第44章 完知
「──増峨さんが……!?」
受話器のスピーカーフォンから発せられた、男──早房 絢の声に、コテージ式ホテルのロビーにいた私たち4人は驚愕した。
しかし直後、隣に居た花理崎 菜那が反応行動を起こす。
「何で……?その腕取付型携帯電話、増峨さんのモノなんでしょう……?何でアンタが、この電話にその事実を伝えられるの……?」
全くもってその通りだ。
腕取付型携帯電話は、腕を前に伸ばした状態で手の平を上に向けた時、バンドの着脱可能部分が見える。着けている本人の意思に逆らって外すことは、はっきり言って不可能に近い。
にも関わらず、その電話から絢の声だけがして、さらに増峨さんが失踪した、なんて情報を伝えられても、何一つ信頼が持てないに決まっている。
菜那の放った問いに対して、僅かでも、妙だと感じる間があれば決定的だった。
が、その間は一切無く、絢は即答した。
『電話、違うんスよ!これはオレの電話っス!
そっちの電話機の画面に表示されている番号、さっきと違うと思うッスよ!』
確かに違う。さっきまでの番号──つまり増峨さんの電話番号──は、下4桁が『6371』だったのを憶えている。
しかし今、電話機その物の上で、デカデカと表示されている番号の下4桁は、『5634』。
私の記憶が正しければ、明らかに違う。
それを確認した私は、答えがそうなのか定めるためにこちらを向いていた菜那の瞳を真っ直ぐに見て、確かだと頷いた。
「そうね。ごめんなさい、疑って」
私は素直に謝った。
その瞬間、背後から私の肩を静かに2回、叩く手があった。
初葉 美雪だ。
その身体には、小さくてか弱い少女、乾 寧音がしがみついている。
美雪さんは、不安と怪訝の顔色を浮かべながら私を見る。
私は、その心中に抱える不安の内容を何となく理解した。
何故ならそれは、私も先刻、一瞬だけ抱えた不安と同じだと察したからだ。
それで私は、声は出さずに口だけを動かして、
「大丈夫です」
と伝えた。
幸い、彼女の読唇の能力は高かったので、その内容を理解してくれた。
私が、そして美雪さんが抱えた不安。
それは、
今ここで、もう少し絢を問い詰めておくべきではないのか、ということだ。
電話を変えた──絢が電話を握っている理由として選んだその事実は到底、肯定するモノとして値しない。
何故、電話を変える必要があったのか。
何故、襲われる危険性もある、単独に近い行動を執る必要があったのか。
その他にも様々な疑問が頭を過るが、
私はそれを、口にはしなかった。
絢が、これ以上警戒を強め、言葉や行動の端々(はしばし)に粗を出さないようにしない為に。
犯人じゃない、と踏んでいる人間に対して、とやかく詮索することは普通しない。
裏を返せば、多量の詮索や詰問は、『あなたを疑っている』と遠回しに伝えるようなもの。
それを判っていれば、下手な詰問をすることで警戒心を強め、一言一句、注意しながら回答してくるだろう。
そうなった場合、答えている本人も気付かないような粗が出てくる可能性が著しく減少するかもしれない。
従って、今この場で問い詰めるのは控えるべきだと、私は判断した。
これが誤断でないことを祈る。
「で、絢はどうする?まだもう少し、虹際さんを捜すの?」
私は問う。
すると絢は答えた。
「オレは捜すっス!元は虹際さんを捜しに来たんですし……それにもう1人、捜すべき人も増えました!」
そう話す彼の声は、少し晴れやかに聞こえた。
しかし、ただ陽気で活気の良いだけではなかった。
その中には、逞しさや力強さというべき、信頼するに値するモノがあった。
「勿論、皆さんはそこに居てくださって構わないっス!オレのことなら安心して下さい!
もう少ししたら、警察の車も来ると思いますしね!」
そう言うと、絢の声は聞こえなくなり、代わりに荒い息だけが聞こえるようになった。
「……どうするの?」
その息が聞こえ始めたと同時、菜那が私に尋ねる。
私が口を開こうとした瞬間、
美雪さんが声を挙げた。
「ウチらは助けを待とうよ。ケンの言う通り、下手な動きはすべきじゃないし、そんなことして、ケンが向こうに居るってことを報せる人がいなくちゃいけないじゃん」
私もそれには賛成だった。
遭難したり、現在のように人数が少なくて心許ない時は、無闇矢鱈と動かない方がいいと言うのは公然の事実と言っても過言ではない。
ましてや今は、助けが来るという保証がある。動きを減らすべきであるのは、誰であろうと判別出来る。
そう思っていたのは、寧音さんも同じであった。
彼女は普段と同じく、声には出さずに、美雪さんの胸元で大きく何度も首を縦に振るのみだった。
「じゃあ、私たちはコテージで残ります。束縛はしませんが、このロビーから見える位置に必ず居て下さい」
便宜上、私が仕切るような形になってしまったが、これはこれで良い。
3人は静かに頷くと、それぞれに散らばった。
菜那は荷物を、と言って部屋を回り始め、
美雪さんは、助けの車を待ってみる、とロビーから確かに見えるドアへ向かい、
そして寧音さんは電話番のつもりか、固定電話の前に、自信ありげに仁王立ちし始めた。
私も、このまま何事も当たり障りなく過ぎていくのもいいかと思った。
但し、それはごく僅かな時間のことだった。
理由は2つある。
1つはやはり、その正体を突き止めるべき犯人が、菜那という親友の友人──つまり友人の命を奪ったことにある。
虹際さんや増峨さんはまだ生死不明の状態だが、彼等の命も危機に晒されている。それを守る義務も、私には存在する。
だがそれは、使命感が作り出した、表面的な理由に過ぎない。
真の理由は、2つ目にある。
──私は、その答えを知ってしまったから──。
「……杏紅」
私にとって無上の好都合なタイミングで、菜那が私に声をかけてきた。
彼女は、美雪さんと寧音さんの荷物を運び終わり、ロビーの床に、ずしんと重たそうに置いた。
「アンタは、何して待つの?」
「……ロビーで待ってるよ」
「そう……」
『自分だけ楽をするな』とか、『だったら手伝え』などとは言わず、ただ微笑んで同意してくれた菜那。
以心伝心とはこの事だろうか。私は素直に嬉しかった。
彼女が、今度は私たちの荷物を取りに行こうとした所で、私は壁の高い位置に掛けられた時計を見る。
──もうそろそろ、来る頃だろうか──。
私は静かにそう考え、振り向いた先で、ドアの外をキョロキョロと見回していた美雪さんに声をかけた。
「すみません、ちょっとトイレ行ってきます」
美雪さんはやや不安そうに顔を顰めたが、それでも、
「……判った、気をつけてね」
と送り出してくれた。
美雪さんのその言葉に、私は応えた。
「はい……私は気をつけます」
と──。
──トイレに行く、というのは嘘ではなかった。
しかしそれは、用を足す為ではない。
愛翠 杏紅という“エサ”を待ち侘びていた、
犯人を誘き寄せる為である。
それに私は、そもそも排泄はしない。
“人造人間”なのだから。
だから、個室のトイレに入ってから適度に間を取り、個室を出た。
そして、大きな丸鏡の前で手を洗っていた時、
そいつは現れた──。
「やっぱり、あなただったのね」
「…………」
『解っていた』、そういう趣旨の事を私が言っているのは、
私の背後に立つそいつも理解しているだろう。
なのに、否、だからこそだろうか、
そいつは沈黙を保ったまま、
蛇口から真下に流れ出ている水に手を打たせている私の背後で、立ち続けている。
「……言っておくけど、あなたは私を殺せない」
恐らくだが、そいつがそうし続けているのは、
私が次の標的に選ばれた、それに対しての恐怖を私に抱かせる為だろう。
それに屈していないという意思を、私は態度で示した。
「何も、あなたに殺す勇気がないからとか、時間稼ぎの為に言っているんじゃないわ……。
今までのように一筋縄じゃ行かないから言ってるのよ」
「ならゴチャゴチャ言ってないで止めてみろ」
初めて口を開いた。
そして構えた。
「……戦おうとしたワケじゃないのにね」
私は溜め息を吐きつつ、そいつの名前を口にした──。
「残念だわ、
早房 絢君──」




