史上最低のカノジョ
2 0 1 5 年 6月16日 晴れ
梅雨の時期には珍しく、一週間晴れの日が続くいつもの日。
一時間目にはあったはずの俺の机が、席を外した十分の間にグラウンドに落ちていた。
流石に投げ飛ばしたとは考えられないし、二階から校庭に移動させる無駄な労力はすごいと思う。ご丁寧にカバンの中の物が机にぶちまけられている。これらは初めてのことで驚いた。
机も椅子もその場で立て直しその場で座る。そうして机に肘を付いて校庭を眺める。ただただ眺める。
校庭の乾燥と熱気。
流れの速い雲の影。
踏まれて乱れた白い線。
こんなもの見詰めていては貴重な高校生活を浪費している訳で、勿体無いと思う人がいる。でもこの無駄行為すらも貴重な高校生活でしか体験出来ない事だと俺は主張したい。
こうして他クラス他学年の体育の授業をまじまじと見ていられるのもあと一年ちょっと。
限られた期間の──今しか出来ない事をしようとするのは誰にだってあることだと俺は思う。
授業が始まったのか、二階から響いていた俺に向けた笑い声や
「アイツ、やっぱ飽きねぇわ。」
「まじ、どんだけ破天荒なんだよ。」
という声が消え、代わりに教師の怒鳴り声が聴こえてきた。背を向けている状態の俺は聞こえていないフリをしてやり過ごす。
俺みたいな生徒はほっといて勝手に授業を続けてればいいものを。じゃないと俺の所為でクラスの皆に迷惑をかけているみたいになる。それは不本意だ。
人生のたった三年間だ。何かに縛られるのは嫌だしこの青春をどう使おうと俺の勝手だ。自己責任だし問題はなし。
やがて、怒鳴る先生の代わりに俺の前にやって来たのは、そこで授業を受け持っていた体育の黒田だ。
状況的に俺に声を掛けざるを得なかった可哀想な教師。どちらもいい思いはしない訳だから、放っとく訳にもいかないものか。
「円道お前、そこで何をやってる。」
「僕は僕の机がここに用意されてたんで、ちゃんと座って出席しているだけです。」
「お前、いじめらてるのか?」
驚いた。
教師という立場の人間が最も遠ざける単語をいの一番に聞いてくるとは。
怒られる気でいたが、本気で心配した眼をこちらに向けてくる。
今まで気付かなかったが黒田先生はその辺の教師とは違う──生徒を第一に考えてくれる先生なのかも知れない。もしくは思った事がすぐ口に出るタイプ。後者なら教師としての人生は長くは続かなそうだ。
「いじめってよく、いじめる側、じめられる側って言いますけど僕はそうじゃないと思うんです。教師からして見ればいじめの本質とかどうでもいいわけだからそう括っているだけかも知れないですけど実際には『いじめる側』と『いじめに加担させられてる側』しか存在しないと思うんですよ。いじめられるのが怖くて傍観しているだけの人達も、いじめ自体を止められないから一種の加担させられている側で、僕はそのどちらでも無いので『いじめられている』とかじゃないんです。精神的苦痛を優先させる今時のいじめと比べたら机をグラウンドに持ち込むぐらい、可愛いもんです。寧ろ、十分休みの時間にせっせとグラウンドに机を運んだ生徒達の、青春を謳歌してんのか何なのか良くわかんない無駄な努力に賞賛を送りたい気分です。」
「……やっぱり、教室には戻りづらいんだな。」
見抜かれた。
「二時間目だけはこの体育の授業の見学って事にしておいてやるから。担任にはその事、お前からちゃんと伝えておけよ?」
「そんなこと出来るんですか。」
「分からん。やっぱり保健室で休んでいたことにするか。保健の先生には俺から話しておくから安心しろ。」
後者みたいだ。いや、この場合前者でもあるのか?
「黒田先生って変わってますよね。」
「いやお前には言われたくないぞ。」
わざわざ学校に来る必要もないと思っていたけど、最後の最後に利のありそうな情報が知れて良かった。
有益だったかどうかは今後活かせるかで決まる。
次回は黒田先生ともっと早く話してみよう。何かしらの糸口になってくれるかも知れない。
カバンを持って席を立つ。
「おいっ! 何処行くんだ? 保健室はあっちだぞ。」
「今日はもう帰ります。僕、黒田先生のこと忘れませんから。」
「なんだ今生の別れみたいな事言いやがって。気を付けて帰れよ。明日からは気持ちを新たに学校に通えな。」
これ程の教師の鑑に、何故一度も会って来なかったのだろうか。
最後にそんなことを思いながら黒田先生に頭を下げて校門を出た。
結局、今日で明日が終わる。挨拶なんかしても気持ちも残らない。
明日が今日になることはもうないのだから。
*
ジリリリリと鳴る目覚ましの音で目が覚めた。
止めた後でまた寝ることがないように、勉強机に置いた目覚ましを止めに歩く。
鳴りやんだ目覚ましを見て思わず持ち上げた。
針が狂っている。正確にはデジタル時計なので針は無いし時間も狂ってはいない。
時間と一緒に表示されている日にちが、6月17日になっている。
6月16日の次の日が6月17日になっている。何事も無いように平然にだ。こんな事があっていいのだろうか……。
自分の部屋から着替えもせずに駆け降りて、一階のリビングに滑り込んだ。
「母さん! 今って西暦何年の何月何日!? 」
「何よ急に、ちゃっちゃと着替えてご飯食べちゃいなさい。」
「お兄ちゃん、また夜更かしして映画みてたでしょう。それもタイムトラベル系のやつ。」
「別に寝惚けてる訳じゃないんだよ! 本気で教えてほしいんだ!」
「それじゃ、行ってきます。」
「鍵、頼んだわよ。」
「「行ってらっしゃい。」」
忙しい朝は構って貰えず両親は颯爽と出勤。
残った妹もトーストに齧り付いたまま怪訝な目を向けてくる。
「本気なんだよ!」
「スマホで確認すればイイじゃん。」
「直接聞きたいんだ!」
「……今は、2015年の6月17日ですっ。コレでいい訳? 」
「やっぱり……。なんでだ……黒田先生にあって、何かしらのフラグが立ったのか……?」
「じゃ、あたし先に出るから、鍵よろしくね。」
「って、もうこんな時間か!」
時刻はいつも家を出ている時間に差し掛かっていた。
朝食を急いで済ませ、制服に着替え家を出る。おっと戸締りを忘れるところだった。
とりあえず考えるのはやめだ。思考を放棄して学校に向かう。
ギリギリで間に合った。
*
教室に入るとラクガキされた机が俺指定の位置にしっかりと置いてあった。青空教室では無くなったので学生の本文として授業を受けていく。
古文、数学、世界史、英語、どの授業を受けてもそうだ。俺の知らない内容に入ってる。それが当然とばかりに新しい部分を先生達は教えている。
その辺の単元をやったのはもはや、体感で三年くらい前の話だ。
取り残されていた俺には付いていけるはずも無い。
これはもう間違いない。昨日が終わって今日がやって来たのだ。
今日がいつまでも経っても今日のように、明日が明日であり続けて昨日が昨日に変わっている。
どうしてこうなったのだろうか。
一度目は二度目が来るなんて知る由もなく、二度目は理解するだけで何も出来ずに時間を取られた。三度目からは色々と脱出方法を模索して、五度目以降はアプローチを変えて四苦八苦しながら色々なイベントを起こしてみた。
それでも何をやってもダメだと悟った八度目に、好き勝手な生き方をしてみた。半分自暴自棄だったから変なやつだとからかわれて、最後の日に机を捨てられた。それが昨日のことだ。
どうしてこのタイミングなんだ……! この回で抜け出しちゃったら、昨日の校庭での俺とか完全に変人じゃないかぁ!! どんな顔してクラスに溶け込めって言うんだよぉ……!
どうすればいいんだ。優等生だった頃じゃなくていいからせめて、平凡だった頃の俺を返して欲しい……。
破天荒過ぎる自由人をやってきた今回の俺が、果たして普通の生徒に戻っても友達は出来るのだろうか。
いや、この際友達は出来なくても仕方がない。せめて平穏な学生生活を続けられたら……なんて、甘い考えだろうか。
残りの高校生活がたとえ地獄だとしても一年とちょっとで終わるから耐え抜けばまだいい。まだ、な。
問題は卒業すら危ぶまれているという事だ。二年生になってからまともに授業は受けてきてないし、出席日数すらギリギリを攻めた。
これから先の人生もヤバそうだ。残りの時間で軌道修正は可能なのか。もう一度俺にチャンスはあるのか。
どれだけ考えても答えなんて、恐らく用意されていない。
気づけば放課後。朝ごはんはかきこんで来たのにふらふらする身体を無理に起こす。
校舎玄関口から正門にかけては色んな連中に絡まれることが多い。
なので、別棟を通って裏口から帰ることにした。
「ねぇ、円道くん。」
別棟と本棟を繋ぐ渡り廊下を渡りきろうというタイミングで声が掛かった。最近の俺であれば無視するのだけど、その声には思わず反応して振り返ってしまった。
「私、同じクラスの春先はるかって言うんだけど、分かる?」
「春先さん……?」
春先はるかさんを俺が知らないはずが無い。八度も同じクラスになった仲だ。
男子の選ぶ一番可愛い女子ランキング一位であることから、Fカップ、足のサイズが24.5センチという所、俺とは比べものにならないくらいの秀才であることも把握出来ている。
遠くから見ているだけしか出来なかった学校のマドンナ的存在にこうして話しかけられるようなイベントは過去に一度も起きなかった。何故よりによってこんな最悪な日なのか。
平凡でも、優等生でも、破天荒の自分でも遠い存在だと感じていた彼女に話しかけられている。それだけで呼吸が速くなり熱が上がるのを感じる。
「……どうしたんですか?」
「黒田先生からここに居るってきいて、話があって来たの。」
春先さんは僅かに肩を上下させている。急いできたのだろうか。
「学校っていう、規律や規則に縛られる小さな社会であっても自分を貫く姿勢を変えない円道くんから、最近目がずっと離せなくてね。その、私、もっと近くであなたを見ていたいと思ったの。」
「俺を……ですか?」
確かに、自分を貫いていたとは思う。ギリギリの範囲で好き勝手やっていたのは本当だから。
八度目にもなれば周りの目を気にしたり、意見に流されたり、評価をいちいち気にするのが馬鹿らしくなる。
だからそうした。だからこうなった。
一周目では絶対に選ばなかった選択肢だ。
「キミは周りに流されないよね。」
「俺の時間を流したのは……もしかして春先さん……?」
「え? ふふっ。こんな時でも自分ペースなんだね。」
春先さんに誤魔化している様子はなく、楽しそうに笑顔を見せた。
「俺は、春先さんが思っているような」
「──円道くん、私とお付き合いしてください。」
これまでの八度のことや、そこから脱出できた今回の謎もたった一言でどうでも良くなった。
それでも、簡単には応じられない。
「春先さん、俺は春先さんが思っているような人間じゃないです。ああやって、自分を貫き通すようにしてたのも、やる事成す事上手くいかなくなって、ただ自暴自棄になっていたからそうしていてだけです……。」
「それでも、そうやって生きてきた円道くんは今私の前に居てくれてる。」
「春先さんが褒めてくれたような生き方を、俺はもう出来ないかもしれないです。」
「何者にも左右されない円道くんを私が憶えているから大丈夫。」
「俺と付き合ってるって周りに知られたら、今度は春先さんがいじめの標的にされるかもしれないですよ……。」
「円道くんがいじめられるようになったきっかけは他の子を助けたからだって私は知ってるよ。きっとキミなら助けてくれるから心配はしてないよ。」
「今の俺は、学校を卒業出来るかも分からないんだよ……?」
「やっぱり周りの目が気になるとは言わないんだね。」
「それは今更だから……。」
「勉強なら私が教える、将来もきまってないなら、私も一緒に考える。一緒に進んでいける。」
「どうしてそこまで……。」
「私の傍にいる円道くんには今以上にたっぷり幸せでいて欲しいから。」
「春先さんが幸せじゃ無かったら意味が無いよ……。」
「これはあなたから学んだ折れない精神っ! 曲げない根性ぉ! だからね。円道くんがオッケー出してくれるまで私は……諦めたくないかな。」
「……。」
「もう一度聞くね。円道くん、私とお付き合いしてください。」
一番伝えたい事が伝えられなかったけど、覚悟を決めるしかない。
「……こ、こちらこそよろしくお願いします。」
取り返しがつかないほど史上最低の日に彼女が出来た。
それからの俺は無事に高校を卒業し、一緒に同じ大学に進学し、就職し、はるかと結婚した。子宝にも恵まれ、孫にも恵まれ、たっぷり幸せにしてもらった。
だからこの遺言状にはあの時、伝えられなかった言葉を書き綴ろう。
『俺は一度目からキミが好きだった』と────。
それともう一つ、史上最高の彼女の為に生涯をかけても解明出来なかった謎を贈ろうと思う。
2014年6月16日から交際記念日前日の2015年6月16日までの一年間を、俺は八度も経験したんだ。ウソのような出来事だろうけど、そのループを抜けた次の日に俺はキミと話すことができた。どうやら俺が生きてるうちに理由が解明される日は迎えられそうにないのだけど、あの八回がなけばキミに逢えなかっただろうことを、キミに知っておいて貰いたい。
ただ、それにあたって、誰だか大事な人を忘れている気がするんだ。キミは憶えているだろうか? 大切な誰かを。
ご愛読ありがとうございました。今回が短編初投稿になります。
まだ、不慣れな点も多くこれから先の文章力向上の為にも感想や質問などどんな評価でも構わないので頂けると嬉しく思います。
これからも頑張りますので応援よろしくお願いします!