昼_馬車
翌朝。朱真は、朝食にも姿を見せなかった。
申し訳なさそうな侍女に控えられたまま、他人の屋敷で一人、もそもそと食事をするというのは、あまり楽しくない経験で。
何を食べたのかもわからないまま、碧流は食堂を後にした。
孔族の村へ行く乗合馬車は、朝に一本出るのみだ。手早く身支度をして、遅れないよう、早めに屋敷を出る。
今日も、抜けるような青空で、それがなんとなく、理不尽に思えた。
馬車は定刻通りに出発し、ぐわらぐわらと南を目指す。
乗合なので荷は載せず、荷台の両側にはベンチが向かい合ってぴっちりと並んでいる。今は、ほぼ満員状態だ。
孔族が多いのかと思っていたが、意に反して一人もいなかった。聞けば、大体の人は途中に回る町で降りてしまい、孔族の村までは行かないこともある、と言う。
走るうちに、景芝の街並みはすぐに終了し、車外は延々と続く草原となる。
珍しそうに眺めていると、どうせすぐに見飽きるさ、と笑われた。
「あんた、北の人かい?」
「はい。泰陽の学院生です」
隣に座ったおじさんに、学生さんかい、偉いねぇ、と感心される。
北厳国の生まれと勘違いされているだろうが、流族の村だって北にあるのだから嘘ではない。流族に縁のない南須国の人に、詳しい説明をしてもしょうがないし。
「孔族の村へ行きたい、なんて、珍しいね。研究かい?」
「いえ、知人がいるので」
これも、詳しく説明してもしょうがない。知人がいるのも嘘ではないし。
「へぇ、知人。男かい?」
「いえ、女性ですよ。同じ年頃の」
紅兎の年齢など聞いたこともないが、たぶん同じくらいだろう。
適当に答える碧流に、なぜかおじさんは顔をしかめて。
「孔族の、女かい? あんた、そんなんが好みか」
「え? いや、別に、好みではないですが。。。」
急に機嫌が悪くなるおじさんに、碧流が慌てて否定するが。
そこへ、向かいから笑い声が届く。
「気にすんな、気にすんな。そのおっさんは、孔族の女が苦手なのよ」
「苦手じゃねぇ! 嫌いなだけだ」
嫌い、ですか。しかも女限定で。
向かいに座る若い男は、年上のおじさんを、なおもからかうように。
「女はミルクのような白い肌じゃなきゃ許せねぇんだもんなぁ、おっさんは」
「馬鹿野郎! ミルクのように白く、しっとりと艶やかな肌、だ。忘れんな!」
そう言って、通路を挟んで笑い合う。
なんだ、じゃれてただけか。
「ヤダねぇ、男は。寄ると触ると、すぐに下の話になってさ」
逆側のおばさんがため息を吐く。呼びかけるとしたら、まだお姉さんと呼んでおいた方がいいかもしれない、微妙なお歳頃だ。
「て、あんたも男だったね。いいかい、あんなんになるんじゃないよ」
と、真顔で碧流を諭すが。
「何言ってる。女も抱けない男がロクなもんか」
言い返されて、やっぱり呆れ顔でため息を吐いた。
どうやら、この馬車に乗り合わせる顔見知りのようだ。住む村も仕事もばらばらだが、たまの景芝への往復にだけ、同じ馬車に乗り合う。それもまたいい関係だ。
「若い女なら、ロマンスの一つも生まれるんだがなぁ」
「乳のような肌じゃなくて、悪うござんした」
「あ、オレは日に焼けた方が好きだけど」
「若造は、こっちから願い下げ」
車内を、テンポ良く、軽口が飛び交う。
こういう旅も、賑やかで、楽しい。
「で、その孔族の子、可愛いのか?」
若造、もとい、向かいの若い男が訊いてきた。
碧流は、ちょっと考えてから。
「顔は、可愛い、と思いますけど」
正直、紅兎をそんな目で見たこともなかったが。
ふと、一昨日の夜が思い出されて、なんとなく申し訳ない気持ちになったり。
「ふ〜ん、怪しいねぇ」
目敏く、おばさんがニヤニヤ笑いを浮かべる。
「けっ、あんな馬みてぇな肌のどこがいいんだか」
おじさんはやっぱり不満げに。
しかし、若い男も負けることなく。
「歳の割に女を知らねぇなぁ、おっさんは。こう、月の明かりを照り返す、少し汗ばんだ褐色の肌。それを、こう、、、」
手振りを交えて、熱弁を振るう男。
そこへ、おばさんが妙に冷静な声で。
「抱いたことあんのかい?」
「……ないです。」
ま、そんなものか。
「南須国の人たちにとって、孔族との結婚、ってのは、アリなんですか?」
今のノリに乗っかって、思い切って訊いてみる。
三人は一様に、きょとんとした顔を見せてから。
「アリな訳ないだろうが、ナシだ、ナシ」
おじさんの反応は予想通り。
「おっさんのそれはただの癖だろうが。オレはアリだね。断然アリ」
若い男は想像だけで、鼻の下を伸ばしに伸ばす。
意外にも、一番真剣な顔で考えてくれたのは、隣のおばさんで。
「あんたのも癖だろうさ」
と、若者に軽くツッコんでおいてから、碧流へと向き直り。
「ウチも、家柄、なんてものを大事にできるような身分じゃないからねぇ。最初はそりゃ、戸惑うこともあるかもしれないが、だからって反対はできないよね」
どうしても、文化の違いはある。ともに暮らすとなれば、戸惑いはあるだろう。
だが、それを理由に、反対することも、否定することも、ない。
「なんだよ、旦那を捨てて、乗り換える算段か?」
「馬鹿。ウチにだって、年頃の息子の一人もいるんだよ」
またすぐに軽口に戻ってしまう三人を見ながら。
なんだ、それだけか、と。
碧流は安堵の笑みを浮かべる。
文化の違いと言うなら、孔族には限らない。食文化一つを取っても、央香国と南須国では違いがある。少なくともこの人たちにとっては、その程度のものなのだ。
杏怜に、いい報告ができそうだった。
「……懐かしいねぇ」
唐突に、そう呟いたのは、若者の隣に座っていた老人で。
「坊を思い出す。坊も、孔族の研究をする、と言っておったな」
思いがけない方向からの発言に、口を閉ざした三人は互いの視線を混ぜ合って。
「……ぼん、て?」
「……なんの話?」
「……たぶん、昔の話だろ。おい、じいさん。そりゃ、なんの話だい?」
おじさんに振られて、老人は、ほっほっ、と口だけで笑うと。
「昔の話だなぁ。十年か、二十年か」
遠い目をして、語り出す。
「その頃にもな、いたんだよ。孔族の研究をする、と言って、ちょくちょくこの馬車に乗っておった若い者がな」
「……ほんとに、若いのかな?」
「……じいさんに比べりゃ、誰だって若ぇだろうよ」
「……黙って聞いときなよ、ここは」
三人がぼそぼそしてるが、老人は気にせず。
「坊もな、よく馬車で乗り合わせた者に問うたものだ。孔族はどうなのか、孔族はこうなのか。だが、最後にはいつも、坊が一人で話しておった」
「……ヤな奴だな」
「……黙んなっての」
十年以上昔に、孔族の研究をしに、景芝から通っていた、若者。
そのキーワードは、碧流の心を引っ掻いた。
「すみません。その人は、どんな人だったんですか? その、髪の色、とか」
口を挟んだ碧流に、老人は嫌な顔一つするでもなく。
「坊かい? 坊は、紅い髪をしていたさ。紅家の跡取り息子だったからなぁ」
「紅家って!」
「金持ち、だよな?」
「金持ってるかは知らねぇよ。ただ、お偉いさんなのは間違ぇねぇ」
三人が沸き立つ。
それを他所に、碧流は俯いていた。
碧流は、その人を知っている。あまり良くない印象で。
だが。
「坊の話はな、みんなで楽しく聞いたものだ。あれは、楽しかったな」
やはり遠い目をしたまま、ふくふくと微笑うその顔を見ていると。
人の印象というのは、見る者や、見た場面によって、変わるのだ、と。
そんな当たり前のことが。
強く強く、感じられて。
「その人のこと、もっと教えていただけませんか?」
坊と呼ばれたその人の、碧流の知らない顔を、もっと知りたいと思った。




