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きっと来年の夏もまた

 降りしきる陽光の下、白い肌が映える。

「夏樹! 遅いってば!」

 華奢な足跡を残して冬は砂浜を駆け回る。パラソル、クーラーボックス、レジャーシート等々持った夏樹は暑さと重さで体力を奪われ、死にそうな顔をしながらも冬に追いつき、荷物を置いた。

 夏休み、夏樹の祖母の家に泊まりに来た冬は今年こそは泳げるようになると、夏樹を引っ張り海に出た。

 レジャーシートとパラソルを設置した夏樹の横では冬がぶんぶん腕を振り回して準備運動をしている。

「早く来いって!」

 痺れを切らした冬は夏樹の腕を引っ張り海へと向かう。夏樹は「はいはい」と思い腰を上げ、軽くストレッチして海に入った。

「じゃ、はじめるけど」

 振り返ると、さっきまではしゃいでいた冬は波打ち際で立ち止まり、じっと水を見ている。恐る恐る水辺へと歩み寄り、そっと片足を伸ばして水に触れた。冷たい感触が一気に駆け抜け、猫のように素早い動きで足を引っ込める。それを見ていた夏樹は助けの手を伸ばそうとしたが、冬はひとりで深呼吸をして、強張る身体を動かして水に入った。その姿に夏樹は少し驚いて、一年前の事を思い出す。

「……水、つかれるようになったんだね」

「それくらいできるわ! なめてんのか!」

「いや、できなかったじゃん」

 夏樹は苦笑し、腰がつかる深さのところまで移動する。

「ほら、ここまでおいで」

「子供扱いすんな」

 冬はむくれながらも言われた通りにする。一年経った今でもこの深さは怖いのか、立ち止まり、不安げに夏樹の方へと手を伸ばす。しかし即座にその手を引っ込め、ひとりで歩き始めた。

 強がっているのか、それとも他の理由が、夏樹は少し考えて、すぐに答えに思い至った。

「じゃ、とりあえず泳いでみよっか」

 明るく声をかけ、手を差し出す。冬は逡巡してからその手をとった。

 夏樹が手を引くと、冬は水底を蹴る。1メートルばかり進んで足をつき、また進む。

「次はバタ足もやってみよっか」

 幾度かそれを繰り返して水に浮く感覚を掴めた頃、夏樹が提案する。冬は首肯して、夏樹の手を握り直した。肩には力が入り、握る力も強い。夏樹は優しく冬の手を解きほぐして微笑みかける。

「大丈夫だから」

 冬は夏樹を見上げ、うざったそうに目を細めた。

「……たりまえじゃん」

 夏樹は静かに言葉を返し、手を引いた。冬は先ほどまでと同じように地面を蹴り、体が浮いたところで足を動かす。

「え、あ、ちょっ」

 バランスを崩し、顔が恐怖に染まる。夏樹が手に力を込めると、冬は顔を上げ、2人の視線が合う。慌てた事を恥ずかしがるように冬は顔を逸らし、ぼそりと呟いた。

「大丈夫だし」

「そ」

 再びのチャレンジ。今度はぎこちないながらも足を上下に動かし、必死にバランスをとって進もうとする。それでもすぐに顔が沈んでしまい、夏樹の手にすがって立ち直る。それを何度も繰り返しているうちに体温は奪われ、ただでさえ白い冬の顔が真っ青になる。

「そろそろ休憩しよ」

「うざい」

 夏樹は言うも、冬は強情だ。それでも長い付き合いだけあって夏樹はこういう時の対処法を心得ている。

「じゃああと10分だけね。それでダメなら一旦上がろう」

「……10分もいらんし。これくらい、すぐできるから」

 冬は呼吸を落ち着かせ、全身の力を抜く。頭の中でさっきまでの動作をイメージし、修正し、理想の動きに沿ってわずかに身体を動かす。

 さっきまでは強く掴んでいた夏樹の手に、今度は軽く添え、地面を蹴る。白い脚は今度こそ水面を捉え、推進力へと変わり、3メートルほど移動して止まった。

 ぱっと顔を輝かせて夏樹に目を向ける。それを受けた夏樹は冬の頭をなでた。冬は気持ちよさそうに目を細め、夏樹の手へと身を寄せる。

 しばらく頭をなで、最後にぽんぽんと叩いて終えると、冬は物足りなそうな目で夏樹を見上げた。とっさにもう一度なでようとするが、ぐっとこらえる。

「まだ撫でて欲しい?」

「……は? キモいんだけど。んなわけないじゃん」

「でしょ」

 もとから運動神経が良いだけあり、一度コツを掴むと早い。余った数分でさらに距離は伸びる。約束の十分になり、2人は砂浜に上がった。日に当たりながらゆっくりとレジャーシートの場所に戻った。

 冬は身体を拭いてからタオルにくるまり座り込む。それを見届けた夏樹は髪を拭きながらスポーツドリンクを口に流し込んだ。冬はもう一枚厚手のタオルをかぶり、クーラーボックスからゼリー飲料を取り出す。

「昼ごはんは?」

 夏樹が問うと、冬は首を横に振る。ゼリー飲料を飲み干した冬はその場で横になって寝息を立てはじめる。夏樹は傍に座り、用意していたブランケットを冬にかけた。

 タオルとブランケットの下からわずかに覗く肌は砂浜に反射した光を受けて輝き、潮風が柔らかな髪を波打たせる。見慣れた寝姿というのに夏樹の鼓動は早まり、目が離せなくなる。起こさないようゆっくりと頭を膝に乗せ、顔をなでた。キスをしようかと誘惑にかられるが、場所をわきまえる。

 時間はすぎて日は真上まで登り、さらに二時間ほどすぎてようやく冬は重いまぶたを開ける。

 夏樹が魔法瓶に入れてきたスープを手渡すと、冬は眠気眼でそれを飲んだ。黙って弁当箱に手を伸ばして中身をつまむ。

「どうする? 食べたらすぐ泳ぐ?」

「……帰る」

 夏樹はフリーズ。その隙に冬は短い食事を終え、ふらふら立ち上がってシャワー室へ向かい始めた。

「ちょっと冬くん!? ようやくコツ掴んだんだし、もうちょっとがんばろうよ!」

「うるさい。帰る」

「えー……」

 説得の言葉を探すが、冬は一度決めた意見を滅多に変えない。夏樹は諦め、帰り支度をはじめる。

「本当に、どうしようもない子」

「ん?」

「別にー」

 不機嫌そうに振り向いた冬を夏樹は適当に流す。

 つくづくどうしようないと思う。自分から練習したいと言い出しておきながらほとんどの時間は砂浜で眠っていただけ。とても泳げるようになったとは言い難い成果。飽きっぽくてわがままで強情で、負けず嫌いで諦めるということを知らない。

 どうせまた来年も練習をすると言い出す。できなければまた来年、そのまた来年。

「ねえ、何やってんの。遅いんだけど」

 シャワー室の前まで来ていた冬に呼ばれ、夏樹は急いで荷物をまとめて追いかけた。

 帰りの電車、夕日の差し込む車内に人影は2人だけ。あれだけ眠ってもまだ足りないのか、冬は夏樹の肩を枕に眠っている。

 帰れば祖母が夕食を用意して待っているだろう。夏の一時のこの生活は、ともすれば永遠に続くようで、しかし数日後には2人はそれぞれの家に帰らなければならない。次にここに来るのは一年後。

 きっとまた来年も同じようなことをする。なんの生産性もない会話を交わし、目的もなく近くの商店街をぶらつき、今年こそは泳げるようになると海に出る。

 もうじき、夏が終わる。

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