夏祭り
てっきとーな私服姿の夏樹が神社の前で突っ立っていると、目の端に待ち人の姿が入った。
「あ、冬くんおそ——」
い、と言い切る前に、隣にいる男性に目が移る。四十過ぎくらいの、短くひげを生やした強面の男。冬の父親だ。
「ああ、どうも。夏樹ちゃん、だったっけ? いつも遊んでくれてありがとうね」
「え、あ、はい。どうも」
男は冬の頭をはたき、お前もお礼言いなさい、とささやく。冬は、いつも夏樹が見ているものとは全く違う、どこか違和感のある笑顔で父の言葉に従い、頭をさげた。
——って、いやいやいや、かゆっ! 何この冬くん、気持ち悪い!
二言三言、言葉を交わすと、父親は帰っていく。残された冬はぴょこっと跳ね、夏樹の服の裾を握った。
「……なんで浴衣じゃないんだよ」
「いや、浴衣とかもってないし」
「なにそれ。せっかく、しおらしいかっこ似合ってないな、とか言ってやろうと思ってたのに」
「なんで、私いびられる前提なの?」
すると、冬はきょとんと首を傾げる。
「なんでって、夏樹ってそういう存在だろ?」
「いやいやいや、違うから! 私別に冬くんにいびられるために生きてるわけじゃないから!」
それを聞いた冬は、今度は、くすりと笑う。
「ふっ、はは。夏樹、バーカ」
「もう直球でなじってきたね……。いや、うん、そりゃ冬くんに比べたらバカだけどね?」
「俺と比べたら大抵のやつはバカだよ。そろそろ行こ? 俺金魚すくいたい」
「はいはい」
ごく自然な、相手に拒絶する隙を与えない動作で、冬は夏樹の手を握った。そのままこっちこっちと、夏樹を引っ張る。夏樹は苦笑混じりに従った。
しょぼーん、と水の中にスーパーボールが浮かぶ袋を見つめながら歩く冬。
「いい加減元気だしなって、ほら、わたあめあげるから」
ふわふわのわたあめをもらい、無言でぽふぽふ食べ始める。
冬は、見事に一匹の金魚もすくえないまま、盛大にポイを破いた。おまけのスーパーボールを入れた袋だけが冬の手元にある。食べ終わったたこ焼きだのなんだののトレイは全部夏樹が持っていた。
「……夏樹」
「うん? どうした」
「俺、金魚すくいの才能ないのかな……」
「金魚すくいの才能って……」
どうしてだろう。心なし、カナヅチよりこちらのほうを気にしているように見える。
「ま、まあ、冬くん頭いいし、運動だってできるしさ、……水泳以外だけど。と、とにかく! 冬くんがすごいってことは私が知ってるから!」
「……うん」
冬がうなずき、ほっと胸をなでおろす夏樹。
くい、と冬が夏樹の手をひく。
ん? と尋ねると、射的の屋台を指差した。
数分後、
「やった! ねえ、やばい! 夏樹、俺天才!! マジやばい!! 崇めろ!!」
5発中、4発を当て、撃ち落としたお菓子の入った袋をぶんぶん見せつけながらはしゃぐ冬。
——ほんっと単純ね!
いや、まあ、可愛らしいといえばらしいのだが。
「ああ、うん、すごいすごい」
「だろ」
えへんと、薄い胸を張る。それを見て、夏樹は「ん?」と記憶を探る。
「ねえ、冬くんって確か——」
そう、冬の胸に、触れた。刹那、
「っひゃう!?」
冬が、驚いた猫みたいに飛び上がる。
「な、ななな、いきなりなに!?」
「あー、いや、冬くんって結構筋肉ついてたよなー、って。武術やってたんでしょ?」
「あ、ああ、それ……。や、なんか最近練習してなくて」
「そうなの?」
「……うん」
以外だった。
どうせ冬のことだ。ひがな一日異世界を夢見て召喚された時のための準備に励んでいるのかと思っていた。
胸を触られた冬が恨みがましい目で夏樹を見ながら、離した手を再び握ってくる。
「そういえばさ、冬くんって家でどんな感じなの?」
「家?」
「うん、そう。何して過ごしてるのかなー、って」
「ああ、いや、えっと……」
わずかに、瞳が動揺に揺れる。
「別に、普通。本読んだり、勉強したり」
「え? 普通家で勉強しないでしょ?」
「は? 家でやらないならどこでするんだよ」
「学校」
「学校?」
ん? え? と、なぜか同じ文化圏なのに認識の齟齬。
「いやいやいや、学校って勉強してるアピールをするための場所だろ? キレーにノートとったり英文暗唱したり。効率化はかって自分に合った勉強法できるのはひとりで引きこもってる時くらいじゃん」
「……冬くんって、なんかほんとこう……。友達いなさそうだよね」
「るっさい。別に夏樹がいればいいもん」
「ん?」
「え?」
咄嗟に、顔を見合わせる。
一秒、二秒、三秒……たっぷり五秒を数えて、冬の顔が真っ赤になった。
「い、いやいやいや、今のは別にそういうんじゃなくて、てか夏樹とかほんとどうでもいいバカだし偏差値一桁だし脳みそお花畑だし栄養全部胸に行ってるし!!」
「そこまで言う!?」
と、思ったが、ようするに全部バカとしか言っていなかった。
「いや、ほんとちが……」
顔を覆い隠し、その場にうずくまる冬。
「ああ、ちょっと、こんなとこで立ち止まったら迷惑だから」
きょろきょろあたりを見渡し、神社の森のほうに視線が行く。とりあえず、人気のないところへ。
冬をほとんど抱きかかえるようにして移動し、手頃な岩に腰掛ける。
——で、どうすんの?
いや、うん。あんなところでうずくまったままだと迷惑だ。だから頭が冷えるまで人気のないところへ。うん、間違ってないはず。間違ってない、はず、なのだが、
冬は未だ夏樹と顔を合わせようとせず、うつむきがちに遠くの地面に視線をやっている。しかしほっそりと、白い肌の手は、夏樹の手の上に置いて離さない。
手のひらから、冬の体温が伝わる。熱い。まだ頰が紅潮しているのがわかる。
「あの……、夏樹」
「え!? や、な、なに?」
すがるように、ともすれば泣きそうに、きゅっと口を結び、不安をたたえた目で見上げてくる。
そっと、夏樹の肩に手を伸ばした。正面に向き合って、距離を詰める。ほとんど抱きつくような姿勢。膝の上に乗っているが、それでも夏樹より目線は低い。
そうして、そのままで、固まった。
遠く、境内では祭りの喧騒が聞こえてくる。背後に広がる森では、ちりちりと虫の音。星明かりの白い光と、提灯の紅い光。
月光に照らされた冬の肌は、淡雪のように白く、薄い唇がほのかに赤い。揺れる瞳も、しっとりと冷たい髪も、すべてが幻想のようで——、
——ちょ、あ、これ、やば……可愛い。
冬くんのくせにぃ、とよくわからない歯噛みをする夏樹。
「夏樹……」
甘い吐息が、夏樹の耳をくすぐる。気づけば、冬の体を抱きしめていた。武術の練習をやめたのはいつ頃からなのか。嘘みたいに弱々しくて、どうしようもなく愛おしい。
もぞ、と冬が恥ずかしげに身をよじる。
理性を手放し、本能のまま目の前の少年を我が物にしようとした、そのとき、
「はい、もう今日はここまで!」
すんでのところで、冬が夏樹を押しのける。
たっと、地面に降り立ち、ちらと夏樹を一瞥。
「行こ。お祭り」
「……あ、うん」
放心状態の夏樹がようやく我を取り戻したのは、家に帰り着いたときだった。