廃墟にて(3)
「なぁなぁ。おまえの国の話して」
と、その日はせがまれた。司祭館のいつもの部屋。書見台の前の椅子に座るジルと、足元の床で胡坐を掻いているリュウ。二人とも湯気がのぼるハーブ茶のカップを手にしている。誓って、こちらが用意してもてなしているのではない。リュウが持参して淹れたのだ。淹れられたものは無下にもできないし冷えた体も温めたかった、それで、茶を飲みがてらあくまでも渋々会話につきあっている。
「北の森と湖と霧の果て、峻厳な崖の上に王城があって、その岩山の裾野に栄えた小国。アバルデンは」
「魔族じゃないと人扱いされねえ、つってた空人の国がアバルデン?」
「そう。師匠の口癖だ。空人たちはある種の呪いにかかってる。非魔族を蔑視して純血の国と王と同胞へ執心する頑なさ、あれはまるで呪いだって」
熱い茶はカミツレの香り。心が安らいでいるとしたら喉を潤すハーブの効能だ。ほだされてはいない、断じて。
「一千年以上の昔、建国の祖らは大いなる生命の源と取引して、自国を守る魔力を血に宿した。その代償として、同胞愛の象徴でありながら同胞を愛さない、何があろうと不動の岩山のごとく民を顧みない王を大切に戴く誓約をした。これがアバルデンの“王の誓約”の伝説だと、吟遊詩人は近隣諸国でそう歌ってる。王国の民に愛される貴き御仁は、愛を解さぬ氷の王、って。でも意訳すれば、歴代の王がことごとく自己本位で気難しいって話。先王もひどい偏屈ジジイだった」
「ズバッと言った……。その爺さ、や、待てよ」
姐さんをババァって呼ばわったやつだろ、ジジイったってジジイじゃねーかも、うん、ねーな、云々とリュウは一人で問答を繰りひろげている。
「えっと、先代や今の王様? と会ったことある?」
「なくはない。師匠が政治の中枢に近いひとだし」
「へえ」
「次期執政官。元老院っていう統治機関のトップ」
「……冗談じゃなしに? あんな、のほほんとしてんのに?」
「おまえ、人の師を貶すなよっ」
のほほんとしているのは確かだが、こいつに侮られる謂れはない。イラッとなって目つきが尖ると、「う、はい」と気圧されたみたいにかしこまった彼は、
「ジルってお師匠さん、マジで好きな」
羨望やら諦念やらを含み、それらごと、レイスとジルとの師弟の絆を受け容れている風情で笑った。しょうがねーなぁ知ってた……、声にされない声が聞こえる。
なぜそんな笑い方をするのかわからない、わからないから、どう応じていいのかもわからない。
「あ~あ」
リュウが膝立ちになる。
座ったままで彼を窺うジルのほうへ右手が伸ばされてくる。
指先が、頬に当たりかけた。
……触るな。
彼の体温が移されるのを拒む直前、二人の皮膚のすきまで極小の火花が弾けた。パチッ。レイスが一時期『この電気を量産できたら、魔術に変わる動力になるんじゃないかな』と、アネッサやジルにも、静電気を閉じこめて働かせる暖房装置を試用させていた。青い閃光の痛みに導かれる刹那の回想。現実からの逃避。結局、暮らしが楽になりすぎて怠け者になりそうだから、との理由であの電力の研究は終わったのだったか。
頬の産毛を掠めて止められた手の、生々しい湿りとぬくもり。ジルのそれとほとんど混ざり合って、あとわずかで届いて、境目がなくなる。
「……ぅわ」
リュウは瞳をしばたたき、己の取っていた動作に己で意表をつかれたように、右手とジルを順ぐりに見やった。
「あのさ、ジル。触ってい?」
きょとんとした顔で打診される。いや、なんでだよ。そっちがきょとんとすんな。意味がわからない。わからないことだらけだった。動揺を気取らせまいと一蹴する。
「だめ」
「うん。だな。何かごめん、急に触りたくなっちゃって」
「……なんで」
「なんでだろ。友だちだから?」
「…………ふうん」
友人というのは急に相手に触れたくなるものなんだろうか。友だち、じゃないけれど、こいつとは。
「……」
「……あは……、……ははは、わり」
「別に、怒ってない」
怒ってないから謝られても困る。でも、おまえの距離感って間違ってないか。不審は抱いても、友を持った経験がないので強く出られない。リュウ自身も首をひねり、右手を握ったり開いたりして床に座り直した。
「お師匠さんってジルの魔術の先生、なんだよな? 今さら訊くけどさ」
以前に提示されたあれ――茶を飲みながら喋る、は続行らしい。カップの液体をあおった彼がポットを傾けて注ぎ足す。ジルのカップへも。暖をもたらす両手の中の薄黄色。しかたがないから二杯目分の会話にもつきあう。
「そうだけど、積極的には全然教えない。俺はアバルデン生まれじゃなくて、もともと魔術がからっきし使えなかったんだ。ゆりかごから墓場まで魔力が人生に寄り添うあそこの国じゃ、赤ん坊より何もできないって、くだらないやつらに毎日嘲笑われたよ。なのに師匠は掴みどころのないひとで、『魔術ぐらい、使えないなら使えないでいいんじゃない?』って穏やかな口調でケロッと突き放すしか、しなくて」
「お師匠さん、おまえのこと褒めてた。努力の天才だって」
「……え」
あのひとに努力の才を評価されていたなんて、初耳だった。リュウは片眉を下げ、「ぷふっ」と妙ちくりんな音を発した。なに、そのツラ。へんな笑い方。師匠もとんだ戯言を。天才なんかじゃない、あんたが放任主義なせいで地道に努力する以外なかったんだろ。耳朶からじわりと熱っぽくなって、そっぽを向く。
「ジルってお師匠さん、マジで好」
「うるさい」
「ははっ照れてる照れてる。かわいー」
「……永久に黙らされたくなかったら発言には気をつけろよ、リュウ」
「あ、はい……。ん、んんっと、アバルデン生まれだと、赤ちゃんでも魔法使えんの?」
「さすがに乳飲み子は無理。ただし魔力は具えてる。魔術を操るのは、練った魔力の糸を指輪へ通すのに似ている。太さの比からして通す作業は難しくない。でも指輪が無数にあって、どの場合にどの穴へ糸を通すかは学ばなきゃならない」
「へ、へぇ? 魔術って万能なの? どんなこともできる?」
「僅少なりとも可能性のあることを可能にして、不可能を可能にはできないのが、魔術の原則。とはいえ、そうなる道筋を明瞭に描ければ不可能は可能に裏返ったりもするし、幻なら結構な自由度で見せられるけど。もっとも、師匠が自力でどうにかなる庶事ではなるべく魔力に頼らない、脱魔術依存を唱えているひとだから、俺も、倣える部分は倣ってる」
「へ、へえぇぇ?」
「よくわかってないだろ」
「う、へへへ、バレた。そーだ、何かやってみてくんない?」
「おまえさぁ……俺の話、聞いてた? ダツ、マジュツイゾン」
呆れて半眼になる。けどまあ手慰み程度の幻影ならいいかなと杖を振って、小魚を生み出す。宝石を散りばめたような七色の反射で、メタリックな、銀の体をくねらせる熱帯魚の群れだ。
「ふわぁ、何これ! すっげぇぇぇ! 俺、めちゃめちゃ感動してるっ」
「獅子で幻術は見慣れてんだろ。おおげさ」
「だってさぁ、赤ちゃんよか何もできなかったんだろ? それが今じゃこんなのヒョイッて作れちゃうくらい、ジル、すっげぇ頑張ったんだなぁ」
「……」
おまえマジで好きだな。俺を。
と、ここで揶揄したとする。この天然タラシな馬鹿は恥ずかしげもなく肯定してしまうのかもしれない。立ち上がって「すげーよなぁ」とはしゃぐリュウの目と鼻の先で美麗な魚の大群がまとまり、帯状に伸縮してうねる。鱗とヒレをきらめかせ水のない空中をふよふよ泳ぎ、回遊して隣室に消えてゆくのを、領民は誰も寄りつかない廃墟の屋根の下で二人きり、眺めていた。




