托卵(3)
暮れなずむ晩秋の空高く、カラスが鳴いている。
来る日も来る日も聖堂の屋根を見張るように旋回して、鳴き続ける。小童の身に似つかわしくない長剣を、扱い慣れた自然さで腰の帯に差していた少年と話をした日から、ずっとだ。十日になる。
夢と現のあわいでアネッサは瞼の上にてのひらを置き、ふ、と笑った。最近では目覚めていられる時間も減った。譲り受けた万能香木の実を食し、どうにか延命できているありさまだった。
トゥールガルドの地に入り、領主と面会した当日に広場で一悶着あったので――それも件の小童のせいではあったが、以後、情報収集と物資調達のために町中へ出るときはなおさら慎重にマントのフードをかぶり、誰にも素性を見破られまいとの注意をしていた。しかし、今にしてみれば、しきりと何かを嗅ぎまわっている榛色の頭をたびたび見かけた。自分が捜されているとは予想だにしなかったけれど。
「ここでめぐりあったは運命の気まぐれか、天の采配か」
はたまた、萌芽したものか。
こうなる可能性を見越していた誰かの手によって蒔かれた、種が。
カァァァ……カァァァ……――
カラスが鳴く。屋外を確認するまでもなく翼の裏側が玉虫色をしているカラスだと、わかる。主を呼んでこちらの居場所を教えている。カラスを使い魔にしている魔術師を、アネッサは一人しか知らない。
そろそろ、近い。
間に合わないのではとも諦めかけたが、これでどうやら、小憎たらしく取り澄ました顔を最期に再び、拝めそうだった。気力と体力をふりしぼり、庭が視界に入る体勢でベンチに半身を起こす。
落ち葉を蹴散らして森を走っている気配を、感じる。ぴりぴりしたオーラを放ち、近辺へ人がいれば無差別に感電させてしまいかねない、とんがった気配だ。あくまでもたとえで、魔術師といえども術を発動していない状態でそんな芸当はできやしないけれども、ああ、あれは相当、怒っている。
おもしろいものを見つけましたよ、と。
静電気を発生させるエレキテルなる装置について熱弁を始めた、数年前とまさに同じ切り出しで、年下の友人がアネッサに報じたのはいつだったろう。昨秋だったか。
『最凶魔術師との異名をとるあいつと、互角に渡りあえる、小さな龍をね』
『龍?』
『ええ。天才にして、最強の。聖なる剣を持つとも讃えられる剣士の里の』
『なんだ……、よそ者? だったらこの先、縁が重なる相手でもないな』
『どうかなぁ。縁とは、本人の気持ち次第で重ねられるものなんじゃないですか』
友はそう語り、翠の双眸を楽しげにやわらげていた。
当時からアネッサは少しずつ死期を予感し、トゥールガルド行きを念頭に、人生のしめくくりかたを模索していた。死の影は今や、首筋に息のかかる位置で手ぐすねを引いている。計算していた以上にこの寿命は早く尽きるらしかった、だが、それならそれでかまいはしない。腹はとっくに括れている。
(どのみち私は、あの子よりも先に逝く)
ならば、己が手で演出できるうちに。
愛情だの母性だのと生ぬるい展開は持ち込まない。厳格で横暴な親代わりの役を全うできるうちに、終わりを迎えられるといい。
「……最凶と最強の、ガキか……」
おもしろい取り合わせではある。確かに。
会いたいからと言いきった少年の大まじめな表情を、閉ざした目の奥に回想してアネッサはまた笑った。重ならないはずの縁を重ねに来たか。あいつに会いたい、それだけの理由で。
(あとはおまえに託そう、……リュウ)
さっきから気配を探知しなくても、迫る足音が聞こえている。枯葉を踏む音。衣擦れの音。乱れた息継ぎの音。門を軋ませ押し開ける音。廃墟となって約十五年が経過している聖域の、外階段を駆けあがる音。
瞼をひらく。ちょうど雲の切れ間ができたのだろう、夕暮れの神々しい茜日が庭から注ぎ、その光明が、アネッサの網膜に焼きつかせた。聖堂内へサッとまなざしを馳せるや彼女を睨んで立ち止まった、少年の輪郭を。
待っていたよ。おまえを。
アネッサは唇に薄く笑みをひく。
置き手紙一枚でゆくえをくらませた自分を追って奔走したに違いない、彼の神経を逆なでするような台詞を、あえて浴びせる。
「悠長なご到着じゃないか。ジル」
黒い瞳が剣呑に細められた。元は閑麗な中央扉口であった場所から、舌打ちが響いた。
一音一音をやたらクリアに刺々しく、
「おばさん」
と、ジルはアネッサを呼ばわった。
「こっちの苦労も知らないで……よりによって、こんなところで何やってんだ」
「トゥールガルド観光さ。旅先にて待つと、一筆、書き残してやったぞ」
「……俺への嫌がらせは天下一品だな。普通はその旅先がどこかも併記しておくだろ。あんたの一筆ってのは情報量不足も甚だしいんだよ。ゴミクズ同然の置き手紙とはかくあるべし、っていう、見本みたいだった」
カラスが飛来して、旅装の少年の肩に下りたつ。特徴的な玉虫色の羽裏をしてはいても生物分類上は純然たるカラス、でありながら、猫のように首をもたげ褒美をねだってみせる。漆黒の羽毛に覆われた喉を、ジルの指がくすぐった。
「よくやった、コルウス」
クゥ。カラスはカラスにあるまじき甘えた鳴き声で主に答えた。
「おまえは賢くて助かるよ。それに引きかえ」
聞えよがしな溜息がこぼされ、アネッサを睨みつける視線が鋭さを増した。
「俺は、おばさんの悪ふざけにつきあっていられるほど暇じゃない。ただでさえ最近、師匠の本の虫が悪化して手がかかるってのに。人使いの荒い師に、往復一ヶ月弱もの道のりをマニアックな古文書を買いに行かされたあげく、しばらくぶりに家へ帰ってみたら、静養してなきゃならない病人のベッドはもぬけの殻、クソの役にも立たない置き手紙があった。本当に一筆だけ“旅先にて待つ”って書かれたのが。あのときの俺の疲労感……わかるかな。迎えに来てほしいなら素直にそう書いといてくれりゃ、まだ可愛げがあるものを」
「おまえこそ心配したなら、素直に、可愛らしくそう言え。口うるさいやつだな」
「あんたが、口うるさくさせてんだババァ……ッ。人の留守の隙突いて、病人が家ふらふら抜け出してんじゃねーぞ!!」
「あ!? この私に向かってババァ!? おまえのガラの悪さは誰に似たんだ!」
「育ての親だよ!」
つまりあんただ、と言外に吠えられる。そんなわけがあるか。共に暮らした月日は四年ほど。人間の品性を根底から作り変えられる長さではない。
もっとも彼の場合、表層的なガラと態度は悪かろうと不思議と濁らない気品がある。母親譲りの、少女めいて楚々とした顔だちに騙されるのか、さもなくば幼少時の躾のよさ、生まれもった素地ゆえか。
母親と死に別れた彼をアネッサが引き取ったころは、それこそ可愛げを欠いて誰にも懐かない、警戒心の強い子どもだった。人を信じることを恐れ、孤高の野良猫みたいな目つきでこちらの出方を窺い、ようやく口を利いたと思えばすさんだ言葉を吐く。何度も手をあげ、初等魔術すらろくすっぽ操れなかった無力な子どもを大人の魔力で捻じ伏せ、叱り飛ばした。
互いに素直ではなかった。不器用だった。
乱暴にぶつかりあう一辺倒で、優しくしてやった覚えが、ない。
空人は短命な種族だ。齢四十前後にして多くが逝く。遠くない将来には置いて逝かざるを得ないと予測できた子を、逞しく鍛えたかった……というのは建前にすぎず、単に、どうやって接するべきなのかわからなかった。
(子育てなんか、こちとら、初めてだったからな)
幸か不幸か、育てなくとも子は育つ。同居をスタートさせた時分に比べると、彼は他者との繋がりをさほど疎ましがらなくなった。魔術もいつのまにやら一人前だ。口さがない連中に“最凶”と呼ばれるまでに成長した魔術師としての腕を、アネッサも本心では買っている。おまえはいつまで経っても半人前だと貶すばかりで、褒めたことはないが。
だから、そう、
(その腕を貸せ)
力量を認めてやるから。
愚かな養い親のわがままを叶えてくれ、最期に。
錦秋の残照を背にして佇む少年の姿を、網膜よりももっと深く、焼きつける。




