東雲家
先日と同じ焼肉屋。冬がテーブルに突っ伏していた。
ずるり、と床に落ちる。
「……冬くーん、焼けたけどー?」
床に寝転がったっままの冬は、手だけテーブルに出し、手招きする。夏樹が箸を持たせると、しばらく何もない空間を挟んだのち、ようやく肉を一枚キャッチ。そのまま口に運ぶ。
「いや、食べるときはせめて起きよ! 行儀悪いよ、さすがに!」
「うるさい」
冬は次の肉をとる。テーブルの下では夏樹の足をげしげし蹴っていた。地味に痛い。
「まあ、ほら、劇もうまくいったんだしさ、元気出そうよ」
うまく、というかつつがなく、というか。目立った失敗はないが本番だけ抜群の演技力を発揮するとかいうこともなかった。しかし、ただでさえ美形の冬が女子勢にガチメイクされ、その上夏樹よりレンタル料が五倍高いドレスを着ているだけで、男子からの評判はよかった。冬は自分に向けられる歓声が何より嫌だったのだが。
体力はそれほど使ったわけではない。
しかし、精神力は死ぬ一歩手前まですり減っていた。
「あー、そだ。じゃあ来週の土日さ、どっか遊びいこっか。遠くまで行けばクラスの子に見られることもないし」
返事はない。ただ手だけが伸びて肉をつかんでいく。
夏樹がどうしたもんかと考えていると、突然、ガバッと冬が起き上がった。そして、口を開く。
「夏樹の家いきたい!」
「え、…は? 私んち?」
「うん。じゃあもう今から行こう。これ食ったら行こう。今、なう」
「落ち着いて、もう六時だから。着く頃には七時回る」
「うぅ……」
げじげじと、割り箸をかむ。
「……だめ?」
「あー、はいはい。じゃあ来週ね」
「わーい」
冬はあからさまに喜び、それからは鼻歌を歌いながら焼肉を食べ始めた。
——うん、まあ。
冬くんが元気になるならいいけどね。
して、翌週土曜日。
「おじゃましまーす」
団地の中の一棟。冬は少々びくつきながら夏樹のあとに続いて507号室に入った。
「ただいまー。お母さーん? 友達連れてきたんだけど」
夏樹が言うと、奥からはいはーい、と返事。
「あー、この子が冬くん? ずいぶん可愛い子ね」
う、と冬が顔をしかめる。
「お母さん……。冬くん、可愛いって言われるの嫌だから」
「そうなの? ごめんごめん」
あっはっは、と高笑い。
嫌い、というよりはうんざりしているだけだ。文化祭の劇のせいで同級生たちから可愛い可愛い言われ続けたことが原因だった。
「そこ、私の部屋だから、ちょっと待ってて」
「うん」
冬は、夏樹の母親に会釈してから、その部屋に入った。
夏樹は母親と共にリビングに入る。お菓子を準備しようと戸棚に向かった時だ。
「彼氏?」
直球な質問が飛んできた。
「違うから」
「えー、じゃあなんなの?」
「ただの友達。別に恋愛とかそういうのじゃないから」
「はいはい、そういうことにしときますよ。お邪魔虫は出てったほうがいい?」
「そういうのいいから」
ポテチでいいかと、一袋持って部屋に入る。母親は始終ニヤニヤした目を向けていた。
「はい、これー。……って、何してんの?」
「漫画読んでる」
「それは見ればわかるけど」
冬は、これ以上なくくつろいでいた。
靴下は床に脱ぎっぱなし。夏樹のベッドに入り、本棚から少女漫画を見つけて読んでいる。
「……はい、これ」
その横にポテチを置くと、「どもー」と軽い返事。
夏樹も床に座った。テーブルに頬杖をついたり、携帯をいじったり。
「ねー、甘いもの食べたーい」
寝転がったまま、こちらを見もせずに言う。
「あ、あとあったかい牛乳」
どうやら、この部屋のボスはすでに自分ではなくなったらしい。夏樹はすべてを諦め冷蔵庫に向かった。
漫画を読み終えると、冬はそのまま布団に潜って静かになる。しばらくすると寝息が聞こえてきた。そのまま夕方まで眠り、残ったお菓子を口に詰め込んで帰っていった。
「ねえ、夏樹。なんかやつれてない?」
「……そう?」
ずるずると、足を引きずるようにして冬の見送りから帰ってきた夏樹。冷蔵庫から牛乳を取り出し、ごくごく飲んだ。
「……ねえ、ママ」
「なによ」
「偉そうな猫って、可愛いよね」
「うーん、ママ犬の方が好きかなー。っていうか、夏樹も犬犬言ってたじゃない。なに? 猫に浮気?」
「……最近ちょっとね」
夏樹はコップを流しに置くと、ずるずる部屋に戻っていった。元気はないのに機嫌はいい。どうやらこれは本命かと、夏樹ママはニヤニヤ笑っていた。




