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雪と鍵(1)

 目覚めたら、ちぎれた綿の実が遠景の風に舞っていた。金色に光り輝いている。秋晴れの空の下、しんしんと。太陽に眩しく反照して、しずしずと。


「ばあちゃん。あれって雪?」

「雨にあらず、氷にあらず、火災の灰や塵でもなし。雪、には相違あるまい。様子は少々おかしいがの。おぬしは初めてじゃったな」

「うん」


 行きたい場所があるので不在にしていいかと尋ね、「好きにせい。子どもと犬っころがはしゃぐは雪の日の常じゃて」とぼやくキナダ婆に見送られ、リュウは森へ向かった。出がけに、ズボンのポケットに預かり物の卵を入れて。普通の十三歳なら何かの拍子に割りかねないぞんざいさ。だが、剣の腕に長けているリュウは普通の十三歳の身のこなしではないため、問題ない。

 秋の終わりのきりりとした青天から降ってくる金の雪をてのひらに受けると、体温で融け、少量の金箔を混ぜたみたいな水になる。先ほど通り抜けた往来で、町の人たちは三々五々、やれ「不吉」だ「凶事の前触れ」だと眉をひそめて囁いていたけれども、雪とは白銀であるべしという固定観念のゆるいリュウにとってはただ、きれいなもんだなぁ、と思える。

 うっすら金世界になった森の道。

 真新しい雪の層が覆う、人跡未踏の地に足形をさくさく作りながら例の廃墟へと歩く。

 荒れ果てていた庭は数日にして様変わりしていた。

 ここで合ってる、よな? 脳内の地図を辿り直してみる。合っては、いる。


「……この前、来たときは何もなかったのに」


 眼前に金色の花園が広がっていた。ぎらつく金ではなくて月光のような優しい色みの、小さな花が一面、満開なのだ。八重咲きの野ばらに似ている。でも花弁の巻き方がもっとふんわり柔らかく、簡単に散ってしまいそうな。

 風が花々をなびかせればホワイトゴールドの光の波が生まれる。

 踏み折ってはいけない。なぜだかそんな気がした。花の群生を避けて聖堂まで進んでいく。

 出入口に一番近い、最後列の信徒席に横たわる人の気配がある。姿を確認しようと身廊を席に沿って回りこんだ。静かな呼吸のリズムで上下する毛布のふくらみ。奥行の深いベンチを寝台代わりにして毛布にくるまり、手足を中にひっこめる体勢で丸まっている痩躯。予想していた彼女ではなかった。つい見惚れるくらい整った横顔をこちらへ晒して眠っているのは、絹糸めいた質感の、艶やかな黒髪の。

 どくん、心臓が、跳ねた。

 四肢をめぐる血がきっと一瞬で沸騰した。

 あいつだ。

 あいつがいる。

 全身が熱い。まばたきを忘れた眼球が乾き、視界を潤ませる。見おろす相手のまなじりには、しかし、リュウよりも明白に濡れた痕があった。涙の痕だろうか。ベンチ脇の床にカクンと膝をついて、おそるおそる指先でぬぐう。そのまま片手を滑らせ、触れる。壊れやすいものを取り扱うみたいに、慎重に、頬へ。

 あったけぇ。

 うわぁ。

 うわぁぁ。なんだこれ!

 途方もない感動でびりびり痺れる。人肌のぬくさが伝わるてのひらも、リュウ自身の頬も、脈打つ鼓動も。


「すげ……本物」


 動悸がひどかった。ひどすぎて、騒々しく乱れる合間に漏れたのは掠れ声だ。

 彼の睫毛がふるっと揺れた。


「な、に。……誰?」


 薄い瞼が上がり、覚束なくさまよった視線がリュウをとらえる。途端、氷の刃じみて研ぎ澄まされた黒に、烈火の怒りが閃いた。


「おまえ、あのときの……っ」


 凍てる灼熱――冷たくも爆ぜるまなざし。ぞくり、肌が粟立つ。とっさの防御でベンチに乗りあげていた。毛布を膝で踏んづけ袋状にすることで彼の足と胴の自由を奪い、両手も捕まえ、座面に押しつける。拘束対象が性別のわりに細い手首をしていて顔だちも未だ男くさくはない、率直に述べれば少女っぽいせいで、まるで寝こみを襲っているかの、ちょっとすごい恰好になってしまった。でも、しょーがねえ。こいつに魔術を使われたら困る。今ここで喧嘩をしたいわけじゃなかった。


「いっ……、手ぇ放せ、馬鹿力!!」

「ごめんごめん!! 暴れんなって、何もしねーから!!」

「してんだろ現に、どの口がホザいてるっ」

「いや、これは、なりゆきっつか違うんだって! マジごめんな痛くして、けど俺は敵じゃねーの、敵とは正反対のもんになりてーの、ジ、ジジジジ、ジ、ルっ!! おまえと!!」


 身動きを封じられている彼は、噴き上げる激情によってリュウ一人など軽く燃やせそうな眼力で、睨んでくる。ああ、すげえ。この眼。この眼だ。


「なぜ名前を知ってる。どけ!」

「じっと話聞いてくれるんだったら、どく! 名前はお師匠さんに教えてもらった。レイスとジ、ジル、って。んで、アネッサって姐さんから預かってるもんがあって、今日はそれ返さなきゃって思って来たんだよ!」

「……アネッサ……から?」

「そーだよ、姐さんは!?」

「…………返さなくていい。死んだ」

「えっ」


 哀しいかな、彼女の最期が遠くないだろうとはリュウにも読めていた。血色の悪かった美貌がまだ息遣いさえ感じられる残像となり、目の前に浮かぶ。交わした言葉も、声も、耳に残っている。だけど、そうなんだ。そう、なんだ。

 気がつけば、押さえこむ力に反発しようとする彼からの抵抗が止んでいた。


「どけよ。師匠やアネッサがおまえに名を教えて、物まで預けたなら、一応、話は聞いてやる。聞くだけは」

「ん。……そっか。あの姐さん、もういないんだ」

「アネッサが預けたのって、何」


 彼は上体を正してベンチに座り、解放された手首を左右交互にさすった。色白の肌に赤く指のかたちが付いているのが痛々しかった。誰の仕業かはさておいて、かわいそうになって案じる意図で伸ばしたリュウの手は、速攻で叩き落とされる。


「俺、リュウっていうんだ。信じてくんないかもだけどさ、一年半前も今もおまえのこと傷つけるつもりはなくって、つか、えっと、その、真逆……? な、な、仲よ」

「どうでもいい」


 容赦がない。取りつく島もないので歩み寄る糸口にとポケットへ片手をやり、卵を出す。

 続く数秒のうちに幾つかの現象が連鎖して起こった。

 突風が庭から聖堂内まで吹きこみ、リュウの手に置いた卵の上にもひとひらの、金の雪を運んできた。雪と接触するやコバルトブルーの殻が割れた。孵化したはずのなかみは空っぽで、殻がみるみる縮小して変形し、三つ葉のヘッド部分にそれぞれ青い石の飾りが嵌めこまれている金色の鍵になった。その鍵が皮膚をキュルルッと吸いあげ、てのひらに貼りついた。

 逆さにして振っても、力任せに引っ張っても、外れない。


「ええ!? ちょ、どこに驚きゃいんだか全部びっくりでわかんね! とりあえずコレ、超くっついてんな!?」

「おい! 無理やり剥がそうとすんな、血ぃ見るぞっ」


 制した彼が素早くみずからの親指を口へ当て、噛み切った。一滴の朱を鍵に塗りつける。リュウにはなじみのない不思議な抑揚で何事かを詠唱するにつれ、血がすうっと掻き消えていった。


「この、鍵」


 取れた鍵をつまみあげ、彼は黄銅のそれを瞳を細くして観察した。リュウの手に戻す。


「……ったく、なんだってこんな面倒なまね」

「お、ま、指」

「粘着術。初等魔術だよ。子ども騙しのいたずら。だから術をかけた本人でなくても、血液を等価交換する程度で解ける」


 なんだこいつ。なんだ、これ。血を見ると、そう言って止めたくせに、おまえの血ならいいのかよ。悪意のなさを訴えたところで耳を貸さないでいるくせに、助ける筋合いのないリュウのために何の逡巡もなく彼自身の血を用い、術を解除した。相手の一挙手一投足に気持ちが動く。ぞわぞわ揺れる。そういう自分が新鮮で、今の俺ってすこぶる人間らしいんじゃないかとリュウは思っている。

 人間らしくめちゃくちゃ生きている。感情が。

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