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泰皇国立皇統学院記 〜 一年目 春 〜  作者: 都月 敬
1日目
5/30

朝_大通


 出発の朝は、曇天だった。

 大通りに出て、空を見上げる。快いとは言い難いが、晴れの門出というわけでもなし。それほど寒くはないから、天候としては充分だろう。

 祭り自体はまだ先らしいが、朱真の都合もあって早めに発つとのこと。その分、南須国観光の時間が多く取れるから、碧流としても歓迎だった。

 碧流は、あれからも、南須国の風土や文化を調べてきた。

 気温は央香国よりも暖かいこと。その分、空気は乾燥していること。

 気質はおおらかで、旅人に優しいこと。好戦的で、敵には容赦がないこと。

 麺をよく食べ、辛いものを好むこと。水が貴重で、大量には消費できないこと。

 テント暮らしで、季節とともに移動し、馬を家族のように愛していること。

 なんだか、矛盾しているものもある気がするが、その辺りは現地で感じてみたい。それも旅の醍醐味だ、と、わかったようなことを思ってみたり。

 杏怜に言われたことは、いつも頭の片隅にある。

 ただし、片隅からは動かさないようにしていた。

 あれも、事前知識の一つにすぎない。絶対ではない。先入観は、持たない。

 やがて、ガラガラと、大きめの幌馬車がやってきた。

 確認するまでもなく、御者の隣で、朱真が手を上げている。

 彭交行きで使った、皇太子様御用達の馬車とは、なんというか、気品が違うが、これも南須国の文化なのだろう。おおらかでいい、と思うことにする。

 そんな感想とは関係なく、碧流の目前で幌馬車が停まって。


「乗れ」


 と、朱真が親指で荷台を指す。

 そう言われても、ぱっと見、完全なる荷馬車の荷台。人の乗るところなどあるものなのか。訝しみながら後ろへ回り、貨物用の出し入れ口から登ってみると。

 中も、やっぱり荷物の山。ただ、その折り重なった箱の向こうに、わずかに、紅い髪が見えた気がして。

 荷物をかき分けるようにして、なんとか前へ。ようやく辿り着いたそこには、申し訳程度の座席が二つ、取って付けたように備え付けられており。


「……おはようございます。紅兎」


 その片方を占める、不機嫌な顔をした先客に、おずおずと挨拶の言葉を掛ける。

 しかし紅兎は、不機嫌だ、とアピールするように、つん、と顎をあげただけ。


「出すぞ」


 前から朱真の声がして、返答も待たずに馬車が動き出す。

 外からは影で見えなかったが、この座席は御者台のすぐ後ろにあるようだ。背もたれの向こうに、朱真の後頭部が覗いている。


「遅くなりましたが、おはようございます、朱真」

「おう。しばらくは見るものもない。寝てていいぞ」


 朱真にしては低めの位置の頭がそのまま微動だにしないところを見ると、朱真も寝ながら行くつもりか。慣れているのだろうし、今さらおもしろみもないのだろうが、初体験の碧流に道中の楽しい会話を提供するつもりもないらしい。


「紅兎は、泰陽に来てから、初めての里帰りですか?」


 青華に聞いた話では、紅兎もこの春で一年が経ったはずだ。年に何度もは戻れないだろうから、これが初めてだと思ったのだが。


「……里じゃない」


 返ってきたのは、やはり不機嫌全開の短い言葉。

 とはいえ碧流も、景芝までこの雰囲気は耐えられない。


「孔族の村へは行かないんですか?」

「行くよ。そっちが、ふるさとだから」


 ようやく、少し長めの返答が得られた。

 だが、紅兎の表情は変わらず、視線もこちらへ向けられることはない。


「村だけでいいんだ、アタシは。景芝なんかに用はない」


 よほど、景芝に嫌な思い出があるのか。

 つい、杏怜の言葉を思い出してしまうが。


「お祭りがあるんでしょう? 串焼き食べ放題と聞きましたが」


 自分の気も逸らすため、紅兎の気が引けそうなネタで釣ってみる。

 さすがにこれには、串娘として黙ってはいられないのか。


「それは、絶対に行く。碧流にも本場の本気を見せつけてやる」


 その瞳に、微かな炎の影が。

 焚き付けるように、碧流がネタを重ねる。


「夜には、大きな宴会もあるんですよね」

「それは行かない!」


 ――――撃沈。

 彭交の時もそうだったが、お年頃の女性は、おじさま方の集う宴会はお嫌いか。

 紅兎は、ぷい、と顔を背けるが。


「出ろ」


 御者台から、有無を言わさぬ声がして。

 紅兎の不機嫌がさらに募っていくのが見えた。


「やだ。用ない」

「お前がなくても、向こうにあるんだ。うちに泊まる代わりに、最初のだけは出る、という約束だろうが」

「……う〜」


 死んでも嫌なことを避けるために、その次に嫌なことを飲むしかない。

 そんな風に、紅兎が唸る。


「紅兎も、朱真のお屋敷に泊まるんですか?」


 意図的に明るい調子で、碧流が尋ねた。

 しかし、紅兎の顔は上がらず。


「他に泊まるとこなんてないし。アイツに連れてこられたんだから、宿くらい責任持たせる」


 上目遣いで、御者台の朱い後頭部を睨みつけていた。

 紅兎は、公家の一つである、紅家の養女だという。当然、景芝には、紅家も大きな屋敷を構えているのだろうし、そこに紅兎の部屋がないわけはない。それでも、他に泊まるところがない、と言い切るのだから、どうしても行きたくない場所なのだろう。それこそ、死んでも。

 宴会には、南須国の名士が集うと聞く。紅家の当主も来るのだろうから、そこで紅兎の顔を見るのが向こうの用なのだろう。

 決して家には帰りたがらない義娘と、顔だけ見ればそれで良いとする義父と。

 さすがの碧流も、とても口は出せそうもない。


「――――紅兎」


 掛ける言葉も見つからないまま、呟くように呼んだその名前すら。


「違う。アタシは、コトだ」


 紅兎は、強い口調で否定する。


「コト?」

「それは、紅家で勝手に付けられた名前だ。でも、アタシは紅家じゃない。本当の名前は、コトだ」


 本当の名前。

 孔族の村で呼ばれていた名前なのだろう。似てはいるが、決して同じではない。

 それは、単なる呼び名である以上に。


「アタシは、村から、攫われたんだ」


 紅家を否定しようとする、強い意志の象徴なのか。


「アタシには、両親がいないから」


 紅兎は、視線を落としたまま。

 独白のように、身の上を語り始めた。


「孔族では、子どもはみんなで育てるんだ。だから、小さい頃から、淋しかったことなんてなかった。でも、大きくなってからは、違った。結婚だとか、出産だとか、家と家の繋がり、だとか。だけど、アタシには家がないから」


 子どもは一族全体のもの。それは流族も同様だ。だが、流族の考えでは結婚も出産もまだ先の話だが、孔族ではどちらも適齢が低いようだった。


「族長はなんとかしようとしてくれたけど。やっぱり、親じゃないし。そもそも、アタシはこんな髪だし」

「孔族も髪の色は同じなんですか?」

「同じじゃないよ。みんなバラバラ。でも、みんなはもっと淡い色で、もっとキラキラしてる。こんな、ベタッとした色はいない」


 ベタッとした、って。

 紅兎の髪も鮮やかな紅色で、卑下するような色だとは思わない。

 でも、今は、そういう話じゃないんだろうし。


「それに、親と子は、似た色になる」


 家同士の繋がりを求めて婚姻を結ぶ、というなら、両親も重要だし、その血縁を端的に示す髪色もまた重要なのだろう。だが、その髪色はどう見ても。


「でも、だとすると、紅兎のお父さんは――――」

「知らないよ、アタシには父親がいないんだから。知りようがないし、知りたくもない。でも、母親は孔族だから、それで充分だ」


 碧流の憶測を打ち消すように、強い口調で言い放つと。

 紅兎はまた、ぷい、とそっぽを向いた。

 静かになった車内に、車輪の音と、馬蹄の響きが聞こえてくる。

 碧流は、その紅色の後頭部を、横目で眺めて。

 でも、やっぱり、掛ける言葉は何もなくて。


「……母さんに似れば、良かったのに」


 軋む車輪の響きの中。

 その呟きだけは、やけにはっきりと耳に届いた。


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