第27章 楽獄
金子 結由にとって、広楽島と言う島は、名前とは正反対の場所であった。
広い楽園のような島、ではない。
狭い監獄のような島、それが広楽島だった。
結由は“人造人間”であった。
彼女はこの年の5月に、政府によってここに連れて来られた。
夜も更けた丑三つ時、夜遊びを共にしていた悪友たちと別れ、一人でコンビニに夜食を買いに行く最中のことだ。
田舎と言うには賑やか過ぎるが、かといって都会でもない、中途半端な街だったので、コンビニの光は良く映えた。
そのコンビニの光が見えて来た辺りで、結由は背後から誰かに首元を拘束された。俗に言う、ヘッドロックというやつに近い状態だった。
彼女は、その腕に自信があった。地元じゃ喧嘩で負けたことは無かったし、自分史上最大規模の喧嘩も、警察という外的要因によって強制中断されたので、勝ち負けはついていなかった。よって未だ負けなし。
だから、人々も寝静まったこの暗い時間帯に狙ってくるただの変態など、返り討ちにしてやろうと思った。
が。
ビクともできない。動こうとすると、絞首する力を強めてくる。
拳と拳のぶつかり合いばかり経験して来た彼女にとっては新手の相手。加えてこの力。
勝てる見込みがなかったが、そこで諦める彼女でもなかった。
しかし真っ向勝負ばかりの彼女は、当たらない肘突をしてみたり、踵蹴をしてみたりしたが、全て当たらない。
簡単に言い表すと、ただもがくのみであった。
その無駄な攻撃回数に比例するように、首はだんだんと絞まっていき、酸素が行き届かなくなり、意識も遠のいて行く。
「この……野郎……!いったい……!ハァ……何者……なんだ……!」
残り少ないにも関わらず、結由は息を絞って問うた。
それに対し返ってきたのは、男の低い声だった。
「……誰であるかなど、お前には関係のないことだ……。抵抗はやめて、付いて来るだけでいい……」
「何っだよ……そ……れ…………」
結由は答えに納得はしなかったが、質問を重ねる前に、力尽きるのであった。
もはや誘拐と呼んで良いその事件は、どうやら政府によるものだったらしく、その証拠に結由が目覚めた時、彼女は見たこともないような森林に居た。
後に彼女は、此処が広楽島だということを知ることになる。
“回収”されたらしい、ということは薄々わかってきた。自身が“人造人間”であるのは知っていた。
後から聞けば、彼女の親──あまりにも子に無関心すぎるから腹が立って会わなくなった親──は、彼女の回収に同意していたらしく、また親無しの連行を許可する書類にも印を押していたそうだ。
“人造人間”を持つ世帯主は、回収に臨むときは大抵悩んだり時間をくれと頼んだりするそうだが、彼女の親はそれはすんなり済んだそうだ。それならいったい何の為に自分を子にして中途半端に育てたのだろうかと、結由自身疑問に思った。
そうした経緯も重要ではあるが、それよりもこれからどうするか、だ。
彼女は自分でも認めるほどの頭の悪い人間、
否、正しくは“人造人間”だったので、広楽島に囚われた奴らがどうなるかなど知らなかった。
だがこのまま大人しく政府人の言うことを聞いていれば良からぬことが起きるのは本能的に悟っていたし、と言うかそもそもいけ好かなかった。
ので、何とか此処から脱出を試みようと画策してみた。
ある日は堂々と正面突破を図ったが、呆気なく阻止され、
ある日は夜の暗闇を利用して逃亡を図ったが、ちょうど猫が簡単にネズミを捕まえるようにいとも簡単に捕らえられ、
またある日は偽人形を作って困惑させようと企てたが、大した効果はなく、結果的に島を覆うドームから出ることすらできなかった。
彼女は以上の結果から漸く思い知った。
逃亡は厳しいと。
しかし彼女は窮地になると、日頃に比べて上向的な思考に変わる。
この時も彼女は、
「なら誰かと組めばいけるかも」
などと言う安直な答えに全てを完結させた。
が、広楽島に囚われた奴らは皆諦めが良くて、結由が出会い計画に誘ってみた者は、自分たちの未来を、不如意ながらも受け入れていたので、計画には乗らなかった。
しかし、たった一人だけ彼女を慕う少女が現れた。
名を角中 宙音と言う。
背丈は結由より低い。結由が160センチ弱だから、それから計算すれば150センチほどだろうか。
齢は14歳、結由の1つ下だ。
結由が仲間の勧誘をしている最中に、宙音は突然名乗りをあげ、
「わ……私も行って!い、いい……?」
と、自信ありげなのかそうでないのかわからない言葉を放った。
が、その時の結由にはそんなことはどうでも良くて、とにかく仲間が居てくれるのが嬉しかったから、快く受け入れてやった。
結果、結由に付いて来ると言ったのは宙音だけであったが、“ゼロ”と“イチ”は違う、と結由は自分に言い聞かせた。
結由にとって宙音は、“仲間”と言う関係は名ばかりで、実際には“囮”だった。彼女の中で構築されていく様々な作戦の中で、宙音の助かる未来はなかった。
因みにだが結由は、仮に自分が助かったとして、その中で宙音を救う余裕があったときても、助けるつもりはさらさらなかった。袖振り合うも他生の縁とは言うが、自分とこの女の義理は後にも先にも広楽島の中だけだと思っていた。
しかしそうもいかなくなったのは、10月のある日のことであった。
ドームの中は普通の住宅街そのもので、実態を知らなければ、強制的に引越しをさせられただけ、みたいなものだった。
だがその空間を破るのは、毎日のように聞こえる、誰かの抵抗の声だった。
「やめて!ま、まだ行きたくないのっ!」
という、お姉さんの枯れるような声もあれば、
「オレも……行かなきゃならんのか……?」
と言う、老いた男の惑う声もあり、
また別の夜には、
「テメェら覚えとけよ!オレはテメェらの言いなりになんか絶対ならねぇからなぁ!!」
と、若い男の怒声が街中に轟いた。
その後彼らがどうなったのか、結由は知ろうともしなかった。
しかし、その先が過酷だということは知っていた。
何故なら、この住宅街の何処かで毎晩、
次に“天獄之外”と呼ばれるその先に行くのは誰かを決める“戦別”が行われるからである。
「行ってたまるかあ!」
「お前が行け!このクズ!」
なんて罵声はまだマシな方で、聞くも耐え難い言葉が飛び交うのも日常茶飯事だった。
結由にとっては普通のことであったが、いつも傍にぴったりとくっついていた宙音は、怒号が聞こえる度に、身体を強張らせ、敵が見えてもいないのに身構えていた。
その様子を見て、最初は臆病だなと思っていた結由も、だんだん可笑しく見えてきた。
何故そうなったのか、彼女自身わかっていなかった。
そして彼女らはその夜も、家主が“天獄之外”に行ったきり帰って来なくなった空き家を寝床にすることにした。
食料は無い。従って、電気でエネルギーを補給しなければならない。
空き家の床にあった“人造人間”専用プラグに人差し指を入れる。人差し指がコンセントの代わりを成し、そこからエネルギーが確保できるという仕組みだ。
宙音が先に行う。身体がまだ小さいからか、フル充電にも大した時間はかからなかった。
そして結由の番である。
実は彼女、この時の感覚が好きであった。
微量の痛みを伴いながら自分の中に確かに流れ込んでくるエネルギーを感じると、高揚感に似たものを憶える。地元の悪友には“人造人間”は居なかったから、この感覚を解ってもらえることはなかった。
だがそれが逆に彼女にとっては嬉しかった。自分だけが持てる、自分だけの至福の時間。それが特別に思えて、優越感があった。
そして、もう間も無く充電が完了する、そんな時であった。
ガタッ……。
と、家の外から音がした。
結由は体勢を整えるが、宙音はその陰に隠れるだけ。
そう言えば、まだ今日は“戦別”の始声は聞こえていなかった。いつもは22時にもなれば遠くの方で声が聞こえるのに、今夜は今の今まで聞こえて来なかったことにたった今気づいた。
この事実が示すのは、
今日の“戦別会場”は、この家の周辺なのだということだ。
実のところ、結由は闘いたくてウズウズしていた。ドームの中では、一度も喧嘩にならかなかったし、結由の周りではその兆しすらもなかったから。
応戦する体勢のまま、結由は息を潜めた。
誰もいないかと調べに来た奴を、返り討ちにしてやるために。
が、宙音の荒い息が、それを全て水泡に帰させた。
怯える宙音は更に、
「ねえ、なんで逃げないの!逃げようよ!」
と、小声ながらも気付かれ易い声で慌てるものだから、
「おい!誰か居るぞ!」
と、外の男に、案の定気付かれてしまった。
「バカ!気付かれちまっただろうが!」
結由は言うが、
「私のせいじゃないもん!……結由ちゃんが……!」
と、意見を返してきた。
普段は引っ込み思案な性格の彼女だが、恐怖に駆られると自己主張が強くなる。
それを結由は知っていたから、これ以上の意見をぶつけるのは時間の無駄だと考え、とにかく逃走することに意識を集中させた。
本来であれば拳で打ち負かしたいところだが、今は大切な“仲間”がいる。来たるべき時まで、守り抜かなければ自らの身が危ぶまれる。
結由は裏口を探し始めた──。
家の外では、弱い“人造人間”を捕らえ、“天獄之外”に追いやろうとする集団の男達が、家の中にいる誰かが出て来るのを、今か今かと待ち構えていた。
声が聴こえたのは1人。か弱そうな少女の声だ。
しかも誰かに訴えかけているような口ぶりであったから、恐らく多人数。2人か、或いはそれ以上か。
人数はともかく、捕らえるためには彼らも多人数を充てなければならない。しかし生憎、彼らは3人行動を執っていた。
「……俺が玄関を見る。お前らは裏口を見ておけ」
指令官のポジションを取り仕切っている男が、他の2人に命じた。彼はお世辞にも屈強とは言えない身体であったがそう言った。
それは戦闘に自信があるからではなく、そうした方が捕縛出来る確率が高いからだ。
広楽島に在る家の出入口は全て、玄関と裏口のみである。
捕らえられる恐怖に怯え、逃げることを選択する者は皆、玄関からではなく裏口から出ようとする。何故かは定かでないが、冷静な判断が出来なくなった奴は、裏口から出るという安易な考えで、相手の裏をかいたような気になるようだ。
実際、彼らはそのやり口で、今まで行った捕縛作戦の大半を成功させていた。
実証結果は出ている。今回もそれで成功するはずだ。
指令官の男も、他の2人も、そう考えていた。
2人は足音を殺しつつ裏口に回り、息苦しさを感じつつも、その息を潜めた。
その状態を続けること10分。中の様子に変わったところは見られない。
正常な判断を行うことを見失った奴は、大抵の場合もうそろそろ出て来ようとする頃だが、そうしようとする気配も感ぜられない。
2人は顔を見合わせた。
もう逃げられたのか?しかし窓と玄関はあの男の守備範囲のはずだ。まさか口封じを……!
片側の男は慌てて指令官を見る。
が、玄関を凝視している男の姿がある。
よかった、生きている。安堵して、仕事に戻る。
しかしなら何故、中から気配が微塵も感じられぬのだ?ひょっとすると、地下に逃げ道が?元の家主が、職員の手から逃れる為に掘ってあった、そう仮定すれば合点がいく。
一度、中を確かめる必要がある。
男たちの結論は、そこに至った。
男の片側は、裏口のドアのノブに、音を立てずに指をかけた。
その瞬間だった。
ゴトッ……
音だ。家の木製の床が音を立てた。
ゴトッ……
まただ。音の間隔からして、足音の可能性が高い。
やはり動き出したか。他と比べて、ほんの少しだけ冷静さがあっただけのようだな。
ゴトッ、ゴトッ。
連続して音が2つ。多人数だという仮定も外れていないようだ。
音はだんだん、裏口の方に近づいて来る。
男たちは勝利を確信した。少しばかり手こずったが、終わり良ければ全て良し、だ。
かけていた指をノブから離し、出て来たところを捕らえる体勢に入った。
だが。
「……?」
「……止まった……?」
思わず片方が声を出してしまう。
それだけ不可解な所作だということだ。
音源の場所の違いから測るに、あと一歩や二歩踏み出せば、出口に届き得る場所で、足は止まった。
何故だ……?まさか、自分たちの存在を、残り僅かのところで感知したと言うのか?
引き返す足音も聴こえない。その場で作戦を練り直しているのか?
謎に惑わされる男。
しかし最終的に落ち着いた結果は、彼らの予想の範疇のはるか外をいくものだった。
──バンッ!!
扉の音……!?しかも、玄関!?
2人は揃って玄関の方を見る。
其処にあったのは、
不意を突かれた指令官の男が、玄関のドアを開け飛び出して来た少女に蹴りを入れられている、そんな光景があった。
「ちっ!やられた……!」
片方はそう言って、即座に少女の捕獲にかかる。
もう片方は、事前にそうすると打ち合わせしていたように、自分が指令官の救出に回らなければならないと判断した。
そのついでに、彼は音の正体を知ることにした。裏口の扉を開ける。
謎を知って、男は唖然とした。
その家の主は、どうやらかなりの木造り好きだったようで、
床に、木製と思われるコップが10個近く転がっていた──。
──この作戦を思いついたのは宙音であった。
彼女は、裏口に回るのは危険だと言ってきた。どうにかして相手を出し抜いて、その隙に玄関に回るべきだ、そう言ったのだ。
結由は初めこそ、そんなことは関係ない、出会ったならば叩きのめすだけだと主張したが、
壁の外の人の動きと、
さっきまで怖がっていたのが嘘のように落ち着いていた宙音の様子から、
その方が善策なのかもしれない、と判断したのだ。
そして宙音は次に、何か足音の代わりになるものを、ということだった。ここは幸いにも木製の家。鉄やコンクリートに比べて音を伝えやすいから、その分騙しやすい、と彼女は言った。
「……なら、あれならどうだ」
小さな声で結由が言い、指をさしたのは、同じ木製のコップだった。いったい幾つ持っているのだと数えたくなるくらい多かった。
宙音は頷いた。それを等間隔で床に置いて欲しい、あと、相手は多分、私たちが2人以上であることもわかっているだろうから、時折連続して置いてくれ、と、実に細かい指示を出してきた。
その場所から玄関までの間に何も無かったのが幸いだった。
まんまと作戦にかかってくれた裏口の男を置き去りにして、2人は玄関を出た。
扉の目の前に別の男が居たが、そこは結由の反射神経がものを言った。
彼を殴り飛ばし、宙音の手を握った結由。
その手はマシュマロのように柔らかく、羽毛布団の中のような暖かさを帯びていた。
その手を引き、結由は駆け出した。慌てて宙音を駆け出した。
だがすぐに、このままでは追いつかれかねないと結由は判断し、宙音をその背に負った。
「……何であそこまで細かく……」
駆ける中、結由は思わず訊ねた。
すると宙音は答えた。
「……1年間。これがなんの数字だかわかる?…………私が、裏の世界の人間に追われ続けていた時間……だよ」
「ウラ……だって!?」
結由は思わず足を止めて話を聞きたくなった。が、そんな猶予は無論なかったので走り続けた。
「パパがギャンブル症候群だったんだ。それでお金を借りてたのがウラの人だったの。
けどパパは金を返すのに必死で過労で亡くなった。ママは家をでて、結果的に私が返済の肩代わりをさせられた。
その時に脅されたの。そしたら腕を持たれた時にこう言われた。“人造人間”だって。
それから目をつけられたんだ。だから私は逃げたの、逃げて逃げて逃げ続けた。1年も」
結由は珍しく、人の話を黙って聞いていた。集中していたから。理由はそれ以外に無い。
「そしたら見つけてくれたんだ、警察の人が。そして保護してくれたの。優しくしてくれると思ってた。
けど、あの人たちは、私たちを機械としてしか見てない……。
私はまた、逃げなくちゃいけないの……」
宙音の声は沈んだ。
結由は、彼女の置かれている状況にとても親近感が湧いた。類似点が多いような気がした。
すると何故だろう……。
宙音を守りたい。守らなければならない。
そんな意識が、結由の中で産声をあげた。
宙音を守ってやれるのはおれしかいない。おれだけなんだ……!
結由は初めて、他の誰かのために戦うことを決めた。
悪友や敵に強さを誇示するため、或いは単純な鬱憤の発散。それだけの為に人を殴ったり蹴ったりしていた。
だが今は違う。言うなれば正当防衛である。
おれが……コイツと共に逃げるんだ!
「……で?何処まで行けば逃げきれそうだ?見込みはあるのか」
それでもぶっきらぼうに訊いてしまう。正直なところ、それ以外の優しい訊き方なんて彼女は知らなかった。
だが宙音は素直に答えてくれる。
「うん、たぶんその先の角、其処に車を持っている家があったはずなの。たぶん其処も家の人はいなかったから、奪えるはず」
車を持っている者とそうでない者がいる理由は、広楽島内で使える通貨、“聖貨”があるから。毎月一定額、住民に与えられ、食費及び生活費以外のいろんな物、例えば衣服の購入や食事のグレードアップに使える。
貯金すれば、自動車を購入したり、或いは“天獄之外”への移流を先延ばしすることも可能だ。
目の前の一時的な幸福を取るか、少し先に待つ永続的な優越を取るか。現実世界の金銭利用と何も変わらない。
結由は感心した。宙音の調査力に。何故こんなに知っているのだと、疑問すら浮かぶほどだ。
犬のように定期的に行っていた散歩も、まさかその為だったと言うのか?
……なるほど、宙音はおれに無いものを持っている。長所も、或いは短所にも言える。
おれの戦闘力と、コイツの作戦構成力。足して2で割れば、でき過ぎた人間が完成しそうだ。
明るい未来が、結由の瞳に映った。
が、それも束の間だった。
「そう来ると思ってたよ……!」
先回りしていた例の人攫い──厳密に言えば“人造人間”攫いの男の1人が、その背に負ぶった宙音の身体を払い除け、おんぶと言う次の姿勢が取りにくい体勢であった結由を捕らえた。
厄介な武力を持つ結由を先に無力化させる、実に賢明且つ単純な判断だ。
もちろん結由も黙ってはいない。しかし彼女は馬鹿の一つ覚えのように、肘突と踵蹴だけでどうにかしようとする。
だが、男の力も強かった。
「こちとらなァ……!あのゲンジも攫って“天獄之外”に追いやったんだよ……!ナメんじゃねえぞ……!」
ゲンジ。広楽島の中で最強ではないかと噂された元プロボクサーだ。結由も一度拳を交わしてみたいと思っていたが、ある日突然“天獄之外”へと姿を消した。
やはりこれも彼らの仕業だったのだ。
彼の言う通り、とても力が強い。ゲンジは作戦だけでどうにかなる奴でもないから、満更これもただの馬鹿力ではないのだろう。
どうにかせねば。これではあの5月の夜の二の舞ではないか。
ようやく結由は、首に巻きつけられた手を解くと言う行動に出た。だがその力には歯が立たない。
他の奴らと違って諦めの悪い結由が、万事休すと抵抗するのをやめかけた。
それを許さない者が、其処にいた。
「グォフッ……!」
頰を何者かに蹴られ、その場に倒れる男。
その蹴りを果敢にも行ったのは、その場にいたもう1人の仲間、
角中 宙音、その少女であった。
「ッカアッ!」
と、確保出来なかった酸素を一気に飲み込む結由。
そして彼女は、今まで誰にも口にしなかったある言葉を言うのだった。
「あり……がとう」
それを受けた宙音は、無邪気に笑い、
「……良いよ」
と返すのだった。
恐らく男は脳震盪。戦線離脱は免れぬだろう。
とりあえず今のうちに車を確保しなければ、と、結由は、宙音の言う通りその家にあった車の扉を開けた。施錠はされていない、セキュリティがガサツである。
しかしそれは、罠であった。
「よくも仲間を!」
中に潜んでいたさらに別の男が、渾身の拳を放つ。
だが、そこは結由の本能が優った。
「怒りてえのは……こっちだァ!」
拳を受け流し、報復の攻撃を炸裂させた──。




