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泰皇国立皇統学院記 〜 一年目 春 〜  作者: 都月 敬
0日目
4/30

夕_図書館


 本日の講義がすべて終了した後。

 碧流は、学院の図書館を訪れていた。

 講義で直接利用することは少ないが、流族の碧流には、講義で教わるよりも広い知識が必要な事も多々ある。そのために、碧流はよくこの図書館を利用していた。

 入り口の扉を潜った先で、一度、大きく館内を見渡す。

 室内に充溢する、なんとも言えない静謐な空気。入り口近くには閲覧用の机が並び、その奥には比較的新しく編まれた各国の書物が、そしてさらに奥には巻物や竹帛などの古い文献が収められている。閲覧にきた学院生も、当然ここに勤める職員も、誰もが静寂を守り、過去に記された文字列だけに目を落としていた。

 やはり、碧流には、ここの雰囲気が好ましい。

 職員の中には、紙以前の文献を書物に書き改めることを主な業務としている者もいると聞く。碧流も、央香国に生まれていれば、志望した職の一つだったかもしれない。もちろん、央香国出身であれば良い、という広い門ではないだろうが。

 ただし、今日訪れたのは、この雰囲気を味わうためではない。


「あら、碧流。調べ物?」


 静寂に満ちた館内には、そのたおやかな声も良く響く。

 少し離れたところで、最近の政府発行の資料を眺めていたのは杏怜 (キョウレイ) だった。杏怜は、学院生の中でも神に等しいとまで称される四神の一人で、彼らは皇太子、黄希 (コウキ) を始めとして、すでに央香国の政治に関わりを持っている。

 既知の内容だったのか、杏怜はまだ途中だった資料を閉じ、元の場所に戻すと、杏色のゆるふわ髪を揺らしながら、碧流の元へと寄ってきた。


「お久しぶりです。新税制度の件、お疲れ様でした」


 二つの意味で、頭を下げる碧流。

 杏怜はいつもの柔らかな笑みを浮かべて。


「やだ、やめて。がんばったのは議員のみなさんなのだし、そもそも碧流のおかげでもあるのだし」


 新税制度の件とは、前の冬に四神と碧流が関わった事件のことだ。トラブル、で済ますには重大な事件だったが、おかげで四神ともより親しくなることができた。

 ただその後始末で、ここのところ、杏怜や黄希と学院で会う機会はほとんどなかったのだが。


「まだ、一時凍結、というだけで、撤廃という結論は出ていないのだし。このまま、立ち消えになってくれれば良いのだけれど」


 杏怜はそう言うが、素案の段階で全国の商人が敵に回るような制度だったことを思えば、施行寸前からそこまで持っていけただけでも充分立派だと思う。

 だが、杏怜はこともなげに微笑って。


「もう少しすれば、黄希や橙琳 (トウリン) も、また学院に出てこられると思うわ」


 橙琳も四神の一人で、丞相家の娘というお嬢様だ。残る一人は、嵩泰 (スウタイ) 教の大司教の息子で蒲星 (ホセイ) といい、ちなみに全員が美形だ。


「……世の中は、不公平なものなんですよ」

「え?」

「いえ、なんでもないです」


 おっと、心の声がだだ漏れた。


「差し支えなければ、碧流が何を調べに来たのか、聞かせてもらってもいい?」


 その問いも、穏やかな笑みとともに。これを断れる男はいるのだろうか。

 つられて、碧流も笑みを返しつつ。


「今度、南須国へ行くことになって。事前に、少し調べておこうかと」


 それらしく答えてはみたが、目的は祭り見物で、行き帰りも、碧流は用意された馬車に乗っているだけだ。そう思えば、調べることもなにもないのだが、せっかく南都まで行けるのだし。持っている知識と実際の風景をきちんと比較するためにも、知識の棚卸しくらいはしておきたい。

 だが、杏怜はさも感心したという風に。


「さすが、碧流。真面目ね。南須国、ということは、朱真と一緒?」

「はい」


 碧流が朱真と仲がいいということは、杏怜も四神の皆も知っている。

 だから、その名が出てくることに驚きはないのだが。


「ひょっとして、紅兎も?」

「はい、そうですけど」


 こちらには、少し引っかかった。

 同じく、紅兎と仲がいいのも周知の事実だから、そこも問題はないのだが。

 尋ねてきた時の、杏怜の表情が。ほんの少し、陰りを帯びていたように見えて。

 同じ表情のまま、杏怜は重ねて。


「孔族の村へは、行くのかしら?」

「いえ。僕らは南都の祭り見物が目的ですから。紅兎は、里帰りくらいするのかもしれませんけど」


 だとしても、碧流に同行するつもりはない。孔族の文化にも興味がないではないが、何より流族との関わりの薄さを思えば、優先順位は低い。よほど暇であれば話は別だが、南都がそこまでつまらない街でもないだろう。

 さらりと答える碧流とは対照的に。


「そう。」


 頷きはしたものの、杏怜の視線は、まだ、何かを思うように、虚空を見つめる。


「孔族が、何か?」


 憂いを含んだその面差しを見れば、そう聞かずにはいられない。

 杏怜の意識は、紅兎個人よりも、孔族全体へと向けられているようだ。

 杏怜は、右の人差し指をその細い顎に押し当てたまま、ゆっくりと差し俯いて。


「……これは、誤解しないで、聞いて欲しいのだけれど」


 わずかに強張った口調で、そう前置きすると。


「景芝では、いえ、南須では、というべきかしら。碧流は、孔族の在り方を見ておいた方がいい、と思うの」


 少しだけ上目遣いで、碧流の瞳を覗き込む。

 図書館の薄暗い空気のおかげで、碧流も緊張することなく、その瞳を見返して。


「それは、僕が、流族だから、ですか?」


 同じ様に、一言ずつ、確認するように問い返す。

 杏怜は、珍しく、言葉を選ぶように、言い淀んでから。


「――――そう、ね」


 やはり珍しく、自信なさげに頷く。

 そして、やや遠回しに説明を始めた。


「今、この嵩泰半島で、泰皇民族以外の人種は、主に二つしかいないわ」


 泰皇国民のほぼすべてを占める泰皇民族以外の人種と言えば、泰皇国の建国以前から嵩泰半島に暮らす孔族と、ごく最近、海を流れて現れた流族だけだ。他にも挙がる名はあるが、いずれも数は少なく、泰皇民族との絡みはほとんどない。


「孔族と流族。どちらも泰皇民族との関わりは多くはないけれど、景芝は比較的孔族の多い街だから。そこでの孔族の在り方は、見ておいた方がいいのかと思って」


 その言い方は、奥歯に物が挟まった、というよりもむしろ、核心を避けているように感じられて。

 碧流は、より具体的に問い返す。


「大きな民族の中で、違う民族が、どう扱われているか、ということですか?」

「そうじゃないの!」


 強くなりかけた声を、自ら抑える。今いる場所を思い出したのだろう。

 そして杏怜は、碧流の視線を受けて、自分の言葉を訂正した。


「いいえ、そうなのかもしれない。人種が違うのは、否定できない事実なのだし。その違いに意味なんてない、と言うのは、とても簡単なことなのだけれど」


 認めたくない。その気持ちは充分に伝わってくるが。


「現状では、その言葉の方が、意味を持たない?」


 碧流の切り返しを受けて、杏怜が口ごもる。

 そして。


「わからないの。私も、聞いただけの話だから」


 碧流の追求から逃げるように、瞳をそらした。

 これは、博愛精神に溢れる杏怜が、最も嫌う問題なのかもしれない。

 そして、正しい意味で自己意識の高い杏怜にとっては、自分と同じ側の人間を非難しなくてはいけない状況というのは、ますます受け入れがたいものなのだろう。

 それでも杏怜は、あえて、碧流に伝えてくれた。

 その杏怜が、顔を上げる。


「だから、これ以上は、碧流の目で、見てきて欲しいの」


 しっかりと背筋を伸ばして。真っ直ぐに碧流の瞳を見つめる。

 碧流も、逃げることなく、その視線を受け止めた。身長の関係上、どうしても見上げる形にはなってしまうが。


「杏怜。僕は、デリカシーがないらしくて、上手い言い回しはできないのですが」


 今度は、碧流の方が、そう前置きしてから。


「孔族が人種差別を受けているという噂がある。もし今後、流族が泰皇国に進出してくることになれば、同じような目に遭うかもしれない。だから、見てこい、と」


 言葉を選ばず、直截的に。


「そういうことで、いいですね?」


 杏怜も、今度は逃げることなく。


「ええ」


 静かに、頷いた。

 孔族と言われれば、碧流の脳裏には、どうしても紅兎の姿が浮かんでしまう。

 泰陽での紅兎は、非常識なところはあるけれど、屈託なく生活しているように映る。周りの友人も、それ以外の学院生も、街行く人たちだって、おかしな目で見ているようには感じられない。

 だというのに、地元の南須国では違うのか。


「余計な先入観を与えてしまったのなら、ごめんなさい。そんなことは、全くないのかもしれないし、もしあったとしても、ほんの一部の心ない人だけなのかもしれないの。だから――――」

「わかってますよ」


 取り繕うように言葉を重ねる、杏怜を遮って。


「申し訳ないですけど、今の僕は、心の中でそれを否定しています。だから先入観なんてありません。でも、今この話が聞けたおかげで、もし向こうでそんなことがあったとしても、驚かずに済む」


 碧流は、そう言って、笑った。


「そう。それならいいの。やっぱり、話して良かった」


 杏怜も、微笑みながら、胸をなでおろす。

 ただ、もう一つだけ、碧流には、そんな杏怜に確認しなければいけないことが。


「念のため――――」


 せっかくの微笑みを、もう一度消すことになったら申し訳ないと思いながらも。


「どういう方面から聞こえてきた噂か、教えてもらってもいいですか?」


 それは、どうしても聞いておかなくてはいけないこと。

 やはり、訊いた途端に、杏怜の笑顔はまた強張って。

 そして次第に、少しだけ、悲しい表情に落ちる。


「南須の、議会の方々と、交流会と称して、会食をしたことがあるの。その時に」

「わかりました」


 それ以上は、聞かなくていい。

 どんな話が出たのかなんて、興味はない。

 問題は、議会の、つまり政府の中枢の人間から出た話だ、ということだ。

 それならもう、噂ではない。


「気にはしておきます。街中を歩く機会もあるでしょうし」


 だが、碧流はあえて、軽い調子でまとめた。

 その人が、なのか。

 その人たちが、なのか。

 その街が、なのか。その国が、なのか。その民族が、なのか。

 それが、どれだけ浸透していることなのか。

 そこは充分に調べる必要がある。

 ただし、気負う必要はない。

 杏怜も、多少無理はしている風でも、いつもの微笑みを返してくれて。


「ありがとう。流族と違って、孔族は、人種の違いがわかりやすいから」


 柔らかな微笑みは取り戻せたが。

 今度は、碧流が苦い思いを抱くことになった。

 もちろん、杏怜は、何も意識してはいないのだろうが。

 碧流には、その、人種、という言葉が、ひどく嫌な響きを持って聞こえたから。


 これが、される側の心境、なのかと。


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