day33 邂逅
二人が異世界に来てから一ヶ月が過ぎた。
その間、特に何もなかった。冬は持ち前の頭脳を発揮して早々に言語を習得、さらに読み書きまで覚えたことで図書館での働き口を見つける。この国の識字率は低いため、読み書きができるだけで職にあぶれることはない。
一方夏樹は冬の個人レッスンでカタコト会話はできるようになり、居酒屋でバイトを始めた。
こうして、二人は食い扶持を得た。なお、ファンタジーは一切していない。
今、二人が住んでいのはアスティ侯国首都レベステ西方、カイラス通り沿いの集合住宅。仕事を終えた夏樹は疲れただのなんだのぶつくさ言いながら帰宅。
「冬くーん、ただいまー」
仕事を終えた解放感のままだらけまくろうと椅子に座る。その向かいで本を読んでいた冬は夏樹が座るのを見るや読んでいた本を閉じた。
「夏樹、とうとう時が来たよ」
「晩ご飯時? 待って、今から作るから」
「そうじゃない、たしかにお腹減ってるけどそうじゃない! これ!!」
バーン、と持っていた本をテーブルに叩きつける。古い本なのだろう、埃が舞い上がった。あとで掃除するのは夏樹だ。
「なにその本?」
「魔導書!」
「返してきなさい」
「ちゃんと手続き踏んで借りたんだよ。首席司書と仲良くなって、閲覧注意の部屋にあるやつ借りてきたんだ」
「なにその入念な準備」
「夏樹は俺が今までなんの考えもなく本屋で働いてたとでも思っていたのかい?」
「ご飯を食べるために働いていると思っていました」
それを聞いた冬は大きなため息をついてやれやれと肩をすくめる。
「これだから考えの浅い人間は」
さらっと罵倒されたが、いつもの事なので気にしない。
夏樹が見ている間に、冬は紙袋から必要な品を取り出す。チョーク、香料、高そうな容器に入った水、ネズミの死骸。
「ちょ、部屋になに持ち込んでんの」
「これは魔術道具専門店で買ったネズミだから大丈夫だよ。感染症とか持ってないから」
「そんな店どこにあるの……」
「リック通り33-b」
こういう時に限って冬は準備がいい。テーブルを退けると床に円を描き、その円の中に複雑怪奇な模様を描き込んでいく。大小二つの円を描くと円と円の間に香料を置き、例の容器に入った水を円の周囲にぶちまける。
「これで悪魔からの防御は完璧。あとは生贄か」
小さい方の魔法円の上にネズミの死骸を置くと、自身は大魔法円に入る。
「夏樹も、こっち入って」
言われた通り夏樹は冬と一緒の円に入る。
「ふふふ、呪文詠唱」
やたら上機嫌な冬。
「世界をねじ曲げる理、溢れ出る力の本流、運命の書すら書き換える冒涜的な力の源泉、我が意志に従ってその片鱗をこの世に現界せよ。我が言葉は規矩、この現世における汝の器、汝をこの世界に止める縄。~ 中略 ~ この世にあらざる者ルーザよ、捧げたる贄をこの世界における血肉とし、我が意に答え、その姿を現しめよ!」
呪文を唱え終わると、魔法円が輝きはじめた。チョークで描いた線が紫色に輝き、光の胞子を飛ばす。ぐっと、向かいの魔法円に吸い込まれるような感覚。幽世へと繋がる穴が開いた。どこまでも暗いその穴からゆっくりと“それ”は出てきた。
最初に見えたのは美しい金髪。次いで、雪のように白い肌。光の胞子は衣服となってその身体を包む。
光が収まり、“それ”は完全に姿を現した。
儚げな少年だった。
身長は150センチの冬より少し大きい。虚ろな瞳は深い藍色、整った目鼻立ちにうっすらとそばかすがある。白い着物の上から赤いローブを羽織り、木製の靴を履いている。容貌は西洋のものだが、服装はオリエント風。
目の前で行われた奇跡を見てか、夏樹は目を見開き、口を押さえながらぐらつく。冬がちらと目を向けると、夏樹は呼吸を荒げ、目の前の悪魔を睨みつけた。
「び……美少年っ!」
夏樹は言ってから、はっと冬の方を見る。そこにはいつもの無邪気な笑みを消し、一切の表情を消した冬の姿。
「あ、いや、ごめん。違う、違うからね? 今のはこう、ついうっかりというかなんというか」
「へー。知らないけど。別にいいんじゃない? 夏樹がだれのこと好こうが興味ないし」
冬はそっぽを向き、最後に何やら呪文を唱えて魔法円から出る。悪魔にテーブルにつくよう言って、自身も椅子に座った。
「あ、お茶、お茶入れるね!」
夏樹はぱたぱたと走り回って三人分のお茶を用意し、椅子にかける。隣に座った夏樹を見て、冬は冷たい視線を向けた。
「死ねばいいのに」
「だからごめんって!」
「ふん」
取りつく島もない冬に夏樹は頭を抱える。こうなった原因の美少年悪魔はぼけっとお茶を眺めていた。
「で、お前って何ができるの?」
冬がつっけんどんに尋ねると、悪魔は目を伏したまま答える。
「幻惑、サイコキネシス、幽界の知識への接続、およびその開示。あと、魅了」
「ほー、ふーん。魅了」
そして、氷の視線を夏樹に向ける。
「このバカで試せる?」
「ちょ、冬くん!?」
「はい、もちろんです」
即答。が、夏樹は強気に出る。
「ふふふ、なめないでよ、二人とも。私はそう簡単に落とされたりしないから」
ここで信用を回復しようと、かっと目を見開いて悪魔の少年を見据える。それを受けた少年は視線を落として身動ぎし、頬を赤らめた。
「その……、あんまり見られると、恥ずかしい……です」
「ぐはっ!?」
いじらしい仕草。夏樹が心臓を押さえて悶える。冬の視線は氷からドライアイスに進化した。
「お姉さん……? だい、じょうぶ?」
言いながら、少年は冬以上に白い指を自分の胸元に沿わせ、艶かしく首元を覗かせる。
「ふ、ふぁ、はぁ……ああ、美少年の、さ、鎖骨……」
「二度と起きるな」
液体窒素の目をした冬が、夏樹の後頭部を殴りつける。椅子の上で意識を失う夏樹。その寝顔は、とても満ち足りた表情をしていた。
あれからどれほどの時が経っただろう。
乱雑に肩を揺すられて目が覚めた。顔を上げると、旅装に身を包んだ冬が自分のことを見下げている。
「えーっと、冬くん? どうしたの?」
「今から魔剣を探すための旅に出るんだよ」
夏樹は顔を引きつらせながらも、結局はうなずくしかないのだった。




