第7章 逃避
──“人造人間”だ。
父さん、そして白鷺さん以外の人間からその言葉を聞いても、私には同じに聞こえなかった。
いや、正しくは、同じ“意味”には聞こえなかった。
父さんたちの言う“人造人間”は『国家が人口増加を見せかける為に造り出した、人間そっくりの機械』のこと。
たった今、誰かが叫んだ“人造人間”は、
『早く逃げろ』だ。
気がつくと私は父さんに腕を掴まれ、いつぞやのように、彼と共に逃げていた。
一歩一歩踏み出すたびに、傷ついた脚に鋭い痛みが走る。
幾度となく、立ち止まりたいと思った。
けど、立ち止まってはならない。
その理由は、私たちの背後にあった。
先刻、怪我を負った私と、その父親──を演じる男──をまじまじと見ていた人間たちが、動死人のように、群がって追いかけてきていた。
彼らが追いかけて来る理由、それは知っている。だがこの瞬間、それを改めて考えると、人間とは実に恐ろしくて、愚かな生物だと思わされる。
『──本日正午、警察庁は、“人体番号”、NHFW-1000に懸けられた「謝礼金」の額に、500万円を追加することを発表しました。
昨年、2110年5月に、“人造人間”である金子 結由さんが返還されて以降、見つからなくなった彼女には、捜索依頼が出され続けていましたが、
同年8月、NHFW-1000の所有者、皆木氏同意の下、本来、皆木氏に譲渡されるはずであった「謝礼金」を情報提供者に与えることを、警察庁が発表しました。
当初の金額は140万円ほどでしたが増額を重ね、500万円を追加した後は1250万円となります──』
軽トラックに備え付けられている小型テレビで放送されていた特集を、他人事のように観ていた時のアナウンサーの抑揚の無い声を思い出した。
私の首には今、1250万円が懸かっている。
私は、歩く1250万円なのだ。
動物が目の前にぶら下がっている餌を追いかけるのと同じく、
今、私と父さんを死に物狂いで追って来ている、見ず知らずの彼らは、
1250万円を勝ち取ろうとしているのだ。
さっきまでの心配や哀れみを持った目は、彼らの中には無い。あるのは、
物欲、それだけだ。
「よし、もう直ぐトラックだ……!」
父さんが言う。彼の言う通りトラックの姿が見えて来た。
だがここに来て突然、
私の脚に、激痛が走った。
「……痛った……ぁぁっ!!」
木製の棒をへし折るように、私の脚を誰かが折ろうとしているような、そんな痛みだ。
「おい、大丈夫か!?」
父さんは、痛みでうずくまる私を無理に連れて行こうとせず、その場で止まってくれた。
「う……うん、大……丈夫……!ぐぅぅっ……!」
傷が、疼く。
全然、大丈夫じゃない。
「とにかく逃げよう……!背中に乗れるか?」
追いかけて来る人々を気にしながら、父さんはしゃがんで、私に背中を向けた。
激痛の中、私は必死に立ち上がり、彼の背中に乗った──というより凭れかかった。
彼は私の身体を背負い、そして走り出した。
その努力のお陰で、動死人たちに捕まることなくトラックの下に辿り着いた。
しかし次の瞬間、それは起きた。
トラックに乗り込む際に、偶然残ってしまった右脚の足首を、動死人集団の先頭にいた女が掴んだ。
まるでそれを、“命綱”だと言わんばかりに。
「ぐぁぁぁぁっ!」
私は、今までにあげたことのないような悲鳴を出してしまった。
足をバタつかせようとするが、思うように動かない。辛うじて動かせても、そうすればするほど握力を強めてくる。
「ぐっ……!うぅぅぅ……あぁ……!!」
『助けて』という声も出せない。
けれどその意思が伝わったのか、父さんが、
「オレの娘に何しやがるっ!!」
と掴んでいた女性の手を弾き、同時に腰の骨辺りを蹴り、飛ばした。
「大丈夫か!?と、とにかく早く乗れ!」
と彼は私の足を優しく押し上げた。
車を降りる前まで、暑いとか暇だとか思いながら優雅に座っていたあの助手席に、まるで倒れ込むように乗り込んだ私。
気がつくと、父さんは運転席に座って、キーを回していた。
私もなんとか座ると、
「しっかり掴まってろ」
と、5年前と同じ無理難題な注文を私にしてから、ペダルを折るくらいの勢いでアクセルを踏んだ。
軽トラックとは言え、重装甲の車を前にした動死人たちはただ、
迫り来る車を回避するしか、なす術が無かった──。
「すまんがコレを巻いてくれ。コレくらいしか、包帯代わりになるものが無くてな」
そう言って運転をしながら彼が差し出してきたのは、雨天時に荷物が濡れないようにする為の、布製のタオルだった。
「……ありがと」
今度ばかりは照れなんぞこれっぽっちもない。ただあるのは、素直な感謝の気持ちだけだ。
タオルをくるくると巻き始める。
傷口に触れるたびやはり痛みを感じるが、先ほどまでではない。
これから見るに、私の自然治癒力は高いのであろうか。
そんなことを考えていると、トラックに備え付けられているコンピューター、“車仕執事”に一本の電話が。
発信元は『白鷺 京助』だった。
「もしもし!」
私は応答した。
『その声は希良梨か!よかった、無事なんだな!』
白鷺さんの声にも、焦りの色が窺える。
『“電脳掲示板”をたまたまいじっていたら君たちの顔が挙がってな。焦っているうちにいつの間にかトピックに挙がって、思わず電話したんだ』
“電脳掲示板”とは、その名の通り、ネット上にて公開されている、誰でも書き込み自由な掲示板である。
「うん、大丈夫!今、父さんと逃げているところだよ」
『車は追いかけてきていないか!?』
バックミラーを見る。案の定ではあるが、数台の車が追いかけて来ている。
一般車も走っているのに、この父さんのドライビングテクニックに付いてくる人もいるのだな、と、感心すらしてしまう。
「来てるよ、けど撒けば……」
『いや、もう遅い。たった今、君たちの乗るトラックのナンバーを確保された。車種まで載せてやがるヤツもいる』
「ウソ……!?」
と、思わず失望の声が漏れた。
「“空高速”に逃げるか……?」
父さんの言葉に、この時の私は何故だか過敏に反応してしまった。
「ダメよ父さん!いくら私たちを追いかけて来ているからって、危険な目には逢わせたくないでしょ!?もう特定もされているんだし、一般車道を走るしかないよ!」
ここ最近では珍しい私の激しい反論に、父さんはややたじろいでいた。
『希良梨の言う通りだ。出来ればしたくないが、致し方ない、車を乗り換えるしかなかろう』
「そんなことでどうにかなるのか!?」
父さんが問う。
「もうオレたちの顔写真もあるんだろう、どうせ!だったら乗り換えたところで、顔を特定されて終わりだろう!?」
『いや、オレに考えがある』
冷静に聞こえる白鷺さんの声は、何だか怖かった──。
──本当は綺麗なはずなのに。
夕日の差し込む海は、オレンジ色に輝いて、光の道が出来ていて……。
とかそんなロマンチックな光景を悠長に見てはいられない。
海岸線なんて滅多に走らないから、出来ることなら缶コーヒーでも握って一服したいけれど、
後ろからは、しぶとく車が付いて来る。
途中、何台か事故を起こしていた。
何も知らずに、ただ走っていただけの一般車も含む5台を巻き込んだ玉突き事故。
急カーブの存在する地点で、曲がり切れなかった車は横転。
それに巻き込まれた車はスリップ。反対車線に飛び込んで、渋滞を作り出した。
それもこれも皆、1250万という大金に惑わされた人間が生み出したもの。さらに言えば、
私が作り出した、“迷惑”……。
いや、ネガティヴに考えるな、私……!
私がこんな調子じゃ、父さんはもっと……!
「大丈夫か?希良梨」
その思いが伝わったのか、不意に父さんは声をかけて来た。
「……う、うん、大丈夫だよ?血も治まってきたみたいだし」
私は別に訊かれてもいないことも混じらせながら返した。
「そうか、なら準備万端だな」
万端、ではないが、まあそういうことにしておこう。
「もうすぐ、アイツの言う“港”だ……!“例の計画”を成功させるには、行動速度が何より重要と見た……!身体のコンディションも、重要だが」
「……うんっ!」
と私は応えた。
先刻、白鷺さんが提案した“計画”。
その中身はこうだ──。
──数キロメートル先に大きな“港”がある。そこは国内でも有数の交易港なんだが、今日は幸いにも木曜日。
国内の大手自動車メーカーの輸出用の大型船が来るはずなんだ。ここ数日、太平洋に大きな天候の乱れは見受けられないようだしな。
そこでだ、これはかなり危険だが、そこにいる男なら簡単にやってのけられることだ。
その船が出港する時間ギリギリに船内に乗り込んで、軽トラを降りて、その中から選ぶんだ。
なるべく船の外側に近い所の車にしろよ。
そこからの計画につながるからな。
そこからは説明せずとも、
その男がやってくれるだろう──。
何故この人はいつもこう語尾を濁すのだろうか。
と思いながら隣を見ると、
「なるほど、そう言うことか……!」
と計画の次の段階を理解して、ニヤつく父さんがいた──。
「さて、最後の問題だな。この鬱陶しい車をどう振り切るか……」
サイドミラーで後ろの様子を確認すると、彼はこう言った。
「また急カーブ?」
私は軽い気持ちで言う。
「いや、そうなるとオレたちの車も入船に手こずっちまう。船の搬入口は狭いからな」
こう言うところはこちらの考えていることを見透かさないのは、彼の良いところなのか否か。そんなこともたまに考えてしまう。
「……仕方ない。一か八か、あの方法で行くか」
一か八か……!?そんな決まるかどうかあやふやなやり方……!
そう口に出そうとしたが、時すでに遅し。
車体は、もう入船口の目の前だった。
その時、彼が行ったのは、
急ブレーキをかけるでもなく、
ハンドルを勢いよく切るでもなく、
その両方だった。
否、正しくは、前者は一瞬、後者は継続的だった。
彼はドリフトで、急旋回したのだ。
それを成功させるなんてなかなかの確率だ。これが一か八か、だったのか。その刹那の私はそう考えていた。
けれど甘かった。
彼の言う“一か八か”は、そこではない。
そのドリフトで急旋回している間に、
トラックの車体に、一台も車がぶつかってこないかどうか。
そこである。
それは別に教えられたわけでもなく、
自分の身でひしひしとそれを感じ取ったからである。
乱暴に振り回される中、私の瞳が捉えたのは、ウインドウの向こうで、
その動きに驚いたあまり避けてしまい、そのまま通り過ぎて行く車たちと、
その中の運転手が、私を、
目がひん剥けるのではないかと言うくらいの目つきで、睨んでいたところだった。
しかしそのまま彼らの車は、自らたちのみで、
盛大な事故を起こした。
これにて、直近の追っ手はいなくなった。
「よし、船に乗り込むぞ」
旋回が終わると、何事も無かったかのようにそう言う父さん。
本当にこの人、ただの警察官だったのか。
そんなことを毎度疑ってしまう、今日この頃である──。
──船内は、まさに“一寸先は闇”状態だった。車一台が通れるかどうか、といった大きさの窓から差し込む僅かな光が頼りで、つまり夜になってしまっては身動きも取れなくなってしまうかもしれない。
……ん?ちょっと待て。
“車一台が通れるかどうか”の大きさの窓……。
そして白鷺さんの言葉、
なるべく“船の外側に近い所”にしろ……。
…………!!
まさか──!
船の窓を突き破って、この高さのある場所から飛び降りる気……!?
だったら無茶にも程がある。
後続の車を絶つために、敢えて出港時間ギリギリに船内に乗り込んだけど、それはこの作戦の危険性も意味している。
出港してしまった船から飛び降りて、海に放り出される、危険性を。
それに仮に道路に着地できたとして、その後はどうする?
誰も所有していない車だから、ナンバーは付いていない。だから車ナンバーでの指定は不可能だ。
だがそんなデジタルでない方法でも充分判別可能な状態になる。
こんな高さからアスファルトの道路に着地すれば、間違いなく車体は損傷する。スクラップの手前くらいに。そんなんじゃ結果同じだ。
以上の理由から、私はこの作戦を取りやめることを推奨したい。
けれど推奨したところでどうする?ここまで来てしまったんだ、逃げないままだと、いずれ見つかるか、このまま乗って別の国に渡るかのどちらかだ。
出国したところで、国際指名手配同然の私に逃げ場はないが。
「おい、何してる。早く行くぞ、出港まで時間がない」
父さんは言いながら車を降りる。やはり私の考えた作戦通りなのだろうか。
まあひとまず彼に付いて行くことにしよう。
“腕取付型携帯電話”に内蔵されている懐中電灯で、辺りを照らしながら進む父さんと私。
昔──まだ皆木 姫花だった頃──。
父──皆木 和真──が観ていたホラーテイストのスパイ映画に出ていた光景に酷似している。
ようやくまともに太陽光を受けられる地帯、即ち窓のそばに辿り着いた。
カラフルな車体をその光に照らされた何台もの車が並んでいる。赤、青、黄──きっと車ファンなら歓喜する光景だろう。
「少しそこで待ってろ」
父さんはそう言うと、数ある車の中から一台選び、そのボンネットを開いた。
かと思うと、彼は誰かに電話をかけた。
白鷺さんだ。
何やら番号を伝えている。そこそこ桁数が多いようだ。
1分くらい電話を続けたあと、彼は通話を切った。そばにしゃがんで待っていた私は、移動の準備を始めた。
どうせこの車に乗るんだろう。白鷺さんへの電話は、この車に乗るから施錠を解除してくれとかそういうやつだろう。
けれど、車の施錠は一向に解除されないし、父さんは乗る素振りも見せない。
怪しんでいると、彼はこう言った。
「次、行くぞ」
「……へ?」
思わず声が漏れた。
つ、次……?
「これに乗るんじゃないの……?」
そしてそう訊ねた。
だが父さんは、呆気にとられたような顔で私を見る。たぶん私も同じような顔をしているのだろう。
「……乗ってどうする?」
「どうするって……ここを突き破るんじゃ……」
「おいおい、怪我人乗せてそんなことするほど、オレもバカじゃねぇよ」
──どの口がそんなこと言ってるんだ──という言葉は、幸い喉元で留まってくれていた。
「ただ、お前の言っていることもあながち間違いではない」
「……どういうこと……?」
父さんは相変わらず得意げに、車のボディーに手を置き言った。
「コイツらには悪いが、彼らは囮だ」
「囮……?」
「……コイツと、あともう一台。窓際にある2台の車を同時に発進させ、陸に下りた後も走らせる。そのことで一瞬だけ、追っ手の集中をそちらに逸らす。
その隙に、搬入口からそっと脱け出す。
いずれ奴らはその車が囮だったことに気付くだろうが、そんな時には既にオレたちは別の車に乗り換えてる。
とまあ、そういう魂胆だ」
なるほど、合点はいく。ただ、
「それを誰が操作するの?」
「誰って、白鷺さ」
また呆けた顔をして彼は答える。
「さっきの電話。あれ、白鷺と話してたのは、知ってるだろう?
あの電話一本で、あいつはこの車を盗操作した。いや、厳密にはあいつではなく、“エミリー”か」
盗操作……!?この車のハンドルを実体のない“エミリー”が握っている、というのか……!?
「その様子じゃ、オレが何故ボンネットを開いたのか判っていなさそうだな」
私が頷くと「やはりな」と言い、閉じていたボンネットを再び開いた。
「ココに自動車個別記号ってやつがあるんだ。12桁、一台一台、全て違う。これでどこに存在するどの車なのかを特定する。
そして、その車に内蔵されているGPSを頼りに、その車のコンピューターが行う“自動運転機能”に潜入。
そうすれば遠隔操作なんてお茶の子さいさいってわけよ」
毎度毎度、この人たちは何なんだ……!?
むしろこの人たちに出来ないことが見当たらない。
この22世紀初頭という時代において、彼らに出来ないことなどないのではなかろうか。
「さあ、他に質問はあるか?」
早く次へ行きたい、そんなご様子の父さん。私は驚きのあまり、他の質問など瞬時には出てこなかったので、首を横に振った。
「じゃあ次へ──」
──バタンッ──
車のドアが閉まる音……!?
場所は特定できないが、私たちの今いる所からは遠く離れた船内の何処かで起きた音だ。
風の仕業だとして、風が入りこめる場所なんて搬入口以外に思いつかない。しかもココ周辺で、そんな大きな風は吹いていなかった。
つまりコレで判明したこと、それは、
この船内に、私たち以外に人がいる、
ということであるのは、言うまでもない。
この船の警備員だろうか。その可能性は高い。
大きな声で喋っているのに気づかれたろうか。
或いは防犯カメラでも設置してあったのか。だとしたらかなりの防犯意識の高さが窺える。
とにかくここから離れないと。
父さんと私、両者の思考にあったのは、
この一文だった。
身を屈めて車体の陰に隠れながら、ワザとくねくね進路を変えて歩くこと数分。搬入口の見える場所に来た。
今のところ順調なのだが、一つだけ違和を感じることがある。
警備員──と思しき人物──が、何一つ声を上げないのだ。
いないのか?
……いや、いる。
足音が聞こえる。確かに。
搬入口のすぐそば。私たちからはかなり離れているが、安心はできない。
日々、荷物を運び続けて鍛えられた身体は、こういう思いもしない所で役に立つ。何にも凭れかかることなく、その上、屈みながらの歩行でも一切痛みは感じない。
但しそれは、今、負っている傷を除く。
「予定出港時刻まであと10分あるかないか……。急ぐぞ、希良梨」
父さんはそう囁くと、少しばかり足を早めた。
それは足音を殺しながら歩ける最高速度で、それでいて今の私が可能な歩行での最高速度であった。
全神経が、脚の痛みに集中してしまう。何とかして周囲の警戒に意識を回そうとすると、どうしても足が遅くなってしまう。
そんな私は気付くことができなかった。
私たち以外の足音が、
単数ではなく、
複数あったことに。
半ば脚を引きずった状態で父さんについていくと、いつの間にか、先ほどとは真反対の端に着いていた。
囮の車を決める父さん。
しかし、最難関はこの次にあった。
白鷺さんへの電話だ。
船内は思ったよりも声が響く。さっきの小声だって気付かれかねない。
その中で、キチンと白鷺さんに届く声の大きさで通話しないといけない。
昨今の文字での連絡手段に適応するためにそちらに重きを置きすぎた結果、“腕取付型携帯電話”のマイクは、音の拾いが極端に悪い。小声だと拾ってくれないことが多い。
「文字入力じゃダメなの?」
私は父さんに問うた。
「文字入力でも不可能ではないが、それだとどうしてもタイムラグが生じる。電話と文字入力、わずか数秒のその差が、運命を分けるんだ」
合点が行くような行かないような。
とにかく今は彼の判断に任せよう。
彼は電話を選んだ。
車種、自動車個体番号を伝える。ここまで順調。
足音も未だ聞こえる。大きな変化は聞き受けられない。
車のコントロールを得たことを確認すると、彼は急いで電話を切った。
「よし、完了だ」
父さんは握った拳から親指だけをまっすぐ立てそう言った。
この時点で15時54分。予定出港時刻まであと6分を切った。
「タイミングも重要だ……。慎重に行く。……離れるなよ」
大きく頷いて、息を殺し、父さんにピッタリ付いて行く。
そうしようと、一歩目を踏み出した時、私は異変を察知した。
今まで一定のリズムで聞こえていた、追っ手の足音が、
刹那、
消えた。
「おい、何してる……!?」
異変に気付き、思わず立ち止まった私を、父さんは呼ぶ。
「止まった方がいいよ、父さん……!足音が──」
──ドンッッッッッ!!!
重たい音。至極、重たい音。
そして、今まで聞いたことのないような音。
けれど、何処かで聞いた音。
それは、さっき散々聞いた音。
それは、
自動車の天井が、
1人の人間
──の格好をした男──
によって、圧壊される音だった。
握り潰された豆腐のようにペシャンコになる車と、
その上に乗る、1人の男。
その状況を理解するのと、受け入れるのは、大きな違いがある。
そのまま呆然とする私たちを見て、
男はほくそ笑みこう言った。
「………見ぃつけた──!」