夜_客室3
「紅信は即死だった」
慌てて抜いた槍の穴から、滔々と溢れ出してきたのだ。
赤い、赤い――――
「槍術試合に事故は付き物。試合はその後も続行されたが、オレは棄権した。というより、会場から逃げ出した、というのが正しいな」
より正確に言うのであれば、朱真は以降のことを覚えてはいない。
試合会場で見つからないために棄権とされ、夜に屋敷で見つかった、と聞かされた。
「オレは、何もする気が起きなくなり、酒を呑んでは、寝てばかりいた。そうしたら、学院に放り込まれた。紅義が朱家にへり下るようになったのも、その頃からだな。すべては、紅信という希望を失ったからだ」
淡々と語る朱真の顔を、碧流は無言で見つめていた。
その顔は、朱真には覚えがある。
紅信を殺してからしばらく、よく街中で向けられたものだ。
国中が自分を恨んでいる。その時はそう思っていた。
誰しもが期待を抱く、次代の南公を殺害したのだ。当たり前だ。
しかし、実際はそうでもなかったらしい。
槍術試合での、あの会話は客席までは届かないが、あの戦いぶりは、誰から見ても異常と思えるものだったようで。むしろ、よく殺されなかった、と、安堵とともに褒められたこともあった。どこまでが本心かはわからなかったが。
「紅信さんは、紅兎のお兄さん、だったのですか?」
考えをまとめていたのだろう。充分な間を空けて、碧流が口を開いた。
「腹違いの、な。紅誠が、景芝に残した、息子だ」
朱真も、それは後に聞いたことだった。
それまでは、紅誠の名も知らず、紅信の母親のことも知らず、ただ、紅義の養子なのだと、それ以上のことは考えてもいなかった。
「では、紅信さんが、孔族を嫌ったのは」
「父の話を聞いたのだろう。どこで、どう聞いたのかは知らんが」
誰かは知らないが、残された子どもを憐れんで、責任の所在を変更させたのかもしれない。孔族を、一方的な悪役にして。
「幼い頃に、紅信さんに襲われたのは、紅兎、ですよね?」
「たぶんな。確認してはいないが」
思えば、あの時も、紅義は紅兎を引き取ろうとしていたのだろう。しかし、紅信が逆上したので、果たせなかった。そして、紅信の死後に、再度引き取ることにした。それなら紅兎を引き取った時期も頷ける。母親をすぐに追い出して、障害がなくなったにしては、引き取るのが遅すぎると思っていたのだが。
「紅兎は、覚えているんでしょうか」
「さぁな」
年齢的には、覚えていない方がおかしい。
しかし、覚えているとすれば、再び紅家の養子になろうとするだろうか。例え、あの時の男はもういない、としても。
強すぎる衝撃や恐怖により、そういったことを忘れてしまう、という話も聞く。ひょっとすると、あの紅兎の強い拒否反応は、思い出せない記憶に繋がるものか。
――――いや。
そこで、思考を切る。
憶測を重ねても、何ら得るところはない。
碧流は、相変わらず、こちらを見つめていた。
「朱真は、孔族を助けようとしたんですよね?」
その瞳。考えていることは、手に取るようにわかる。
「違うな。紅信が、無辜の民を苦しめるところを、見たくなかっただけだ」
「結果的には同じです。孔族を守るべき民とし、その苦しみを未然に排除した」
その言い方は、不快だ。
「苦しみが来たとは限らない」
「限るでしょう。その、紅信さんの反応を見る限り。南公になるや否や、南征の軍を起こしてもおかしくはない」
碧流の論調は変わらない。それが、不快だった。
「そんなことはするものか。紅信は、きっと――――」
そうだ。朱真が嫌だったのは、紅信が愚公と呼ばれること。
民衆の期待を集めて即位したにも関わらず、真っ先に軍を起こし、少数民族を滅ぼす。そんな暴君には、絶対に、なって欲しくはなかったのだ。
「……紅信なら、きっと」
なのに、結局、朱真にできたのは、朱真が不安に思っていたものを、大衆の前にぶちまけただけだった。その目に晒して、民衆の期待を打ち砕いでしまったのだ。
結果、紅信という、南須国の歴史上に燦然と輝くべき稀代の公は、民の前に現れることなく、永遠に、その姿を隠した。
「朱真は、紅信を、変えたかった。救いたかったんですね」
孔族は、紅信から、もう何も奪ったりはしないのだ、と。
孔族を滅ぼしたところで、父母はもう戻っては、来ないのだ、と。
「朱真は、文武では、紅信に敵わないのかもしれません。でも、公に必要な才は、そんなものではない、と、僕は思いますよ」
立ち上がる。これ以上、紅信を否定する声は聞きたくなかった。
そのまま、座ったままの碧流の脇を抜けて、扉へ向かう。
「僕は明日、孔族の村へ行こうと思います」
朱真は一言も返すことなく。
静かに、扉を閉めた。




