第36章 見学
──立ち込める、今にも雨を降らしそうな暗雲が、これから何が起こるのか見当もつかぬ私──愛翠 杏紅の不安を駆り立てる。
親友の命を奪った5年前の事件の裏に隠された衝撃的事実を知った直後に、
思いがけず舞い込んできた知らせに誘われ来てしまったとある建物。
私を始め、サークルの殆どの者が、各々それぞれの感情を胸に、この日を迎えた。
特に、これが部長として初の大きな仕事、故に緊張ゲージMAXの虹際 星剛。
前部長、黒雨 凛が、就職活動で忙しい為にいない以上、自分がなんとかしないといけない──そんな心情を抱いているのが、傍目にも明らかであった。
そして、今日という日にただならぬ思いを抱いてきた人物がもう一人。名を花理崎 菜那と言う。
彼女にとって、今日、この建物の中にある物などはどうでもよかった。
この中にいる人、それにしか興味はなかった。
そんな人々を連れ立って、私はこの建物──『フロンティア・グラウンド』の敷地に足を踏み入れるのだ。
「ようこそ!我等が誇る、『フロンティア・グラウンド』の研究所へ!」
私たちを、超高層ビルの入り口の前で待ち構えていたのは、恐らく今日の案内人と思しき一人の女性。
鮮やかな金髪を持つ彼女は、私たちを見つけるなり、周囲数十メートルにはゆうに聞こえるであろう大きな声で歓迎した。
「私が今日、皆様“人造人間”サークルの御案内をさせて頂く、閑香・S・ディアモンドでございます!」
成程、ハーフか。名前からして、イギリス人と日本人の親を持つんだろうな。
“国際ナントカ”って言葉は珍しくも何ともないこの世の中だし、ハーフの十人や二十人、いや、下手すればもっといてもおかしくない状態だ。
「それでは早速、中をご案内致しましょう──」
「あのぉー」
私たち一行の後ろの方から声が。
「此処ってー、初葉 命琴の研究所ですかー?」
その声は、今日も肩のはだけたシャツと、太腿が露わになるほど丈の短いデニムパンツが目立つお姉さん──初葉 美雪だった。
そう言えば今、初葉って言った……?
私が己の耳を疑っていると、前に居た案内人──閑香さんも、
「驚いた!アナタお名前は……?」
と、瞼を大きく開いて問うた。
「えー、わっかんないのー?閑香さぁん。ウチだよ、ウ・チ!」
美雪さんの必死のアピールにも、閑香さんは閃いた反応などは特に見せない。なので。
「じゃーあ、こう呼べばわかるかなー……“ダイヤさーん”」
美雪さんがこう言った直後、閑香さんの頬は一気に赤くなった。
「ちょっ、何でアンタがその呼び方……って、美雪お嬢様っ!?」
赤らんだ顔が一転、青ざめた。
「お嬢……様……!?」
同時に、サークルの皆の顔が彼女の方を向いた。
「そだよ。ウチも今ココ来て、びっくりしたんだよね〜」
美雪さんはなんてことのない顔付きでさらっと言ってみせた。
「この会社、ウチのじいちゃんが創設ったんだ〜───」
──閑香さん曰く、この建物は元々、『フロンティア』という研究集団のものだったらしい。彼女もその研究員の一人だ。
フロンティアは十数年前までは、世界に名を知られた有名な場所だった。
理由は簡単だ。
このフロンティアこそ、“人造人間”を最初に造り出した場所だからだ。
初葉 命琴。
2036年に彼が科学界にもたらしたのを超える衝撃は未だにない。
まだ30代の若い日本の博士が、今まで誰も想像し得なかった、“成長する機械人間”を開発した時には、世界の科学者たちが彼にひれ伏したとさえ言われる。
しかし世界がそれを知った時、それは量産不可能だと言われていた。
だが、実はその頃にはもう、量産を可能にする原理は存在しており、計画も進んでいた。
それを知っていたのは、当時のこの研究所にいた人間ともう一組。
日本政府上層部、である。
特に軍事関係の人間はそれを欲しがった。
彼等は莫大な資金を武器に、命琴をはじめとした研究チームに近づいた。
ちなみにだが、閑香さんの祖母もその研究チームにいたらしい。
日本出身のイギリス人だったという祖母は、部下達とともに反対派の立場を取ったそうだが、
リーダーであり総責任者であり、それでいて最終決定権を所有する命琴は、
国と共に道を歩むことを選んだ。
そしてその約20年後、“人造人間”たちが国民の中に放たれていたことが、日本国中、ひいては世界中に知れ渡るのだった。
フロンティアが、世界を席巻するトレイル・ブレーザーに買収されることとなったのは5年前のことである。
その理由もまた、研究資金である。
機械工学を専門としているこのチームの今の研究対象は、『よりリアルタイムでの通信が可能となるインターネット通信』であるそうだ。
素人が聞いてもわかるそのスケールの大きな研究には、やはり費用はかかる。
その研究が成功し、製品化された場合に、売上金の4割がトレイル・ブレーザーに入るという条件付きで、フロンティアはこの会社の傘下に入ることとなったのである──。
「──そう言えばそんなこともあったあった。パパってば、家の中走り回ってたもんね、毎日毎日」
他人事のような口調でそう話すご令嬢、美雪さん。そう知ったからだろうか、先程からサークルの皆が畏まって黙りこくっている。無論、私もだが。
「あの時はお父様だけではなく、この研究所内全てが大騒ぎでありました」
閑香さんにも、先程の張り切りようは見受けられず、今はメイドにしか見えない。
「さて皆様、こちらが今日、皆様にご披露したく存じ上げておりました、唯一無二の“人造人間”の前身、」
てくてくと歩いて行った先にあったディスプレイ。
特殊ガラスで造られたそれを覆っていたカーテンが左右に開き、その中にあったモノが現れる。
「汎用性ヒト型補助ロボット、“自動人形”でございます!」
大々的に紹介されたそれは、口を一文字にしてついてきていた私たちの興奮度を劇的に上昇させた。
女性の身体を再現したと思われる丸みを帯びた身体付き、見るからに絵としか言いようのない顔、温かい色味を帯びた肌の上からでも判る、機械的な骨格。
“人間”と呼ぶにはまだ程遠いその姿形が、その後身が生まれるまでの歴史を私たちに教えたような気がして、
私たちの心は昂ったのだ。
「これを開発した頃、日本をはじめ、世界のあらゆる国には、所謂“要介助時代”が到来していました。少子高齢化の進行、荒廃した土地での度重なる戦争、さらにそこから繋がる、貧国での食糧危機による若年世代の餓死など……」
そんな時代があったことは、白鷺さんに教わった。その問題の一部が、発展した科学によって解決されたのは、彼の生まれた頃だったとか。
「そう言った問題の解決策として、まだ齢17だった、フロンティアの創設者……であり、美雪様の御祖父様の初葉 命琴が発明したのが、この“自動人形”なのです」
恐らく必死に練習したのであろう長台詞も、まるで博物館に特別に飾られた秘宝を見に来た大勢の来館者のような状態の私たちの耳には届かなかった。
「それにより天才と称された命琴氏は、その設計図を大幅に改良して、初期の“人造人間”を開発したのです」
「初期の?」
サークルに入部ってまだ歴の浅い坂巳根 莉央が訊ねた。
「そうです。2096年の最終製造までに、“人造人間”は幾度か機能更新をしています。と言っても、したと言わなければ判らないような微々たるものですので、一般の方が知らないのもおかしくない話ではございま……何?」
横から割って入った白衣を着た男の研究員に向けて、露骨に嫌な顔を見せる閑香さん。
「……うん……うん……えっ!?……ったくもう……!」
男がヒソヒソと何かを伝えると、閑香さんはさらに顔を顰めたが、私たちの存在を思い出し、すぐにビジネススマイルに切り替えた。
「も、申し訳ございません……少々外せない用ができてしまいまして……」
「そーなの?じゃあ……ウチが案内しとくよ」
名乗りを上げたのは美雪さんだ。
「えっ!?でっ、ですが……」
「だいじょーぶだって!中の間取りは分かってるし!モノの中でわからないのがあったら、周りの人に訊くし!」
ご令嬢パワーを発揮するつもり満々の美雪さん。
「お嬢様がそう仰るなら……失礼させて頂きますね」
では、と一礼してから、閑香さんはその研究員と共にその場を去った。
「……ってのはウソだけどネ」
彼女の背中を見送った直後、美雪さんは舌を出した。
「ど、どういうこと?美雪ちゃん」
1人だけ、やや離れて立っていた背の小さな少女──乾 寧音が首を傾げた。
すると美雪さんはニッと笑いこう言い放った。
「みんな自由に動こーよっ!こんな堅苦しいツアーみたいなのはやめてさ!」
それを聞いて、その場は静まった。
少なくとも、これにより目を輝かせたのは、入部から多少の時間を共に過ごしているにも関わらず、未だに正体の掴めない青年──早房 絢、彼のみだった。
その他の者の顔には、不安、或いは驚きのみがあるだけだった。
「ちょっと、みんな固まんないでよ。
不安なんてする必要ないって。暴れ回るわけじゃないんだし、やたらと邪魔しなかったら怒られないよー」
それも一理ある。
……ので。
「じゃー1時間後にここ集合ね!覚えとくよーに!」
皆が一瞬見せた納得しかけた顔を目にすると、美雪さんは一方的に指示を出した。
そしていつものように、
「よしっ、寧音!行くよっ!」
と、ふわふわとした寧音さんの手首を掴み、無理矢理に近い勢いで彼女を引っ張った。
「うっ、うわっ、み、美雪ちゃんっ……」
何処へともなく去っていく2人の背中を見送る私たち。
「……全く彼女は嵐だなあ」
参った、と言う風な様子を見せる虹際 星剛という名の男。
「ま、彼女の言う通りかも知れないな。オレたちは大学生って肩書きを背負った大人なんだ。やっちゃいけない事とそうでないことの区別くらいはついて当たり前だしな」
「そうですね」
同意の言葉を返す菜那。
「では我々も、ここで一旦解散にするか」
「そうしましょうか」
「おっ、じゃあオレ、もっといろんなディスプレイ見てきます!」
美雪さんに負けない調子で、絢が飛び出していく。
「……菜那は?」
私が尋ねた。
その時の菜那の目は、傍らに立つ莉央に対して鋭い眼光を放っていた。
「私は適当に回るよ。……杏紅は別で回ってきなよ」
声色が明らかに暗い。
しかし、敢えて彼女には触れないで、私は回ることにした──。
──十数分後。
私は、顔も見知らぬ一人の研究員を、
尾けていた。
今まで、追われる身は何度か経験したが、追う側、しかもこうしてバレないように尾行したことは一度もない。
そんな、言うなれば尾行の素人である私が、どういう構造になっているのか全く知らない建物の中を、数えていては気の遠くなる程の大勢の研究員たちの視線を掻い潜り、およそ5分間、尾行し続けることに成功している。
たかだか5分。そう思うかもしれない。
しかし、発覚した瞬間、どうなるか判らないという恐怖とそれの引き起こす緊張の極限にある者にとっては、1分が1時間、1秒が1分に思えるくらい、感覚が研ぎ澄まされ、時間の濃度が恐ろしく高くなるのだから、その尺での5分を生き延びた事を、称えて欲しいくらいなのだ。
で、何故にそんな、命懸けの尾行を続けているのかという理由だが、
それを語るには、今から8分前に遡る必要がある──。
「適当に回る」。
そうは言ったものの、実際どうしていいか判らない。
第一「適当に回る」なんて言葉は、歩き回る建物をだいたい知っている状態の人間が言うものだと思う。
しかし、何も考えずに歩いてきてしまった。他のメンバーも何処に行ったのかわからないし、1時間という時間を潰すしか選択肢がない。
で、折角暇を潰すのならば、こうしてのんびりとでも歩いておくのがベストである。
私はこう考え、読んでも意味の分からないような説明文と共に展示されている小さな機械や、フロンティアに多大なる功績を残した幾名かの紹介文を見つつ、歩いていた。
道中、何十人という研究員たちが私とすれ違って行く。
彼等は、他所者の私に目もくれずにスタスタと歩いて行く。1人くらい声をかけてきてもおかしくないものだが、皆、私のようなただの見学者に気をかける暇も無い程忙しいのだろう。
対して私は、彼等の身なりを一人ずつ見送っていた。
ピッチリと分けられた髪に黒縁眼鏡といういかにも研究員な男、サラリと伸びる髪を一束に結ったツンとした顔の女、やや小太りの顔に白黒が混ざりあった毛色の髭が似合う中年の男など、その姿は様々。
その中で、姿形ではないある物を持つ男性研究員が、私の目を引いた。
研究員たちは、自らの顔写真とローマ字表記の姓名、そして、所属する研究チームの名称と担当が記載された非物体カードを首にぶら下げているのだが、
その中に1つ、興味が湧くものがあった。
その男のそれに、
『HUMANOID』
の文字があったのだ。
さっきの閑香さんの話では、もう“人造人間”の研究は終わっている筈だし、そもそも“人造人間”の製造を法で禁止している世の中なのだから、かつて国と組んでいた企業が、その仲間の目を盗んで極秘に製造を続けるなんてことは考え難い。
となれば、尚のこと気になる。
だがどうやって、その“人造人間”に関わる部署を突き止める?この一時間のあいだに、私一人の力だけで、この広い建物の中からそれを見つけることはまず不可能に近い。
なら、彼について行けばいい。
けれど発見されたら?国の目を欺いて、或いは国と極秘裏に繋がって行っている計画に首を突っ込むのだ。ご令嬢パワーもさすがに相手できないだろう。
それでも、そんな危機を冒してでも、この状況に突入する価値はあると見た私は、素人なりの尾行を決行したのだった。
そして今、男がずんずんと突き進んで行く背中を追っているのだが、
歩くにつれ、だんだんと人影が少なくなっているのが判る。
これは危うい。
気配を消す業を知らない私と男が孤立すれば、発見されるのは必然。
どうしたものか。
距離を取る?迷路のように複雑なこの建物の中でそんなことをすれば、彼を見失ってしまう確率が高くなる。
変装……は出来ない。
そうこう考えているうちに、私の目に飛び込んできた文字がある。
『関係者以外立入禁止』
の、9文字である。
これが、瞬時私の歩みを止めた。
いよいよ本当に、危険な領域に突入するのだ。決意や心の準備というやつも必要になる。
「……ふぅ」
誰にも気づかれない程度の小さな吐息を吐き、私は、男が辛うじて視界に入る距離を保ちつつ、神聖なオーラすら感じられる空間に足を踏み入れた。
──ピッ。
さらに数分後。
尾行に全精力を注ぐことでこの世から排除されていた私の意識を現世に戻したのは、男が非物体カードを読取機にかざした時に発された電子音だった。
その読取機は、特定の研究員を、ドアの向こうにある研究室に招き入れるためのものであった。
男はその研究室の中に入った。
私の存在に気づいていたのか否か。
そんな問題は、この瞬間に消し飛んだ。
しかし新たな問題がこの時生まれた。
恐らく私の求める秘密の眠るこの研究室に、一体どうやって入るか、である。
研究員と共に入る以外に、どんな手段がある?……私には何も思いつかない。
周りを見ても、鍵になりそうな物もない。
ゆっくり探りたい物だが、そうすることで中の人間に気配に気づかれでもしたら元も子もない。
どうすべきか──。
「どうしたのかね」
「ひっ」
背後からかけられた声に、ひ弱な声で反応してしまう私。
ダンディで老けた声の持ち主を見る為に、そのままの体勢で恐る恐る振り返り、見上げた。
そこに立っていたのは、
背中を曲げて杖をつく、一人の老獪だった──。




