day37 ドラゴン
馬車の旅も終わり、さらに森の中を歩き回り、三人は地下神殿の入り口へとたどり着いた。
開けた草原に四角い穴が開き、地下へと階段が続いている。ルーザが魔法で出した灯りを頼りに暗い地下へと降りていった。
「魔物出ないかなあ」
「頼むから出ないで」
「出ると思いますよ」
冬は期待し、夏樹は拒絶し、悪魔は淡々と語る。ひたすら歩いていると、ようやく階段が終わる。白い大理石の空間。直径20メートルのドーム状で、正面には大きな扉がある。何百匹もの蛇と幾何学模様が彫刻され、縁にはびっちりと文字が彫り込まれている。あまりに気味の悪い光景に夏樹は冬の腕を掴む。
「これ、なんて書いてあるの……?」
「関係者以外立ち入り禁止」
「嘘つけ!!」
「すっごい要約されてますけど、ようするにそういう事ですよ」
「で、ルーザ、開けれる?」
ルーザはこくりとうなずき、扉に手を開ける。魔力を流し込むと蛇が息を吹き返して扉の中でのたうち回り、文字は紫色の光を放つ。ゆっくりと扉が開くと、腐臭が溢れ出した。
「冬くん、今すぐ帰ろう。もう帰ろう。これ絶対やばいって」
「まっけん、まっけんっ!」
引き止めるが、聞いちゃいない。意気揚々と飛び込み、ルーザも続く。その場に取り残された夏樹はひとり帰るわけにもいかず、ままよと扉の中に足を踏み入れた。
中はどこまでも続く洞窟だった。ところどころに光を発する鉱石や苔が映えており、意外にも明るい。岩の壁には見たこともない虫が這いずり回り、どこからともなく唸り声が聞こえて来る。
「わー、クトゥルーっぽい」
「なんで冬くんは元気なの!?」
「え、だってはじめてのダンジョンだし……」
「戻ろうよ、今ならまだ戻れるよ!!」
言って、夏樹が振り返ると、そこにはもう扉はなく、ただむき出しの岩があるだけだった。
「あー、入り口消える系の」
「どんな系よ! これ帰れるんでしょうね!!」
「魔剣の力を使えば空間に亀裂を生じさせ、もとの場所に帰れます」
「だって、夏樹。さっさと魔剣取り行こうよ」
「いやああああ!! もう帰りたいい……」
「夏樹が女子みたいな反応してる……」
「女子よ!!」
ドン引きする冬。夏樹もここぞとばかりに言い返す。が、どれだけ騒いだところでどうにもならない。冬とルーザに支えられ、夏樹もダンジョンの奥へと進む。
「……これ、場所とかわかるの?」
「はい。ここに来た時から魔剣の魔力は感じていますので」
夏樹とルーザの会話が途切れたその時、それは現れた。
人間と似たような身体、しかしその手足は異常なまでに細長く、顔は潰れ、意味をなさない声を発している。
「いやああああああ!!」
「ルーザ、焼いて」
叫ぶ夏樹を横に、ルーザが火炎を飛ばして焼き払う。炎が当たると、それは奇声をあげながら洞窟の奥へと走り去っていった。
「なななななな、なに!? 今の!?」
「下級のグールでしょう。炎を見ればすぐ逃げます」
「おお、モンスター!!」
帰りたい欲がマックスな夏樹を置いて冬はひとりテンションを上げる。
「もういや……本当に帰りたい」
「夏樹、ほんとにどうしようもないなぁ。ちょっとリアルなお化け屋敷じゃん」
「お化け屋敷に身の危険はないでしょうが!」
反論しながらも、夏樹は冬にくっつく。いつもとは逆の立場になり、ちょっといい気分な冬だった。
やってくる魔物はルーザの魔法で追い返しながら進み、夏樹の感覚も麻痺して騒がなくなった頃、三人は開けた場所に出た。
かなり広い。中心にはマグマの溜まり場があり、黒い岩肌が光を受けて赤くなっている。二人が入ってきた場所から見て正面にマグマの滝があり、それが下でプールになっていた。さらにプールから溢れたマグマは細い川となってどこへともなく流れていく。これだけでも十分に人の目を奪う光景。しかし三人が一様に視線を注ぐのは、マグマのプールで眠っている巨大な生物だった。
マグマよりも赤い肌。両生類のような身体には鱗がびっしりと生え、その背にはコウモリのような翼。短い手足を丸めてぐっすりと寝息を立てている。
反射的に息を潜める夏樹。だが冬の目は輝いていた。
「ど、ど、どどっど、ドラゴン……っ」
うひゃー、とよだれすら垂らして目の前の巨大生物に魅入る。夏樹はドラゴンを見たまま動かない冬を抱えて近くの岩に隠れる。ルーザもそれに続いた。
「さすがにあれは追い払えないです」
「うん、そうだと思った」
「食べよう、ドラゴン肉食べよう。食べて不老不死になろう」
「ちょっと黙っててっ」
声を潜め、ドラゴンの方を見やる。起きる様子はない。
「冬くん、今こそ帰る時だと思う」
「どうやって?」
「走って」
「ダンジョンに行ったら行ったで夏樹、魔物見て騒ぐじゃん」
「あんな巨大生物に比べたらマシよ!」
「どうでもいいけど、声小さくしても意味ないと思うよ」
「なんで?」
「蛇にはピット器官っていうのがあって、温度で獲物探知できるから。まあ、ドラゴンが蛇なのかは微妙だけど」
「あれはどっちかっていうとトカゲじゃ……」
ちらと、ドラゴンの方を見る。しかし、さっきまでいた巨大生物はそこにはいない。慌てて周囲を見回すと、三人がいる岩の上、洞窟の岩肌に張り付き、三人を見下ろしていた。
「あ、これ死……」
「こっち!!」
叫びながらルーザが二人を抱えて飛ぶ。10メートル以上も移動し、直後、三人がいた岩をドラゴンの尻尾が打ち砕いた。ルーザが掌から複数の炎を飛ばすも、分厚い肌に当たって霧散した。
「ああ、もう、魔力足りないのに!」
言って、背中から翼を出す。二人を抱えたまま空に舞い、ドラゴンから離れる。
「る、るるるルーザくんっ!? すごいね、そんなこともで、でででで出来たの!?」
「ろれつ回ってません。飛行は魔力の消費が激しいので、長くは無理です」
ルーザは会話をしながらも視界の隅でドラゴンの動きを捉える。ドラゴンは大きく口を開き、炎を吐く。触れれば人など瞬時に焼き尽くされると直感する、ルーザの魔法などちゃちな玩具に見える劫火。ルーザは急旋回して軌道を変え、壁面すれすれを飛んでブレスを避ける。炎を避けられ、業を煮やしたドラゴンはついに翼を広げ、飛んだ。
咆哮。洞窟内が揺れ動き。夏樹は意識が飛びそうになる。咄嗟に冬の安否を見ると、何やら譫言を呟いていた。
「そうだ今日のおやつはチョコレート系にしよう、コンビニ行ってお菓子買って夏樹んちでベッドに転がってお茶持ってこさせて漫画読みながら食べるんだ、そうしよう」
「ちょ、冬くん!? 現実逃避しないで!?」
「夏樹うるさい、眠れないから」
「寝ないで!? ちょっとこれ何とかして!!」
「は? 何言ってんの夏樹バカじゃないの? あんなの人類の力でどうにかなるわけないじゃん。パンツァーファウスト出してよ夏えもん」
「夏えもんとは!?」
「お二方、暴れないでください、落ちますよ」
「ルーザくん、これなんとかできないの!!?」
「無茶言わないでください。僕みたいな下級悪魔にドラゴン相手は荷が重すぎます」
「ダメじゃん! 冬くん!! 冬くん頭いいでしょ頭使って!!」
冬の首を掴んでぐいぐい引っ張るが、冬は妄想の世界から帰って来ない。それを見たルーザが提案する。
「ご主人様の頭脳が活用されればこの状況も抜け出せると?」
「わかんないわよ!! でも冬くんって頭だけはいいから!!!」
夏樹の絶叫を聞き、ルーザは小さくうなずく。
「わかりました。最後の魔力ですけど、それに賭けます」
「どういう事!?」
「このままではどの道全員死ぬので、ありったけの魔力を使ってご主人様に幻惑の魔法をかけ、この状況をゲームだと錯覚させます。そうすれば冷静に状況を俯瞰、策を寝ることができるはずです」
「よくわかんないけどそれで! ていうか君は悪魔なのにすごく献身的だよね!? ひとりで逃げたらいいんじゃないの!!?」
「僕もそうしたいですけど、僕が召喚されてる間にお二人が死ぬと僕の存在が消えてしまう、と呪文で契約させられてるんです。だから僕はお二方と運命共同体。……ほんっと、タチの悪い呪文考えますよ、この冬とかいう人間」
心底嫌そうに吐き捨てると、冬に手をかざし、呪文を唱える。するとさっきまで何も見ていなかった瞳に光が戻り、きょろきょろと辺りを見回した。
「どういう状況?」
「ドラゴンに追われてるの!!」
「ふーん……」
冬は相槌を打ちながら自分たちを追ってくる巨大なトカゲ型生物を見やる。
「生物学無視した身体の構造。胴体の形状とか空飛ぶ気ない。けどあんだけ翼でかかったらそれなりに揚力は出るのかな。けどフィールドはけっこう狭し……」
どうやら本当にゲームに見えているらしい。冬は淡々と状況を整理し、勝つための策を寝る。
「冬くん、どう勝てそう!?」
「無理だね。ガード固い上に高hp、いくらなんでも火力不足すぎ。これは逃げた方がいいよ」
「でも入ってきたとこあいつが暴れたせいで岩に埋もれたじゃん!」
「まあまあ、入り口あるなら出口もあるって。ルーザ、滝の裏に回り込める?」
二人を抱えて飛んでいる悪魔の少年はすでに限界が近いのだろう、息は絶え、返事を返す気力もない。それでも術者の命令には強制力がある。残った魔力と意識を振り絞って翼を動かし、指示通りの場所に向かった。
「お、やっぱり」
滝の裏にあったのは小さな穴。冬はそれを見つけるや笑みを浮かべ、そこに突っ込むよう指示する。ルーザは滑空状態のままわずかに進路を変え、その穴に入った。
ブレーキすらかけられず、三人は穴の中に放り出される。そこは三人入ればいっぱいという小さな洞窟で、前方に目をやると光が見えた。
「いったあ……」
夏樹が強打した左腕をさすりながら立ち上がると、ルーザも打撲は効かないが魔力が絶え、すぐには起き上がる事ができない。ひとり華麗に受け身を決めた冬だけがけろっとしていた。
しかし、それも束の間、ルーザのかけていた幻惑が解け、ドラゴンへの恐怖が蘇る。
「わ、ちょ、ああ……」
情けない声。膝から力が抜け、その場にくず折れた。夏樹は慌てて冬を抱きとめ、岩肌に身を任せて横になる。冬が怪我をしていないか見ようとしたが、どうにもまぶたが重い。披露しきった身体はそれ以上動かず、深い眠りへと落ちていった。




