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雪と鍵(3)

「何読んでんの?」

「……アネッサが持ちこんだ魔術書」

「へー魔術書かぁ。おもしれぇ? な、俺にも読んで聞かせてくれたり――」

「しない。寝言は就寝中に言っとけ」

「きっつ! 淀みなくきっつ! なな、門のさ、幻術っつってたじゃん? あの獅子に実体はなかったってこと?」

「なく見えた?」

「見えなかった」

「じゃ、あったんじゃねーの、実体。俺はアネッサほど幻術系得意じゃないけどな」

「ふぅ……ん? あいつに咬まれりゃどうなってた?」

「命までは取らない」

「そ、そうなんだ? 腕や足は取られんの?」

「幻術は思いこみの力だ。錯覚を信じこませて現実に異変を起こす。おまえが腕や足を食いちぎられたって感じると、実際、もげる」

「もげっ、え、俺がこれは錯覚って頭で理解できてたら、幻術は効かない?」

「理論上は。でもムリだろ、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。五感が『ある』と認めるものを脳は『完全にない』とみなして締め出せない。人間の頭はたやすく騙される」

「よ、よく、わかんね」

「わからなくていい」


 無視はされない。話を振れば厭わしがっているふうでも律儀に答える。窓の鍵穴には埃が詰まっていた。古い布を細裂きにして、水拭きをし息を吹きかけ、掃除するかたわらで一問一答形式のやりとりを重ねた。


「なー、おまえの国って魔術師ばっかなの?」

「民は老若男女、何がしかの術は使えるな」

「そこ帰っちゃうんだ?」

「……帰るよ。このトゥールガルドが俺の国じゃないのは確かだから」

「ここにはいつまでいられそ?」

「未定。少なくとも、庭の花の最後の一輪が散るまでは」

「帰国するとき、俺も連れてってくんねーよなぁ?」

「くんねーよ」

「ふはっ。だよな」

「魔族にあらざるは人にあらず、って国だ。連れていったところで不愉快な思いすんぞ」

「……それ、俺が嫌なめに遭うかもしんねぇの気遣ってる、っぽく聞こえる」

「……は?」

「あ、聞こえるだけ?」

「聞こえるだけ。うぬぼれんな。……あのさぁおまえ」

「リュウだって」

「うるさいんだけど。読書のじゃま」

「やっぱ、じゃまだった?」

「確信犯かよ」

「わりぃ~」


 間延びさせた謝罪は「軽々しい詫びより行動で示せ」と突っぱねられる。つまりは口を閉じろと。了解。

 本物の、夢まぼろしではない彼の肉声が応じてくれるのが楽しい。同じ空間にいられるのが楽しい。邪険にあしらわれるのすら楽しかった。

 楽しいはこの場合、嬉しいと同義だ。

 胸が躍る。だって、会いたくて会いたくて、やっと会えた。


「おまえこそ、なんでトゥールガルドに?」


 不意に尋ねられた。うん? 黙ってなくていいんだ、俺?


「星の定めがどうのこうのってのは、やめたのか。アネッサとはどんな経緯で知り合った?」


 一方通行から双方向の会話ができる仲へと進展させられている、ような感触を得て、体中の細胞が色めきだつ。


「姐さんとは森で偶然、知り合いになった。俺な、今はここの、薬草師のばあちゃんのもとで見習いさせてもらってる。里は出たんだ。ジ、ジジ、ジル! おまえとあっ、あい、あいたくっ」


 会いたくて!! と意気込んで思いの丈を吐露しにかかった、その語尾へ、


「偶然? トゥールガルドへ来たのも?」


怪訝そうにかぶせられ、すがすがしく流されてしまった。こいつ、俺の好意は瞬殺するって誓いでも立ててんのかな。けどぜんっぜん平気。めげない。むしろ攻略しがいがあって滾る。


「ここへ来たのは、再会したお師匠さんの勧めで」

「ちょっと待て。師匠、まさかおまえたちの里に行った?」

「へ?」

「行ったんだ?」

「んん? えぇと」

「……まぁどうでもいいや、済んだことは。結果的に無傷で戻ってるんだし」

「そ、そーだよな? 俺も最初は心臓に毛ぇ生えてるっつか肝が太いなぁって驚いたけどさ、なんかあの人、里のみんなに気に入られちゃって」

「っの命知らず、ほんとに行ったのかよ!」

「うわ、やっべ! カマかけられてた!」

「去年の秋、師匠がふらっといなくなった期間がある。あのときか……、へぇ」


 察しがいい。窓際から斜め後ろを窺えば、ほっそりしている双肩には不釣り合いに物騒な、大の男を、もっと断定すると、師と仰ぐ人をも余裕で絞り上げられるだろう怒気をくゆらせている。羨ましい、なんて感想はたぶんズレている。だとしても憧れる。レイスの立場に。憤るのは身を案じているからじゃないのか。

 顔を眺めたくなって近づいた。書見台の脇でまじまじ正視するリュウを、彼はページを繰る白い手を休めて鬱陶しげに睨み返した。


「なに」

「姐さんはそらびと、ってのだったんだろ。おまえやお師匠さんも? 空人の国に住んでんの?」

「そうなるな」


 いいかげん本を読ませろよと苛だったまなざしに語らせつつ、色艶の美しい唇はまた回答をよこす。嫌ならシカトしちゃえっつの。

 あー、いいなぁ。こんなやつに慕われてるお師匠さんは、いいなぁ。


「空人って、青い目ぇしてるんじゃねーのな」

「空は色じゃない。空虚な本質の、空。おまえたち地人つちびとは」

「つち、びと?」

「永眠して土に還るだろ。だから、つちびと。空人は空……蒼穹へ、って婉曲表現で行きつく先の無をごまかされたりもする。でも要するに、死んだ後、何も残らない」

「……え? け、けどさ、おまえ、ちゃんと俺の前にいるじゃんか。体、触ったら触れんじゃん? 空虚って……、んな言い方すんなよ。なんかヤだよ。悲しくなんだろ」

「信じられない?」


 まっくろな眼球が再び、ちら、と剣をなぞる。


 ――この身をもって証明してやろうか。


 などと、過激なことを挑発的に嘯きかねない目つきだった。臓腑がヒヤッとする。や、だめだぞ、いやいやっ、絶対だめだぞっ、んなまねさせねーかんな!? 腰の鞘をなるべく背中側へ押しこんでジルから遠ざけた。


「……妙な気ぃ起こさないで、な?」

「妙な気って……。どんな気も起こすつもりはないけど。第一、空にも土にも還れないかもしれないし。俺は」


 ぽつり、したたる呟き。口もとへ刷いているのは、自嘲と投げやりを綯い交ぜにしたような危うい笑み。

 なんか嫌だ。

 心がざわつく。歪な違和感が垂れこめる。こういう翳のある表情をしてほしくない、させたくない。


「ど、ういう意味?」

「……」

「死なねぇ、かも、とか? ハッ不死身!」

「違う。半端者って意味」

「それじゃわかんねえ。どういう意味?」

「……」


 これまでの質問攻めに生真面目につきあっていた彼は、初めて答えなかった。

 話題も、視線も逸らされる。


「にしたって、おばさん、どうしてこいつに鍵を」

「……おま、すげ。おばさんって呼べちゃうんだ」

「何が。母の妹ってだけだ」

「うぁ、マジで叔母さん!? どーりで似――」

「おい似てるって言うな、あんなクソババァと」

「クソバッ……やっぱすげーよ、おまえ」


 苦虫でも噛み潰した渋面でいるジルがおかしい。リュウの相好はひとりでに崩れていたらしく、いまいましそうに舌を鳴らした彼に「鍵。調べるんだろ、あっち行けよ」と追いやられた。

 埃詰まりの解消できた窓の鍵穴。鍵は入るには入ったものの、ビクとも回らなかった。


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