昼_食堂1
なんだか、貪るように学んだ。
脇目も振らずにのめり込むうち、昼前の講義はすべて終了していた。
ここまでは目論見通り、余計なことを思い出さずに済ませたけれど。
残念ながら、昼食に無心で熱中できるほど、碧流は食いしん坊ではない。
むしろ、食欲もあまりなく。なるべく手早く済ませたくて、ただの炒飯を選ぶ。なのに、今日に限って行列が。今さら変えるのも億劫で、仕方なく後ろに並んだ。
そうして突っ立っていると、どうしても思い出されるのが今朝の会話だった。
学院では、学院生の出自を探ることを禁止している。それは学外の繋がりを学内へ持ち込まず、学内の繋がりを学外へと持ち越さないための配慮、だという。
しかし、各国には、王公族の用いる国姓や、有力士族の用いる貴姓がある。いずれの姓も色を表す文字が使われるが、国姓は国色を表し、貴姓は族色を表す。そしてその色は、その族の髪に現れるのだ。
調べずとも、五国の国姓くらいは知っているし、貴姓の多くも調べればわかる。
彼女の生まれた東征 (トウセイ) 国の国姓は青。そして青華は、姓も髪色も、青。つまり、青華が東征国の公家の出であることは、もはや自明のことなのだ。
ただし、一口に公家と言っても、嫡流と傍流では天と地ほどの差があっても不思議はない。その上、家を守るためならば、親族内での婚姻、養子縁組、嫡庶、廃立。国により、家により、許すも、許されざるも入り乱れ、年を経て、代を重ねるうちに、部外の者が迂闊に口を出せるものではなくなっている。
青華にも、家や生まれに、悩みもあれば、負い目もあるのかもしれない。
だが、それが話せるものとは限らない。
話したくとも、打ち明けられず、独り、苦しんでいるのかもしれないのだ。
にも関わらず、碧流は――――
「は〜い、炒飯、お待ち〜。」
気が滅入るばかりの待機時間の末、ようやく注文の食事を手に入れるも、今度は空席が見当たらない。トレイを手にうろうろして、普段はあまり足を運ばない窓辺の方で、一つ空いた席を発見した。だが、こんな時は、悪いことが重なるもので。
「ここ、いいですか、、、って、うあ。」
向かいの席で、細切り炒めをつまんでいたのは。
「あれ。碧流くんから来てくれるなんて、珍しいね。……で、うあ、って何?」
にっこり笑った紫絡の姿。
「なんでもないです。なんにもないです。失礼します。いただきます」
なるべく目線は合わさぬように。
そっとトレイを置いて、席に着き、すぐさまレンゲを取ろうとするが。
がしっ、と。右の手首が掴まれて。
「――――逃げられると、思うてか?」
にっこり笑顔のままなのに、なぜか視線が突き刺さる。
怖いです、紫絡さん。
「本当に、なんでもないんですよ。今日はちょっと、独りになりたい気分だっただけで、、、」
消え入る語尾で言い逃れつつ、誤魔化すように、コップの水へと手を伸ばす。
そんな碧流を、紫絡は、じっくり、じっとり、ねぶり上げるように見つめて。
「なんでもない、って言う割には、顔色も悪いし、肌もカッサカサだけど。その上、独りになりたい、ねぇ。せっかくの春だっていうのに」
そう、意味ありげに呟くと、手元の皿に目を落として。
「青華にでも振られた?」
「ぶふぅっ。」
とっさに身体を捻ったおかげで、吹き出した水は脇に立つ鉢植えへ。
春の陽射しを受けて、艶を増した瑞葉が青々と輝く。
それを眺めた紫絡は、さも呆れたように。
「植物を愛する気持ちは感心だけど、潤いが欲しいのは碧流くんの方でしょうに」
「余計なお世話です! って、見てたんですか!?」
口を拭いながら問い返す。
だが、戻って来たのは、楽しげな笑顔。
「……何を?」
くそっ、カマかけか。全部か。
「……なんでもないです」
そう繰り返して、炒飯を掻っ込み始める。
こうなった以上、さっさと逃げるしかない。
しかし、紫絡はからかい含みの笑顔のまま、手にした箸をぴこぴこと動かして。
「とは言ってもねぇ、碧流くんがいきなり告白なんかできるとは思えないし。いきなり手ぇ出したとは、もっと思えないし。そもそも力ずくで勝てる訳もないし。精々、余計なこと言って、邪険にされた、くらいかな。いつものように」
最後の箇所を強調して、紫絡が納得したように食事へ戻る。
碧流からは、いつものことだが、ぐぅの音も出ない。
ここまで読まれてしまっては、今さら逃げたところで詮方なく。
「……やっぱり、余計なこと、言ってますかね、僕」
正直に、弱音を吐いてみる。
紫絡は特に箸を止めることもなく。
「私が言われたわけじゃないけど、意外と言う方だよね、碧流くん。見た目と違って、デリカシーに欠ける、っていうか」
「……むぐ。」
デリカシーに欠ける。直接、女性に下されると、なかなかに応える評価だ。
「でもね。」
碧流に視線は向けず、紫絡は箸をレンゲに持ち替えると。
「配慮し過ぎで入ってこない人とは、お友だちにもなれないからね」
「……入って、こない?」
スープを一掬い、口へと運んでから。
「例えば、直しようもないことを言われても、腹立つだけでしょ? チビ! とか」
「……まぁ、そうでしょうね」
すでに、多少は腹も立っているし。
「でも、それが直せることなら、改めて考えてみようかな、って思ったりもする」
「……かも、しれませんね」
直せることならいいのに、身長も。
「それで、考え直して、上手くいったら、言ってもらって良かった〜、ってなる」
「……そう、ですね」
ちょっと前に、そんなような心当たりがあるけど、秘密だ。
紫絡はスープの玉子をくるくると搔き回しながら。
「言われたくないことでも、言われなきゃ気づかないこともあるし、言いたくないことでも、誰かに聞いて欲しいこともあるよ。そういうのをなんとかしてくれるのって、結局、デリカシーに欠ける人、だったりしてね」
「……なるほど。」
深く、頷く。
今朝の件が、今の例に該当するかは、わからないけれど。
碧流もそんなようなことは考えていたはずだ。
ただし。
「ま、だからって、丸ごと信じて、なんでもかんでも口挟めばいいってわけじゃないけどね。タイミングとかもあるし。何を言ったのかは、知らないけど」
痛いところに、レンゲを突きつけられて。
「やっぱり、今度、謝ります。余計なことを訊いたのは、間違いないんで」
神妙に宣言する碧流。それに、紫絡はうむうむ頷くと。
「青華だって、本気で怒ってはいないだろうけどね。浅い付き合いじゃないんだし。何を訊いたのかは、知らないけど」
やっぱり碧流には目も向けず、デザートの胡麻団子に手を伸ばした。
碧流は、もう一度、朝の会話を思い出している。
青華は、東公にはなれない、と言った。
ならない、ではなく、なれない。だが、東公家であることは否定しなかった。
もちろん、東公家だからって、皆が東公になれるはずもなく。
であれば、なれないのは、むしろ当たり前のことなのかもしれないのだけれど。
そこには、青華の、深い想いが籠められている気がする。
などと、物思いに耽っていると。
ずい、と。目の前にセイロが差し出されて。
「一個あげるね。今日の碧流くん、珍しく少食だから」
中には、まだ温かい胡麻団子が一つ。
「あ。ありがとうございます」
ありがたく、碧流も手を伸ばす。
昼休みの初めには食べる気もなかった甘いものが、今は少し羨ましかったのだ。
一口、齧りついて、思う。
朝の話は、青華にとって、あの時に、聞いて欲しい話ではなかったのだろう。
また、いつの日か。聞いて欲しくなる時が来るのかもしれないし、来ないのかもしれない。
その時に、聞いて欲しい相手は、碧流ではないかもしれないけれど。それでも。
青華が、自分の想いを、誰かに伝えることができればいい、と。
そう思った。
「――――碧流くんて、卒業に合わせて告白するタイプだよね」
「へ!?」
唐突に、言われて。
そんなこと、考えたこともなかったけれど。
「……う〜ん。そうかもしれませんね」
まだ、学院生活は続いていくわけだし。
それもまた、いつかの話。