第50章 終焉・前編
──はっ──!
私は、不意に目を覚ました。
どうやら、うつ伏せで眠っていたようだが……その眠っていた場所に見覚えが無い。
何処だ……?この真っ白な空間……。
銀世界、というには白すぎる。というより、最早何も無い。
……なんだ、この感覚。見覚えがないのに、覚えている……?
「淋しいな。お前の"世界"は」
唐突な声。
まだ寝転んだままだった私は、あまりの突然さに飛び起きてしまった。
だが、その声のした方向が掴めていなかったので、私は辺りをキョロキョロ見回した。
「でもまあ、こんな世界もアリかもな」
声は続ける。
今度は確かに確認できた。
私の背後だ。
真っ黒なシルエット。
すらっとした、長身の男だろうか。
「誰…………なの?」
私は素直に問いかける。
「ただの通りすがりだ」
シルエットが答える。
答えになっていない答えに若干の苛立ちを憶えたが、これ以上、名前について問うたところで結果が変わらないのは目に見えていたので、控えておいた。
代わりに私は、もっと気になる事について訊ねた。
「此処は……何処なの?さっき、"世界"とか言っていたけど」
そうすると、影はこう答えた。
「お前の"世界"…………お前がイメージする死後の世界だ」
「死後…………!?」
私は唖然とした。
しかしながら、直後に納得した。
全く見覚えの無い光景に対して持った、既視感に似ているがそうでない感覚。
私の持っているイメージなのだから、記憶にあって当然だ。
だが此処で、新たな疑問が浮かび上がる。
「……どうして、こんなイメージの世界に私……とあなたは居るの?」
「質問の多いやつだな」
影は呆れるようにそう言うが、こんな場所で突然目が覚めたら、狼狽えたり疑問の連続が生じたりするのが普通だと思う。
仕方ないから順に説明してやる。偉ぶった態度でそう前置きしてから、影は答え始めた。
「普段のお前の電脳を司っている意識……人間どもの言う理性ってやつが、今のお前だ。
そして、お前の身体の操作権限は理性のお前にはない。
今は……」
影は右手の親指を上に突き上げ、その親指で後ろを指さす仕草をした。
「本能のお前が戦っているよ」
本能の……私?
言っていることが全く理解できない。
そんな風に首を傾げると、やはり影は面倒そうにため息を吐いた。
「多重人格ってあるだろ?簡単に言えばあれに近い状況だ。
主人格と呼ばれる第一の人格と、何らかのきっかけで生まれる交代人格。二つ以上の人格が一つの身体に宿り、それらの人格が交代するんだ。
お前の記憶をさっき探ってみたが……乾 寧音がもっているあれだよ」
「その主人格、っていうのが私で、私とは別の人格が、今の私の身体を操っているの?」
そういうこった、影はそう答える。
「だが人格、って言葉には語弊がある。今、お前の身体の操作権限を得ているやつには人格は無い。
ただの殺戮者だよ」
「殺戮者!?」
聞き捨てならない事実だ。私はその影に、大股で歩み寄る。
「どういうこと!?きちんと説明して!」
初対面だが、そんなのはお構いなしに大声でそう問い詰めた。
「……昼間、お前はフロンティアの研究所に居た。それは記憶しているな?」
臆すことなく、影も説明に入る。
「そのフロンティアで……お前は一度、手術を受けている。新機能を搭載するための、特別な手術をな」
そんなの何時……!?
記憶をガサゴソ探ってみるが、手かがり一つ見つからない。
「思い出せなくて当然だ。お前が単独行動を開始した十数分後……初葉 命琴の部屋に入ったとき、お前の機能は全て停止したんだから」
機能停止──人間で言うところの仮死状態というやつだろう。
「その手術の結果、お前は──」
という言葉に続けて影が私に告げた事実は、到底許容しがたいものだった。
「“敵知機”、“武戦機”、“瞳盗機”、そして“全創機”。全ての機能を兼ね備えた“人造人間”……“神童機”になったんだよ」
「何を……言っているの?」
私は素直な気持ちで訊いた。
素直に、許せない気持ちで。
「なんで命琴さんが、私を改造なんてするのよ!あの人は、私たち”人造人間”を戦争の目的で使うのを誰よりも拒んでいるのよ!?冗談言わないで!」
「冗談なんかじゃないさ」
「じゃあ何故!?」
「オレが指示したんだよ」
絶句した。
彼に指示できる存在──それは即ち、
「あなたが……『A』……?」
「今更気付いたのか」
わかって当然だ、という風に、影──『A』は言うが、
声も風貌も何も知らない、『A』という存在がいるということを今日知ったばかりの私が、この短時間のうちに散りばめられた証拠だけでその答えに辿り着くには、あまりにも無理がある。
「彼はよく働いてくれたよ。オレが政府の名を騙って指示したら、科学者冥利に尽きる、そう言ってせこせことフロンティアを動かしてくれた。
政府の計画で儚く散ってしまったのは心苦しいが、最期まで、自身の生み出した最高傑作の為に心血を注いだその生き様には感服するよ」
「ふざけるなっ!」
『A』の言葉を聞いているうちに、驚きで支配されていたはずの私の感情は、怒りの方に移行していた。
「感服するだって?違う!アンタはただ、命琴さんの科学者としての善意を弄んで、自分の計画の糧にしただけ!
敬いも悲しみもない……武器を失って残念だってぐらいの感情なんでしょう!?」
「…………まあ、そうだな」
抑揚のない彼の口調に、私は更なる怒りを憶えた。
物理的手段を行使しないと抑制できない怒りを。
私は駆け出した。『A』に向かって。
「いい加減にしろぉーっ!」
そう叫びながら走る私を見ても、微動だにしない『A』。
余裕綽々のその様に苛立ちながらも、私は拳を、彼に向けて翳した──。
「──えっ……?」
当たった感覚が……しない。空を切ったような軽さだけが、手に伝わってくる。
「ふざけるのも大概にすべきなのは……君の方じゃないのか?愛翠 杏紅」
そう告げる『A』の身体を打ったはずの腕を見て、私は驚愕した。
私の腕は透明になっていて、『A』の影の身体を、突き抜けていた。
「うわぁぁっ!」
恐怖した際にあげるそれに似た、叫び。
それと共に、私は腰を抜かしてしまった。
「何も驚く必要はあるまい。冷静に考えれば当然のことだろう」
私を見下ろしながら語る『A』。
「さっきも言ったように、此処はお前のイメージする世界──要はお前の思考の中に存在する世界だ。
イメージされた世界に存在するものには実体が無いのは当たり前だ。つまりオレも、そしてお前も実体はない。
喩えるなら、色と形を持つ空気、と言ったところか」
確かに筋の通った理論である。
「そしてお前は自分で言ったよな……自分は“人造人間”だと。
“人造人間”の思考は、電脳で行われることは言うまでもない。
電脳は、ハッキングを受けない限りは正常に作動するように造られている。幻覚や催眠などを一切受けないように、精巧にな」
確かに、そういった類の事件や事故は一切存在しない。白鷺さんから教わったことがある。
「それを踏まえれば……お前のイメージで出来上がった空間にこうして存在しているオレの正体に大きく近づくはずだが?」
そう言われ、記憶を振り返る。
此処は私のイメージ空間。そこに存在している影。彼は『A』と名乗っているが、私は『A』の姿も声も知らない……!
「あなた……“電脳世界の住人”ってこと?」
“電脳世界の住人”。コンピューターやインターネットの中で生きる、現実に実体を持たない、知能のみの存在。
白鷺 美依莉がそれに当たる。
彼女がそうであるように、住人たちは実体を持たない代わりに、コンピューター機能が搭載されている機械や媒体に、簡単に潜入する──ハッキングすることが出来る。
私の電脳も、立派なコンピューター。手術を施された際に、『A』は私の電脳に潜り込んだのだろう。
「ご名答だな。だが満点かと言えばそうではない」
『A』はさらなる事実を私に告げた。
「オレは元々“人造人間”だった。……“人造人間”を忌み嫌う、人間に殺されたんだ」
「つまり……最初から“電脳世界の住人”として生まれたわけではない……そう言いたいわけ?」
「ああ」
声色が少し変わった。
全身真っ黒の影で、顔のパーツもないから表情も読み取れない。だから声色に注意していた。
そしてわかった、今までは見せなかった変化。
「……それは、オレが命琴に手術を施させ、ここに来た理由にも繋がる」
そう言うと影は、立ち上がらずにいた私の目線に顔を合わせ、こんな提案をした。
「……オレと共に、新しい世界を創ろうじゃないか」
「──えっ?」
何を言っているのか、今度こそ本当に理解できない。
……否、その趣旨の解釈は大方済んでいる。
ただ、私はそれを認めたくないだけなのだ。
「理解できなくとも無理はないさ。お前はこの短時間の中で、いろんな情報をオレから伝えられたんだからな。
混乱の最中でこんな重要な事を言われたら、すぐに把握できなくて当然だ」
今度は同情するような声色に変わった『A』の声。
「今までお前に告げた数々の情報は、オレとお前に出来ることがこれだけあるということを知らせたかっただけなのだ。
そして、それだけの力があれば……世界を掌握することなど実に容易だ……そうだろう?」
不敵に笑っているように聞こえる、『A』の声。
「……お前に希望を託してきた者たちも、きっと喜ぶだろう。オレたちが世界を手にし、“人造人間”が苦しまない世界を見れば──」
「冗談言わないで」
私は言った。『A』の言葉を遮って、きっぱりと。
その毅然とした態度を見てたじろいだのか、それまで滔々(とうとう)とあれこれ説いていた『A』の声が、ピタリと止んだ。
「高貴、秋柊、宙音……そして“父さん”……。私に未来を託してくれた人はみんな、人間が滅ぶことを望んではいなかった……共に暮らす中で、差別無くなることだけを望んでいた……!
私は約束したの……そんな世界を創るって。
その約束を裏切って……あなたに手を貸して、“人造人間”だけが暮らす世界を創ったって、誰も喜ばない……!
力を授けてくれたのに申し訳ないけど、私はあなたと協力なんて──」
「──ほざくな!」
無の空間に轟く、『A』の怒声。
私たち二人の立場がつい数秒前に、同じようなことが起きた時に置かれていたのから、完全に逆転している。
目覚めるように驚いて、思わず『A』を見上げた時、私には、
彼の眼が見えた。
絵の具をベタ塗りしたような、一面の黒でできあがっていた影に、眼があるように見えたのだ。
「黙って聞いてりゃ綺麗事ばかりごちゃごちゃと……!
そんな夢物語だけ語って、世界を変えられると本気で思っているのか?お前は!
人間は誰一人として生かしはしない……生かせばまた繰り返されるからな。
そしてその時に思い知らせるんだ……奴らが犯した、愚かな過ちを!」
眼だけじゃない……怒りに満ち満ちた、鬼のように険しい『A』の顔そのものが見えるようになった。
幻や蜃気楼のように、ぼんやりとではない。それよりもずっと前からちゃんとそこにあったかのように、くっきりと見えた。
「……さあ、お前の力が必要だ……オレに貸せ、その力を!」
「……イヤ」
しかし、私の意思は確固たるものだった。
「また繰り返されるような世界なんて創らなければそれでいい。
繰り返されたなら、再び軌道を修正すればいい。
正しい世界はそうあるべきだと私は思う。
少なくとも……あなたの言う理想は正しくない。
正しくないと思うものに、手を貸す義理もないでしょう……?」
「……貴様……!」
「あなたがこれから何をしようと勝手だけれど……私はそれに手を貸すつもりは毛頭ない。
むしろあなたと徹底的に戦ってやるわ。
皮肉にも、あなたに貰ったこの力で」
私の決然とした物言いに、とうとう何も言わなくなった『A』。しかし歯を軋ませる音だけは聞こえた。
そんな彼に背を向け、私は去ろうとした。
「さよなら」
それだけ言い残して。
「何処へ行くつもりだ?」
だが『A』は、まだ何かを告げようとしている。
「此処は無の空間だぞ?歩いても走っても、真白の空間が延々続くだけだ。
逃げられる、そう思っていたのか──」
「──あなたさっき言ったわよね、
此処は、私のイメージした空間だって。
だったら、ただ真白が続くだけの世界を変えるのも……何なら出るのも自由でしょ?」
「……!」
『A』が息を呑んでいるのを見たところ、どうやらこの弱点は知っていたようだ。
私は、周囲のあまりにも急な変貌に、最初こそ驚き、そのお陰で思考が停止してしまっていたが、
『A』の考えを否定する為の論を考えていると、だんだん思考も回転し始め、それがあったことで、この事実にありつけたというわけだ。
「──また会わないことを祈るわ、『A』さん」
私は、自らのイメージの中に、一枚の扉を生み出し、そのドアノブに手をかけ、回した──。
前後編構成という初めての試みです。
読みにくい、などご意見ございましたらご遠慮なく!




