廃墟にて(2)
「ありがと。ジル」
「……気安く呼ぶな。俺はおまえと馴れあうつもりはない。ましてや、友だちになる予定もない」
「粘るなぁ。もういいじゃん。諦めよ」
「なんで俺だよ。そっちが諦めろ」
「諦めらんねーの! 友だちになってください!」
「やだ」
拒絶の嵐にも一向にへこたれない。飼い主を忠実に追いかける愛情過多な犬になつかれてしまった心地だ。というか、何とかの一つ覚え。こいつ馬鹿なのかな。
「……そうか。馬鹿なんだな」
好きこのんで俺と親しくなろうだとか。前代未聞の馬鹿だろ、こいつ。
胸中で独りごちたはずが声に漏れていて、噴き出された。
「ぶっ、口わっりぃ! どしたの、いきなり」
「……友だち友だちって言うけど、おまえの思う友だちって具体的には何すんの」
「な、何って? えっ友だちって何かすんの?」
「さあ。俺は知らない。師匠やおばさんといるほかは、一人だったし」
「俺も知んない。友だちって呼べる相手なんかいなかったし」
「……」
「……」
「……」
「あ、茶ぁ飲みながら喋ったり、は、姫さんとばあちゃんが頻繁にやってんな。あとは、んーと、経験したこと感じたこと分かち合う、みたいな? 何も用がなくても会ったり、一緒に過ごして、同じもの見て聞いて嗅いで味わって触れた、り?」
「五感の共有かよ。……ちょっとおかしくないか。友だちってそんなだっけ」
「おかしくない! 俺がおまえとなりたいのは、そんな!」
「おまえと俺とで茶、飲みたいんだ?」
「すっっっげぇ飲みたい!!」
「…………ああそう。何にせよ断るけど」
なるほど、友人づきあいの未体験者同士だったのか。堂々たる“おかしくない宣言”をされて半ば説き伏せられないでもなかったけれど、いや、……おかしい、よな。冷静になれ。こいつの語る仲は一般的な交友を逸脱していないか。
図鑑を眺めても記載された文字が上滑りをしていく視野の端に、ジルの手ほどきで二度目は無事に点いたランプの炎が揺らめいていた。
後日。市場から帰る森の小道で鳥の羽音が近づき、ジルの肩にそっと黒い影が降り立った。爪を喰い込ませないよう極力注意して掴まり、バランスを保っている。国のレイスのもとまでアネッサの訃報を伝達させていたコルウスだった。
「おかえり。疲れただろ。……そうだ、俺にもいたな、友だち」
目深にかぶっていたフードを若干浅くする。ありがとうと労って翼を撫でてやるてのひらに体をうっとりと擦りつけ、そうです友だちです、へたな伝書鳩よりお役に立つでしょうと言わんばかりにカラスは甘えてくる。
森の茂みの先、門前には、すでに珍しい客ではなくなった少年の姿があった。庭側を向いてなごやかな口調で獣に休戦をもちかけている、押しかけの友……に、なりたがっている懲りないやつ。
「無益な争いはやめよーぜ、な? 落ちつこう、吠えない威嚇しない、俺、毎日通ってんだからさ、そろそろ心も門も全開にしちゃってくんね? おまえのご主人様に何もしねーよ、あっ、こら待て、話し合いの最中だっつの!」
交渉は決裂したもようだ。人語を理解しない獅子の牙がたもとを狙う。かわされて、空気を咬み砕く。
「ちぇ。今日もだめか。……剣士舐めんな」
リュウは顔の高さへ、儀礼的なしぐさで天地と垂直に剣を構えた。次いで、左腕一本で中段へ。曲げた肘を引く。剣身の峰には右手の指を添える。清冽なエネルギーが静かに満ち、あたりへ浸透する。ぎらぎらした熱は感じさせない。殺気が、ない。ゆえにコルウスは騒がず、不思議そうにリュウの背中へ見入って頸部を傾げている。
(こいつ、無心で)
斬れる。きっと、乱れのない平常心で標的を。彼が生まれついての剣士であるさまを改めて突きつけられ、固唾を呑む。湖水へ知らぬうちに沈められているような、清にして静のしめやかな波動が寄せて体感温度を下げる。
勝負は一瞬。
風がヒュンと唸った。
少しの気負いもなく、剣舞でも踊っているかの流麗な腕の一振りで、リュウは幻術を貫いた。討ち破られた獅子は霞となり、しゅるしゅる渦を巻いて凝結し、鉄の取っ手におさまる。来客があるたび自動生成される仕組みだから毎回こうした過程で門番を消し去っているのだろうか。足止めをクリアして庭へ歩を進めようとする彼を、カァ、コルウスが引き留めた。ご用の方はここですよと教える鳴き声だった。
「ジル。出かけてたんだ。町のほうまで?」
「……まぁ」
平素よりも早い時間の来訪だと、そう考えて否定する。こいつが何時に来たって、来なくたって、どうだっていい。たまたま思い立った気まぐれなタイミングで不在にしていた。擦れ違わない時間帯を計って外出したわけじゃない。……決して。
「ばあちゃんがさ、俺のこと、最近浮ついてるって。『急ぐ仕事もなし、今日は自由に遊びほうけるが良かろ。ようやっと友だちでも作れたか』って、普段の仏頂面のまんまなのに喜んでくれてて」
訊いてもいない事情を、リュウは相も変わらず裏表のない笑顔で一方的に喋る。剣を片手に醸していた清浄な気は失せ、今は尻尾があれば振りたくっていると容易に想像がついてしまう。だけど、なぜ。門を強行突破しているやり口は把握できた。でも、そこまでして会いたがられる動機は謎でしかなかった。
コルウスはつぶらな黒目でジルと訪問者を交互に見つめ、害はないと踏んだのだろう、餌を求めて飛んでいった。
「あれ? あのカラス、どっかで」
翼を広げて風を切る玉虫色のシルエットを仰ぎ、リュウが呟く。その横を抜けて庭へ入った。市場で買った胃薬と睡眠剤はひそかに外套の内ポケットへ押し込んだ。迷信深い民が多く住む土地柄、何かと煩わしい人目を憚って容姿を隠していたフードを、完全に後ろへ脱ぐ。
「おまえって誰にでもそう、なのか」
「へっ?」
「興味持った相手に、つきまとう」
花々を迂回して歩くジルに追随していたリュウの指が、ぐいっと、腕に掛かった。
「さわ……」
「俺は!」
触るなと、非難する隙も与えられない。力ずくで振り向かされる。
「会える保証もなかったおまえ探して故郷出て一人旅して、トゥールガルドまで来たんだぞっ。んなまね、そんじょそこらのやつに対して、相手も選ばねーで、生ぬるい気持ちで実行できると思ってんの!? 興味!? 興味はあるよ、おまえに! そりゃつきまとうよ、友だちになりてぇんだもん!! おまえにとっちゃ迷惑かもしんねーけど他の誰かじゃ意味ねーんだ、俺はおまえが、ジルがいい! 脈が無くったって嫌がられたって、絶対に諦めねえっ」
渾身の反論をされて呆気にとられる。視線が痛い。無遠慮に鷲掴まれている二の腕も。「離せ、怪力野郎」と辛うじて抗弁した。「あ、ごめ」彼は慌てて手を引っこめた。
「俺なんかの何がいいんだ……リュウ」
「え」
初めて名前を呼んだ、それっぽっちで、ぶわっと喜びが膨れたみたいに感極まった表情をする。ここまで赤裸々に、怖いくらいまっすぐ人から好かれた覚えが、過去にない。こんなの、どうしたらいい。途方に暮れて俯いた頭の頂、おずおずと髪へ這わされたてのひらが左右にこすれて雪を払いのける。嘘だろやめろ。そっちこそ雪まみれの分際で何をやってる。後退して接触から逃れ、睨みつけた。
「世界の色がさ、変わったんだよ。おまえに会って。俺、ジルと一緒にいられるだけで最高に嬉しい」
すごいことを言われた。そういうのは例えば、将来、惚れた異性を口説く場面とかに取っておくべき台詞じゃないのか。普通がどんなのだかわからない。わからないけれど、リュウの友だち観は何だかおかしい。つくづく厄介なのになつかれたという底なしの困惑の中でジルはひとつ、確信を得る。
(馬鹿な上に、こいつ――)
人タラシだ。天然の。




