな視線に、心臓が聞いたこともない音を立ててコトリと揺れた。わからない。こいつの言うことは全然、わからない。安い命ってなんだよ。俺が、自分の命を生かしきれていない……?

 そんなの、生まれてこのかた一度も考えてもみなかった。物心がついたときにはすでに、剣士の修行を始めていた。斬れと指示されたなら、その是非を疑いもせず、斬る。星読み師たちが告げる星の導きに従うのは、リュウが生まれた集落ではあたりまえだったから。

 鼓膜にこびりついて反芻される彼の言葉にとまどい、次なる行動に移れないでいるリュウの真向かいで、少年は杖を持たない左手をスッと天へ掲げた。


「セルウァ・メ・セルウァヴォ・テ、アルボス」


 どこからともなく風が巻き起こり、少年の黒髪を吹きあげた。

 重なりあう枝ぶりの葉をこすらせ、森がそよぐ。

 彼の左手の周りに大気中から発生した光の粒が集結し、魔法陣とおぼしき円となり、複雑怪奇な紋様を描いて徐々に巨大化してゆく。仰ぎ見れば、樹木の豊かに張った枝とその先の空が、紋様越しに透けている。芽吹きの季節を迎えて萌黄したたる瑞々しい若葉、玉虫色の翼を広げて森の高みを旋回する鳥、果てしなく青くつきぬける雲ひとつない大空、光、光、光。

 金色の光の円に囲まれた下で、リュウは自分を包む世界の彩りを初めて知覚して驚愕する幼子のように、惚けた。

 色が、あふれる。

 鮮烈な眩しさ、色とりどりの光の洪水が押し寄せて、目にしみる。

 あらゆる色彩の中で最も鮮やかな色は、少年がまとう、黒だ。


「貴様にこのひとは殺させない。俺が許さない、絶対に!」


 知らない。こんな色。こんな人間。これほどまでに熱く、激しいもの。

 ああ……、呑みこまれそうだ。

 黒々ときらめくまなざしと交差し、リュウの肌が粟立つ。かなわない。本能で、そう悟った。リュウには経験のない直観だった。少年の全身から目には見えない莫大な熱量が放出され、空間を支配している。他を圧する、いっそ禍々(まがまが)しいくらいに燃えあがる、オーラの渦が。


(……負ける……)


 光を帯びた左腕を振りおろそうとする少年を視界に認め、覚悟して、目を閉じた。

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