第4章 憤慨
──オレが警察官を志そうと思ったのは、中学を卒業する年の夏のことだった。まだ鮮明に覚えている。
世に言う不良だったオレを、まるで親のように叱り、時に褒め、育ててくれた、1人の警官がいたんだ。
瓦田 毅。それがその人の名前だ。
そもそも、オレが不良になったきっかけは……何て事はない。
『カッコイイ』。
後に“先輩”と呼び慕う不良を見た時、オレはその感情に包まれた。
だがその“先輩”は、ある日起きた、不良集団同士の喧嘩で、回復に3年かかる怪我を負ってから、更生し、社会に復帰した。今は遠くの田舎でラーメン屋をやってるらしい。
リーダー格だった彼がグループを抜けると、同じ世代だった人たちも皆、だんだんとグループを辞めていった。その人たちは今何処で何をしてるのかは知らない。
だが彼らが辞めても、そのグループは存在し続けようとした。集団を形成する以上、リーダーってもんがいる。そのリーダーに選ばれたのがオレだった。
その頃、オレも含めてみんな、喧嘩することに恐れを抱いていた。言っちゃ悪いが、“あの人”の二の舞にはなりたくなかったからな。
だからオレたちは、少し丸い不良だった。学校に行かず、バカみたいに、街中を盗んだバイクで走り回ってた。
無論、オレたちは罪を犯していたが、それを見逃し、叱ってくれた人がいたんだ。それが瓦田さんだった。
瓦田さんは、交番に勤める、所謂“駐在さん”だった。オレみたいに、決して優しくはない顔つきの、ガタイのいい人だった。
聞けば彼も昔はヤンチャで、自分を更生してくれた警官さんに恩返しする為に警官になったそうだ。
彼はオレたちの生き方を支持してくれた。
“人間なんて、所詮は動物だ。動物は間違える。間違えて覚えて、その覚えたことを、間違えているやつに教える。それが動物の生き方だし、人間の生き方、ってヤツでもある”。
彼の信念だ。
更生させてくれた人からの受け売りだと、彼は言っていた。
“だからお前たちの生き方も、動物の生き方としては真っ当だ。だからオレが、お前たちに教える。そしてお前たちがまた、誰かに教えろ”って。
そして、それ以上に口癖のようにずっと呟いていたことが一つあった。
“差別だけは絶対にするな”。
毎日聞かされたよ。“差別ってもんを生み出した瞬間、そいつは人じゃなくなる”。
彼の教えを、まるで宗教みたいにオレらは守ってた。差別は決してしなかった。分け隔てなく、誰とでも同じ態度で接した。
けれど周りじゃ差別は平然と横行していた。障がいを持った人たちだ。
彼らに対し、普通の人は、露骨に蔑んだりなんかしない。それをする人間は人道というレーンから遠く離れたレーンを走っている人間だ。皆、それくらいわかってる。
だが人々は、“可哀想”という目で彼らを見る。偽善でも、そうでなくても。それは悪ではないと知っているから。
しかしオレは思う。障がい者だから可哀想。やりたいことが上手く出来ないから可哀想。そう思っている時点で差別なんだよ。
確かにハンディは存在する。しかしそのハンディを越えて、何ならハンディをリードに変えて生きている人もいる。
そうやって生きている人を、“別のもの”として区別するのは違うだろ。同じ人として、やっちゃいけないことだ。
オレはそう思って、たとえ公共の場だろうがオレは差別した野郎に向かって吠えてた。今となっちゃ、もう少し考えてやればよかったかな、と思うけどな。
高校3年の秋。オレは、ちょっとガタイのいい普通の男子高校生だった。不良と呼ばれるようなことは全くやらなくなってた。ま、ヤンキーだった頃の噂は、オレの耳にも届いてたけど。
勉強ってもんを殆どしたことがなかったから、成績は良くなかったけど、オレは警察官になるってことは第一に決めていたから、先生にはそれだけを言いまくった。
オレは幸い、良い先生に恵まれてた。彼等は、オレのその夢を否定することは、ついぞ一度もなかった。
そしてその秋、オレに転機が訪れた。
ある1人の男子が、「自分は“人造人間”だ」と告白したんだ。
そいつは勿論、オレたちと一緒に入学し、3年間過ごして来たヤツだった。
オレがそいつとクラスメイトになるのはその年が初めてだったが、仲は良かったし、全然そんな素振りも見せなかったから、聞いたときは驚いた。
だがそれから、そいつの生活はいっそう不便に見えた。
“人造人間”、そのたった4文字の単語を念頭に置くだけで、傍から見てもこうも違うのかと感じた。
何が不便って、やっぱ“差別”だ。
悪意のある差別じゃねぇ。機械である以上、付き纏ってくる差別だ。
一番辛く見えたのは、
愛が恵まれなかった時だった。
あいつはそれなりに顔立ちが良かったから、カノジョってやつがいた。ケンカしたことは見たこともなかったし、高校を卒業してもずっと交際は続くだろうってみんな言ってた。
けれど、“人造人間”であることを告白した時、越えられない壁が立ちふさがった。
“子供”だ。
後から知ったことだが、“人造人間”には、男女共に、性器はある。
だがそれは、製造開始当初、“人造人間”であることを周囲に悟られないようにしないといけなかった政府が、より人間に近づけるために、精巧に作ったモノだった。排泄という機能すらも持たないそれに、もう必要性は無かった。
不幸なことに、そのカノジョの家は代々続くエリート家系で、しかもその娘は一人っ子。子供が産めないなど言語道断。“人造人間”を子供として育てることも認めない。カノジョ自身は理解してくれたそうだが、家柄が、理解、という次元すら超越した理由で許可を下さなかった。
あいつはその別れを、素直に受け入れた風だった。だがどう見ても明らかに落ち込んでいたし、結果合格した大学も、前のあいつからしたらかなり下のレベルの学校だった。
最初に世に出た“人造人間”が、いわゆる思春期に突入する時期である2052年ごろに、“人造人間”の存在が世に知らしめられたが、それまでだってきっと、彼らは苦しんだはずだ。
親か国か、その2つに聞かなきゃ絶対に抜け出せない、苦難に。
そんな出会いもあって、晴れて警察官になれた時、ちょうど新しく設けられていた『“人造人間”課』への配属を希望し、見事、その希望が叶った。
そしてその頃増えてきた事件が一つあった。
“人造人間”の自殺だ。
さっき言ったような、言うなれば“定められた不妊症”。電脳内のチップや各部品の接続不良による、様々な障がい。初めの理由はそう言ったことだ。
当時、まだ電脳の修理を十分に出来る人間はまずいなかった。いたとすれば、国直轄の人間だが、そうなるとまず手続きがややこしいし、そもそもその手続き自体が公表されていなかった。
そして数年後、“人造人間”という存在が漸く世に根付いてきた時、また別の理由が増えた。そして気づけば、それが自殺理由として最も多い案件になっていた。
“差別”、そして“イジメ”だ。
2058年、中学校での、“女性人造人間”の、イジメによる自殺を皮切りに、僅かながら人間に比べ疲れを感じにくいという性質を悪用した過労、そして聞くところによれば、就職・入学における差別も、平然と存在していたらしい。
そんな自殺の理由を聞いた時、言い表しようのない怒りと共に、悟りに似た感情を憶えた。
『差別』ってやつは、一般市民にとって、精神安定剤のようなもんなんだ、って。自分という人間を確立させ、再確認するための道具として、下級民を作り出す。
そして、それが維持され続けたままの状態にあることに、子孫たちは気づいていない。“差別なんてしていない。差別はひどいことだ”、と、そう思いながら、無意識のままに差別している。
かく言うオレも、その“子孫”の1人だろう。目に見える差別だけを見て、自分がしている差別など無いに等しく扱い、正当化しているんだ、って。
一瞬は諦めた。オレはこのまま、社会に溶け込み、世間一般によって暗黙のうちに定められた正義に則り生きていくしか無いんだと。
でもある時思ったんだ。
今の差別は歯止めが利かないかも知れないが、差別をこれ以上増やさないようにはできるじゃないか、と。
だから立ち上がった。自殺を減らそう、差別を無くそう、と。
こんなことがあった。
オレが27のとき、
──警察を辞める1年前だ──
『“人造人間”課』に新たに設置した『自殺相談窓口』に、勇気を振り絞って来てくれた一人の男がいた。
彼自身は、“人造人間”ではなかったが、彼の友である1人の“人造人間”が、過酷な労働を強いられていると、彼は伝えてくれた。そして彼は泣いた。
自分は、あの過酷な労働をいけないことだとわかっているのに、声を大にして言うことが出来そうもない。そんな自分が情けない、と。
そしてオレは考えたんだ。
人間であるオレが、彼らと同じくらい働きまくってやれば、上層部の人間も重労働であることをわかるんじゃないか、って。
だが、その案を見事に却下されちまった。労働を強いていたヤツらじゃない。
警察の上層部に、だ。
これも後から知ったんだが、その会社のお偉いさんと、オレの案を切ったヤツは古い友人だった。それだけじゃなく、その会社と警察は、切っても切れないカネの繋がりがあった。
そのカネの源の多くを、例の“人造人間”が担っていた。だから、納得せざるを得ない結果を出されては、収入源を失ってしまう。
そうなってはいけないから、“君にはまた別の仕事をやろう”と、あまりにも不可思議なタイミングで、異動を命じてきたんだろう。
産休だかなんだかで有給を取っていた同僚の補充で、オレは『サイバーネットワーク課』に、短期間だが属することになった。だがオレは、配属初日、警察署には行かず、
例の会社で、お忍びで働いていた。
相談を持ちかけてくれた例の男と、オレは連絡先を交換していた。『サイバーネットワーク課』に就くことになり、担当が代わってしまうかもしれないことを伝えると、残念です、と言いながら、一つの案を出してくれた。
自分の同僚とすり替わって、一緒に働いてみないか、と。
それは、上層部の許可のないままの潜入捜査だった。オレはその提案に乗り、2ヶ月の間、警察の仕事そっちのけで、そこで働くことにした。
働けど働けど、喜びはついてこない。その時に憶えた感情はむしろ、怒りだった。
オレは元から体力に自信はあったが、それでも毎日ヘトヘトだった。
“人造人間”にも、決して低くはないが、体力の限界はある。毎日ここまで働けば、疲れは自ずと残るだろう。
それに何より、その作業は、常に孤独だった。
20メートルほどはありそうな長いデスクが、3、4メートルずつに区切られ、社員それぞれに個々のスペースとして与えられる。作業に集中出来るように、と、その向こうが全く見えなくなるくらいの壁があった。ほぼ個室に近かった。
その中で、ただひたすら空間計算盤に向かって文字を打ち込むだけ。
単純な作業ほど、簡単で、退屈で、ストレスが溜まる。だんだん自分が何をやっているのかわからなくなってくる。
こんな心身ともにヤラレちまう作業を、5年もの間、何食わぬ顔でやらせていたのかと思うと、腹立たしくて仕方なかった。
その一方、オレは着実に証拠を準備していた。
毎日、深夜まで及ぶ残業の後、その日の体温、ストレス度などをチェックし記載。週末には、“人造人間”それぞれが持つ意見、提案を、ボイスレコーダーに記録した上で、書類に記入。また、それぞれの勤務時間を記録し、本人同意の上で給与明細もコピーした。
そして、予定していた潜入期間の最後の日。
オレは、オフィスに入ることを禁じられた。
1ヶ月前には気づいていたらしい。
その上で、いい頃合いを窺っていたらしい。
2ヶ月もの間、オレは警察の指示を無視していた。
その罪は重く、オレは、一般企業へ左遷されることとなった。
だが仕方のないことだ。
それこそ頃合いを窺って、今度はこちら側から仕掛けてやればいい。
そう思い、素直に受け入れた。
事件は、その指示に従い、荷物を片付けていた時に起きた。
気がついたら、オレは猛スピードの車で走っていた。ちょうど、さっきの追逃走劇の時のような速度で。
『“人造人間”なんかの為に何をそこまで──』。
ワザとオレに聞こえるように、後輩刑事が言ったその言葉に、オレは我慢ならなかった。
何も考えず出したその拳は、後輩刑事の鼻にクリティカルヒット。明らかにへし折れている後輩刑事の鼻と、血がべっとりとついた自らの拳を交互に見たのを覚えているよ。
その出来事に、オレ含めその場にいた人間全員が、瞬時硬直したが、ある一人が「拘束しろ」と吠えた瞬間、全員に生気が舞い戻った。
覆い被さるように、オレの身体を取り押さえようとする人間たちを、オレは咄嗟に全て躱した。昔のケンカの経験が、こんな場面で運良く生きた。
ありとあらゆる障害を次々切り抜け、駐車場に停めてあった車に飛び乗り、そして、その瞬間に至った。
三日三晩、電気燃料が切れるまで走り続け、この街に辿り着いた。
白鷺 京助という男が住む、この街に。
あいつとの関係の話は……実はよくオレも覚えていない。
確か、『“人造人間”課』にいた時に、世話したか何かだったと思う。
ちょうどその頃、大学を卒業し、就職先が決まらず一人で放浪していたあいつは、焦燥で汗をびっしょりとかいたオレを匿ってくれた。
事情を話すと、『あの時の恩返しをさせてくれ』ってな具合で、居候をさせてくれた。
……敬語を使っていないのは、演技だ。そのハズだ──。