第3話
細胞培養について教わるために。
白衣の教授に引き連れられて、『細胞や危険度の低いウイルスを扱う部屋』へと入っていく。
部屋の照明は、なんとなく薄暗い感じだった。部屋全体を滅菌できるように、天井の蛍光灯は、スイッチ一つで紫外線ランプに切り替えられるようになっているのだが、そのせいだったのだろうか。
部屋に入ってまず目につくのは、壁際に並べられた、無菌箱と安全キャビネット。……といっても知らない人には何だかわからないだろうが、一人用の机の上をすっぽりと大きな箱で覆ったものをイメージしてほしい。前面だけがガラス製で内部が見えるようになっており、その下部には腕を突っ込むための扉もある。
要するに、外から雑菌などが混入しないように、また、逆に研究対象であるウイルスやバクテリアなどが外部に漏れ出さないように、少し工夫された作業台だった。
安全キャビネットは無菌箱よりも高級品で、エアフィルターやエアカーテンなどを兼ね備えて、もっと無菌操作に気を使ったもの。細胞培養程度ならば無菌箱でも構わないが、ウイルスを扱うのであれば安全キャビネットでなければ駄目、という違いがあった。
ちなみに、これら無菌箱と安全キャビネットには、それぞれ紫外線ランプが装備されており、使用前と使用後は内部を滅菌できるようになっている。
そうした目立つ作業台を尻目に、まずは細胞のある場所へ向かう。
インキュベーター、というと仰々しく聞こえるかもしれないが、簡単にいってしまえば、単なる保温機だ。培養形式によっては二酸化炭素を必要とする場合もあるが、私たちが最初に扱う細胞は密閉系の培養だったため、それも不要。本当に、ただ37度をキープするだけ、というインキュベーターだった。
その中で飼われている細胞は、もちろん、剥き出しの状態ではない。それぞれ、小さなビンの中で培養されていた。
細胞の培養ビン。タテではなくヨコに寝かせた状態なので、ボトルシップのガラス瓶をイメージしてもらうのが一番だと思う。
当然のことながら、中には船の模型は入っておらず、代わりに細胞が入っているわけだが……。しかし肉眼では、そんな様子は全く見えない。パッと見てわかるのは、底面が完全に浸るくらいのオレンジ色の液体のみ。
すぐ後で知らされるのだが、これは細胞を育てるための培養液であり、最初は真っ赤な色をしているはずだった。pH指示薬が含まれているので、細胞の呼吸に応じて色が変わる。その変色の程度で、細胞の育ち具合がわかるのだという。
そう、ビンの中の細胞は育つのだ。
浮遊性細胞ならば培養液の中をプカプカ漂うわけだが、私たちが使うのは接着性細胞。培養ビンの底のガラス面に、びっしりと張り付いている。肉眼ではわからないけれど。
細胞が少ないうちは、隙間も多くて広々としているが、増えてくるとギッシリになる。あまりに満杯になると、生育できなくってしまう。つまり細胞が駄目になってしまう。
だから、三日か四日に一回くらいの割合で、細胞全体の数を減らしてやる必要が出てくる。いったん培養ビンから細胞を剥がして、三つくらいに分割して、それぞれ別の培養ビンに入れてやるわけだ。
これが細胞の継代と呼ばれる作業であり、ウイルス感染のための細胞を用意する上で必要な、実験以前の下準備の一つだった。