第38章 新種
──デジャヴ。まさにその言葉が的確な状況に、今の私は陥っている。
大きな部屋から壁一枚を隔てた向こう側に、主でなければまず気付かないような絡繰に隠された研究室がある。
真白の壁、仕組みのよく判らない機械、そこから延びる太いケーブルの繋がる先には、この部屋の中で一番目を引く、
ポッド。
青色に光り、怪しげな雰囲気を放つそのポッドは4つ。1つに1人ずつ……人体が浮かんでいる。
ポッド一杯に入った水に包まれる彼等はさながら、羊水に優しく抱かれて、己の生まれる時を静かに待つ胎児のようだ。
彼等は言うまでもなく、まだ名も無き“人造人間”だ。
「……新時代を紡いでいくのは彼等だ」
隣に立つ男がそう告げた。
彼の名は初葉 命琴。
私──愛翠 杏紅をこの空間に招き入れた、まさにその男だ。
「“進化”……そう言いましたよね」
私は問う。
すると命琴は頷いた。
「……彼等は個々に、全く異なる能力を持っている。これから量産に向けての計画に移る前の、試標体だよ」
ポッドを見て立ち止まる私のそばを通過しながら、彼は言った。
「ワシは彼等の能力を借りている……ワシが君の正体を見破ったのも、その能力──この眼球のお陰だ」
振り返ってこちらを向き、自らの眼を指差す命琴。
「“透知眼”。“人造人間”の電脳に無線アクセスすることで、相手の“人造人間”の記憶や身体機能を知ることが出来る。
……尤もこれは、将来の諸外国軍が、通信の効率化を図り、全隊員に電脳と同じ機能を持った機械を採用することを見込んで開発された機能であるが」
「……それはどの子に……?」
私は訊ねた。すると彼は、私から見て右斜め前にあったポッドを指差し、それだ、と短く答えた。
浮かんでいたのは、私が思わず、
「優しそう……」
と、呟いてしまうくらい、柔和で朗らかな、一言で言うなら聖母のような顔つきの女性。
そう、女性だ。
女の子ではない。立派な大人なのだ。
私より以前に製造されていた“人造人間”たちは皆、産まれたての赤ん坊の身体で、受け入れ先が決まるまでの間、ポッドの水に浮かんでいたそうだが、今の彼らはもう既に育ちきっている。
『完全発育後はこうなる』と示す標本──試標体なのだ。
「彼女は“敵知機”という機種の試標体だ。
“敵知機”は、先程ワシの言った、相手のデータを盗み見る他に、敵の管理するデータを盗視して探る機能も、最初から電脳に刷り込まれてある」
話を聞きながら、私は純粋に思った。
誰彼問わず、全ての者を優しく受け入れる女神のような顔をしたこの女に、そんな狡猾な手段を出来そうなイメージは抱けない、と。
よく見ると、裸の身体をしていた。
その裸体を一瞥しても、私たちと違った所は何一つ見られない。
「……次に、この彼だが」
全身をくまなく見ている私に、命琴は真後ろから語りかける。
振り返ってみると、彼は別のポッドに手を触れていた。
そのポッドの中には、端正な顔つきをした男性が一人入っていた。随分と長身だが、女性のように華奢で頼りない身体つきをしている。シンボルであるそれを見なければ、完全に女性だ。
「この男には、“武戦機”の機能を搭載している。
……その名の通り、彼は戦闘分野の機能に特化している。……君は『勇戦状態』になることが出来るようだが、それは意志の高揚や、窮地に陥ったことによる焦燥感など、特定且つ、己の意識とは無関係に起こることが多いようだな」
仕組みは解っているものの、ここまで細かく語られていると、彼は神か何かかと錯覚してしまう。
「……しかしこの機種は、『勇戦状態』と同等の戦闘力を常に備え、更にいざとなればそれ以上の力を発揮出来る潜在能力も持っている」
私は目を見開いた。
私より高い……戦闘力。そんなものを持ち合わせている身体には、いくら目をこすっても見えやしない。
そりゃ私だって『勇戦状態』になったからといって、筋骨隆々とした屈強な女になるのかと言えばそうではないが、にしても不自然だ。
私は多分、女性の中ではスタンダードな身体だろう。それにあわせて考えれば、この男だって標準的な身体をしているのが筋というものではなかろうか……?
「加えて“武戦機”の身体には特殊な細胞を施した。『瞬治細胞』と呼ばれるその細胞の自然治癒力は、今まででの常識では語れぬ程の強さを誇る。
……言わずもがな、それは我が息子、海邦の発明した細胞だ」
確かにそれは、完全戦闘向きの身体をしているな。私は、自身で『何様だ』と思ってしまうほど上から目線で感心してしまった。
「……じゃあ彼女は?」
切り替えて、私は別のポッドに手を掛けた。
目の下に隈がくっきりとあり、肌の色もどことなく悪そうに見える。前髪で眉も見えないし……社交性はなさそうだ。
「それは“瞳盗機”の試標体。この機体の最大の特徴は、時間制限付きの不可視化機能だろう。人間の目を欺くのは無論のこと、あらゆるレーダーやセンサーにも全く反応しない。
但し制限時間は最大でも5分。これは機能発動中に行う動作に費やすエネルギー量に比例して短くなる」
こういっては何だが、そんな機能を持つのにピッタリな見た目をしているな、彼女は。
目を凝らして見れば、黒い髪の毛は枝毛ばかり。櫛でとくのにも苦労しそうだ。
「そしてもう1つ。これは発動にかなりのリスクを負うが、成功すれば主導権をぐっと引き寄せられる能力だ。
……視神経異常発生機能、略して【MOON・D】。
対象者のうなじに手を触れる必要はあるが、それを受けた者の視神経から脊髄、そして脳への神経に異常を起こし、その者が視覚から得る情報を、こちら側にとって都合の良いモノに書き換えることが出来る。
例えばワシがスパイとして、君は敵だとした場合、ワシは君らの仲間に変装するなどして、正体を隠す必要がある。
だが、ワシは一切の道具も必要とせず、君に正体を明かさず行動出来るのだ。MOON・Dを発動することでな」
何と都合のいい能力なのだろうか。リスクの割に合わないのではなかろうか……。
「そして……最後なのだが」
そう言いながら、4つ目のポッドに触れる命琴の目は、何故だか沈んでいた。
「これが、“全創機”の試標体だ。
……ワシを含め、フロンティアの研究員は皆、これだけは造りたくないと拒んだのだが、そうした場合、この研究所は崩壊することになると、ある見えない権力に脅された」
「見えない権力……?」
「ワシも正体を知らぬのだよ。『A』と名乗る男だということしか」
「『A』……?……声やシルエットは?」
探偵か何かを気取るように私は訊ねた。
しかし命琴は首を横に振るだけ。
「……“全創機”……これはまさに最終兵器だ。
今や全てが電脳機制御となった、武器工場や“人造人間”の製造ライン全てをその身で統括できる。つまり、この機体の意のままに、武力を創り出せるというわけだ」
私は背筋を凍らせた。
例えるなら……戦争製造機だ。
その魔の能力を、この男はその胸に秘めているのか……。
“瞳盗機”の彼女とは相反するように、ぴっちりと整えられた髪型は特徴的だ。
そして何よりこの男……液体の中で、
……笑っている?
「それだけではない。その名に相応しい能力がある……。
全世界に散らばった“人造人間”の電脳に対する指示が可能なのだ。
たとえ海を越えていようと、地球の真反対側であろうと可能だ。
一斉指示も個別指示も可能……脳内会話機能も可能だから、相手に作戦を知られず指示も出せる」
まさに将軍。
戦況を握る重要な役割を担っている。
しかしこれが完成してしまえば本当に──。
「……今のフロンティアは、『A』と、そして政府に、これらの量産を指示されている。
……だが、ワシは最後まで拒み続けるつもりだ」
命琴の語気がやや強まる。
「ワシにとって“人造人間”は友だ。人間を殺す道具じゃない……!
だからワシは、身を以てこの計画の危険性を彼らに示してやろうと思うのだ!」
と、ここまで言ったところで彼は我に返ったように黙り、
「すまなかったね」
と萎縮しつつそう謝った。
だが彼の放った言葉に、謝るべき点など何も無い。
私は今まで出会った“人造人間”達に、希望として支えてもらった。
そんな事もあってか、妙なプレッシャーを無意識に抱いていたのだと今悟った。
私はこの身一つで、彼等の願いを叶えなければならないのだ、と。
しかしそうではない。
ここにも希望はいる。
いや、他にもいるのだ。
菜那や白鷺さん達だって……他にもきっと。
私はそれに気づいていなかった。
そう……夢は一人で叶えるものじゃない。
みんなで叶えるんだ。
私はその事に今日、気付かされた。
そんな折、ふと見上げた時計を見て、私は青ざめる。
皆と別れてから、もう一時間以上経っていたからだ。
「やっばい!」
私が慌てて準備していると、命琴が最後に1つ、と話を始めた。
「君に話をしたのは、他でもない、君こそが最も頼れる人だと直感したからだ。
……君には素晴らしき友も仲間もいる。……今は亡き守り人も居る。
……くれぐれも、その彼等を裏切るような行為だけは、しないでくれ」
忠告のようにゆっくりとそう言う彼であったが、その時の私は、その真意を全く知らないのであった──。
──山中にある研究所を離れ、夜道を走るのは危険だと、フロンティアが手配した、研究所から程近いホテルに泊まることになった。
コテージのような内装は何処かロマンすら感じられる。200年前の北欧をイメージし、中には暖炉や、それを燃やす為の薪もあった。
「明日の早朝、帰るように手配して頂いた。ということで、明日の6:00にこのロビーに集合にする。
何かあれば、オレか、今日特別顧問としてついて下さる、この増峨さんに伝えてくれ」
「増峨 晶と言います。今晩だけですが、どうぞお見知り置きを」
部長──虹際 星剛の紹介に続き、男は頭を下げる。
私はその間、その増峨という男が着ているTシャツにあった柄に気を取られっぱなしだった。
「では、解散!」
「よーっし、ネネ!んでリオ!何する!?」
虹際さんの号令も遮るように、夜になっても元気な女性──初葉 美雪が、同じ部屋割りの乾 寧音と坂巳根 莉央の肩を勢いよく抱いた。
あの落ち着いた、静かに燃える、と言った雰囲気の命琴の孫だとは到底思えないギャップだ。
「わっ!……私は何でもいいよ……」
相変わらず、寧音さんは美雪さんに全権委任。一方、莉央は、
「カードゲームなんてどうでしょう?私、こんなこともあろうかと持ってきておいたんです!」
と、自らの用意周到ぶりを見せていた。
「イイねーっ!じゃあ早速行こっか〜!」
拳を高く突き上げると、美雪を二人を連れ立って、部屋に向かって去っていった。
「絢。悪いが少しやることがある。先に部屋に行って、用意を済ませておいてくれないか」
別を見ると、虹際さんが、こちらも同じ部屋割りの早房 絢に向かって指示をしていた。
対する絢は、嫌な顔一つせず、
「了解っす!部長さんがびっくりするくらいの準備、しときますよ!」
と意気込んで、子供のように駆けて帰って行った。
「私たちも行こう、菜那」
それらを見送った後、私は隣に居た親友──花理崎 菜那を促した。
私の同じ部屋割りは勿論、彼女だ。
その菜那がひそひそとした声で返してきた言葉は、「うん」とか「行こう」というような言葉ではなかった。
「……部屋に帰ったらしたい話があるの──」
「──で?話って何?」
私はドアノブの上にあった鍵を横向きに捻ると、振り返って、ベッドに座っていた菜那に訊ねた。
菜那は少し間を置いてから、私の目をしっかと見て、少し低い声でこう言った。
「……アタシ、花蝶に遭った。
横英……ううん、界坂 花蝶に──」




