第30章 悲逢
──2116年 1月4日 AM.0:30
月光が、窓のカーテンの隙間から入り込んでくる。眩し過ぎない、実に心地の良い光だ。
私──愛翠 杏紅は、その頬を光に照らされながら、今日(日も変わったので昨日とも言える)、撫子さんから聞いた話を思い返していた。
驚いた。まさかあの寧音さんが二重人格で、しかも本来の人格ではないと知った時は。
それに、その人格に合わせて身体の大きさも変化する、そんなことも私たち“人造人間”には有り得ると知った。
だが何より存外だったのは、
彼らも白鷺 京助という男に会っていたということだ。
気になったので、後から電話で確かめた。
神多という名前に聞き覚えはあるかと訊くと、幼馴染みだ、と返してきた。
なので今日聞いたことを全て話すと、彼はその説明に付け加えるようにして言った。
「あとからジュンに聞いた話では、結由の人格が現れるのには2つの条件があり、どちらかを満たせばすぐに変化するそうだ。
1つは、過度のストレスを、それも急激に背負うこと。寧音が恐怖や怒り、嫌悪等の心的ストレスを感じた時、結由の人格は露わになる。
もう1つは、君が今いる島、興土島にいる時、だそうだ。こちらは寧音の制御も多少利くようだがそれも難しいらしい。
過激的な結由を抑えている時は、寧音は黙る傾向があるらしい。だから彼女が懸命に結由を抑えようとしていると判った時は、なるべく話しかけないようにしろ。話しかけられているのに答えないということも、僅かなストレスに感じるからな」
なるほど、と私はその時納得した。これで今朝あったことは全て訳が成立する。
その寧音──今は結由のようだが──は、私がいる隣に布団を敷き、そこで大きないびきを立てて寝ている。耳を塞ぎたい。このままだと私が眠れそうにない。
広楽島の恐ろしさを改めて知った日でもあった。
1人の“人造人間”を二重人格に変えてしまう狂気的とも言える所業の潜む島。
そんな場所に、彼女は勿論、高貴も秋柊も収監されていたのかと思うと、今こうして私が無事に生きていられるのは、これ以上ない幸福だと実感できる。
人間……多くの人間は、これを普通だと思うのだろうか。酷いと言う人道的な心の裏に、そんな仕打ちを受けても当然だと思う心が潜んでいるのだろうか。
しかしそうでない人間もいるから難しいのだ。私たちの側に立つ、ということではないが、少なくとも非人道的なことを思う人間には反発する人もいるのだ。
こんな躊躇を繰り返しているうちに、私の人生は終わってしまうのだろうか。
何も出来ないうちに、私は儚く散ってしまうのだろうか。
自らの未来に対しての不安を募らせる中、私はいつの間にやら、(隣で結由がかいているいびきも気にとめず)眠っていた──。
「──起きろ……!おい…………きろ……!」
女の尖った声と共に、眩い日光が、閉じているまぶたを通り抜け、私に起きろと訴える。
声はどうやら苛立っているので、怒らせてはならないと感じ、嫌々ながらも私は目を開く。
視界には、まるで私を覆うような太陽光と、下着とパンツのみを身にまとい私を見下ろす女──結由がいた。
「ったく、さっさと起きろってんだ……」
と、呆れるように吐き捨てると、昨夜もご馳走になった食卓の方を指さし、
「朝飯だ。撫子が呼んでる。着替えたらさっさと来やがれ」
と指示だけして、自分は自分でその食卓に向かうのだった。
着替える、という行程だけはあんたに指示されたくなかった、と反抗的な気持ちも抱きつつ、私はキャリーバッグに詰めてあった服を広げた──。
「──どうするんだい?今日帰ってしまうのか?」
茶碗いっぱいに盛られた白ご飯を頬張る私に、撫子さんが問うてきた。
「うーん、私はどちらでもいいんですけど、寧……結由さんはどうします?」
一瞬、「寧音」と言いかけ止めたのは、話を聞いた直後に、潤さんとの模擬戦闘で汗を流した彼女をその名で呼んでしまい、激怒されたという記憶が頭を過ぎったからである。
「ん?……まあ帰ってもいいかもな。久々に運動して満足だし。」
言いながら口に運ぶご飯の量が違う。私の3倍くらいはある。
「……じゃあ今日で帰らせて頂きます」
「そうかい。自分から訊いておきながらこんな事言うのも何だけど、寂しくなるねぇ……」
撫子さんはそう言い、眉がハの字に変わる。
「お前がそんなのでどうする。寂しくなるのはこいつらだろう。せめてこっちは普通に送り出さねぇとダメだろう」
「何言ってんだいあんた!判ってないねぇ。寂しくなるって言っておくの!」
それを本人たちの前で言うのもいかがなものかと思いながら、私は冷めかけの白ご飯を頬張った──。
「──じゃあな、2人とも。あとあのバカどもにも言っておいてくれ。『潤とみっちり戦って、次来た時は楽しく闘わせてくれ』って」
「どんなお願いだい、全く……。こう言ってるけど?潤」
「当たり前だ。お前の伝言なんて無くても、オレが甘ったれたアイツらを鍛え上げておいてやる。お前こそ覚悟しておけ」
一般人の別れの時にする会話じゃない。ただ戦士のそれだ。
同感な撫子さんは、徐に私の肩に手を置き、呆れた溜め息を吐きながら言った。
「ホント最後までこんなので申し訳ないよ……。あんたは間違ってもこんなのにならないようにね」
「は、はぁ……」
どう返すのが正解だったのだろうか。
私は判らないまま、何とも言えない返事を返した。
「そ、それじゃあ失礼します……」
私はぎこちなく頭を下げて言った。
「ああ。またいつでもおいで。気をつけて帰りなよ」
「ありがとうございました、ホント」
撫子さんの言葉に、私は改めて頭を下げた。だがこの瞬間、
──このままずっと続けられるんじゃないか──と判断した私は、唐突ながら踵を返し、結由を置き去りにしてそこを立ち去った。
神多家から少し離れた駐車場に停めてあった車を拾い、港に向かう。帰りの直行便の予定出航時刻までは2時間ほどあるから、ゆっくり安全運転で心がけよう。
「……白鷺とかいう奴の家から帰ってきた時よ。おれここの景色見て思ったんだよ」
窓の外を眺めていた結由が、何の脈絡も無しに話を始めた。
「ココが“天国”なんだって。本当の天国は『何もかもが許される場所』じゃなくていいんだ。
『何にも縛られずに過ごすことの出来る場所』……それこそ天国なんだ」
それには同意だった。
平和に暮らす人々には当たり前にやってくる、個人の思想も身体の自由も保証される暮らし。それこそ天国である。
「寧音がお前と一緒にこの島に来るって言ったのを、おれも知っていた。おれは寧音の思考の中にいる、そんな感覚なんだ。
だからアイツがお前と一緒に帰ったのも、あの美雪とかいうのに優しくしてもらってるのも知ってる」
あいつはイイヤツだと思うけどな、と彼女が付け足したので、そうですよね、と肯定の意思を見せておく。
「寧音がお前とここに来るって言ったのは、お前の為でも寧音の為でもなく、おれの為なんじゃないかと思ってるんだ。
おれにこの景色を、この目で見せてやろう、って粋なことを考えついたんだろう」
確かにそうかもしれない。
事実、話を始めるまでの彼女の顔は実に生き生きとしていた。いや、その間だけじゃない。
神多家に着いた時も、潤さんと拳を交わした時も、ご飯を食べている時もずっと、彼女はとても楽しそうだった。私からすれば羨ましいくらいに。
そうなることを寧音さんは知っていたんだ。だから彼女は、自らの身にある秘密を明かすのと同時に、結由にこの景色、この空間にいる事の喜びを思い出して欲しかったのだと思う。
「……いつもありがとな。寧音と良くしてくれて」
結由は、いつも寧音さんが見せるお淑やかで落ち着いた笑顔とはまた違う、
これ以上なく、感謝と喜びの意が表れた屈託のない笑顔を私に見せた。
これには私もつられて、笑顔で返した。
「おれもいつも一緒に……はっ……!」
「どうしたn──」
「つけられている……!気づいたことを悟らせるな、平然と運転しろ……」
笑みで緩んだ顔が一気に引き締まる。
「……見送りに来た人じゃないんですか……?」
「冗談言ってる場合じゃねぇ。あれは敵だ。何故って──」
結由は首元を動かさずに目だけでサイドミラーを覗きながら答えた。
「女が乗っているんだ」
私もバックミラーを覗いた。確かに女がいる。
神多家では、撫子と結由以外の女性は見なかった。つまり女性は居ないということになる。
それなのに、女性が乗る車が仲間なはずがない。
よってあの車は敵、ということになる。
「けどどうすれば……?変な動きをしたら気づかれるんじゃ何も出来ない。港で降りてもそこを突かれると終わりですよ……!」
「確かにな……。しかしこの島の何処にも戦いやすい場所なんて無いから応戦も避けたい。だからと言って逃げ続けても埒が明かないまま、エネルギーの少ないこっちが負けるだろうな」
この冷静さ……どこか“父さん”に似ている……。その雰囲気が、
私の心を落ち着かせてくれる……。
「とにかくこのままいろんな道を……あれっ!?」
私は思わず声を上げてしまった。何故なら──
「車が……いない……!?」
いつ曲がった!?あるいはいつ降りたんだ!?とにかく追いかけてこなくなったところを見ていない……!
「……!くそ、やられた……!“空高速”だっ!」
“車仕執事”に映る地図を見て結由が吠えた。彼女が指さした画面を見ると、確かに『“空高速”入口』と文字がある。
「気づかれてたんだ……!“空高速”から狙われたら圧倒的に不利だ!」
「どうしますか!?」
「とにかく走れっ!なるべく車の多い所をだっ!相手は恐らく国の送った奴だ!一般市民を巻き添えにするのは向こうもよろしくないはず!」
「……了解です!」
指示を受けた私が向かおうと決めたのは、昨日も走った“アンフォークドストリート”だった。一般的に今日、1月4日から仕事初めの人が多い。年末年始休んでいたぶん、今日はより一層慌ただしく社会が動く。つまり一般人が多いということを表している。
この中で激しく動き回るのは、こちらもそうだが向こうにも障壁を及ぼす。立場も踏まえて考えれば、明らかに走りやすいのはこちらの方だ──。
──という考えは甘かった。
昨日の私が引き起こした事故で、“アンフォークドストリート”は交通規制を行っていたのだ。
これは私たちが走れないということを意味しているのではない。
一般人という最強の障壁が、全くとしていないということを示しているのだ。
考慮外のことが起こってしまったが、しかしやるっきゃない。このまま突っ切る……!
「すみませんが、ここは通行禁止──うわっ!」
規制線上に立っていた警官の抑止を無かったことのように無視し、私はその規制されている道へと車を走らせる。
3キロに渡って全て規制線が張られており、従って中にいる人は警察の人間しかいなかった。
その中を暴走するのだから追っ手は必ず──?
……?来ない……?
何故だ?あの車が合流するまで、この車の存在を捉えておくのではないのか?
「……諦めたのか?」
結由もそれに気づき、窓の外を見る。
その直後、彼女の顔色が豹変した。
「……おいおいおい、マジかよ……!おいお前!もっと飛ばせ!」
「えっ、何で!?」
「あの車、ビルの上をっ!
浮遊動で渡っていやがる!」
まさかと思い、結由の乗る助手席側の窓を見る。
驚愕した。
本来“空高速”でのみ使う機能、浮遊走行を使い、飛行できるというその機能を生かして、高低差のあるビル群の上を渡り、追いかけてきていたのだ。
さながら忍者の如きその動きは、まるで車が運転手の身体の一部のようにすら思える。
結由はスピードを出せと言ったが、確かにそうすべきだ。浮遊走行は上昇あるいは下降する時に、どうやっても僅かながらスピードが落ちるからだ。
地上走行の私たちは、曲がる時だけしかスピードを落とさなくていい。ビルの幅はそんなに長くないから、あの車はしょっちゅうスピードを落とさなければならない。その時に出来る遅延を重ねれば、振り切れるかもしれない。
という希望を胸に抱きながら、私はアクセルペダルを踏んだ。その勢いはまだまだ、“彼”には勝てない。
しかし車は振り切れない。獲物の草食獣を捉えた猛禽のように、その手に掴むまではしぶとく追ってくる。
飛び道具が無いので、こちらから向こうに攻撃を起こすことは不可能。逃げ続けるしかない。
しかもここは孤島。車で逃げるのはこの島内しかない。
他に打開策は無いものかと苦悩していたその時であった。
結由が突然、
「おい止まれっ!車を止めるんだ!」
と叫んだのだ。
あの車を視覚で捉えるのを彼女に任せてある以上、彼女の指示だけが頼りであり、個人的な判断はしてはならない。
私は慌ててブレーキペダルを踏みしめた。
その僅か1秒後。
私たちの車の前に、ビルの上から私たちを追尾していた、黒と白のコントラストカラーが目立つ車が落ちてきて、地面に打ち付けられた。
刹那的時間の遅れがあれば、あれの下敷きになっていただろう。その事実に、私は戦いた。
「……何してる!?早く車を出せ!」
隣に座る結由の叫びに私が気付いたのは、それから数秒経ったあとだった。
しかし、その僅か数秒が命取りだった。
私がアクセルペダルを踏み、目の前で障害として存在する車を避けるために右にハンドルを切ろうとした時、
その車の扉が開いた。しかも左右両方である。
構わず走り去ろう、人が出て来ても、どうせ敵なのだから轢いてでも突破しようとしたが、そんなことは出来なくなる出来事が起こる。
私たちから見て右側、つまり相手の車の助手席から、人が降車したのは視認できた。
だが次の瞬間、
私たちの乗る車のフロントガラスが割られ、私と結由の間を、鋭利な“何か”が裂いたのだ。
最初、それは相手の武器だと思った。不意討ちに対する驚きに支配されていた時、それは槍だとか、或いは拳銃の弾丸だとかの類だと考えていた。
だから、フロントガラスを貫いたそれが、
鋭く尖った、
人間の手だと判明した時は、更なる驚きが私たちを包んだ。
「……チッ……外したかぁ。ま、テメェらを食い止めるっていう目的は達成できたから、良しとするかぁ」
空けられたガラスの隙間から、男の声が聞こえる。一切と言っていいほど、緊張感が認められない。
「やめろヒョウドウ。私たちが達成せねばならないのは“彼女”の捕獲だ。抹殺ではない。私の指示したこと以外はするな」
「……わかったよ」
遠くから聞こえる女の低い声に渋々従う男。
彼の手がフロントガラスから引き抜かれる。
「君たちも早く降りてこい。私は政府の人間だ、逆らうのは控えた方がいい」
女の声が、私たちにも指示を下す。
そんなものは無視して逃げたいのが本心だが、この分厚いフロントガラスを、一面にヒビを残すほどに貫くような奴が目の前に立っているのだ。逆らったところで結果は同じだということは目に見えている。
ここは素直に車を出るべきか。
そう判断したのは私だけではなかった。
私と結由は同時に車を降りた。
急落下した衝撃で巻き上がった塵や埃がまだ残っている中、二つの人影が見える。手前から塵煙は晴れていき、人影の正体は明らかになる。
手前に立つ男──恐らく名をヒョウドウという──は、角刈りに鋭い目つき、顔を真っ二つに割るように横切る傷と見られる跡が特徴だった。身長はさほど高くないが、そのぶんドッシリとした見た目だ。
奥に立っていたのはやはり女で、メタリックフレームの眼鏡をかけている。編み込みの黒髪で、おろされた前髪の隙間からは、ヒョウドウに負けぬキツさの目がこちらを睨んでいた。スリムな身体つきだが、決して痩せ細ってはいない。
そして二人に共通するのは、見覚えのある特殊スーツ。
三年前の“あの日”、高貴や秋柊が装備していたのとまるきり同じ。従って彼らは、
『SHAT』、ということになる。
そしてそれは、この2人が、国から派遣された、言い換えるなら、
“天獄”から遣わされた“人造人間”であるということを意味している。
「人体番号識別。……NHFW-1500。……金子 結由の識別情報と一致。成程……一体どうやったのかは知らないが、“国民名簿”を操作していたわけか」
女は言う。
「……何の話だよ」
結由は冷静を貫く。
「……【“人造人間”案件基本法】第5項、【“人造人間”案件基本法における“人造人間”返還に関する項】に則り、お前を捕獲し、広楽島に連行する」
「断る、と言えば?」
結由が挑発するようにそう言うと、
「……そのような権利は貴様にはない」
と、沈着冷静とした態度で返した。
「……堅苦しいことばっかり、めんどくせぇなぁ!要はこいつを引っ捕らえりゃいいんだろうが、さっさと始めさせろ!」
痺れを切らした男の方が吠える。
「まあ待て。まだこの隣の者を調べてない」
しかし女が制止する。
「うるせぇ!さっさと戦るんだ──」
「待てと言っているだろう!私の指示は絶対だと聞こえないのか!?」
男の大声をかき消す女の声。萎縮する男。
それはまた私も同じだった。彼女の前では、何事にも従わなければならないような気になっていた。
「……途切れさせて済まない。君の名は……ああ、他人の名を問う時はまず自分からだな」
妙に微笑する女。
「私は獅牙 百華だ。そして彼は豹堂 久吾。君は……どうやら“人造人間”ではないようだが、この女とどういう関係だ?」
“人造人間”ではない……?
この“女性人造人間”には、相手の人体番号を識別する能力が備わっているようで、恐らくそれに狂いはない。過去の製造情報にアクセスして、それと一致するデータを即座に探すことが出来るのだろう。
それなのに、私に一致するデータがない?
理由を考え、答えに辿り着いた時、私は奇跡とすら感じた。
私のこの顔は、白鷺 美依莉という別の“人造人間”からの借り物。私のものではない。だから製造情報に一致するものが無いのだ。
一致するものが無ければ、“人造人間”と判断されない、というわけか。
「……どうした?答えられないような関係なのか?」
思考にばかり注力しすぎてボーッとしていた私を、彼女──百華は問い詰めた。
「た、ただの友だちです」
私は何とか平静を取り繕いつつ答える。
しかし、彼女はこう返してきた。
「成程……だが、ただの友達かどうかはさておき、君はこの車を運転していたな?
だが君は逃亡した。私たちの乗るこの車に気付いていたにも拘らず、君は逃亡を続けた。
この女に脅されていたとか、君自身に疚しい事があったとか、そういう詮索をし始めると終わりがないから控えておくが、とにかく君は逃亡をしたという事実は覆らない。そしてその事実は、
君が共犯者だということを示している。
従って、君も私たちの捕獲対象になる。……以上のことに理解はしてもらえるな?」
つらつらと論説されたが要は、
「……じゃあ、あなたを敵として認めていいのね?」
「……別に構わないが」
己の意に従わなかった私という女に対して、彼女は眉をひそめ、低い声で言った。
「敵になるなら、の話だが」
同時に彼女は、右手の人差し指と中指を揃え、腰元でそれを動かした。
それは、百華から豹堂に対する、
戦闘開始の合図だった。
私はその時、未だに百華ばかりを見ていた。しかし、その視界の端で人影を捉えた。
そちらに注意を向けた時、
つい先ほどまで数メートル先にある車の傍らに立っていたはずの豹堂が、あの鋭利な手を伴って、私の目の前に到達していた。
彼はその手を使って、私を攻撃してきた。ちょうど顎辺りを突こうとしてきた彼の手を、私は反射神経と第六感的なそれで間一髪の思いで躱した。
その不安定になった私の身体に、百華が追い討ちをかける。
私はそれを認識はしていたものの、いかんせん不安定なのでどうにも出来なかった。
その私をカバーしてくれたのは、
結由の強靭でしなやかな脚による蹴りだった。
その蹴りは、百華が私に対して翳した手を薙ぎ払い、私の危機を救った。
ほんの数秒にも満たない刹那の間に起こった出来事であるが、その間に凄まじいまでの駆け引きと緊張が凝縮されていた。
「成程。どうやら一筋縄ではいかなさそうだな。『SHAT』の訓練学校で第3期生の首席の座に座った私と、元傭兵の豹堂の同時攻撃を防ぐとは。敵ながら恐れ入った」
「それはどうも」
結由にはまだ余裕があるようだが、私の緊張はまるで解けなかった。
2対2のこの状況なら何とか戦えると、微かな希望を抱きながら戦いに集中しようとしていたその瞬間だった。
後ろから聞こえる車の走行音に、私は気づいた。
振り返るとそこに、一台の車が停まった。
「ようやく来たようだぜ、百華」
豹堂が言う。
「見れば判る」
と吐き捨てるように返した百華であったが、私たちにはとても丁寧に説明してくれた。
「こうなることは何も予想外だった訳では無い。特に結由は、広楽島からの逃亡歴があるから実力は確かだった。
だからこちらも策を講じさせてもらった。
3対2に持ち込ませて頂く。ゲストをお呼びしたんだよ。
公平でない戦いは少々気が乗らんが、しかし目的はあくまで任務の達成だからな。許してくれ」
その車から一人の女の影が。
百華と同じようにスリムな体型である。百華、豹堂と同じスーツを装備している。つまり彼女もまた“人造人間”。
ビルによって出来ていた影を抜け、ようやくその詳細が明らかになる。薄緑色のセミロングの髪に、白に近い色の瞳。その瞳から、彼女の見た何者をも吸い込んでしまいそうな、妙な力を感じる。
百華たちと違い、表情は皆無。真顔であった。
その真顔を見て、結由の額からは冷や汗が流れ落ちた。一滴や二滴という量ではない。滝の如き量だ。
そして彼女は、その女の名を呟いた。
「宙音…………!?」
と──。




