がめついパイロット 生命の泉
ミシェルは娘のジャンヌに留守番をさせて薬草採りに出た。
仲間の魔法使いのペリーヌとともに森に入った。森は薬草の宝庫だった。
ミシェルもペリーヌも肩書は冒険者だった。
ペリーヌはまだ駆け出しで魔法を覚えている途中だった。
ミシェルは冒険者となって5年を超えている魔法使いだったが、初級の魔法しか使えなくて
低ランクから抜け出せずにいた。
同じパーティにいた盾役に見初められて結婚し娘もできた。
ここまではよかった。しかし、夫は冒険中に死亡し、娘と生きていくために復帰した。
幼子を抱えていては遠出はできない。もっぱら薬草取りが中心となった。
町の近くの森にはろくな薬草がない。しかも数が少ない。
豊かな自然に囲まれた生まれ故郷に戻った。
薬草を摘み保存して行商人に売る。買いたたかれるが、量が多いのと物価が安いために2人なら暮らしていけた。
村で暮らしていると稀に冒険者がやってくる。
森で自信を失いミシェルに教えを乞う冒険者もたまにいる。
ペリーヌもそんな1人だった。そんな彼女もそろそろ町に戻ることだろう。
もう基礎はばっちりで中級の魔法に移行できそうになっていた。
今までに5人の魔法使いが巣立っていた。
ジャンヌは最初の2人までは慕っていたが、やがて彼女たちがいなくなることを知ると懐かなくなった。
別れを繰り返すことに幼心は傷ついていた。
ペリーヌとも挨拶ぐらいはするが、話しかけることはめったにない。
村に同世代の子供がいないために母親にべったりだった。
ある意味でペリーヌはライバルでもあった。それもあって親しくなろうとしなかった。
ミシェルの近くにいることで薬草に詳しくなった。
村人のために薬を作ることもあり、見よう見まねで製薬の技術も身に着けた。
医者も治癒魔法が使える存在のない村では、少しでも薬に関する知識があるものは貴重な存在だった。
村としてもミシェルばかりに負担をかけられないので共同で高価な医薬書を購入した。
医薬書を片手に豊富な薬草で村の健康を維持した。
字が読めるようになるとジャンヌは医薬書に目を通すようになった。
まるで物語を読むかのように熱心に。
森に連れて行ってもらえないが、調剤の手伝いをするようになった。
めきめき腕を上げたが、本格的なものとはいいがたかった。
薬学の勉強をしたことのないミシェルに要求するのは酷だった。
ペリーヌが去る予定の前日に2人は森に分け入った。
2人はグリムスネークの群れに遭遇した。単独では恐ろしい魔物ではないが、群れると厄介だった。
初級の魔法しか使えない魔法使いでは足止めにしかならない。
氷の槍を並べて壁にして村人に急を知らせた。
村人が村長の家に退避し終わるまで援護した。
2人の頭からジャンヌのことは抜け落ちていた。
思い出したのは蛇が通り過ぎてからだった。
グリムスネークはミシェルの家に染みついた薬草の臭いを避けていた。
ほっとしてミシェルは腰が砕けた。ペタンと座り込む母親に、「ママどうしたの?」
「何でもないのよ」娘を抱きしめた。
2人だけの生活に戻りしばらく経った。
薬草がたくさん生えているためか強力な魔物はめったに現れない。
だからこそ冒険者が訪れることも少なくなる。
町から遠いので初心者は来にくい。村に到着するまでのほうが危険が多い。
逆をいえば危険な魔物が出現すると村は全滅するかもしれない。
ミシェルはいつものように森に入った。魔法の研鑽はもう放棄していた。
いくら頑張っても伸びることがない。限界を悟っていた。
森で見慣れない木を見つけた。柳のように枝が垂れ下がっていた。
ミシェルより少し高いぐらいだが、幹がミシェルぐらいの太さがあった。
形状は人によく似ていた。まるで髪の毛の長い若い女性のようだった。
すべての枝がてっぺんから生えていた。天に向かって伸び、途中から垂れていた。
初めての植物は一部を採取して家で確かめることにしていた。
薬になるかもしれないからで単純な好奇心というわけではなかった。
木が薬になることはあまりないが、花や実が薬に適していることはある。
当然食べられるかもしない。一つ腑に落ちないとすれば、ここまで成長する前に発見できなかったことだ。
垂れ下がっている枝に手を伸ばした。風もないのに動いた。
枝のようだが蛇の頭のようだった。伸ばしかけた右腕をひっこめた。
すでに遅く1本の蛇に噛まれた。驚いて尻もちをついた。
ポシェットから自家製の薬を取り出し傷口にかけた。
1匹の蛇が枝に見せかけていたのではなくすべての枝が蛇の頭になっていた。
ずりずりと後ずさる。蛇は追ってこなかった。幹に固定されていた。
立ち上がり一目散に逃げた。村長に事情を説明し、森の一角を紐で囲った。
もっとも森の奥まで入り込む村の住人はミシェルぐらいだが。
同時に似たような気を見つけたら近づかないようにと警告した。
帰宅してもう一度自家製の薬で傷口を消毒した。
傷口周囲の肌は弾力をなくし石のように固くなっていた。
硬い部分は広がっていった。右腕が動かなくなった。
肩が固定され、右半身が重くなるのに3日とかからなかった。
石像になることを覚悟し手紙をしたためた。左手ではうまく書けず、何度も書き直した。
ついに起き上がれなくなった。娘のことだけが気がかりだった。
石になってしまえば一人だけ残されることになる。
村には兄夫婦がいるが、兄のモーリスとは絶縁関係だった。
金に汚いモーリスはミシェルの金を狙っていた。
モーリスには子供が4人もいて食べさせるのに苦労していた。
薬草や簡単な薬で貯えのある妹から理由をつけてはせびっていた。
帰省した当初は世話になったこともあって助けていたが、度重なり、まったく返そうとしないことに
腹を立てて一切応じないようにした。
モーリスも意趣返しのように嫌がらせをしてきた。
娘だけになれば財産を奪うことは明白だった。
ミシェルの全身が石化した朝、ジャンヌはある冒険者パーティとともに出発した。
勘づいていたが母親の希望に従って都を目指した。
都にある王立薬師院の院長室にジャンヌはいた。
院長のアルセーヌはミシェルの手紙を読んだ。
神官のアルセーヌはミシェルが一時期在籍していたパーティに属していた。
冒険者の魔法使いとしては使い物にならないと判断したアルセーヌはミシェルに幾度も引退を勧告した。
一度も聞き入れることなくパーティを去ったミシェルを気にかけ、陰ひなたなく支援していた。
ミシェルに亡き恋人を重ねていたのかもしれない。
ミシェルを小さくしたようなジャンヌに驚いた。
頼ってきたからにはなにがしかの援助をしようと考えた。
手紙を見て考えが変わった。「ジャンヌはどんな薬師になりたい?」
「ママ、いや母の病気が治せる薬を作りたいです」
アルセーヌは腕を組んだ。「状況からするとメデューサの毒による石化と考えられる。
残念ながら対応する薬はない。それでも作るのかね?」
「母は無理でも人を助けられます」目には強い決意があった。
院長とはいえ、国の機関であり勝手に入学させられない。
強引ではあったが中途入学の試験を実施した。
試験内容は薬師となるための基礎知識を問うものだった。
ジャンヌの年齢は9つであり、入学するには早すぎるくらいだった。
2、3年初等教育を受けてからでも遅くはないが、アルセーヌの勘は入学を勧めていた。
前代未聞の試験が口頭による問答として実施された。
アルセーヌは問題の作成に関わらず、審査官にもならなかった。
見物人として試験を見守った。もっとも試験に興味を抱いたものは1人としておらず、
見学したのはアルセーヌだけだった。
問いにすらすらと答えていく。10歳前の幼女ではありえなかった。
カンニングも何もない。服すらも直前に学院が用意したものに着替えていた。
正解なのだが今となっては古い回答もあった。
それは最新の知識を修める学院だからであって、世間一般であれば古いとは言えない。
授業に十分ついていける知識があるとして合格となった。
最年少の学生となったジャンヌは寝食を忘れて勉学に励んだ。
座学だけでなく製剤や調剤にも積極的に挑んだ。
魔法の才能はなかったが、母親譲りの膨大な魔法力を薬に注ぎ込んだ。
力技ではあったが、薬効と魔力の融合により新たな薬となった。
これまで魔法と薬は別のものだった。誰も1つにしようとしたことがなかった。
さすがに死者を蘇らせるとか、失った四肢を生えさせるなんて芸当はできなかったが、
救われた命はおびただしかった。
それだけの業績を在学中に成し遂げていた。
だが卒業時の席順は2位だった。1位ともなれば王宮付きの薬師に無条件でなれる
貴族からの横やりによって成績が捻じ曲げられた。
王宮付きでなくとも成績が上位なものは薬師は高給で貴族に雇われる。
優秀な薬師と治癒能力者を揃えれば自分や家族だけでなく、家臣団にも安心感を与えられる。
安心して働けるのであれば有能な人材を集めることもできる。
ところがジャンヌにはまったく求人がなかった。
ジャンヌは全く気にしていなかった。それどころか研究が続けられることに胸をなでおろしていた。
様々な暗躍があったようだが、学院もジャンヌを手放すつもりはなかった。
新しい魔法薬の開発に期待していた。そのため研究費を大盤振る舞いした。
ジャンヌにとって石化の対抗薬を作ることが第一目標だった。
だがいくら魔法薬を製造しても目的には程遠い。
初心に戻って薬の材料の再調査を開始したのは50を迎える数日前のことだった。
とてつもなく古い文献に『生命の泉』という地名を見つけた。
湧く水を飲めば死者すら蘇るという。死人に水を飲ませる方法は記載されていなかったが。
『生命の泉』を探させたがはかばかしくなかった。
伝説として処理しようとしたときに案内人の噂が耳に入った。
藁をも掴む想いで商人ギルドに出向いた。
薬のことだけに特化したジャンヌにしては珍しい行動だった。
案内人に『生命の泉』への道案内を頼んだ。
「いくら払えますか?」ジャンが切り出した。
「金貨50枚くらいならすぐにでも」研究費は学院持ちだし、薄給であっても金を使うことのない
生活をしているために結構貯まっていた。
すべての条件を呑んだジャンヌは周囲の猛反対を押し切って3日後に旅立った。
周囲すべてが白く閉ざされていた。ジャンヌはジャンの手を握りしめて半歩遅れていた。
小柄だったのに加齢による運動機能の低下により歩幅が狭くなっていた。
ジャンがカタツムリのようにのろのろとしていなければ置いていかれるところだった。
足元も雲が流れているようで確かな感触はあるのに雲上のようだった。
どのくらい歩いたのか感覚がマヒしてきた。
目はだいぶ弱くなっていたが、鼻も耳も達者だったのに信用できない。
ジャンの手がなければ迷子になってしまいそうだ。
ジャンの足が止まるとわずか1m前にこんこんとわきだしている泉があった。
ここはどこかと問いかけて口を閉じた。条件の一つを思い出した。
ポケットにあった小さな瓶に水をほんの僅かしゃがんで汲んだ。
効能を確かめるために口に含みたくなるのを我慢した。
ゆっくりと立ち上がった。泉を見つめた。
湧きだしている箇所しか見えない。広がるはずの水がない。
ジャンが肩に手を置いて促した。惜しむかのように一瞥して立ち去った。
囲んでいた霧が晴れたかのように色が戻った。
ジャンヌは研究室にいた。泉に行った証拠は一滴の水だけだった。
これまで研究してきた野草や魔物の部位を溶かした液体に『生命の泉』の水を加えた。
普通の水の場合と違った反応はなかった。
田舎から運んだ母親の石像にふりかけた。
硬さがなくなった。肌に弾力が戻った。胸が上下した。やがて置きだした。
ミシェルは娘よりも若い姿で復活した。ジャンヌから薬学を学び、国中へと広げた。