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“人造人間”の迷惑  作者: 彩葉 軀
第3部
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第33章 信託

「──アイツ……仲間を……!」


 視界の内で起こった出来事に唖然としつつ、私の隣に立つ男──神多(カンダ) (ジュン)は、驚愕の意を示す言葉を漏らした。


「……(ヒョウ)……(ドウ)……!?お、おま……え……!」


「……アンタは喋り過ぎた、獅牙(シガ) 百華(モモカ)。この一隊をまとめるリーダーとしての立場も我も忘れて、あられもなく“秘密”をぺちゃくちゃと……」


 “秘密”。男──豹堂(ヒョウドウ) 久吾(キュウゴ)の言うそれは、私──愛翠(アイカワ) 杏紅(キョウカ)の能力、『勇戦状態(ブレイヴモード)』の事だろう。


「……ハァ……ハァ……あの女の……角中(スミナカ)…………宙音(ソラネ)のことは……私も……知らなかった……!」


 斬られた傷を身体中に負い、その場に倒れる百華は苦しみながら答える。


「ああ……確かにアンタも知らなかった。しかし重要なのは……奴等に知られたこと、だろ?」


 言うと、豹堂はその百華のもとに歩み寄り、わざわざしゃがんでから続けた。


「……『SHAT(シャット)』は隠密行動を主とする。可能な限り迅速に任務を遂行するために派遣されるんだ……だがお前は感情に任せて目的を後回しにして殺戮行為に走ろうとした。それが許されない行為だと……広楽島(コウラクジマ)からのコメントがあった」


「……そんな……!」


 驚愕と同時に絶望を抱く百華の顔は、私たちの胸のつかえを下ろしてくれたが、やはりそれよりも強い恐怖を私たちに与えた。

 ついさっきまで私たちにあの猟奇的な笑みを見せていたはずの百華がそのような表情を浮かべてしまう程なのだという事実が与える恐怖を。



「……さて。どんな死に方がいい……?こんな形にはなったが仲間であることは変わらないのだし、折角だから死に方を選ばせてやろう……。

 さあ早く選べ……!その姿のまま生き続けるのを見ているだけで、オレは息が詰まりそうなんだ……!」


 不如意な死を前にして悲しむ言葉のように聞こえるが、その顔は、やはり笑っていた。


「……任せる。……理想的な死に方など……最初から無い」


「そう言うと……思ってたぜェ……!!」


 恍惚的な表情を浮かべると、豹堂はその長細い脚をゆっくりと上に上げ、彼が上げられる最高点まで到達すると、


「……()()()()()……!」


 と呟いてから、足を、



 百華の頭部めがけて、打ち付けた。

 足で、かつての仲間を、踏み壊した。



 私たちを威圧したあの表情を浮かばせたはずの顔はすんなり、グニャリと押し潰され、

 肉食獣のような眼光を放っていたあの目も、

 数々の怒声や言葉を生んだあの口も皆、

 そのグチャグチャになった顔の中では一緒くたになっていた。


 しかも豹堂はたった1回では飽き足らず、何度も何度も、何度も何度も踏み潰し、

 その顔が、生前の面影を残さぬほどに圧壊されてしまうまで、それを続けた。


 かつての敵ながら、それを見ているのはあまりに痛々しかった。

 けれども何故か、私たち5人は皆、

 その凄惨な仕打ちから眼を離そうとはしなかった。


 そして突然、何の前触れもなく、豹堂はそれをやめた。


「……ああ、今度はオレがテメェらのことを忘れていたよ……他人(ひと)のことばかり言ってられねぇな……」


 百華の顔──否、顔とは言えぬものを踏みつけていた足を離し、こちらに近づいてくる豹堂。ゆっくりな歩みを取るその右足の靴の裏には、血がべっとりついており、足跡の二つに一つが、気色の悪い赤色をしている。


「……宙音……!その土手っ腹に空いたその穴……ただオレがテメェにダメージを与える為だけに空けたと思うか……?」


「……ハァ……ハァ……ハァ……何を……!?」


 答えに怯える宙音。

 その答えを言おうと、豹堂が大きく息を吸い込んだ時、その音は鳴った。



 ──ピッ……。


 ピッ……。 ピッ……。 ピッ……。



「何……!?何の音……!?」


 豹堂の声と、体力の乏しい私たちの息遣いの音のみが存在していた空間に、突如として鳴り響く謎の音──電子音。

 その音源が判らない結由や撫子は、激戦の結果で瓦礫ばかり存在する周囲を、慌ててキョロキョロ見回す。しかし無論、そこには何も存在しない。


「よく聞いてみろ……“音源(こたえ)”はすぐそばにある……否、いる」


 そう、“音源(こたえ)”はすぐそばにあった。

 豹堂のその不可解な言葉の意味にいち早く気付いた、宙音の、


 中に──。


「私……!?」


「何の音だって言うんだ、豹堂!」


 戸惑う宙音の身体を庇う撫子、その夫である潤が、大声で問う。


「そいつはテメェらの“死”の足音さ。

 オレはその足音を刻み始めさせただけに過ぎない。

 その女の中で奇妙な音を鳴らすそれは、もうすぐテメェらの命を奪う。

 “爆発”って手段でな……!」


「……!?」


 笑う豹堂の言葉に凍りつく私たち。


「そいつは言うなればそう……


 “時限爆弾”、だよ」



 その凍った私たちを打ち砕くようなその衝撃は、言葉にし得がたいものだった。


「しかもただ爆発するだけじゃねェ。“人造人間(ヒューマノイド)”のそこの二人も確実に仕留める工夫が施されてある。


 “飛散型散消薬(スプラッシュヴァニッシャー)”だ……!」


 “散消薬(ヴァニッシャー)”。その単語が、私の悲痛な記憶を刺激する。


「……!!お前……ふざけんなよ……!」


 怒りを顕にする潤。その脚が、徐々に豹堂に近づき始める。


「爆発で運良く逃れて、ちょっと皮膚が焼け焦げるだけで済まれちゃ困るからな。

 それに安心しろ。そいつだけ特別に組み込まれてるんじゃねェ。『SHAT(シャット)』隊員全員の体内にあるんだ。最終手段として使えるようにな」


「……豹堂ォーッ!!」


 その余裕綽々と言った態度で話す豹堂に対して怒りを爆発させたのは、潤ではなく、撫子だった。

 彼女はそれまで見せなかった、恐らく彼女の中のトップスピードで、果敢にも豹堂に攻め込んだ。

 しかしその勇猛な行動も、今の豹堂の前には無力だった。豹堂はそれを、害虫にそうするように手で払った。


「……やめとけ。今のオレに挑むのは……。

 オレは血を浴びると、興奮して戦闘力が上がる上に、テンションとは裏腹に冷静になるんだ……昔っからそうでね……我ながらおかしな体質だ……」


 手荒な対応を受けた撫子は、切れた口から流れる血を拭い、舌打ちした。


「無駄な足掻きはやめて、思い出でも振り返っている方が良い。もう(じき)……あと3分もすれば爆弾は()ぜる……お前らの為だけにな」


 5人の睨む目にも全く臆せず、豹堂は続ける。


「……その爆弾の威力は小規模だ。この道路だけに被害は留まるだろう。

 ……誰にも“迷惑”はかからねぇ。安心して死ねや」


「大人しくなんて……死ねるかァーッ!」


 哀れむような豹堂の眼に激怒し、今度は二人で突撃する神多夫婦。

 実力は折り紙付きである二人なので、多少なりとも攻撃は下せると思った。

 しかし甘かった。

 今の豹堂には無敵という言葉が相応(ふさわ)しく、その証拠に、二人がわざとタイミングをずらし、応戦しにくいようにした攻撃をものともしなかったのだ。

 慌てて退く二人。彼らを見て豹堂は言う。


「ハァ……聞こえなかったのか?無駄な足掻きはやめろって。……見苦しいぞ……それとも何か?爆発に巻き込まれて死ぬくらいならオレに殺されたいと?」


 こちらを見るその蔑むような目が、だんだん悔しくもなくなってきた。

 ──のは私だけだったようで、しかも悔しさが頂点に達していた宙音が、とある言葉を口にする。



「みんなは逃げて──私が、アイツの相手をする」



「……!?おい、何言ってんだ……!?宙音……!」


 その言葉に誰よりも驚きを隠せなかったのは、言わずもがな、私のそばに居た女──金子(カネコ) 結由(ユユ)だった。


「別にお前が行く必要は()ェよ……!もう諦めもついた……せめておれたちは……一緒に……」


「それじゃダメなの」


 結由が発した妥協の言葉を、宙音はきっぱりそう言って受け取らなかった。


「……私、せっかくこうやってユユ姉ちゃんのこと思い出せたのに……ユユと一緒に死ぬなんて、そんなの……嫌」


「……何でだよ、一緒に逝けばあの世でもずっと一緒になれるかもしれないんだぜ……?その方がずっといいじゃないか」


「それは違うよ、結由」


 結由の出した言葉に対し、その会話に割って入って返したのは、私だった。

 正確な事を言えば、私の意思ではない。

 “あの夜”──3年前の7月7日、沢山の人に“希望”を託されたという、私の記憶だ。


「宙音ちゃんは……あなたを忘れたくないからそう言ったんじゃない。

 ……あなたという存在が居なくなるのが嫌だからそう言ったの……」


「…………」


「宙音ちゃんは……もうこの世にいられる時間は長くない……それは止めようのないこと。けどあなたは……生きられる……!

 それを守ろうとしてくれているのに、アナタはそれを……無駄にしないで……っ!」


「……!!」


 息を呑む結由。

 そして彼女は一度、宙音の顔を見た。

 対した宙音は何も言わず、ただ真顔で何もしなかった。

 しかしそれが、(かえ)って結由に信頼させる理由になった。

 最期の信頼を──。



「……私が前に出る。その時にみんなは後ろの車で逃げて。……迂回ルートは、みんなの方が判っているはず……間違っても真っ直ぐ行ったりしないで。絶対に……アイツに殺されるから」


 戦闘態勢に入る宙音。

 往生際の悪い私たちに呆れるような表情を見せる豹堂。


「いい加減諦めろよ……クソ野郎共ォォ!」


 そう吠えて、私たちに向かってくる豹堂。


「……予想通り……今です!みんな!」


 宙音の合図に反応し、予備エネルギーで動く私と、結由を担いだ撫子、そして単なる戦闘においての欲が止まらないが何とかそれを堪える潤は、急いで後退した。


「チッ……!単細胞共がァ!逃げ切れると思うなよォ!」


「くっ……!通さない……!」


 豹堂の前に立ちはだかる宙音。

 治癒し掛かっていた腹の傷は、本人が突然動いたことで再び開いてしまった。そこから鮮やかな赤色の血が飛び散る。

 しかしそれにも戸惑わず、彼女はただ、豹堂の行く手を阻もうとした。攻撃はしない、ただ待つのみ。

 そしてそこで行われる高度な駆け引き。

 先に攻撃をした者がこの勝負に敗北するだろう。反撃(カウンター)した方が制する確率が高いからだ。

 だが、宙音が攻撃をせずにやり過ごすことは出来ない。つまり、

 彼らが対面し、そしてすれ違うまでの刹那的時間の中で、宙音は豹堂に攻撃をさせなければならず、それが出来なければ乏しい可能性を信じて自らが仕掛けなければならないのだ。

 戦闘経験の豊富な豹堂も無論、それを理解していた。

 だが、だからと言って油断は禁物。

 敵も『SHAT(シャット)』の訓練を受けてきた事実がある以上、戦闘技術(コンバットテクニック)の素人ではないのだから、油断して隙でも作ろうものならそれを狙ってくるのは当然。

 よって最善の警戒を張りつつ、攻撃はせずに過ぎ去る。豹堂はそうしなければならない。

 二人が同時に自らの執らなければならない行動を再認識した。

 そしてその直後、まず宙音が仕掛ける。

 仕掛けたのは攻撃ではない。俗に言う偽の攻撃(フェイント)だった。

 彼女は、豹堂が通過しようとした側とは反対の手、右手を僅かに豹堂に近づけた。拳を伴って。

 それを感知した豹堂は、常人には判らぬ程に瞬間的に戦闘態勢に入った。

 その右手が来るものと踏んでいた豹堂に対し、宙音は何もしなかった。走りながら構えた戦闘態勢のお陰でバランスが崩れるようにそうした。

 が、やはり豹堂はそれをも克服した。

 彼は右手が来ないことを察知すると、空中で失ったバランスを取り戻す為に、次の足が地面につく際に、通常よりも深く力強く踏みしめた。

 その足が、彼が体勢を整える時の支柱になり、且つ次の素早い一歩を踏み出す際の加速(ジェット)エンジン代わりになった。

 目論見(もくろみ)が失敗した宙音。だが、猛スピードで通過しようとする豹堂を取り逃がすわけにはいかない。

 だから彼女は、空いていた左手を用いて、豹堂の左手を掴んだ。

 それが宙音にとって不利な状況(シチュエーション)に陥る所作であることは、豹堂だけでなく、宙音自身も理解していた。

 そして知っているからこそ、豹堂は宙音に何もさせまいと、

 その掴まれた左腕にかかる負担を(いと)わずに、そのままバック転をして、宙音の身体を逆に地面に叩きつけようとした。

 その企み通り、宙音の身体は虚空を舞った。

 だが、その息も詰まる戦況の中で冷静沈着を貫いていた宙音は、そこで手を離した。常人であれば宙を舞う不安で力が入る手を、彼女は脱力させたのだ。

 後転の最中で、態勢的に復帰出来ない豹堂の胴体に、着地した宙音は、


「はぁっ!」


 と気合いの大声とともに、

 痛烈な掌撃をお見舞いした。


 この間、僅かに5秒。

 これが戦士の闘い。改めて感服する。


 そんな宙音の必死の守護もあり、私たち4人は、後方10数メートル先にあった、宙音の乗ってきた車にたどり着いた。


「オレが運転する!杏紅は前に!撫子と結由は後ろに座れっ!」


「判りました!」


 潤の指示に私は応え、同時に撫子も、


「判ったよ!」


 と応えたが、結由は黙ったまま、宙音の方ばかり見ていた。

 そうして私たちは車に乗り込んだ。

 潤が急いでキーを回し、ほぼ同時にアクセルを踏む。ギアはR(リバース)レンジに入っており、車は後方に急発進した。

 潤の運転も、どうやら“あの人”の運転と同じらしい。実に乱暴である。私は慣れてはいるものの、この傷だらけの身体には優しいとは言えない。

 グルリと半回転し、車は方向を後ろに向ける。迂回ルートを通る為だ。

 ギアをD(ドライブ)レンジに切り替え、潤がアクセルを強く踏んだ。


 その時、私の耳には聞こえた。


 あの結由が、

 またも泣いている声を──。


 しかも今度は、先程のような、駄々をこねる幼女のように泣き(じゃく)るのではない。

 静かに、穏やかに、

 あの血の気の多い結由のそれとは思えぬ、

 お淑やかな声で。


 そして、車が発進した時、

 残った最後の力を振り絞った結由が、撫子が彼女を抱えていた手を振りほどき、ドアウインドウから身を乗り出して、大きく息を吸ってから叫んだ。




「宙音ェェェェーーーーーッ!!!」




 遠ざかる宙音に向かって、彼女は懸命に吠えた。

 その少女の名を幾度となく。

 対して宙音は振り向けない。振り向いて隙を見せ、豹堂にトドメを刺されるとか、或いはと通過されるとかすれば元も子もない。

 その小さな、けれども頼れる背中を見て、別れの寂しさが再燃した結由は、

 その乗り出していた身を更に前に出していく。転げ落ちても、宙音を助けに行く気だ。

 撫子はそれを必死に止めようとした。


「ダメだ、結由っ!行っちゃいけない……!アンタは“助けたい”、ただその一心かも知れないけど、その行動があの()に“迷惑”をかけてしまうことになるんだ……今までの闘いを、無駄にしてしまうんだよ……!」


「でも……!でも……!」


 そう言って結由が流す涙が、疾走する車のせいで後ろに置き去りにされていく。

 その目に映るのは、

 自らの命に残された時間の短さを悟り、仲間の為に、敵を道連れにしようと、

 拳の連撃の間に僅かな隙を見せた豹堂の身体を抱き締め離そうとしない宙音の姿だった。


「ふざけるなァ!離せェェェッ!!」


 と怒声をあげながら(もが)く豹堂であったが、仲間の命を救う為に死力を振り絞る今の宙音には適わなかった。

 そして、



「ユユゥゥゥゥーーッ!!」



 その状態で、宙音が結由の名を叫んだ。

 呼ばれた結由は、涙でよく見えないはずの目で宙音の方を見た。

 そして私も、彼女の方を見た時、

 彼女は言った。

 無邪気に微笑んで、

 音も無く、ただ口だけを動かして──







「ありがとう」




──と。





 そして次の瞬間──



 宙音の身体は、



 ()ぜた──。




 ──1時間後。


 体力も回復し、そろそろ散消薬(ヴァニッシャー)の効果も切れてくる頃だと潤が言うので、結由は急いで車を走らせた。潤は家に残ったが、私と撫子は付いていくことにした。

 敵を増やすべきではない今は規制線を突き破るわけにはいかないので、事後調査の間隙を掻い潜りながら、それでも最短ルートで、“アンフォークドストリート”に到着した。

 刑事や警官たちは、爆破音を聞き何事かと寄ってくる野次馬たちを払い除けるのに精一杯。

 更にありがたい事に、他の手の空いた警官たちの相手を、潤や撫子の部下(コドモ)たちが請け負ってくれた。彼らにとって、警官たちの手を煩わせるのは手慣れたもの、朝飯前だ。

 そんなこともあり、“アンフォークドストリート”には、あの戦闘の前の静寂が再び訪れた。


「……!あそこじゃないかい……?」


 人も動物もない、閑散という二文字を絵に表したような光景の中を歩くこと数分。

 撫子はふいに、彼方を指差してそう言った。

 彼女が示した方向には、

 フロントガラスに穴の空いた車や、何かが激しく叩きつけられたことで車体の一部がグニャリと凹んだ車、

 そして、普通に暮らしているだけではなかなかお目にかかれない、地面を覆うアスファルトが砕かれ、その下の地下電線が顕になった地面が存在した。

 まさに戦場と呼ぶべき、先程までいた場所である。

 私たちは彼処(あそこ)で無我夢中で闘っていたのだと思うと、今こうして生きていられる幸福を再度実感する。

 隣を歩いていた結由が、その場所を見つけるや否やまっしぐら。脇目も振らずに駆けて行った。

 そして、その戦場の中心地点に立つと、周囲を懸命に見回した。視界に映るものを隅から隅まで。

 だが、彼女は見つけられなかった。己の目的としているものを。


 角中(スミナカ) 宙音(ソラネ)の、欠片を。


 宙音の欠片は、即ち結由の欠片。

 5年前に一度失い、二度とその手で触れられぬと思っていたその欠片を、また失うなど──。

 その心中を考えれば、彼女がああまで血眼になって探すのも無理はないし、私でもそうするだろう。

 だが、その様を見ていると、

 本人以上に泣きたくなる。

 その行為が無為であることを。

 そうわかっていても、その凸凹の地表を手で、爪で、掻いてしまうことを。


「宙音……!宙音ェ……!」


 勢いのない、力のまるで入っていない声。

 その声を聞き苦しく感じた私は、後ろから肩を持ち、慰めの声をかけようとした。

 だが、肩に手を置かれたのは私だった。

 撫子が私のその行動を止めるために置いた手を。

 彼女はまだ、その地面を掻き続ける。

 だがその手が辛うじて掴むのは、辺りの建物から燃え出た灰と、嘲笑うように彼女の掌を撫でる空気だけ。


 だがその手に、

 あるものが降り注ぐのだった。



「……雪……」


 撫子が呟いた。

 そう聞いて上を向いた私の額にも、それは優しく降り落ちてきた。

 冬を象徴する、白い結晶。

 冷たく感じるはずのその物体に、私は温かさを感じた。

 人の、手の温もりを。

 腕の中にいるような、心地良い感覚を、私は憶えた。

 同じくそれを感じた結由は、口を開けたまま空を見上げていた。

 かと思うと、彼女は立ち上がり、その雪を手で掬おうとした。

 粉雪は、手に触れた途端に溶けて消えた。

 けれども彼女にとってはそれで良かったのだ。


 宙音が、自らの身体に染み込むような感覚がして──。


 その証拠に、彼女は、

 微笑んだ。

 結由の人物像からではまるで想像出来ない、お淑やかな微笑を。


 だが、その何か吹っ切れたような微笑みが彼女の顔から消えると、結由は再び膝から崩れ落ち、



「…………うぅっっ……!」


 と唸り始めた。

 何かを詫びるように頭を地に付け、涙を堪えつつも苦しむような声を出しながら泣く彼女の背中を、何故か私は、

 ギュッと抱きしめた。

 それが余計に心に刺さったのか、彼女は私の身を振り払おうともせず、ただそのまま、


「宙音ェ……!」


 とまたいつぞやかのように泣き始めたのだった。



 その背中に、私はどう頑張っても、



 ───今のあなたには“美”しい“雪”がついている──



 という言葉をかけることは出来なかった──。

第3部完結です!

次章からはいよいよ第4部!

物語も後半に突入いたします!


(……まだ“後半”……!)

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