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托卵(4)

「おまえも知ってのとおり、私が死んだら、この肉体は空気に溶けて消滅する」

「……何だよ、急に」

「空人の死後、骸は残らない。亡骸が大地に還る“地人つちびと”どもに対し、我々が“空人”と呼ばれるゆえんだ。昨今の地人の間では、空人は青い目をしているのが名の謂れだとか、もっと酷いのだと、宙を浮遊できる種族なのだとか、珍妙な諸説が飛び交っているらしいけれどね」

「…………で?」

「私はそこらの空人たちみたいに、定めを受けいれ、むざむざ空に還るのを待つつもりはないんだよ。豊富な種類の薬草が入手できるトゥールガルドの地で、医療魔術の文献を研究し、特効薬を調合していたんだ。迎えの遅い誰かさんを待ちあぐねている間に、準備は整った。仕上げを成すには私の体力は衰え、それに引きずられて、魔力も微弱になりすぎたけれども」

「特効薬? ……そんなの、あったのか」


 ジルが怪訝な表情をする。アネッサは用意していた紙切れを指で挟み、庭と聖堂の境界にいる相手へ示した。


「読んでみろ」


 それは何の作為もなくアネッサの指を離れ、ふわりと風に煽られた――かに、見えた。舞い上がり、空中を流れる。蜘蛛の糸さながら緻密に張りめぐらされ、目くらましの魔術でカモフラージュされた不可視の、レールをなぞって。

 左腕を頭上に伸ばしたジルが、紙片を掴まえる。

 ピリッとした電流が指から伝わったのか、一段と怪訝そうな顔をしてそのまま指先を見あげた彼は、紙に記されている文字に視線を走らせた。計画どおり。


「――セルウァ・メ・セルウァヴォ・テ」


 掲げた左手の中にある文字へ何気なく目を滑らせる彼に重ね、アネッサの唇がひそかに音を紡ぐ。

 魔術師にはそれぞれ、特質に適合し威力を発揮しやすい魔術の傾向というものがある。言い換えれば、生来の体質による得手不得手が。翠の眼をした年下の友人が探索系の魔術に秀で、アネッサが幻術系に卓越しているように、ジルが史上類をみない異才と囁かれ、数多の魔術師を足元へも寄りつかせずに凌駕しているのは、攻撃系。

 破壊をもたらす魔術だ。


「……アウルム・カエレスティス……」


 黙読するジルの心の声にかぶせてアネッサが呪文を唱え終えた、それが、室内にあらかじめ仕掛けておいたカラクリに、起爆剤となるとどめの一滴を加えた。

 堰き止められていた魔力の泉が、決壊した。

 不可視の目くらましを剥がされ、罠の全貌が顕現する。聖堂中に蜘蛛の巣のごとく編まれていた魔法式が視認できるようになり、己が網にかかった獲物であると気づくにつれ、ジルの瞳孔が、瞠られた。

 蜘蛛の巣はシュルシュルと収斂し、彼の左腕に絡む。


「なっ……」


 幾重にも巻きつく魔法式の糸が、ジルの魔力を糧にして金の光をまとい、魔法陣を描き始める。彼自身の意に反して術を暴発させんとしているのだ。体の自由を封じてその力を吸い取り、貪りながら、制御不能に。

 驚愕して揺れる瞳が、あんたの仕業かとアネッサに問うている。ジルの肩から庭へ飛翔したカラスが怯えた声で鳴きたて、黒い羽を散らす。


「嘘、だろ……なんで、こんな……っ」


 聡明な少年のことだ。自分が何をさせられるのか察したらしい。アネッサはほほえんだ。望みもしないのに体内の魔力を根こそぎ奪われ、左手に光輪を集結させられているジルは、卒倒しそうなまっしろな顔色で喘いだ。


「何なんだ、これ、こんなの……師匠にも、習ってな……」

「禁術さ。レイスが教えないのも無理はない。本来は、自分以外の魔術師が所持する杖に魔法式を流しこむんだが、おまえに合わせて、そこは応用だ」

「く、そ、っ、はめたのか、俺を……!」

「利口ぶって澄ましていても、所詮は甘っちょろいガキだからな、おまえは。簡単に誘導に引っかかる。薬草で調合できる特効薬など、ありはしない。おまえが今から執行する術は、末期の空人を救うことができる、唯一の方法だ。だが、私レベルの魔力では元より足りないんだよ。おまえくらい凶悪な攻撃系魔力をもってしなければ、禁は破れない」

「…………嫌だ……こんなこと、お、れ、俺はっ……、したくない!!」

「嫌でも何でも、利用させてもらう。この日に向けて、どこにも居場所のなかった邪魔者のおまえを引き取り、育ててやったんだ。まさか私に、家族ごっこの情でも期待していた? ああ、傷ついた顔をしてみせたって術は止めてやらないぞ。怨みたきゃ怨め。どうせ、二度と会わない」


 我ながら非情な言い分もあったものだ。わざと子どもを傷つけようと謀っている。保護者として失格だと、アネッサは内心で自嘲するけれども、彼を突き放す効果が得られたのならそれでよかった。


(だから……泣くな。私なんかのために)


 これが永久の別れになろうとも。

 今日を限りに、アネッサが導いた道には縛られなくていい。魔術の道を捨てるもよし。義理立てはしてくれるな。今後は自由に、おまえの生きたいところでおまえの生きたい人たちと、生きればいいんだよ。

 死の影は逃れがたく、アネッサにはもう、猶予がなかった。避けられない永訣であるならば、せめてみずからの目論む方法で眠りたかった。空に霧散するのではなく、大地に。毛嫌いしてきた非魔族の土地。愛おしく残酷な因縁のあるトゥールガルド。ここへ彼をいざない一人で残してゆく、そうする心算で万事を進めておきながら、アネッサはつい十日前までそれを正しいと信じきれないで躊躇していたのだったが。

 しかし今は、心安らかに眠れそうだと思っている。

 託すべき存在を見つけたから。

 つくづく横暴な親代わりではある。子どもの能力を強制的に搾取し、己の姿形を変えてでも、これから先、ここで彼が選ぶだろう道を見届けたい。

 祈るように願ってしまう。自分を追わせ、トゥールガルドの土を踏ませたアネッサの判断が、吉と出ることを。この子に、祝福のあらんことを。


(私なりに見守るから。強く、生きてゆけ。ジル)


 事前に仕込まれた命令式に従って動きだした魔術のカラクリは、今となっては、アネッサにも止められない。他者のかけた術を解くには、施術者本人が解除する何倍もの労を要する。高等魔術を修めたアネッサをして一ヶ月を費やさせた、念入りに練られた魔術の糸に絡め取られたジルが、この短時間で、術に逆らえるはずもなかった。

 黒い瞳がゆらりと水分を醸して揺らめき、アネッサを責めている。

 俺にこんな真似をさせるなと、そう言いたいのはわかっている。


「……やめ、……」


 おばさん。唇が声なき声をかたどった。

 ジルの左腕をのっとり支配している力が、そこに宿した魔法陣の紋様を、アネッサに振りおろす。人々から忘れられた神の聖域を裂いて、光の輪が放たれる。アネッサはおごそかな心もちで禁術の完遂を待ち受けた。別れの刻だった。聖堂内に光が充溢する。彼女の全身が金色の輝きに包まれ、形と質量を失っていく。

 ほどけて、さらさらと。

 無に還る。


(さすが、最凶魔術師)


 初等魔術も扱えなかった甥っ子が、彼自身が望まずとも最高難易度の術を発動してしまえる魔術師へと、成長を遂げた。大きくなったものだ。本当はジルを“最凶”だなどと感じたことはアネッサには一度もない。純粋に誇らしかった。いつだって。


(おまえが私の人生における一番の、自慢だ)


 最期まで言葉にしなかった思いは金の輝きの渦に溶け、一陣のつむじ風となって聖堂のベンチから吹きあがり、庭先に漂っていった。

 光る風は、荒廃して実るもののない秋の庭を覆い、拡散して……そして、消えた。

 風が去ったあとの聖堂内に残された人影は、ひとつ。強大な術によって魔力を吸い尽くされ、体力をも使い果たした少年は、震える吐息をこぼし、蒼白になった瞼を閉じた。


「…………怨め、ったって……怨めるかよ……、……クソババァ……ッ」


 呟いて、彼は床へ崩れ落ちた。まなじりに滲んだ涙が、睫毛を湿らせている。失神した主のまわりをカラスが不安げに飛び、鳴き騒ぐ。

 それきり、光も風も、戻らなかった。






 天も喪に服しているかのごとき、月のない夜だった。

 闇夜が明け、森に雪が降り始めた。

 真冬の一時期しか降雪しないトゥールガルドの土地では前例がない、季節を先取りしすぎた秋の雪。それは、白ではなく金色がかっていた。領民たちは超自然の怪異に恐れおののき、城壁の内側で森を遠く指さしては、口々に魔除けのまじないを唱えている。その一方で、紅葉する木々と、この世ならぬ金の雪で彩られた光景の、妖しくも絢爛たるさまに目をそむけることもできず魅せられていた。

 雪は降る。雪雲もない空から丘陵の森へのみ、降りしきる。

 森に光を与えて祝福する、幸あれと祈る、黄金の花のように。

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