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雪と鍵(2)

「……ジ、ジル……」


 たった二音の名を呼ぶのにも心が震える。

 不信と嫌悪を隠しもしない、強い視線を向けられて胸が高鳴る。


「おまえといると、ゾクゾクする。なんだろ、この気持ち」

「……知るかよ。今度は何を企んでいる」

「俺、おまえと、な、なか、なか……っ」

「あ?」

「仲よくしたいんだ! とととと友だち!! に!! なりたいっ!!」


 初めての望みを、初めての切実な勢いでぶちまけた。彼と出会ったことで生まれ、腹の底へ募りに募って時機を待っていた、想念のマグマ溜りから。

 理解しがたい異星語でも喚き立てられた目つきをこちらへ据えたジルは、背筋も凍る沈黙を挟み、ふっと微笑した。咲きこぼれる花のように。花笑みと表現してさしつかえのない美形の、なんなら武器としてだってさぞかし重宝するだろう顔面力だった。


「くたばれ。師匠を殺そうとしたやつと、友だちになんかなれるか」


 うわぁぁ。

 すげえ。すげえな。

 きれいに冴えた笑みのまま一刀両断、人のありったけの純情を舌先で抉ってくれる。体の芯から走るイナズマが血管に乗って、頭のてっぺんから足の爪先までびりびりさせる。どうしよう。たまんない。絶対、こいつと友だちになりたい。

 杖を取り出され、危険を悟り「今は帰る! けど明日も来るな、ここにいてな、逃げんなよ!」と一時撤退した、翌日。

 キナダ婆の手伝いと雑務をすべて済ませた後で、急ぎ再訪した森の奥。午後の太陽が傾きかけた庭に求める姿があって、リュウは門の柵越しにホッとした。よかった。いる。今日も会えた。


(きれい、なんだよなぁ)


 顔といい佇まいといい身にまとう空気といい、おそろしく秀麗に出来ているやつだ。降り続く金の雪を髪や肩に受け、風もないのに足元から舞い上がる月光色の花びらの中へぼんやり立ち尽くしている彼。頬を滑る雪が融けていて、ひょっとして泣いているのではとも錯覚させられる。箔混じりの涙だった。きらりきらり、雪は天から落ち、花は天へと昇る。どちらも細かな光を数限りなく弾いている。

 力なく握った片手をみぞおちあたりに添え、金色を映しこんだ黒々とした瞳で、魔術師の少年は浮上する花びらを眺めていた。

 花より雪より、彼のほうが発光して見えた。

 惚れ惚れ……というか、いっそ唖然とさせられてしまう。あいつ、アレだ、光の国かどっかの王子様だったりしねえ? 何かそんな感じ。きれいさの桁が異常値な、感じ。


「ジ」


 ル、と呼びかけ両開きの門扉を押そうとした――刹那、剣士の勘が腕を引き戻させた。門の取っ手は鉄製。環を咥えた獅子の形状をしている。いや、していたのだ。

 左右で対をなす取っ手の、リュウの指が今しがた触れた側で、一頭の猛獣がふさふさしている立派なたてがみを振りたて、雄叫びをあげた。壁掛けの剥製さながら、ただし生身の、毛並のよい頭部だけを門から生やして。


「あっ……ぶね……!」


 腕一本、持ってかれるとこだった。

 森のしじまを咆哮が裂く。獣臭い息を吐き散らし、百獣の王は来訪者を威嚇する。


「番犬、じゃない、番、獅子? ……ジ、ジルッ、ジールゥゥゥ!! 何こいつ、かっけぇな、門に仕込んだのおまえ!?」

「声がでかい。張り上げなくたって聞こえてる」


 門のむこう、眉をしかめた彼はおざなりに手の甲で頬をこすった。あれ? ほんとに泣いて、た?


「俺の歓迎用?」

「……はあ?」

「また来るっつったもんな、にしたってハデな仕込みだなぁ」

「招かれざる客にはちょうどいいだろ」


 返事がつっけんどんの標本級だ。さっきまでぼうっとしている風情だった黒へ、冷ややかな力強さを湛えて睥睨される。


「ちょい待ってて。そっち行く。今日こそ話しよーよ」

「おまえと話すことなんてない」

「俺にはあるんだって。と、とと、友だっ」

「断る」

「即答!? つか、最後まで言わせてよ。友だちになって!!」

「笑わせんな。帰れ」

「や、全然笑ってくれてねーじゃん。ちなみにこいつさ、おまえのペットなの? 飼ってる?」

「なわけあるか。か、え、れ」

「俺、斬っても?」

「……なんで?」

「そばに行きたいから?」

「獅子の?」

「あはは、ちげーよ、おまえの!」

「しぶといな……。別に、幻術だし。斬れるもんなら」

「うん。じゃ斬ってみる」


 カチリ、鞘から鍔を押しあげる。獣は聴力が鋭い。鋼の音に反応して唸り声を轟かせ、首を捻りもって極限まで突き出し、牙を剥いた。柄へ掛けたリュウの左手の袖、幅広のたもとに喰らいつく。肌へは達していないが布地へ糸切り歯を深く刺しこまれ、振り払おうにもよじれて一段と絡まるばかり、払えない……のは、すなわち、獰猛な牙を無効化して獅子を引き寄せておけるということ。

 左手に代えて右手で剣を抜いた。一撃で仕留められる動線を思い描き、いざ攻めに転じる寸前、門の柵をくぐって飛んで来たものにゴッと額を打たれる。

 いてっ。命中精度ハンパない。

 それでも木の幹にかつてめりこんだ実績のある杖が、前頭骨を貫通しなかった。随分と力加減はしてもらえている。


「よせ。利き手の逆でやりあおうとすんな、怪我するぞ。……どうして諦めて帰らない」


 ごめん俺、どっちかってぇと左、くらいの両利き。

 と、種明かしすべきなんだろう。言葉にしそびれた。態度はつれないながらも人としての根幹にある情がじんわり沁みて。リュウへ怪我をさせるのは彼の本意ではないらしい。


「……入ってい?」


 杖を拾って柵のすきまから渡す。受け取られる。獅子は元の鉄に鎮まっていた。


「いいも悪いも、仮宿にしてはいるけど俺んちじゃない。入りたきゃ入れば。ずっとそこで、ぎゃいぎゃい騒がれるのも迷惑だ」


 溜息をひとつ、身を翻した彼は、歩きだしてわずか振り向き「花は踏むな」と付け足した。


「ジル。友だちに」

「ならない」


 とびきりの願いをこめた告白は今回も、即座に切り捨てられた。

 預かっている鍵は門をはじめ、聖堂と司祭館を繋ぐ廊下の戸口、司祭館の外扉、その他パッと目につくどの鍵穴とも合致しなかった。聖堂の中央扉はそもそも崩れていて試せない。


「床下収納庫も違ってた。普段は見てても見えてないだけで、鍵穴って案外あちこちあんのな」


 司祭館の調理場から隣室に移り、部屋の片隅、背筋を伸ばし書物に読み耽っている我関せずなジルへ喋りかける。返そうかと提案した鍵は「要らない」とすげなく拒絶され、じゃあ何の鍵なのか俺が責任をもって謎を解く、との口実で居座っている。

 急接近しすぎると友好的に作用するどころか敵愾心を煽る予感がしたから、彼のなわばりにリュウが存在することへ慣れてもらうのが先決と、遠方の部屋より開始してじりじりと迫る戦法でようやくここまで至った。猫でも手懐けている心境だ。距離を測って、警戒させないよう、少しずつ。その間、鍵穴という鍵穴に挑んでは玉砕しているのだけれど、それについてはあまり重要じゃない。


「どこの鍵なんだろな、おまえには心当たりねーの?」

「……どこの鍵でもないかも」

「つぅと?」

「ガラクタって可能性もあるだろ」


 ベッドと本棚と机が簡素に配された室内で、ジルは書見台に立てかけた分厚い本のページをめくり続けている。


「ガラクタにわざわざ、あんな手間かけて俺に託す?」

「やりかねない人だ」

「ははっマジか。てか、すっげぇお宝発見しちゃったら半分あげんね。山分けしよ」

「……めでたい頭してんな。すごい厄介もの押しつけられてたら、どうする」

「そんときは俺がどうにかする。おまえは心配しなくていーよ」

「誰も心配とかしてない」


 ちら、と彼の目線がリュウの腰に佩いた剣をなぞった。「どうにか」ってどうせ武力行使なんだろ野蛮な、と言いたげだった。本棚のひきだしにも鍵穴があり鍵を差しこもうとしたが、合わない。

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