第28章 欠片
焦り書きしてしまいました……。
文脈に変な所がございましたら遠慮なくご指摘を!
【注意】バイオレンスな表現があります。苦手な方は読み飛ばすことをお勧めします。
(ストーリー展開に影響はございません)
──12月3日。
広楽島のドームの中も、外の気候に合わせて寒くなった。何でも、“天獄之外”に移流された後に、身体的異常を起こさない為らしい。
島の街のとある一角に住む少女──金子 結由は、寒いのが大の苦手であった。
寒ければ服を重ね着すれば良い。皆が言う通りではあるのだが、そういう問題ではない。
行動的な彼女は、寒さによって動きが制限されるのがイヤなのだ。
寒かったらそもそも動けない。服を着たら着たで今度は動きにくい。結果、動きが制限されてしまうのだ。これが何より不快であった。
しかも輪をかけるように、この街には人が少ない。
例の人攫い組を撃退、その上“天獄之外”行きにさせた日から僅かに2ヶ月弱。その間に、島民と言える“人造人間”の数は、結由の目視だけでもおよそ半分、もしくはそれ以下に減った。
島民の全てが、次は自分が、と恐れている。島に来た順番なども関係がないようだから、自分の番がいつ回ってくるかは予想できない。
結由自身はまるで関係ないと言った風だったが、彼女の問題は別にあった。
彼女の仲間である島民、角中 宙音だ。
彼女は人一倍怖がりで、それが彼女の慎重さの元になっている。
しかし彼女は、その分動きが鈍い。それを守るためにこの2ヶ月間鍛錬を積んだが、それも役に立つかは判らない。
人攫いがいなくなって以降、“戦別”が行われている形跡はないが、恐怖で周りが見えなくなった者たちがいつまた始め出すかも判らない。
結由はそんな存在から宙音を守り抜かなければならないのには、2つの理由がある。
1つは自分が守り抜くと心に決めたため。
もう1つは、そもそもの作戦の実行にかかせないからである。
といっても、作戦の細部は決まっていないのが現状。
こんな状況の下だ、早急に決めることが不可欠。それは判っているのだが、如何せん、不安が宙音の思考を覆い尽くしてしまう。
だが結由が煽るのも気が引ける。
一体どうすれば良いものか。結由の頭はそればかりになっていた。
その夜のことであった。
「“人体番号”、NHFW-1500!金子 結由!NHFW-1200!角中 宙音!
本日の召集はお前らだ!出てきたまえ!」
静まった街中に、ドーム管理長の声が響く。
これは何も突然のことではない。
今朝、召集命令は出ていた。にも関わらず、2人は出向かなかった。だから管理長自ら赴き、2人を呼びに来たのだ。
「君たちの居場所は判っているんだ!隠れても無駄である!抵抗は辞め、素直に出てきたまえ!」
凄みのある、棒読み。言葉に血が通っていない。
広楽島の管理部隊員は皆この調子だと聞く。上からの指示に合わせ動くだけの操遊人形。
“人造人間”よりもはるかに、彼らの方が機械に近い。
彼らは、管理の中心部である『島内監視統制室』にあるモニターで、常に島内のあらゆる場所を監視している。道路の脇から、建物の中まで全て。
だが、彼らが油断して監視カメラを設置しなかった唯一の場所を、結由と宙音は知っていた。
その島内監視統制室のある小高い丘の麓。其処が彼等の盲点だったのだ。
本部の手の届く範囲に隠れることはあるまい。彼等のそんな甘い考えが作り出した結果がこれだ。
灯台下暗しとはまさにこのことである。
現に今、結由と宙音は管理長を上から見下ろす形になっている。
気付かれた時が勝負、そう思いながらずっと構え続けた。
「……執念い奴らだなあ……!おい」
「はっ」
「モニター見て来い。こちらから出向く」
「はっ」
部下に指示する管理長。
2人は、部下がモニター室から帰ってくるまで、心も身も“無”にし続けた。
「管理長」
「……どうだ?何処に居た」
「D-305に人影がありました。そちらが怪しいかと」
D-305とは、無数に並ぶ住宅の位置を表す、つまりは住所である。
其処には、結由たちが夜な夜な作り続けた、自分たちを模した偽人形がある。
「判った。では向かおう」
管理長は何人かの部下を伴い、そちらに駆けて行った。
結由がそっと丘の下を覗き込む。敵影は無い。
「宙音。降りるぞ」
「……うんっ」
宙音の頷くのを見て、結由は華麗に丘の下へと降り、島内監視統制室につながる廊下を行った。
丘の下にある施設──管理総本部を一言で表すなら、まさに秘密基地だった。未来的な内装、複雑な順路、妙な密閉感。幼い頃、近所の男子と秘密基地ごっこをしていたのを、結由はふと思い出した。
出来ることなら、このえも言われない幸福感に浸っていたいところだが、生憎今はそんな余裕はない。
宙音が聞きつけた話では、この廊下を抜けた先の何処かに、この島唯一の出口があるらしい。其処を探すのに、2人の手はいっぱいなのだ。
しかも、廊下にはまだ管理員が複数いる。管理長が抜けたからと言ってもぬけの殻になるわけはなく、むしろ警備が強化されているようだ。
その監視の目の間を潜り抜けながら出口を探すのは、はっきり言って気が遠くなりそうなほど難しいことだ。
しかもさっきから、あちこちで悲鳴が聞こえる。男のもの、女のものは関係ない。
恐らく、というより十中八九、これらは“天獄之外”に向かう前段階の者の悲鳴。
天国に見せかけた監獄である広楽島を例える言葉が“天獄”である。そして“天獄之外”は、政府の奴隷に成り下がった状態で解き放たれる一般社会の例えだ。
そして今、この悲痛な叫びを上げる者がいる場所の名は通称“天解放門”。其処で何が行われているのかを知る者は数少ない。
救いを求める悲鳴に怯える宙音。
「……怖い……怖いよ、結由…!」
「大丈夫さ、宙音。おれが付いてる」
肩を叩いて、存在を示す結由。しかしその声は、まるで大丈夫とは言えない。震えていた。
彼女もまた怯えていた。それは“天解放門”に対する恐怖ではない。
宙音を失うことに対するそれだった。
この2ヶ月、サバイバルに近い暮らしを送る中で、彼女はいつしか、自らを構成する要素の中に宙音を置いていた。そしてそれを失うことは、自らの身体の一部を失うのと同等。
その事態に恐怖していた。
宙音は守り抜く。それ一心であった。
彼此数十分、結由と宙音は施設内を歩き回った。そしてある絶望的な答えに到達した。
彼女たちはそれまで、島内管理統制室を見つける度に、その前を通らない道は無いかと考え、別の道を探し続けていた。
が、島を抜け出す唯一の出口に到達する為の唯一の道こそ、その廊下だったのだ。
言い換えれば、島を脱出するにはその廊下を通らざるを得ないというわけだ。
「これ、ミラーガラスだよ」
「“みらーがらす”?」
島内管理統制室の壁を見て唐突に宙音が言った言葉を、結由は意味が解らなくて反芻した。
「こっちからはただの鏡に見えるけど、ホントは特殊なミラーフィルムが貼ってあるただのガラスの壁なの。こっちからは中の様子は見えないけど、向こうからは丸見えなんだ」
「けど、そんなのがどうして判る?本当の鏡だったとしたら?」
「証拠があるの。……こうして……」
宙音はその壁に人差し指を突き立てた。
当然ながら、鏡の壁にもその人差し指が映る。
だがそれを見せて、彼女は言うのだ。
「人差し指の映り方が普通の鏡とは違うの。普通の鏡なら厚さがあるから奥行きがある分接しないんだけど、今は私の人差し指と鏡に映った人差し指が接している。ミラーフィルムに分厚さが無いからだよ」
「……へえ〜……物知りなんだな、お前」
感心した結由に言われ、宙音は頰を赤らめ照れた。
「……けどよ、それだったらどうするんだよ。見たとこ全部、その“みらーがらす”ってやつじゃねえか。つまり向こうからは丸見えなんだろう?」
「そうだな。丸見えだ」
結由が宙音に問うたはずの質問は、彼女の声とは似ても似つかぬ、低い声に答えを出された。
「もっと言えば、お前たちの行動は最初から監視できている。さすがに管理総本部の真上に居たというのは想定外だったが、D-305にあったのが偽人形だという事には最初から気づいていたよ」
低い声は続けた。
そして結由と宙音は、聴覚情報のみで悟った。
この声の主は、管理長であると。
「君たちがここで一度踏み留まることも無論予想済みだった。構想と違ったのは、そうだなぁ……やたらと君たちが中をグルグル回ったことくらいだな」
忌々しい彼の顔も見ぬまま、結由と宙音は話を黙って聞いていた。
しかし、その言葉が終わった途端、
しゃがみ続ける為に曲げていた右脚を瞬間的に後ろに伸ばし、すぐそばまで来ていた管理長の足を掬った。
「ぬおっ」
管理長は不意の事態に小さく声をあげながら転倒、尻餅をついた。
結由はその滑らせた脚を軸に身体を後ろに回転させ、闘う体勢をとろうとした。
が。
ジャキ。
ジャキ。ジャキ。ジャキ。
管理隊員の構えた散弾銃が、彼女を囲んだ。
それに怯んだが最後。己を睨むその銃口を前に、結由は身動きがとれなくなった。
「あ痛ててて……」
管理長が尻餅をついた拍子に強打した腰をさすりながら立ち上がる。
そして言った。
「……無駄な抵抗は醜いぞ。……その手際は眼を見張るものだ、そんな事に使っていては勿体無い。……素直に投降するべきだと思うが、どうだね?」
敵である管理隊員たちに、一縷の隙もなかった。
結由と宙音は、不本意ではあったが、彼らの言うのに従うしかなかった。
“天解放門”の一つ、第11手術室。
13室ある中で最も広く、故に器具も多い。
集中を乱す絵やら文字やらは一切なく、緑色にやや青色がかかった言い表し難い色の壁に囲まれる中に、器具と手術台と、それらを照らす一台の照明があるだけ。それ以外のスペースは至極無駄で、寂しい。
そんな虚無とも言える空間に2人、結由と宙音はいた。勿論、手術台に縛り付けられた状態で、だ。
手足に枷をつけられている。ステンレス製の分厚い枷だから、いくら力に自信のある結由と言っても壊せるものではない。
というより、力が入らない。“強制脱力薬”が、効力を発揮し始めたのだ。
これは言わば、“人造人間”専用の麻酔薬のようなもので、特別な善良菌である。
人間で言うところの神経の役割を成す伝路。胴体部分における伝路の機能を強制遮断することで、電脳からのあらゆる指示を無力化する。またその逆も然りである。
痛みや熱さの感覚は完全に無くなり、しかしながら視覚や聴覚ははっきりしている。
この状態が掻き立てる恐怖は、想像に難くない。
「ねえ……!怖いよ……!」
恐怖に怯え泣き噦る宙音。
「これから……ひくっ……!何されるの……!?」
「大丈夫だ、痛みは感じないんだ。お、落ち着け……!」
実際落ち着いていないのはこう言っている結由だ。
「そうだ。君たちはこちらの言いたいことを何て的確に判っているのだろうか。感心してしまうよ」
コツコツと靴で音を鳴らしながら、室内に入ってくる管理長。中年特有のぼてっとした腹が目立つ。
「安心したまえ。君たちに今から受けてもらう手術は実に簡単なものだ。
君たちの電脳の中には情報提供機という特殊なチップが組み込まれているんだ。それをそのままにしていては、今後の生活に支障が出るからね。
それを取り除くんだよ」
おい、と顎で部下に指図する管理長。
手術用の手袋が付けられた手には、何やら奇妙で、正体の判らない恐怖を覚えさせる刃物と医療器具が。同じようなものが、その傍らにある器具台にもズラリ。
「……始めろ」
「はっ」
10人近く居る部下たちは一斉に返し、結由と宙音の頭元に立った。
「ユユ……!ユユゥ〜ッ……!」
「落ち着け、落ち着くんだ……!」
「ああ、そうだ言い忘れていた」
突然、管理長が何かを思い出して言った。
それと同時、結由は、頭に何かが触れたのを“感じた”。
そして疑問を持った。
何故……皮膚に何かが触れたのを、自分は感じているのだ、と。
「君たちの頭部にだけ、“強制脱力薬”は効果を発揮しないように細工した」
「なっ……!?」
それはつまり、手術の際の痛みは全て判ってしまう、感じてしまうと言うことを意味している。
「君たちは逃亡未遂という重罪を犯しているからね。その代償を今ここで払ってもらおうと思ったんだよ。軽い代償で良かったなァ?本来なら即刻抹殺するところを、このわたしの厚意で生かしてもらえるのだから」
「て、てめぇ、ワケわかんねぇこと言ってんじゃ……!あっ、ああ……!」
頭部に何かが侵入してくるのを感じる。鋭利な何かが、入ってくることを許されないにもかかわらず、守りを突き破って入ってくる。
「その柔らかい頭を少し回せばすぐに気づいたはずの事実だぞ?その“強制脱力薬”は、全身の皮膚、骨、そして筋肉と電脳の伝路を絶つ。しかし君たちは、話せた。その口でな。
味を感じる事と話す事は大違いだ。話すには、口の周りの筋肉を動かす必要があるからな。
さらに言えば、お前の瞼も、鼻も動いていたなあ、その涙を流す時に。鼻水を啜る動き、瞬きをする動きもすべて、筋肉の使用を要する。
成る程、恐怖は人の理性を失くす……これは嘘ではないらしいなあ」
「ああっ……!ぐっ……ああああっ!!」
管理長の漫談も、痛みに悶える結由の耳には入るわけもなかった。
頭に穴を空けられ、そこから細い何かを入れられ、中を抉られる。もはや痛みを通り越して不快感に変わる。
全身の血管に不純液を流されているような気分。例えるならそうだと結由は脳の片隅で考えていた。
だが、その不快感がどこかへ消し飛んでしまう“痛み”を、結由は味わう。
彼女はふと目を開いた。頭を横に向けた状態で何をしようというわけでもなく目を開けたのだが、その視界に映った光景が、彼女の痛みを奪った。
「やめてっ!あああああっ!!頭が、あたまをっ!えぐら……ないでぇっ!!」
黄色い声で懇願の悲鳴をあげる宙音が、映ったのだ。
結由の一部が、失われつつあるのだ。
それを認識した途端、結由の中の痛みは無くなった。
いや、正しく言うなら、結由の中で残り続けた痛みが、本人のものではなくなり、
宙音が感じている痛みを共有する、そんな感覚が結由の中で生まれたのだ。
「宙音ェッ!!ソラネェ……!!ソ、ソラ…………ホアエ……!……!?」
今度は上手く話せない。
だが管理長の言う原理通りなら、“強制脱力薬”の効力が頭部に回ってきたとするならば、顎や舌の筋肉も使えなくなるはず。と言う事は、『あ』とか『お』とかの音分けは出来なくなるわけで、つまりこの説は有り得ない。
となると別の何かが要因だ。一体何が……?
「君たちの中から取り除いたチップにはあるシステムがあってね。それを取り除いた時に、会話能力と十分な運動能力が消失するようになっているんだよ。君に起こっているのはそれだ」
「ホアエ……!アア……!」
まるで動物とか言葉を上手く喋れない赤ん坊が餌とかおやつとかを欲している時のようなことを己がしていると自覚した時、結由の目から、涙が零れ落ちた。
だがそれは同時に、隣で同じ事をされている、感情を持った、自らの欠片を想った涙でもあった。
その宙音は、もはや声も出せていない。涙でグチャグチャになった顔でただ結由の方を見続けているだけ。手を伸ばそうとしても力が入るはずがない。
結由はそれを見てなお、
「ホアエ……!」
と、欠片の名を呼び続けた。
チップを抜かれて少ししたのち、結由と宙音はその電脳内に、また何かを入れられた。
「がっ!……あがっ、ぐっ……!」
喉が詰まりそうになる結由。
「今までそのチップが役割を担っていた箇所に、代用のチップを入れている。君たちが戦闘者になる上で必ず助けになるものだ」
管理長の話を聞きながら、何の躊躇いも無く、ただ無表情でその代用品とやらを頭の中に入れてくる部下の顔を不意に見て、結由は怒りを覚えていた。
戦闘意欲の入り混じった怒りでは無く、
その全てが憎悪だけで構成された怒りを。
「君たちが戦闘に臨した時、それがあれば君たちの運動能力や単純な力が飛躍的に伸びるのだよ。最近開発された特殊なチップなんだ。光栄に思いたまえ」
「あいあ(何が)……光栄だっ……!」
徐々に痛みに慣れ始めた結由。その痛みを堪えて、管理長を睨んだ。
「覚えてろよ……!お前らは……絶対に……!
ゆる……さねぇ……からな……!この……ブタ野郎……!」
「……ハハハ。笑わせてくれる威勢の良さだな。だがわたしたちの配下に下るなら必要な素質だ」
少し不機嫌そうな顔をしたが、すぐに笑い始めてそんな事を言い始める管理長。
「……こんな逸材は早く訓練させねばならんな。……おい、そっちは終わったか」
宙音の頭にグルグルと包帯を巻き終え、
「はい、ただいま終わりました」
と返す、手術服を着た部下。
宙音は半ば過呼吸になっている。
「よろしい。……手錠を装着、“強制脱力薬”を解除しろ」
「はっ」
両手に付けられた枷を外され、その両手を束ねた上に強固な手錠を取り付けられる。
そして1人が、手術室の隅にあるコンピュータのスイッチを押すと、2人の身体にはみるみるうちに力が舞い戻ってきた。
「ちょうど移送船が来る頃なんだ。お前たちにはそのまま、訓練所に向かってもらう。大人しく付いてきたまえ」
手錠に付けられた長さ3メートルほどの鎖で管理長の部下に引かれる2人。
ドアに近かった宙音が先に部屋を出た。まだ涙は引かない。
そしてそれに続くように、結由も引かれていく。
部屋を出る時、結由を引いていた1人の男が、その結由を何気無しに見た。
そして彼は、次の瞬間寒気を感じる。
結由が、笑っているのだ。
「……ひとつ、心外な事があるんだけどよ、管理長さんよォ」
彼女は突然話し始めた。
かと思った次の刹那、
結由は鎖を握っていた男たち2人を、その鎖ごと引っ張り、自分に寄せた。
そして、
今まで誰も抵抗しなかった為に拘束していなかった脚で、連続の蹴りをお見舞いした。
「大人しく政府の奴隷に成り下がるワケねーだろうがァ!」
結由は吠え、それもまた誰もし得なかった荒事を彼女はするのである。
手につけられた錠を簡単に破壊し、宙音を連れ去ったのだ。
宙音を連れていた男たちには、自由になった両手で顎を突き上げて、ノックアウト。
そしてあまりに突然の事態にまだ理解が追いついていない管理長に対しては、
握りしめたその拳を放ち、倒れていく身体に、追撃の蹴りを喰らわせた。
「ぐおぉっ……!」
彼はその場にうずくまり、直後に倒れた。
唸る彼の顔を見て、結由は吐き捨てた。
「ざまあみやがれっ!」
と。
身を返し、宙音を見る結由。
「行けるか!?宙音!」
「う、うん!けど……」
「ん?……ああ、錠か。ちょっと貸してみな」
宙音の手首に付けられた錠を、またも容易に破壊し、その手を掴む結由。
「行こう!ここを抜けるんだ!」
「うん!」
宙音は、意気込むように返事した──。
──彼女たちは、“天解放門”で何が行われているのか知っていた。
その電脳の中から何かを取り出すことも、また別の何かを入れられた末に何処かに連れられることも、
そして、そのチップを抜かれて初めて、彼ら政府の手を逃れる事ができることも、2人は知っていたのだ。
最初の逃走未遂は、あくまで計画Bに過ぎない。管理員に見つからないようにして、あわよくば逃げ出そう。それくらいの考えだったのだ。
だから、今、2人が行なっていることこそ真の作戦だったのだ。
第11手術室から、先ほど捕らえられた島内管理統制室の前まで到達するにはさほど時間はかからなかった。
先ほどから、
ヴーーッ!ヴーーッ!
と、けたたましいサイレン音が響いている。ついでに赤い電灯も点滅している。
しかし結由たちの視覚と聴覚は、自己主張の激しいそれらを受け入れなかった。
「もう少し……!もう少しだっ!宙音、まだ走れるか!?」
「う……うん、大……丈夫だよ……!」
息は荒れているが、足は前を向き、走っている。
結由はそれを見て、止まっている暇はないことに改めて気付き、走り出す。
「いたぞっ!」
だがその時、彼女の背後、十数メートル先から声がした。
管理員たちだ。
「捕らえろォ!」
「追えェ!絶対に逃すなァ!」
「逃せば先はないと思え!」
お互いに指示と鼓舞をし合う管理員たち。
「ヤベェな……急ぐぞ!」
「えっ……?あっ、う、うん!」
結由は宙音を連れて走り出した。
ただ前だけを見て。
走って、走って、走り続けた。
長い長い、島内管理統制室の前の廊下をただ走った。
だが、走れども走れども、一向に前に進んでいる気がしない。
そして、そんな気の遠くなるような廊下を走っている間に、いよいよ宙音の体力の限界が訪れる。
「はぁ……はぁ……!ま、待って……!」
「走れ!頑張るんだ宙音!……もう少しなんだ……!」
結由もその事実に気付いたが、それでも宙音を励ました。そして、不可能を知りながらも走った。
だが、その結由と同じように、管理員は待つことはなかった。
息を切らし、歩みが遅くなる宙音の肩を、
男のゴツゴツとした手が掴んだ。
「きゃあっ!」
「……捕まえたぞ……!もう……逃がさん!」
男はその手をグイッと自らに引き寄せる。
身体を勢い良く引っ張られ、バランスを崩す宙音。
力の上手く入らなくなった彼女を見て、ここぞとばかりに力を込める男。さらにそれに続く別の管理員たちが、餌に群がるハイエナの如き形相で、宙音の身体に襲いかかる。
「宙音ェーッ!」
奪い返さんとした結由であったが、
「邪魔はさせんっ!」
と、拳銃から放たれた弾丸が、彼女の伸ばした右手首に炸裂したのだ。
その拳銃の持ち主は、復讐心に燃える、管理長だった。
「……この仕事を始めて長いが、ここまでの失態と侮辱は経験した事がない!それを味わわせたことを後悔させてやる!」
そう言い放つ管理長が、部下に対し命じたのは、常人ならば思いもかけぬような趣旨を持つものだった。
「……その女の……四肢を剝げ」
「なっ、何言ってるんだ、テメェ!!」
「貴様は黙っていろ!」
結由の伸ばした手をまた撃ち抜く弾丸。
重なった疲労がなぜかここにきたことも相まって、思わず怯んでしまったのが失敗だった。
力のある男たちが、寄って集り、宙音の四肢を引き千切ろうとする。
「イヤァァァッ!!」
まるで地獄の処刑。“天国の見せかけを持つ監獄”などという言葉では生ぬるい。この島は、
“天国の見せかけを持つ地獄”だ。
しかし、助けを求めて当然のその瞬間に、宙音が叫んだのは、結由ですらも思いもよらぬ言葉だった。
「……ユ、ユユゥゥッ!に、逃げてェェッ!!」
「そ、宙音……!?何言ってんだ、今……助けっ──」
「ユユが逃げなきゃ!今までのことの……意味が無くなっちゃうじゃないっ!!」
「宙音……」
言い返さない結由。
「ユユ!早く!!う、うあぁぁぁぁ!!」
悲痛の懇願と共に、
宙音の細い右腕が、彼女の華奢な胴体から離れた。
「ああああああああっ!!」
「宙音ぇぇぇ!」
結由は、またも手を伸ばそうとした。
だが、彼女はその手を引っ込め、
踵を返した。
彼女を救うのは、一度体勢を立て直してからでも決して遅くないはずだ。彼女はそう考えたのだ。
──宙音、待ってろ──!
だが、その行動こそ、最悪の結末を招く、引鉄であった──。
──廊下を抜け、最初の角を曲がった所にあったのは、一本の消化器だった。
これ一本と自分の力と組み合わせれば勝つことも出来る。
結由はそう考えた。
しかし、現実は甘くなかった。
ザザ……
と、ノイズ音が、結由の耳に届いた。
『……聞こえるか……!……金子……結由!』
憎き管理長の声が続く。
『お前に見せたいものがある……見たまえ!』
「ハッ……!?」
音を発していたのは、廊下に設置されていたモニターで、そこに映ったのは、
結由が言葉を失ってしまうような、凄惨な光景だった。
『わたしの命令通り、この女の四肢は剥がれた!放っておけば、もう間も無くこの女は死ぬ!
お前が帰って来れば、彼女は救われるだろう、ここにはそれくらいの設備も整っているからな。
さあ早く、戻って来い!』
「あっ……ああ……!」
何の言葉も出ない。まるで言葉を奪われてしまったように。
腕や脚を千切られた切断部位からは血がダラダラと流れ出て、乱雑に放り出されたその腕や脚には、未だに生気がうかがえる。
その様を見て、これからどう戦おうだとか、救い出した末にどう逃げようとか言う作戦は全て、結由の頭から消し飛んだ。
怒りがこみ上げてくる。
激しい怒りが。
しかし、宙音の言葉が、
遺言とも言えるそれが、彼女を抑制した。
──ユユが逃げなきゃ!今までのことの……意味が無くなっちゃうじゃないっ!!
仮に今、怒りに任せて出て行けば、捕らわれ殺される運命しか見えない。
つまり宙音の痛みが無駄になる。
逃げる事、それが最優先。
宙音の願いを持ち帰ることが正しいのだ。
──と言うのは、言い訳に近い。
実はこの時、彼女は我を失いかけていた。
我と言うのは理性のことではない。
本当に、“我”を失いかけていたのだ。
結由は、宙音という欠片を失った。
その瞬間、結由という人物はバランスを失い、ガラガラと音を立て崩壊した。
だから、助けに行ったところで何もできずに捕まることは判っていた。
だからあれこれと理屈を並べ、自らを言い聞かせようとしていたのだ。
『来なくても良いが、そうした場合この女は死ぬぞ!?それでも良いのだな!?』
良いわけなどない。だが、結由に逃げる以外の手段は無かった。
──宙音……“ゴメンね”──
結由は心の中で友に謝罪と別れを済ませ、抵抗という手段に背を向けたのだった。
移送船の中から、命からがらの思いで救助用ボートを盗み出したのは、それから10分も満たない時間の後だった──。




