表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
“人造人間”の迷惑  作者: 彩葉 軀
第3部
25/69

第24章 感取

「──部長さんとは、どうなったの……?」


「……えっ?」


 乗り換えに待つ必要がある駅のホームにあるベンチで、ふいに、隣に座る先輩──イヌイ 寧音ネネさんが(たず)ねてきた。

 あの“出来事”があってから、それに関して()く人は居なかったが、遂に彼女が問うてきた。

 それも恐らく、純粋(じゅんすい)無垢(むく)な彼女だから成せたことであろう。


「…………ま、まずはお付き合いから……ですね」


 私は、決まり悪そうに答えた。

 それを聞くと、彼女の顔はパッと明るくなり、


「良かったねっ!わ、私はそういう……恋愛のことはよく判らないけど……で、でも応援してるよ!」


 と、小さく拍手をしながら祝ってくれた。

 悪い気はしなかった。が、このホームに他の人がいたらどうしようかと思った。幸い、夜遅くということもあってか、私たちの声が届くような範囲には、人の影は無かった。

 ちょっと赤面して、何だかこのままじゃ終われないと思った私は、仕返し程度に訊ねてみた。


「寧音さんは……恋愛経験は無いんですか?」


「えっ!?わっ、私は無いよ!」


 おたおたする寧音さん。幼稚園児が慌てて否定するみたいに見えるその様が、また可愛い。


「へぇ〜……。でも、寧音さんみたいな人、男の人が放っておかないと思うんですけどね〜」


「も、もうっ!ふざけないでっ!」


 頰を膨らます寧音さん。

 なるほど、菜那が私をイジる時の気持ちが判ったような気がした。

 そしてそのまま、プイっとそっぽを向いた彼女は、


「──()()なら…………」


 と、何か呟いた。


「……何ですか?」


 私が聞き直すと、


「なっ、何でも無いよ!……あっ、電車が来たみたいっ!」


 彼女にとってこれ以上ないグッドなタイミングで、私たちが乗らなければならない電車がホームに入って来た。

 彼女は慌ててそれに乗り込もうとした。そのテトテト走る彼女もまた愛らしい。

 と、呑気(のんき)に彼女を眺めていた時だった。


「きゃっ」


 何かにつまずいた寧音さん。

 普通なら何ということのないことだが、疲れのせいで脚に力が入らず、ストッパーが利かなかった為に、そこまで激しさはないものの、ホームのコンクリート製の床に叩きつけられた。


「だ、大丈夫ですか!?」


 私は急いで駆け寄り、彼女の身を(かつ)ぐようにして腕を通した。


 だが寧音さんは、


「心配ないよ……!自分で立てるし」


 と、その善意を(こば)み、己の腕で立ち上がろうとした。

 しかし、拒まれても行ってこそ真の善行。

 私は半ば強引に、彼女の身体を起こすのを手伝った。


 その瞬間、私は、

 得体の知れぬ違和感を持った。


 この春まで住んでいた白鷺シラサギ家では、おっちょこちょいでよく転ぶ家主、白鷺シラサギ 京助キョウスケの補助をよくしていた。

 その時の感覚と、何かが違う……。


 私の中で活用されるエネルギーの向かう先が、運動をする腕や身体全体から、電脳ノウに変わっている間に、

 寧音さんはムクリと起き上がった。


「ほ、ほら杏紅キョウカちゃん!早く乗らないとっ!電車行っちゃうよ!」


 電車のことに話題を変えて、何事も無かったように振る舞おうとする寧音さん。

 しかし口は微かに震えているし、額を伝う冷や汗が、ホームの灯りで光っている。

 その不器用さは直らないようだ。

 そんなことは気にせず、彼女を問い詰めたいところだが、この電車に乗れないと困るのは確かなので、私も平然とした顔で乗るのだった──。



 ──各駅停車だったとは。弱ったな。

 今、私たちの乗る電車が走っている路線は、私が普段、大学からの帰りに使っているのと同じである。

 だがいつものは所謂(いわゆる)急行列車。各停ではない。

 私と寧音さん、どちらの最寄駅も急行列車が停まる。無論、各停列車でも停まるが、かかる時間は倍ほど。

 現に今、急行なら15分もすれば着く距離を、25分かけて走っている。

 この時間をいかに使うか。


 ──先ほどの事を訊く、それ一択だろう──。


 この状況シチュエーションであれば、そう思う人も多い事だろう。実際、私の思考は一時的にそうしたし、今もその選択肢を完全に排除したわけではない。

 しかしそうしないのは、周囲に人がいるお陰だ。

 誰に聞き耳を立てられているのか、あるいは誰にも立てられていないのか解らない中、彼女がああして拒むことに関して話すのは、危険的リスキーに感じられる。

 あの違和感が、何か単純な理由によるのであれば、ただ他愛のない雑談を聞かれただけにすぎないが、

 仮にこれが重要な機密だったならば、ただ事では済まなくなるかも知れない。


 ここまで探ってしまうのは、私がそうなる該当者だからだ。

 私のこと、とりわけこの“特殊な身体”のことを訊かれると、どうしようもなくなる。

 どう見ても華奢(きゃしゃ)な身体なのに、それに似ても似つかぬ体重と、勘付く人は勘付いてしまう、人間とは微かに異なる骨──“堅構骨ソリッドボーン”。

 生憎(あいにく)、私はまだこの二つを問われた際に答える、何一つ不自然のない嘘を準備していない。

 だから私は、まずこのことを訊かれそうになったら逃げる。それが、私以外に誰も困らない、最善の方法かと考えている。


 だが彼女が仮に私と同じであった場合、私、及び周囲の人間に害が無いとは限らない。万が一、彼女が我々一般市民と同じ立場では無かったら?

 “あの夜”、私と父さんを苦しめた『SHATシャット』が、偵察のために送り込んだ刺客だったとしたら?

 後から調べた話では、『SHATシャット』は警察や国家内でも知る人は少ない超秘密部隊だそうだ。

 それを守るためなら、あらゆる手段を行使してくるとか。

 もし寧音さんが『SHATシャット』の一員だったならば、まず私が殺される。

 次に、その殺害現場を見た人間が殺される。連鎖的に殺されていき、最終的に生き残るのは彼女だけ。

 そして帰還後、いくつかの手続きを済ませ、この事件は誰も知ることのない闇へと(ほうむ)られる。

 大方そんなものだろう。

 その未来が見えた時、彼女に()()()()を訊くのは(はばか)られた。


 列車は残り5駅ほどで、まず寧音さんの家の最寄駅に到着する。

 その寧音さんはというと、(あらが)えない睡魔と格闘しながら、必死に目をこじ開けている。

 鼻息が荒くなっている。

 彼女を見つめる私に気づき、


「どうしたの?」


 と訊ねるが、その声には元気がない。

 首を横に振って、何もないことを私は示したが、ここでまた新たな可能性が見つかる。


 今までの私の考えは、寧音さんを“人造人間ヒューマノイド”と仮定した上での話だ。

 しかし自然ナチュラルに考えろ、私。

 今、この世界に一般市民として存在する“人造人間ヒューマノイド”は私しか居ないのだ。いくら世界広しといえど、そもそも国がそう発表しているのだから、そう考えるのが妥当だ。

 それを踏まえた上で、もし私が軽はずみな気持ちで、このモヤモヤを晴らしたい一心で彼女に真偽を問うたとしよう。

 世の中には、“人造人間ヒューマノイド”を毛嫌いする、或いはしていた人間が多いと聞く。

 仮に彼女がそれに類する人間だったならば、間違われただけで、あんな機械どもと、と虫唾(むしず)が走り、激しい怒りと嫌悪感に駆られるだろう。

 さらにその類の中の過激派は、“人造人間ヒューマノイド”と口にされただけで、人によっては殺してしまうらしい。

 “人造人間ヒューマノイド”研究サークルに入っているのだからそこまではいかないだろうが、それでも間違われるということは、想像を絶する程の屈辱であることは確定しているだろう。


 もしこの仮説が正しければ、私の行く末は地獄。

 それだけは避けたい。

 ここは“人造人間ヒューマノイド”である確実な証拠を得てから問い質さねば。


 頭の使い過ぎか、私も眠くなってきたが、残り数駅を、必死に堪えた──。


 ──最寄駅を降りる寸前にかけた、家まで送りますよ、という言葉も拒まれた。

 もしさっきの幾つかの仮説が全てただの思い違いだったならば、私は彼女によほど嫌われているのだろう。

 しかし私はなおも彼女の拒否を無視した。

 この言い方では聞こえが悪いが、要は助けてあげようということだ。

 そこまで彼女も拒みはせず、弱いところを見せまいとしていた。


 歩き始めてから5分くらい。

 この辺りは閑静なマンション街。最近都市開発が盛んな通りで、道路の設備には特に力が入っている。

 道路を照らすは、柔らかい暖色の電灯。街路樹は私たちの身の丈2つ分ほどはある。

 人気ひとけはほとんどなく、だが恐怖心は全く生まれない。

 そんな道を、私たちは無言で歩いている。何を話すわけでもないから、事実1人で歩いているのと変わりない。

 例のくだんに関して問うべきかも知れないが、電車の中と外であっても条件コンディションはさほど変わらない。誰が聞いているか分からないし、彼女を“人造人間ヒューマノイド”だと定める確証もまだ無い。

 無論、これ以降も会わないわけではないから、今日全てを聞かなければならない理由は無いが、これから数日、年末年始の休みが入って会うことが難しくなってしまう。

 このことが頭に残って何も手につかなくなるのは非常に不愉快だから、出来ることなら今日、今この瞬間に、私は真実を知りたいのだ。


 しかし如何様いかようにして証拠を確かめる……?

 既に彼女は、


「あそこが私の部屋があるマンションだよ」


 と数百メートル先にある、他の建物より頭一つ抜けたマンションを指差している。

 タイムリミットは程ない。この間に、私がアクションを起こさなければならない。

 奇跡ミラクルは望んではならない。


 この道の情報は特にない。つまり道路の障害ギミックはあてに出来ない。

 じゃあ意図的に所作アクションを行うか?

 否、やめておこう。

 意図的であるものと発覚してしまった後に何が起こるかわからないから。

 では何を待つ?彼女が不慮的に転ぶことか?そんなのを待っていればキリがないし、第一時間がない。

 ……ああ、頭が破裂しそう……!

 一体どうすれ──!


「うわっ!」


 頭にのみ集中力が行っていた私の身体は、脚への注力を忘れていた。

 そして忘れられた脚は、その腹いせとまでに、もたつき、

 寧音さんに対し何かしらを行おうとばかり企んでいた私の身体を転ばせた。

 転びながら私は、


 ──ああ、こうすれば良かったのか。私が転べば、彼女が──


 なんて悠長(ゆうちょう)に感心していた。

 が直後、自らの身が置かれている状況に気付き、焦る。

 その時、


「きょ、杏紅キョウカちゃんっ!」


 と、寧音さんが助けの手を差し伸べてきた。


 ──しめた──!


 人の善意をこんな風に思ってしまったことに罪悪感を憶えるが、しかし作戦通りであることは事実だ。

 この刹那的時間に考えついた企て通りに行き、不覚にも喜んでしまった。

 後は、私が彼女の手を掴むだけだ。

 それで作戦は成功と言える。


 私は彼女の手を掴んだ。

 それはもうガッシリと。余程のことじゃ離れない程に。


 その瞬間、私は真実を知った。


 彼女の、正体を。

 私は確実に知った──。


 そんなことに気づいていない風に立ち上がり、ありがとうございます、と端的に返す。


「……ココ、みんなけちゃう所なんだ。ここら辺では“足掬角スプーンコーナー”って呼んでるの。……砂利道なだけなんだけどね」


 彼女の言う通り、アスファルトで揃えられた道の間に、横にある貸駐車場パーキングに敷かれている砂利が、坂道のお陰で滑り出てきている。

 なるほどー、なんて単調な答え方をする私。我ながら判りやすいやつだ。他人ひとのことを言ってられない。

 なんとかそれを取り繕おうとして、今度は抑揚をつけて言う。


「すみません、助かりました」


 行きましょう、と私は歩き出す。

 行ったことがないはずの寧音さんの家に行くのに、何故私が先を行くのだと思ったが、一度歩き始めてしまったものは仕方ない、と、スタスタ歩みを進めた。

 同じように感じ、呆気にとられたのか、少しのタイムラグがあってから、先に行ってしまった母を追いかける子供のように、寧音さんは、私の後についてきた──。



 ──マンションの入り口は、平均家賃の安さに見合わぬ高級感に溢れ、私のようなオンボロアパートに住む人間では、足を踏み入れた瞬間に拒絶されてしまいそうな雰囲気オーラすらあった。

 その前で、寧音さんは私に別れを告げる。


「その……今日はありがとう。ま、また来年も、よろしくね?」


 何故最後は疑問形なのだ。

 とはいえ挨拶は挨拶だ。私も返すのが礼儀というものなので、


「こちらこそありがとうございました。わざわざお付き合い頂いて」


 と、深々と一礼した。


「あ、頭上げて!」


 頭を下げられると思っていなかったのか、はわわと慌てる寧音さん。

 私が頭を上げて、ニカッと笑うと、つられたのか、彼女も笑ってくれた。美雪さんのいない所で笑うのはなかなか珍しい。


「じゃっ、じゃあね!」


 小さく手を振ると、(きびす)を返し立ち去ろうとする寧音さん。

 ここで私は悩んだ。

 彼女に、あのことを確かめるべきかどうかを。

 疲れているに決まっている今、気持ちだけ先走って確かめるべきではないのかもしれない。

 しかし、私と寧音さんの関係性を考慮して判断すれば、今問うべきとも思える。

 この夜を経て、今後一体どう言った変化を遂げるか定かではないが、私が思うに恐らく、この2人の関係には今後も変化はないだろう。

 距離が近づくことも、或いは遠ざかることもないだろう。

 初葉ハツバ 美雪ミユキ、という女を媒介(ばいかい)とした一定の距離を保つままなのだろう。

 その関係の中で、こんな2人きりの状況シチュエーションになるのは、いつ次が来るか検討もつかない。

 それを踏まえれば、今のこの好機チャンス、みすみす逃してはならない。

 私は以上の結論に至り、それに従い、


「ふえっ!?」


 と寧音さんが思わず声を上げてしまうほど、突発的に、力強く彼女の手首を握った。


 やはり先ほどと同じ。思いもよらぬアクシデントで、脚に力が入ってしまい、それによって(にぶ)った手の感覚による間違い。そんなものではなくて、内心(ないしん)安堵(あんど)した。

 この感覚……。間違いない。

 普通の少女──例えば菜那とか──とは違う。私が本気を出せば壊せてしまいそうな、(やわ)なそれじゃない。

 人間味があるように装った皮膚の中に隠れる、若干ゴツゴツしたアレの感覚が確かにある。

 判る人でなければ判らない、精巧に造られた、“堅構骨ソリッドボーン”の手触りが。

 そして、その感覚を私が捉えた瞬間、私の顔が(ゆが)んだのか、目の前の寧音さんの顔がしかめられた。

 恐らく、私が何かに気づいたことに、彼女も気付いている。瞳がそれを語っている。

 私は、その言葉のない読み合いの末、心中に漂うことを正直に告白した。


「……寧音さん……“人造人間ヒューマノイド”……ですよね?」


 と。

 最初、彼女は何も答えなかった。顔も見せない。握られたままの手を振りほどくわけでもなく、ただ其処に立ち尽くすだけ。

 まるで時が止まったよう。

 その間、私も何もしなかった。それこそが最善だと、本能的に判断したから。

 今の彼女に、下手に刺激は与えないほうがいい。得られる情報も取り逃がしてしまうかも知れないから。

 そのまま、時間は凍りついた。

 通りすがりの人も居ないから、より静止して見える。

 それを打ち破るのは、やはり、寧音さんの言葉だった。


「…………“人造人間ヒューマノイド”だったら……どうするの?」


「……どうって?」


「……警察にでも出す?それとも……明日から私を(さげす)む?……或いは……殺す?」


 彼女が言うことには、行き過ぎたことはない。全て、“人造人間ヒューマノイド”を──とりわけ私を見つけた時、人間が行うであろう行為だ。

 大多数の人間は、金の為に警察に突き出すだろう。

 金に困っていないサディスティックな野郎は、あえてそのまま生かし、自分という人間に怯えながら生きる様をたのしむだろう。

 “人造人間ヒューマノイド”に関して、または単純にその“人造人間ヒューマノイド”自体に恨みのある人間は、(あや)めにかかるだろう。

『生きていては害があると判断し、殺した』という、冷静に考えてみれば理不尽極まりない理由でも、罪が軽くなることがある。そんな世の中だから。

 その全ての行為を起こしかねる生物、それが人間。

 寧音さんにとっては、私はその人間に見えるのだ。当然である。


 ここで、私は彼女に真実告白カミングアウトしなければならなかった。

 けれど一体どうやって証拠を提示すべきなのだ……?

 ……あれがあるか。

 私は、自らの正体を明かすのに、最も適していて、()つ単純な手段であるが、

 行うのに、普通であれば躊躇(ちゅうちょ)してしまうそれを、

 今は一切としていとうことなく、目の前に用意された白飯に(はし)を突っ込むように、迷うことなく行った。



「なっ、何してるの!?」



 寧音さんの瞳が、疑いのそれから、驚きの色に完全に変わった。

 そうならないはずがない。私が彼女の立場であれば、驚愕(きょうがく)で倒れるかもしれない。

 しかしその時の私は、何もおかしなことはしてないとばかりに、平然としていた。


 遊園地のお土産で買った、30周年のメモリアルグッズとして作られた果物フルーツナイフを手の甲に立て、そこから、リンゴの皮を剥くように、皮膚を一部切り裂いたのだ。


 痛覚は刺激される。つまり痛みはある。

 だがそれすらも、今は関係なかった。

 出血は多量。流れる血が、ポッカリ空いた皮膚の穴の中に、海のように溜まっている。だがその下にある物が、私の見たい、否、見せたいものだった。

 衝撃的ショッキングな光景に、思わず手で目を覆い隠していた寧音さんを、


「寧音さん……見せたいものが」


 と起こす。


「見せるって何を!?血の付いたナイフ!?それとも私を殺すナイフ!?」


 いつになくたかぶる寧音さん。

 対して私は、未だ冷静を保っている。


「いいから……ね?上げてください、目を」


 優しく声をかけたつもりであったが、寧音さんは、



「やめろっつってんだろォが!」



 と、荒れ狂った。

 こんな寧音さんは見たことがない。恐らく美雪さんも。こんな一面があるなら、先に伝えてくれるだろうから。

 響く怒声。日も変わろうとしている夜中だったので、迷惑だと感じ、或いは野次馬的気分で、道路に顔を覗かせる人がちらほら出てきた。

 その視線に気づいたのか、息を荒くしていた寧音さんもハッと我に帰り、


「ご、ごめん……け、けど、見せないで……!」


 と、いつも通りの彼女に戻った。

 私もやや押しが強すぎたかもしれない、と一瞬身を引くことも考えたが、それでは意味がない、単に自傷行為をしただけになる。

 だから、私はまた、手の甲を差し出そうとした。

 その時ちょうど、彼女がボソッと呟いた。


「……ユユ、“出てこないで”……!」


 その言葉が引っかかった。私に対し、何かの暗喩メッセージを送っているようにすら聞こえ、尚更(なおさら)放って置けなくなった。

 なので、


「……寧音さん……。これを見て」


 と、敬語も忘れて言った。

 彼女は(ようや)くギブアップし、私の差し出したそれを見た。

 (まぶた)がカッと見開いた。今度は目ではなく口を手で覆い、驚きか、でなければ喜びの涙を流した。

 彼女の目の先にあったのは、言わずもがな、接着力の弱くなった(のり)()がれた紙の端のように、ベロンとめくれた私の手の皮膚の下にある、私の“堅構骨ソリッドボーン”だった。


 驚嘆(きょうたん)が、彼女の言葉を奪った。

 醜悪(しゅうあく)なその光景に対する驚きも(わず)かにはあるかもしれないが、それよりも、

 自分以外には1人も居ないと思っていた仲間が居たことに対する、感動混じりの驚きの方がはるかに多いだろう。


 その事情を知ってか知らずか、ご近所のお(まわ)りさんが1人、私たちの方へ近づいてくる。


「君たち大丈夫かい……?襲われたのなら……」


 警察官は、私たちの共通の敵。ただ彼らのような、言い方は悪いが下っ端の警官は、悪意が無いからさらに困る。

 私は咄嗟(とっさ)に、


「いえ、ちょっと口論になっちゃいまして。もう落ち着いたんで帰ります」


 と、()(つくろ)った。

 右手はポケットに突っ込み隠した。紅くて暖かい液体が、ズボンに染み込んでいくのがわかる。


「そ、そうか。もう夜も遅いし、早く帰ってくださいね」


 (きびす)を返しながらも、度々(たびたび)こちらに心配の目を向けてくる。だが私たちは、屈託(くったく)のないように見せかけたとびきりの笑顔を彼に向けるだけ。

 ──早く行けよ!──と、心底では思いながら。

 ある人は家のベランダから、またある人はマンションの廊下からこちらを見ていたが、警官が帰るのを見て、皆も元の生活に戻っていった。

 それを確認し、私たちもまた、そろそろ帰らなければならないことを認識する。


「……年明けの……1月3日。私と一緒に……ある島に行って欲しいの」


 一連の事件のまとめに、寧音さんはこう切り出し、ある提案をしてきた。


「島……?」


 その時私の脳裏をぎったのは、“人造人間ヒューマノイド”にとって、見せかけの天国とも言える島──広楽島コウラクジマである。

 が、同じ“人造人間ヒューマノイド”である彼女が、無数にある島々の中で其処を選ぶなど有り得ない。

 そして彼女が言ったのは、私の知識の中には全くなかった、とある島だった。



「私の実家いえがある島──興土島コウドジマに、行くの──」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ