昼_食堂2
「ああ、碧流。こんなところにいたのか」
窓辺に、大きな影が差して。
「あ、朱真。お久しぶりです」
大きな友人が姿を見せた。
トレイに湯気の立つ丼を載せているところから、昼食はこれからか。
「遅くない? もう食べ終わっちゃったよ」
「別に昼休み中なら問題はないだろう」
朱真は、空の食器を見せる紫絡と、適当な雑談を交わしてから。
どっかりと碧流の隣に腰を下ろし、相変わらずのラーメンをすする。
「前の講義が長引いたんですか?」
「いや、今来たところだ」
自主半休ですか。
講義で見かけることはなかったが、学院には来ているものと思っていたのに。
「碧流くんに何か用? 愛の告白なら、その辺に隠れるけど」
立ち去りはしないんですか。そんなわけないからいいですけど。
一応、気を遣った体を見せる紫絡に、朱真は事もなげに。
「気遣いは無用だ」
そう言って、またすする。
そこで切られると、告白はするけど気にするな、になるんですけど。
そんな碧流のツッコミは、口から出る間も無く。
「碧流。祭りは好きか?」
向けられたのは、謎の質問。
「祭り、ですか。まぁ、好きですけど?」
語尾が反問形になってしまったのもやむを得まい。意図が掴めな過ぎる。
まさか、本当にデートのお誘いでもあるまいが。
朱真は、その答えに満足げに頷くと。
「なら、景芝 (ケイシ) に行くぞ」
行かないか? ではない。
強い勧誘、というより、断定だった。決定事項か。
しかも、想定よりも遥かに遠距離だ。
だが、詳細な説明を求めたのは、碧流より紫絡で。
「朱真、まずは経緯を説明して。じゃないと、許可できない」
「なぜ、お前の許可がいるんだ」
「決まってるじゃない。碧流くんは私のだから」
「――――――――。」
ずるずるずる、と。
無理やり口を挟んでくる紫絡と、構わず切り捨てていく朱真。
味のある噛み合わせだが、理不尽な二人に任せておいては話が進みにくい。
「え〜と。南都で、何か大きな祭りがあるんですよね。それに、朱真が参加する、のかな。で、一緒に行かないか、というお誘い、でいいですか?」
与えられた問いの隙間を、想像で埋めると、そうなる。
問い返した碧流に、朱真は次々とすすりながら頷いた。
景芝は南須 (ナンシュ) 国の都で、央香 (オウコウ) 国では南都とも呼ばれる。以前に、直接ではないが、朱真は南公家の出だと聞いたことがあったので、祭りにも参加するのではないかと当たりをつけたのだったが。
「オレは、参加しないがな」
丼を置いた朱真が、一箇所訂正を入れる。
「……うわ、もう食べた」
碧流は見慣れているが、朱真の食事は早い。ラーメンを好むのも、食べるのに時間がかからないから、らしい。これだけのご馳走が無料で並ぶ中、淡白なことだ。
「では、普通に南都の祭り見物、ということですか?」
「お前はそれでいい。オレは多少用事もあるから、すべては付き合えんが」
ただでさえ里帰りで、その上相手は公族なのだから、それはやむを得まい。
前の冬に、少しとはいえ、知らない町を一人で巡る機会もあったので、そのおかげか碧流の緊張は薄い。むしろ、じわじわと好奇心が湧いてくる。
「どんなお祭りなんですか?」
「誘っておいてなんだが、大して珍しいことはない。街中が飾り立てられて、屋台が出て、南公が挨拶などをする。誰も聞きはしないが」
いやいや、大勢の人が集まるのでしょうよ。聴くでしょうよ。
と、内心ツッコむ碧流も、そこへの興味はあまり湧かない。
盛り上げる側であるはずの朱真は、特に煽るでもないままに。
「一応、名物と言えば、槍術大会だろうな」
「ソウジュツ? 槍ですか」
問い返しはしたが、これも碧流には微妙なところだった。
しかし、続く朱真の説明に、ちょっとだけそそられる。
「南では、特殊な槍を使った独特な槍術が普及していてな」
「ちょっと。特殊、とか、独特、じゃわかんないってば」
すぐさま紫絡にツッコまれて、朱真が不満げに眉をひそめる。
「お前には関係ないだろうが」
「なくても。碧流くんだってわからないよね?」
「まぁ、わからないですけど」
出るつもりも習うつもりもないが、ちょっと気にはなる。
朱真はふん、と鼻を一つ鳴らすと。
「南の森にしか育たない、堅くしなやかな樹を材料に作られた長槍を使うのだ。強く払い打てば、中程を受けられても、槍先が鞭のようにしなって、相手をえぐる」
手振りを交えて説明する朱真。
そのイメージは、なんとなく伝わったのだけれど。
「槍を、払うの? 馬上で?」
かえって、大きな疑問符を浮かべる紫絡。
一般に、馬上で槍といえば、突くものだ。しかも長槍なのであれば、馬上で振り回すだけでバランスを崩しそうなものだが。
しかし、朱真はさも当然といった顔で。
「そこが独特なのだ。激しい打ち合いの中でも馬上姿勢は保ち続ける、というのも見せ場の一つだからな。豪快な技を連続して繰り出すほどに、客には受ける」
なるほど。単に強さを競うだけではない、ということか。
「でも、しなった穂先が掠めたくらいで、相手は倒せなくない?」
紫絡が、当然の疑問を口にする。
それを受けた朱真も、どこかつまらなそうに。
「あくまで試合だからな。立派な傷の二つ三つもできれば、勝負あり、だ」
審判がいる、ということか。
武術、というよりは、競技なのだろう。競技になった、のかもしれないが。
その答えに、やっぱり紫絡は興を削がれた風に。
「ふ〜ん。よく分かんないけど、それ、盛り上がるの?」
「形式としては、馬上槍試合、というヤツで、いわゆる勝ち抜き戦だ。一応、これに優勝すれば、南須国一の勇者、とかいう栄誉が与えられるらしい」
とかいう、て。
では、朱真はともかく、南須国の民は大層盛り上がるのだろう。
碧流も、実は、少し楽しみになっていた。力や技だけでなく、駆け引きも重要になりそうなところが、好みに近い。
「朱真は出ないの? 国一番の勇者になれるんでしょ?」
茶化すように、紫絡に瞳を覗き込まれて。
「槍は、性に合わん」
目を逸らして、朱真がそう答える。
そう言えば、朱真は模擬戦でも剣を使っていた。
実戦向きではない長槍は、朱真の好みには合わないのかもしれない。
ふ〜ん、なんて、納得するように頷きながら。
紫絡の関心は、すでに別のところへ向けられていて。
「ところで、それって何祭り? この時期って、珍しくない?」
少し考えてから、話題を変える。
央香国を始めとして、各国で最も大きな祭りは、秋の収穫祭であることが多い。だが、今は春。新年を祝うにはもう遅いし、伝承に基づく祭りも時期が合わない。
言われて初めて碧流も首を捻ったが、問われた方の朱真はさらりと。
「春節という。まぁ、年越しだな」
「年越し? あぁ、旧暦か」
その短い説明に、紫絡はすぐに納得する。しかし、碧流は付いていけない。
「旧暦はわかるでしょ。泰皇 (タイコウ) 国を建てた人たちが来る前に、嵩泰 (スウタイ) 半島に住んでいた人たちが使っていた暦ね。人自体が残っているのは、紅兎 (コウト) の孔 (ク) 族とかだけになっちゃうけど、南須国には、文化的に残っているものはいくつかあるの。旧暦自体は、さすがに使ってはいない、よね?」
南須国とは正反対、北厳 (ホクゲン) 国出身の紫絡がすらすらと説明してくれて、朱真もそれに頷いた。
碧流も、泰皇国の文化や歴史は学んでいるところだが、風俗となるとまだ弱い。まして、南須国は地理的に流族から遠い。後回し、というわけではないが、積極的に学んで来なかったのも事実だった。
まだまだ自分には足りないところが多いと自省する碧流だったが、それを見て。
「以前に、知るだけでなく見るのも重要だ、と話していただろう。だから、これもいい機会かと思ってな」
と、朱真が補足する。
そういえば、そんな話をした。あれも、ちょうど、この前の冬の話だったか。
なぜ自分が誘われたのかが謎だったが、そこに友人の思いやりがあったと知る。
急な誘いでも、ざっくりとでも説明を聞けば、断る理由はなくなった。
その上。
「同じ馬車で行くなら旅費はかからんし、うちに泊まるのでよければ宿代もいらん。祭りの小遣いまでは出ないがな」
碧流の、というより、流族の小さな財布まで気にしていただいては、これ以上、こちらから付け加える事もない。
「充分ですよ。ありがたく、お世話になります」
と、なると。
碧流が、ちらり、と紫絡を見やる。
それに気がついて、紫絡も自分を指差さすと。
「私? 私は行かないよ。経緯はわかったし、特別に貸出許可も出してあげよう。可愛いコには旅をさせなきゃね。それに、朱真はもうターゲットじゃないし」
おやま。以前は、いい男だ、とか、公を継がない公子だからポイント高い、とか言ってたのに。
面と向かって振られた朱真だったが、当然のように、頓着する様子は全くなく。
「これ以上、小うるさい女が増えるのはごめんだ」
などと、口悪く呟いた。
「これ以上? ってことは、紅兎も連れて行くの?」
耳聡く聞きつけた紫絡が尋ねる。小うるさいという点には反論はないようだ。
ただ、朱真にとっては、その質問こそが一番の問題だったようで。
「あれも一応、紅家の娘だからな。顔を出させんわけにはいかん」
紅兎が絡んだ時だけに見せる渋面で、心底嫌そうに頷く。
そうなると。
碧流の中に、前々からぼんやりと漂っていた疑問が、首をもたげてきて。
「紅家というと、南須国でも大きな士族っぽいんですけど」
南須国の国姓は朱。朱真の姓だ。
それに近しい色の紅だから、貴姓なのだろうと予想したのだが。
「紅家は、士族というよりは、公族の一つだな」
朱真の回答は、碧流にはわかりにくい。
気づいた朱真が解説を加える。
「南公位は、三つの家で受け継ぐことになっている。そのうちの一つが紅家だ」
公家は一つと思い込んでいたが、そういう形式もあるのか。
ということは。
「じゃあ、もっと大きな家じゃないですか。でも、紅兎って、孔族ですよね?」
公位を継ぐ可能性もあるそんな大家に、少数民族である孔族の娘が、なぜ?
そんな碧流の視線を受けて。
朱真は、ただ渋いだけではない表情を見せる。
そこに、碧流も、ようやく嫌なものを感じるが。時、すでに遅く。
「紅兎は、二年前に紅家の養子になった。それ以上は、本人に聞け」
短く答えて、後は本人に振る。
その反応が、今朝の青華のものとも重なって。
朱真が、空の丼が載ったトレイを手に、立ち上がった。
その、無言で立ち去る背中を眺めて。
「……紫絡さん、僕、また、やっちゃいましたかね?」
小声で尋ねる碧流に。
紫絡は、優し過ぎる笑みを返してくれた、だけだった。