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托卵(1)

 捜しているうちは影すらチラつかせなかった例の空人とおぼしき女は、捜していないときに捜していない場所であっけなく、リュウの前に現れた。キナダ婆に言いつかって木の実を採取するべく踏み入った森の奥で、行き倒れていたのだ。

 トゥールガルドの町を囲っている周壁の門から跳ね橋を渡って、城壁外へ出ると、よく手入れされた農耕地やブドウ畑が広がる一帯を越えた北の方角に、なだらかな丘陵の森がある。領主の森で、領民は狩猟権料を支払った者か、もしくは薬草師のように公爵家から特別に許可された職業の者しか、立ち入ることはできない。

 その森に、彼女はいた。

 部分的に焼け焦げている、落雷にでも遭ったらしい倒木の幹。そこへ髪を散らして力なく頭を載せ、瞼を固くつぶり、手足は地面に積もる枯葉の上に投げ出して。


「あああッ!! 見つけた!!」


 木立の狭間をぬい、遠目にもキラキラと陽光を反射していた長い金髪に導かれ、リュウは倒木のそばまで駆け寄った。大声で叫んでから彼女の顔色の悪さに気がついた。悪いなんてものじゃなかった。青白く蝋人形のように透きとおる、これではまるで、死にぎわの人間の肌だった。


(……まだ生きてる、けど)


 剣士として育った特殊な環境のせいで多くの人間の最期に立ち会ったリュウだからこそ、年齢に見合わない冷静さで、彼女の容体を観察してしまっている。外傷はないので、おそらく病人だ。そして、リュウの経験が告げる勘が外れていなければ、彼女には今年の冬を迎えられるほどの刻限はもはや、残されていない。

 三十を幾つか過ぎたばかりの若さだろうに死期が迫っている捜し人を目の前にして、かわいそうだとか、死にゆく者への本能的な恐怖だとかを感じる心は、リュウには湧いてこない。この人に定められた運命を、俺にはどうもしてやれねーもんな。そうやって事態をあるがままストンと受容する癖がしみついていて、抜けきらない。

 普通の少年はまずこんなにも情が薄くはないし、死に瀕している者を惜しむか恐れるかして、動揺するはずだった。結局“ただの子ども”になりきれていない自覚がよぎり、自分の情操面にある欠陥を突きつけられているみたいで、少し、凹む。ミリアーヌの分析どおりリュウが万事をあっさり割り切ってしまえ、必要以上に掘りさげて関わることをしない性格であるのだとしたら、それは、今までの育ちかたがおおいに影響していると思われる。特定の何かへ執着するという気持ちを理解し得なかった、そう在るように訓練されてきた、習い性ってやつだ。


(でも俺、全部が全部、これまでと同じってんじゃなくて)


 確実に変化の風は吹いている。

 だから、星の導きに従い、ただ与えられる世界で息をしていた過去を離れて、今は自分で選ぶ生きかたを始めてみている。クフェンからやすやすとトゥールガルドに到達できたわけではない。大時化のため便乗させてもらう漁船が出ず、港で足止めされ資金が尽き、用心棒をして稼ぎたくとも子どもの身では腕を侮られて雇ってもらうまでに一苦労をして日数をくって、実際の距離以上に遠い、予定外の長旅となった。それでも今はこうして、ここに。


「おば――」


 しゃがみこんで向き合った人は病にやつれていても美しさを微塵も損なっていなかった。おばさんと呼んだならなんだか天罰がくだりそうで、リュウは、口にしかけた言葉をひっこめ、脳内の語彙をあさり「……ねえさん?」と言い直した。肩をゆさゆさ揺する。


「姐さん。ねーさァん! ちょっと起きてくんね? 俺さ、訊きたいことがあんだけど」


 ぴくり、血の気のない指先が落ち葉の上で動いた。その指から転がったのだろう位置には、最初に広場で視線を奪われるきっかけとなった杖も、放り出されている。

 声のボリュームをあげ、リュウは彼女の肩を一段と激しく揺さぶった。


「姐さん、空人だって噂、マジで!? こういう杖持ってるってことは魔術師なんだろ。姐さんの国ってどこにあんの!? どうやったら行けんの!? そこに住んでる連中、どいつもこいつも魔術師なの!? 魔術師ってンないっぱいいるもん!? じゃあ、だったら……あんたの国の他にも、魔術師の国ってある? 魔術師ってどこ行きゃ、会えんのかなぁ?」

「……」

「なあ……、教えてくれって。頼むよ。俺、手がかりがほしいんだよ」

「……」

「空人の国に青以外の目の色してるやつ、いねーの」


 答えない人の、ほの白い瞼を見おろして懸命に問う。

 彼女と話がしたかった。どんな些細な内容でもいい。里を飛び出し最終目的地がどこともわからない旅を開始してから、ここに至って、ようやく掴めたのに。

 あの存在へと繋がるかもしれない糸口を。


「……一つ。出会いがしらに『見つけた』と言ったな。私を捜していたのか。私はトゥールガルドの愚民に用などないし、捜されたくもない」


 あ。起きた。閉ざされていた瞼が気怠げに持ちあがった。

 空色の瞳が、頭上を飛び回る煩わしい小バエでも見るかのように、こちらを睨む。


「二つ。大声で一方的に質問をまくしたてるな、やかましい。三つ。魔術師にあらざる小童こわっぱ風情が、私たち空人の王国の在り処を知ってどうする。地図にない秘境の国だぞ。どうせ凡人には着けやしない。最後に、余命いくばくもない病人が倒れていたなら、自分の思いをぶつける前に『大丈夫ですか』と相手を気遣うものだ」


 彼女と同じ“人間”という種だとは認めてくれていなさそうな小バエ扱いの、高慢なまなざしと不遜な物言いがサマになっている。サマになりすぎていて、腹も立たない。リュウはまじまじと彼女を眺めた。本当に美しい人だった。

 やっぱ似てる、気がする。

 雰囲気といい面ざしといい、そこはかとなく……あいつ、に。


「えっと……、大丈夫? デスカ」

「おまえ。以前、広場にいた小童だね」


 しっし、と追い払うしぐさでリュウを後退させて上半身を起こした彼女は、枯葉を片手でさぐり、指に触れた杖を引き寄せた。


「魔術師にずいぶん興味津々のようだが、ここのゆかりの者に仲間の情報を教えてやる親切心は、私にはない。トゥールガルドのロクデナシどもは、嫌いなんだ」

「……んな全員ひとくくりに嫌わなくても」

「嫌いだ」


 断言されてしまった。彼女は自重を支えかねて傾ぐ体を座ったまま倒木に預け、内臓さえも重くてたまらないふうな溜息を吐いた。青のまなざしが、リュウの傍らの地面に口を開けて置きっぱなしにされている麻袋のなかみへ注がれ、貼りつく。


「万能香木の実……。ここらの実はおまえに採り尽くされたか。私としたことが、遅きに失したな」


 握りこぶし大の堅い殻に包まれている木の実は、その名を裏切らず、かぐわしく匂う万能薬として重宝されている。炒って食すれば滋養強壮の効能があり万病の進行をやわらげるとされ、磨りつぶして油を搾れば、火傷や潰瘍を癒す良質の軟膏になる。

 ロンヌ連合公国内でもトゥールガルド地方でのみ結実に成功している木で、保存が利く軟膏は、異国へも高値で取引されてゆく特産品である。

 リュウは収穫物が山盛りになっている麻袋を見、あきらかに健康体ではない彼女の蒼ざめた顔を見やった。病状を緩和する木の実を採取しにきたものの、途中で体力が果てた、というところだろうか。


「姐さん。あげよっか、これ」


 リュウとて日の出から作業に取りかかって半日、木によじのぼり枝から枝へ足場を移し、それなりの労働をして汗水流して集めた実だ。キナダ婆のツテで売ったら高額になる。金儲けがめあてで旅をしているのではないにしろ、資金は無いより有ったほうがよいに決まっていた。でも、まあ困ってんなら、と袋を押しやる。

 森の西側はまだ手をつけていない。自分は午後からそちらを採ればいい。


「……狙いはなんだ」


 返されたのは、善意を徹底的に疑ってくる視線だった。


「ないない、狙いなんて。あんたのが俺よか入り用っぽいじゃん。そりゃ、教えてくれんなら教えてほしいけどさぁ。姐さんの知り合いに、……く……」

「く」

「……く……く……」


 舌が突然回らなくなり、リュウは胸元を押さえ、頬を染めた。気管が詰まり酸素が欠乏したみたいに、苦しい。なんだコレ、なんでこんなになってんの、俺。


「く、く、くろ……ッ、その……つまり……!!」


 吸って、吐いて、吸って、吐いて。

 息をしろ!

 とりわけ恥じらう要素も含まない語句を発するのが、どうしてこうも、緊張するんだ。


「くく、くッ、黒い目ぇした、俺くらいの年の、魔術師いねーのか、とか!? 名前は……ジ、ジジ、ジジジジ……ル……っつーんだけ……ど……!!」


 大丈夫かと先刻彼女に尋ねた、むしろ俺が大丈夫ですか、だ。

 たった数音の、名前ひとつを呼ぶのも軽く命がけって、マジでどうなっちゃったんだ。ここはドギマギする場面じゃねーだろ。平常心を蘇らせようと努めるけれども、どうにもできない。免疫がなかった。特定の対象に執着している己自身への。未知なる執着に占められた心の内を、誰かへ語ることにも。

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