昼_野興
日輪が天頂に昇る頃。
辿り着いた町の中には、大街道を跨ぐ大門があった。
「大きい、、、」
見上げながら、思わず声が漏れる。
「始原 (シゲン) 門や建国 (ケンコク) 門の方がデカいだろう」
「それは、そうかもしれませんけど」
事もなげに返す朱真にも、上手く反論ができず。
「そりゃ、碧流には、ことさら大っきく感じるよねー」
「この程度の身長差が関係ありますか!」
いじってくる紅兎へのツッコミにもキレがない。
誰も同意してくれなくとも、碧流は門を見上げ続けた。
門の名は、朱雀 (シュジャク) 門。
南方の守護聖獣の名を冠したその門は、央香国と南須国とを分ける国境の上に建てられている。決して閉ざされることのないその門には、そもそも扉がない。嵩泰半島の平和と五国の協調を象徴する、四方に建てられた門の一つだった。
「無骨な造りが、なお大きさを感じさせる、というか、壮麗ではなく、荘厳と言うか、、、」
碧流の感動がようやく紡ぎ出されるも、もはや返される言葉はない。
央香国の都である、泰陽の東西を塞ぐ始原門と建国門も、もちろん大きいし、彫りや塗りの装飾も多い。一つ一つの彫刻を眺めていくだけで一日過ごせるほどだ。
だが、碧流の好みはこっちだった。朱に塗られただけの太い柱。二層に被せられた屋根に羽ばたく朱雀の翼。ちなみに聖獣の名の場合は、スザクになるらしい。
「碧流〜。上ばっかり見てても、背は伸びないよ〜」
前から声が掛けられて、置いていかれたことに気づいた。
「伸びてます! ちょっとずつ、ですけど」
朱雀門を潜る際は、御者以外は馬車を降りるのが規則となっている。だから、朱真も紅兎も、もちろん碧流も、馬車の後ろをてくてくと歩いていた。
とはいえ、実際に潜れるまでには、もうしばらくの時間がかかるだろう。
どこを通ってきたのか、というくらいの集団が、長い長い行列を作っている。
「普段はこんなことはないんだが、これも祭りのせいだな」
門ではなく、空を見上げながら朱真がぼやく。
言葉の割に、不満そうではない。久々の南の空が懐かしいのか。
そう思えば、まだ央香国内なのに、気候も泰陽より穏やかに感じられる。
紅兎も、馬車の中よりは元気そうだった。辺りを、物珍しげにきょろきょろと。
「肉の匂いがする!」
目敏く、いや、鼻敏く? 串焼きの屋台を見つけると。
「買え!」
と、思い切り、朱真の尻を蹴った。
「……お前、それが人に物をねだる態度か」
蹴っておいて、睨み返す朱真は無視。
仕方なく、碧流もなだめる側に回る。
「さっき、お昼食べたでしょうに。食べてましたよ、肉」
「屋外での肉串は別腹!」
いくつあるんだよ、別腹。
これ以上は無駄だと悟ったのか、しぶしぶと朱真が列を離れ、三本の串焼きとともに戻ってくる。碧流と自分の分も、ついでに買ってきてくれたらしい。
ふわり、と漂う胡椒の香り。
小腹も空いてはいなかったが、出された串を食わずでは男が廃るというもので。
「いただきます。」
胡椒風味の串焼きとくれば、どうしても前の秋に屋台で出した羊肉を思い出すが、今回は牛だった。じゅわり、と染み出す旨味と肉汁がたまらない。
「うむ、まずまず!」
「……お前、それが人に物を奢らせた感想か」
と、ツッコむ頃には、朱真はすでに食べ終えている。あんたは串まで早いのか。なのに、酒が絡むと途端にちびちびとやりだすのだから、酒呑みはわからない。
感想はふるわなかったが、ともあれ、ようやく紅兎の普段の表情が見えた。
朱真も、それには満足だったのか、やれやれという苦笑を見せる。が。
「――――ん。」
目の前に突きつけられる、食べ終えた串。
「……お前は、姫か」
「責任取れ!」
なんのだよ。
「はいはい、僕が捨ててきますよ」
自分も食べ終えた碧流が、睨み合う二人から串を回収して、列を外れる。
屋台まで行けば、ゴミ箱くらいあるだろう。
「すまんな」
背中に掛けられる声に、軽く手だけをぷらぷらと。
ついでだから、と、野興 (ヤコウ) の町並みをちょこちょこ見回していく。
野興は央香国と南須国の国境にできた町だった。朱雀門ができたのが先だとも言う。随分と南に来た気もするが、まだ国境は越えていないから、央香国内だ。建物や人々を見ても、大きな違いは見られない。とは言っても、碧流が訪れたことがある町は、央都泰陽と準都彭交 (ホウコウ)、昨日の津牧とこの野興で、まだ四つ目だ。それぞれ広さも規模も様々だから、建物の高さなどに違いを見つけられて、それなりに興味を引くことは多かった。
あの門を潜れば、またなにか違うのだろうか。
そんなことを思いながら、うららかな昼下がりを歩いていると。
――――あれ?
子どもの泣き声が、聞こえた気がして。
目を向けると、目指す屋台の脇、少しだけ開けた空き地に。
少女が一人、泣いていた。
屋台に下げられた袋に串を捨てつつ、主人に確認するも、知らない子だと言う。いつの間にか、そこにいたのには気づいていたが、泣き声に気づいたのは今だ。最初から、親はいなかったように思う、と。
話すうちにも、次の客が舞い込んで。主人に礼を告げて、そっと近づいてみる。
「どうしたの?」
少女は、こちらを見た。
恐る恐る、というより、怖々と。
上目遣いに見上げるその視線には、緊張と恐怖が籠っている。
「お母さんか、お父さんは?」
なだめる碧流の声にも、どうしても緊張が混じる。
子どもの扱いは、久しぶりでも、幼い頃から慣れていた。
だが、ぐすぐすと溢れる涙を拭う、その手も、その頰も。肌の色は、褐色で。
意識した普通は、もう普通ではない。それは、こういうことか。
碧流が一歩踏み出す。同時に、少女が一歩、後退った。
――――ダメだ。
碧流は、孔族に、なんの意識も持っていなかった。特に、悪い意識は。
だが、これまでの経緯によって、余計な先入観を持ってしまっている。
孔族を、南須国の民が。
目の前のこの子を、周りの人たちが。
そういう可能性を考えてしまった時点で、碧流の行動が縛られている。
これは、良くない。
「ちょっと、待っててね」
なるべく刺激しないよう、優しい口調を心掛けて。
少女にそれだけ伝えると、反応も待たずに碧流は踵を返した。
急に走り出しはせず、それでもなるべく急いで、元の列へ戻ると。
「紅兎! ちょっとお願いします」
有無を言わせず、その手を握った。
「ふぇ? あ、あの。ちょっと、何!?」
慌てる紅兎を引っ張って、特に反応のない朱真は放っておいて。
道すがら、端的に状況を説明する。
「迷子っぽいんです。孔族の、少女が」
「……は? こんなとこに?」
確かに、こんなとこ、だ。
この野興は南須国から見れば北の端で、孔族の住む九山 (クザン) 連峰は南須国の南を塞ぐ。北東の方角へ海へと突き出す嵩泰半島の根本であり、屋根とも呼ばれていた。孔族はその北側の麓にいくつかの集落を築いて暮らしているはずなのだが。
南須国の南の方の町や、景芝などの大きな街へ出ることはあっても、こんな北のはずれの、それも国境を越えた央香国側へ出てくることなんて、まず滅多にない。
だが、少女はそこにいる。
先ほどのように泣いてはおらず、碧流の去った先を呆然と眺めていた。
「……ホントだ」
紅兎も呆れたように認めて。すぐに走る速度を上げた。
「お〜い。どしたどした〜、こんなとこで〜」
子ども相手だからといって、特に口調を変えることもなく。
駆け寄り様に、雑に声を掛ける紅兎。
少女は驚いて目を丸くしたが、その表情に、先ほどの恐怖心は窺えず。
「誰と来た?」
「……お父さん」
もじもじしながらではあるが、紅兎の問いにもきちんと答える。
同族とわかって安心したのか、単にさっきの碧流が怖かっただけだったのかはわからないが、やはり紅兎を連れて来たのは正解だったようだ。
「お父さん、何してる人?」
「お肉屋さん!」
少女が、自慢げに答える。
肉屋が、これほど遠くまで来るものだろうか。しかも子連れで。
しかし、紅兎の興味はそんなところにはなく。
「肉屋かぁ、羨ましいな! 旨い?」
「おいしいよ、すっごく!」
紅兎が笑って、少女も笑う。
なんだか、すごくいい表情だった。
「お父さん、ここで待ってろって言ったの?」
そう訊かれて。少女は小さく、自信なさげに頷いたが。
「で、なかなか帰ってこないんだ」
そう言われて。少女の顔が、みるみるうちに曇っていく。
だが、紅兎はそれを打ち消すように、強く笑うと。
「そっか。よし、じゃあ、あの兄ちゃんに探してもらおう」
「……ニイちゃん?」
微かな期待とともに、少女の視線が向けられた先は、きょとんとした碧流の顔。
あまりにも頼りなかったのか、少女の顔がまた曇りそうになるが。
「大丈夫! あの兄ちゃんな、ちっさいけど、頭良いんだ。すぐに見つけてくれる」
ちっさい言うな! と怒鳴りたかったが、少女の手前、我慢。
碧流も、なるべく穏やかな微笑みを浮かべつつ。
「任せておいて。すぐにお父さんに会わせてあげるから」
「……碧流、うさんくさい。」
うっさい!
くそ、子どもの前だと、思うさまツッコミもできない。
心当たりもないままに、踵を返して。
そそくさと探索に向かう。その背中へ。
「……ニイちゃん、がんばってね」
小さな、小さな。励ましの声が。
もう一度振り返って。強く、拳を握って見せる。
この笑顔は、きっと、さっきよりは胡散臭くないはずだ。
まずは、先ほどの串焼き屋台の主人の話。
孔族の肉屋から、肉は仕入れた。子ども連れとは気づかなかった。いつもは景芝辺りで営業している。祭りの見物客目当てで野興まで出張してきた。野興の肉屋に伝手はなかったので、景芝で相談したところ、斡旋された。以上。
ともに景芝から来た屋台があるというので、場所を訊いて、そちらへと向かう。
こちらは鉄板焼きだった。胡椒とタレの二種類の肉炒めを出している。胡椒もいいが、タレもいい。小腹も空いてないのに、食欲のそそりっぷりが半端ない。
財布を出そうとする左手を抑えて、話を伺う。
やはり、孔族の肉屋から肉は仕入れた。そう言えば、肉屋が帰ろうとするところを、町の住民らしき男が引き留めていたように思う。何の話かまではわからない。肉屋の肩に手を置いて、どこかへ連れて行こうという風にも見えた。
――――まずい。
これはやっぱり、あれだろうか。ショバを荒らすな、コラァ! とか。もう過去の話だと習ったけれど、この辺りではまだ生き残っていたのか。これが文化の差か。
ともかく、肉屋の馬車の特徴を聞き、連れて行かれたっぽい方で馬車を探す。
さすがに、馬車ごとどこかへ連れ込まれることはないだろう。捨てられるような海も大河も近くにはない。人だけ連れて行かれたとしても、手掛かりにはなる。
馬車を探しながら、碧流の脳裏には、もう一つの可能性が過ぎっていた。
肉屋は、孔族だ。
この辺りには、滅多に姿を見せない彼らに。
野興の人は、一体どんな顔を見せるのか。
果たして。
碧流は、路地脇に停められた、聞いた通りの馬車を見つけた。
人の混み合う街道を避けて、細い路地を馬車は駆ける。
あの、空き地へと。
「お父さん!!」
「ユナ!」
父と娘の再会。そして抱擁。
結論から言うと、取り越し苦労、というヤツだった。
肉屋の父は、確かに村人に連れ込まれてはいたが、その先は肉の小売店で。
その店の主人が、自分の店の近くで見慣れない屋台を見かけて、敵情視察のつもりでその肉を食べてみたところ、その味にぞっこんとなり、まだそこにいた肉屋を掴まえて、自分の店にも仕入れて欲しいと口説き倒していた、というのが実情。
肉屋からすれば、移動時間や苦労を考えると簡単に頷けないものではあったが、その仕入値はかなり魅力的なものであり、店主の情熱にもほだされて。
結局、不定期で、来られる時のみ、という条件で契約は締結された、らしい。その分、当初の言い値よりは下がったが、それもやむを得ないことなのだろう。
というか、その辺りはもう、碧流にはどうでもいいことで。
「すまなかったなぁ。ああ、無事でよかった」
涙ながらに、娘に頬ずりする父。
聞けば、普段から大人しく、黙って馬車の後ろについてくるような娘らしい。せっかくだから、央香国を見せてやろう、と連れてきたはいいものの、父の方が興奮してしまい、娘がいないことにも気づかなかった、というのだから困ったものだ。
娘は、先ほどまで泣いていたことを、もう忘れたのか。
「もう、迷子になっちゃダメでしょ!」
なんて、父親を叱りつけている。
少し離れたところから、そんな微笑ましい光景を眺めて。
見たこともないような穏やかな顔で微笑う、紅兎に。
「良かったですね」
彼女も、少しだけ照れたような表情を足して。
「――――ありがと」
小さく、小さく。感謝の言葉を口にした。
……ぽんぽん、と。
碧流が、その紅色の頭を二つ叩く。
だが、紅兎はすぐにその手を振り払うと。
「叩くな。アタシよりちっさいくせに」
ぷい、と。
そっぽ向いて毒づく。そこへ。
「ありがと〜、コト! ニイちゃん!」
少女が、小さな手を、精一杯ぶんぶんと振ってくれて。
隣の父は、深々と頭を下げていた。
それに、紅兎が手を振り返し、碧流も頭を下げ返してから。
「さて、そろそろ行かないと。朱真が待ちくたびれてますよ」
「待たせとけ!」
随分と、予定外の時間を使ってしまった。だというのに。
「――――おっと、ちょいと待ちな」
呼び止めてきたのは、あの屋台の主人だった。
怪訝な顔で近寄る碧流に、主人は厳しい顔のままで。
「礼だ。持ってきな」
そう言って差し出されたのは、二本の串焼き。
「さっきのは牛だっただろ。今度は羊だ。こっちも旨いぞ」
わーい、と食いつく紅兎を、碧流はとっさに片手で抑える。
「でも、僕らは――――」
「いいんだよ。本当なら、俺が行かなきゃいけねぇとこだ。代わりにやってくれたんだから、礼だよ、礼!」
口調は乱暴で、顔は怖いままだが。
そこまで言われては受け取らないわけにはいかない。紅兎を解き放つ。
「いただき!」
「あ、こら! どうも、ありがとうございます」
紅兎から自分の串を奪い取った碧流が頭を下げるが。
「礼に礼じゃ、おかしいだろうよ」
そう言って、少しだけ笑う。
それはそうかもしれないが。だったら。
碧流も、思い切り羊串にかぶりつき。
「美味しいです!」
「当ったり前よ」
今度は嬉しそうに、主人が笑った。
その笑顔を見て、碧流は自分が恥ずかしくなる。
誰も、孔族であることなんて、問題にしていなかった。
孔族であることを知って、その上で、なんにも気にしない。
それが、当たり前のことなんだけれど。
当たり前のことが、当たり前にできない世界に。
今夜からは、首を突っ込むことになるのだろうか。