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“人造人間”の迷惑  作者: 彩葉 軀
第3部
21/69

第20章 亡失

速筆のため、文章に不備があるかもしれません、ご了承願います……。

 ──それから2ヶ月。

 我がクラス、3年2組の実質的支配者、坂巳根サカミネ 莉央リオによる、反乱者への制裁イジメ悪化エスカレートしていった。

 1ヶ月前までは、クラスメイト及び反乱者の取り巻きの強制集団無視や、友人関係の崩壊などの精神的なモノが多かったが、

 その反乱者──稀崎キサキ 雛乃ヒナノ天真爛漫(てんしんらんまん)な性格の前には無意味だと悟った莉央は、次に武力行使に至った。

 かつてその反乱者に好意を抱いていた男子たちを上手く騙し、従え、武器とした。

 そして、支配下の人間以外に知られることのないように、他人にバレるか(いな)かというラインギリギリの傷を雛乃に与え続けていた。

 莉央の指示は絶妙だったようで、反乱者が居ることを知っている私たちクラスメイトには制裁イジメによるものだと明確に判別出来る傷、知らない人間には怪我か何かの不慮の事故のものだろうと思われるような傷であった。

 相変わらず彼女の為に何も出来ていなかった私は、自分自身を呪った。

 教室の中や授業中は、声に出すことは勿論(もちろん)、散り紙などに書いて筆談することも(はばか)られた。備え付けのコンピュータは生徒間の通信は不可能となっている。だから彼女と会話出来るのは放課後、あの廊下の奥でだけ。

 かと言って息苦しいこの生活に、自ら終止符ピリオドを打つことなど出来るはずもない。それは(すなわ)ち、莉央への反乱に加わるということを意味するからだ。

 他に方法など(いく)らでもあるのかも知れないが、今の私に出来るのはこれくらい。そしてそれを行動に移してしまえば、また別の苦しみが待っていることなど目に見えている。

 従って、私はこの立場ポジションにいるしかないのだ。

 いずれこの独断的制裁が発覚した時に、悪人に数えられる立場に、いるしかないのである。


 そんな私を、雛乃は責めることも(いさ)めることもしなかった。

 ()()()()の前と変わらぬ態度で私に接し、チャームポイントの健気(けなげ)な笑顔は、息苦しいこの生活に、一息つく時間をくれる。

 だが、その一息で吸った空気すらも、私を傷つけた。

 本来気を使うのは私の役目なのに、むしろ私が痛みを和らげている。その事実を認識することで、マイナスイオンが有害ガスに変わるのだ。

 けど、こんなことで痛いだの苦しいだの言っていられない。本当に痛いのは、目の前の雛乃なのだから。

 こんな苦しみを他人に与える行為を、莉央は平気で、何なら愉悦感(ゆえつかん)を憶えながらしているのだと思うと、憎かった。憎くて憎くて、吐き気がした。


 だから、私は復讐(ふくしゅう)することに決めた。

 タイミングは今じゃない。

 この学校を、卒業してからだ。

 あの女の呪縛を逃れ、自由を得た暁に、私は彼女に復讐する。

 この学校で得た『借り』を、何倍にもして、奴に『返し』てやる……!!

 と、こんな計画を、仮に雛乃に伝えたとしたら、きっと彼女は怒るだろう。何があっても、皆に対して平等に見る目を持つ彼女は、それこそ私を責め、諌め、しまいには態度も変えるかも知れない。

 なので私は雛乃にこれだけ伝え続けることにした。

『耐えろ』と。

 彼女に死なれたら、私の『武器』は減る。

 いや、『武器』などという軽いモノでは済まない。

 雛乃は、私の、復讐に対しての『原動力』だ。

 私を『拳銃』に例えるならば、彼女はそれに必要な『弾丸』。私が『剣』なら、彼女が肝心の『刃』。『弓』ならば『矢』。

 まとめて言い換えれば、『凶器』を『凶器たらしめるもの』のことだ。

 それを失ってしまっては攻撃するも何もないだろうという存在に、雛乃はあるのだ。

 だから私は、彼女にこれだけを伝えた。『耐えろ』と。『何があっても、最悪の結末だけは迎えるな』と。

 勿論雛乃は、こんなことを言われてもキョトンとしていたが、私はそれで良かった。

 これは“私だけ”で進めるべき計画。誰にも邪魔はさせないし、誰の助けも借りてはいけない。

 ましてや雛乃の手を悪しき色に染めてはいけない。

 私は静かに燃えていた。黒い炎を(たぎ)らせて、静かに()え、くすぶっていた。

 だがその炎は、突然、鎮火を迎える──。



「──雛乃!答えろっつってんのが聞こえないの!?」


 雪月セツゲツ 閑名カナの荒い声が、教室中にこだました。

 各々食事をしたり、持ち込み禁止のはずの書籍端末で電子雑誌を読んでキャッキャしたり、自習したりなどなど、(つか)()の平和が流れる昼休みが、一瞬で静寂(せいじゃく)に包まれた。


「どうしたの?閑名」


 少し離れた席で座っていた横英ヨコエ 花蝶カチョウが尋ねる。


「こいつが花理崎カリサキとかカエデとかと繋がっていないか()ただして置くように、莉央から頼まれてたから今尋ねたの!そしたらこいつ、シカトするのよ!これって逆らってるって取っていいよね!?」


 静かな花蝶に対して、きいきい声で激しく訴える閑名。

 この検査は、2ヶ月の間で定期的に行われていた。秘密裏にやるどころか、むしろ教室で大っぴらに行われた。嘘をいたときの目線や仕草で判断する為だ。

 だがそんなことは、雛乃の前には無為(むい)なことであった。その幼さ故か彼女は、『人と話すときは相手の目を見て話せ』という、親から口を()っぱくして言われた言いつけを忠犬のように守っていて、そんな彼女が嘘をいても、目は泳がなかった。

 そして今日、雛乃はついに反抗の意思を見せた。無敵とも言えよう彼女だって、人間であることは変わらない。鬱憤(うっぷん)も溜まる。彼女はそれを蓄える器が人より遥かに大きいだけだ。


「……おい、雛乃。答えないというなら……今日放課後、屋上に来な。……今日中に答えさえすれば、来なくていいけれど」


 至極落ち着いている花蝶、それに、獣みたいに(うな)る閑名をも無視し続ける雛乃。小学校の頃から友だちだが、あんな彼女は見たことがない。

 恐らく雛乃は、雛乃史上初めて、

 本気で苛怒キレている。

 その雰囲気は、莉央に勝るとも劣らないものを見せている。だが莉央と違うのは、

 計算高さ、だろう。

 これは推測であるが、こうなってしまった雛乃は、後先考えずに、怒りに任せて行動してしまうだろう。

 現に今、『無言を貫く』という直感的な行動を行なったことによって、閑名と花蝶の怒りを買ってしまった。

 “女王”──坂巳根 莉央は今、ゲスト出演のドラマの撮影で外に出ている。午後になったら帰って来るそうだから、この件は早急(さっきゅう)に伝えられることだろう。

 よりによって最悪のタイミングだ。ちょうど季節の変わり目ということもあって、連日、ファッション誌『ViNaヴィーナ』の撮影。それに加え、ドラマの番宣でバラエティに出たり、キャンペーンガールとしてのCM撮影も立て続けにこなす日々だと言う。

 そんな生活を送っている莉央のフラストレーションは、溜まりに溜まっていることだろう。

 憤懣ふんまん憤懣ふんまんのぶつかり合い。しかも我の強い者同士のそれだ。

 私の出る幕じゃない、私が何もすべきではない(いさか)いだ──。


 ──と、思っていたのに。

 まっすぐ家に帰って、何も知らなかった顔をしておくのが身の為だと思っていたのに。

 身体はその意に反して駆け出して、気がついたときには、屋上の扉の前で、足を止めていた。

 本来従うはずの我が身が、何故こんな所に私を連れ出したのか、その理由は一つしか無い。

 私の身が、この事件から目を背けてはならないと判断したからだ。

 今は外的要因によって途切れかけている関係にある私と雛乃だが、それでも私たちは友だちだ。

 友だちがどうなるかわからないのに、その瞬間から目を背けるようでは、これから先、何も出来なくなる、と。

 しかし私は、この扉の前で踏み止まった。

 2人のやり取りは見守るべきではあるが、参加するべきではない。私が参加することによって、諍いが快方に向かうとは限らないから。

 そんな考えのもとに私は、壁に耳を付け、2人の話を聞くのであった。


「雛乃……。貴女、閑名に向かって反抗的な態度をとったらしいわね。それは(すなわ)ち……私に対する反抗であり……貴女(アナタ)への制裁開始の合図であるということは、承知の上よね?」


 莉央の声だ。今のところはまだ落ち着いている。かたわらに2人がいるのかは判別できない。


「……みんなちょっとやりすぎだよ」


 勇ましげにそう返したのは雛乃だ。

 まるで屈する気配がない。

 一瞬の間。これがあるということは、

 付き人は(そば)に居ない……?

 これは一大事だ。きっとあの2人もいずれこちらに向かってくるはずだ。その際にバレてしまうとどうしようもなくなる。早く隠れ場所を探さないと。

 そう思い、私の身体一つが入れそうなくらいの空間スペースを探すが、壁越しに彼女たちの声が聞こえる範囲は限られていて、その中にそんな場所はなかった。

 どうする……?諦めて降りるか?(ある)いは階段下にほとんど注意を向けて、閑名たちが上がってきたと判ったら、階段を少し降りた場所にある掃除用具入れに忍び込むか。

 よし、後者にしよう。

 集中力の90%近くを下にのみ向け、残った僅かなそれを話に向ける。


「……私、貴女に告げたわよね?“私の先を行く者は誰一人許さない。だから貴女に容赦はしない”って。……私の記憶が正しければ、貴女もそれに同意した。なのに貴女が“やり過ぎ”なんて、そんなこと言える立場じゃないと思うのだけど?」


 確かに、莉央はそう言う趣旨ニュアンスのことを告げていたのは私も覚えている。だがそれに対して雛乃が賛同したという記憶はない。考え方の都合の良さも(はなは)だしい。


「まあこの際、私がどう言ったかなんてどうでもいいわ……。とにかく私は、貴女を許さない。今この場で、さらなる裁きを与えるわ」


 さらなる裁き……!?

 一体何をする気なんだ……!?


「しかも喜びなさい。今回は、貴女に選択権を授けましょう。今から問う選択肢の中から一つ、貴女の好みを選ぶといいわ」


 声から想像した、この扉の向こうに映る光景は、

 元から背の高い莉央が、物理的にも精神的にも雛乃を見下し、不敵な笑みを浮かべながら選択肢を与えている、そんな場面だ。

 当事者ではない、あくまでこの会話に聞き耳を立てているだけの私が冷や汗をかいている。そんな恐怖を感じさせるオーラがひしひしと伝わってくる。

 息も上がりそうな状況の中、私が確かに聞いたのは、こんな言葉だった。



「貴女自身の死か、貴女の家族の堕落(だらく)か。どちらかを選びなさい。拒否権は、無いわよ」



 優しく、あでやかで、()つ強みの入った語尾に、私は悪寒(おかん)を感じた。


「……堕落、って……?」


 対する雛乃の声の音程も、日頃より俄然(がぜん)低い。私がそれを前にしたら、きっと腰を抜かしてしまう。

 だが続く莉央の声は怯えていない。


「貴女も存じているはずよ。私には莫大(ばくだい)な財力があることを。

企業史上最高の売上を叩き出した我が父の財力、そして『ViNaヴィーナ』のトップを支配する私自身の財力。それを上手く使えば、貴女の家のようなごく一般の家庭を好き勝手に操ることも朝飯前なのよ。

 だから私は、貴女の家族を(おとし)れる。ご両親の勤め先を洗い出して、その勤め先に有る事無い事吹き込むの。そしたらどうなると思う?

 貴女のご両親の信頼はガタ落ちよ。比例して収入も、やがては職をも失うでしょうね。そんなことは、運動バカの貴女のアタマでも判るでしょう?」


 それを聞いていて、私は奥歯を噛み締めた。2人の声に怯えていたさっきとはまるで違う。その心中を、憎悪(ぞうお)の感情が支配した。

 雛乃もきっとそうなんだろう、私は思った。


「……やめてよ……!パパもママも……関係のないことだよ!」


 しかし彼女は、今度はおそれていた。より具体的な内容と、それを淡々と、()恍惚(こうこつ)じみた声で話す莉央の様が、その話に現実味を帯びさせたのだ。

 そういう部分には敏感な彼女は、それに怯えたのだ。

 この目の前の“女王”なら、真にやりかねないという事実に。


「貴女の親類にも同じ事をするわ。全ては、私の忠告を受け、制裁を受けてもなお私に逆らい続けるという愚かな行為を成した貴女が悪いのよ。

 そんな愚か者と同じ血が流れている人間は皆苦しむべきだと私は思うの。本心を言えば、こんなグダついたことせずに、さっさと貴女を殺して、それで同じ血族を苦しめたいの。けれど、それじゃ私がただの悪者。だからせめて、貴女の意思を、最後に聞いてあげようと思って」


「やめて……!やめて!莉央ちゃん!」


 先程の威勢は何処へやら。雛乃は涙の懇願(こんがん)

 だが。


「『やめて』……?…………ククク……アハハハ!!」


 笑って──否、わらっている?

 別の誰かに聞こえるような高らかな声で、莉央が嗤っている……。


「確かに私は『やめて』とは言っていないわね。けど!私は貴女に『やめろ』と言ったはずよ!私に逆らう事を『やめろ』と!私は命令した!

 それでもやめなかった貴女の頼みを、なぜ私は聞かなきゃならないの!?まるで道理に(かな)っていない!

 それでも貴女が泣いてすがるのを見たら、嗤い過ぎて片腹痛いわ!」


 声色が、笑いの声じゃない。怒りの声だ。

 恐らく、仕事で溜まったフラストレーションを今ここで発散している。

 彼女の言っていることは、(かな)しいかな、理に適っている。私が当事者なら、何も言い返せないだろう。

 なのにふつふつと湧き上がってくる、この怒りは何……?

 これは、理不尽な選択肢を選ばせている、莉央への無条件的な怒り。

 私は知らずのうちに、拳を強く握っていた。


 自らがこうすべきだと選んだ行為を、すっかり忘れたままで──。


「……誰?」


 階段下で響く、女の声。

 はっと我に帰り、見下ろすと、

 その声の主──雪月セツゲツ 閑名カナと、彼女に付き添う、横英ヨコエ 花蝶カチョウの姿があった──。



「──いつから……聞いていたの?」


 莉央は私に問うた。

 私は(うつむ)いたまま、


「……最初……から」


 と、ボソボソと答えた。


 あの後隠れる間も無く、万事休すと諦めた私は、莉央親衛隊の2人の手に捕まり、今こうして莉央の前で尋問を受けている。

 彼女の前で虚偽(きょぎ)の答えを出す事はリスキーだ。()()(しの)ぎにはなるだろうが、真実が発覚した時の倍の攻撃を約束することになる。それは避けなければならない。


「……ふうん……。ルールは……破っていないわね。雛乃には『ひとりで来い』とは言っていない。雛乃にその気は無かったんだろうけど」


 莉央は怒ることはなく、私を見下ろすだけ。

 だがそのは、憤怒の感情に満ちている。


「しかし常識的に考えて、盗み聞きというのはいけないことよね?……それを考えれば、貴女はただでは帰れない、ということは判るわよね……?」


 見下ろす、のではなく“睨み下ろす”。

 獣のようなで、彼女は私を睨み下ろす。鋭い目力に捉えられ、眉間に凶器を突き付けられたかのような恐怖に支配された私の背筋は凍りついた。

 しかし刹那、彼女の表情は笑みに変わった。

 恍惚的な笑みに。


「……いい事を思いついたわ。閑名、花蝶。……その女を、絶対に逃さないで」


「判ったわ」


 指示された2人の力は、少し強くなった。


「ねえ雛乃……喜びなさい。貴女にもう一つ、選択肢を与えるわ」


 その台詞を聞いて、私はその“選択肢”の内容を悟った。

 俯いた顔を上げ、生意気ながら莉央を制止しようと叫ぼうとしたが、その目に映った、莉央が雛乃の(あご)に手を持って行きさする姿を見て、その色気に、見惚みとれてしまった。

 まるで鎖で縛られたような感覚が、私の全身を走る。


「……貴女と、貴女の愚かな家族を救う代償として……この女を……花理崎カリサキ 菜那ナナを殺しなさい」


 想像の通りだった。

 と言うか、私の考える中では、この状況で彼女が増やす選択の余地など、これしか無い。

 莉央は閑名たち2人に私を拘束する力を強めるよう指示したが、それはこの瞬間に私が暴れ出す事を見込んだからだろう。

 しかしそんな無駄なことはしない。

 むしろそんな事をしたところで、余計に危機的状況に陥ることなど目に見えている。

 もし何かあっても、それは不運だと割り切ろう。

 この女が、偶然こんな辺鄙へんぴな公立中学に来て、偶然私たちのいるクラスを、いつの日にか訪れるXデーの予行練習リハーサルがてらに支配し、その中で偶然目をつけられたのだ、と割り切ろう。

 そう思うと、焦燥も恐怖も抑制された。

 そして私は、自分のことをさておいて雛乃の顔を見る。

 だが彼女の頭は下を向いていた。

 動きが制限されているから、彼女の顔を覗き込んでどんな顔をしているのか探ることは出来ない。

 こんな状況で、彼女は一体どんなことを考えているのだろう。私のような傍目(はため)から見た幼い彼女には、到底抱えきれそうも無い重荷を無理矢理課せられている。

 それを思い心配する私を他所よそに、処刑執行人の坂巳根サカミネ 莉央リオという女はさらに追い討ちをかける。


「そろそろ……私、時間が無くなってきたわ。雛乃……あと1分以内に決めなさい」


 時間なんて有り余っているに違いない。それでもそう言ったのは、雛乃に思考時間を与えないことで正しい判断をさせずに、それによって自分のシナリオ通りの展開にする為に他無い。

 この瞬間、私は思い知った。

 今までただ純粋に“善良な人間”だと信じていた、

 否、私のみならずほぼ全ての一般市民がそう捉えている、政府やその他の『支配者』という人間たちは皆、

 この坂巳根サカミネ 莉央リオの様な人間ばかりなのだろう、と。

 身勝手な政策や多少のスキャンダルはあれど、それは『魔が差した』程度に認識されて、喉元を過ぎれば暑さを忘れてしまう。

 それは心の底で無意識に、“彼らは善良だ”と根拠のない思想を抱いているからできることだ。

 しかし彼ら支配者は皆、この女の様に、残酷非道な方法で、己より下の人間を蹴落とし成り上がってきた人間なのだ──。


「……良いの?時間は経っていくわよ。そうねぇ……もし答えが無かったら、貴女の愚かな家族を殺すのも良いけど……菜那を殺してみましょうか」


 私を……殺す、か。

 もう反抗心すら芽生えない。私の心の中にあるのはただ一つ。

 諦念(ていねん)

 それだけだ。


「……おい、聞いてんのかよ!さっさとどうすんのか決めろよ!もう30秒切るぞ!!」


 (しび)れを切らした閑名が吠える。閑名という字にまるでそぐわないご様子である。


「閑名、私解ったわ。まだ追い詰められてないから何も答えを出さないのよ、こいつ。莉央、私ら、こいつをあそこまで連れて行くよ」


 花蝶が、フェンスの無い場所を指差し言う。だが莉央は首を横に振り、代わりにポケットの中から、ある物を取り出した。

 カッターナイフだ。

 なんて用意周到。いや、彼女は最初から、雛乃を脅かす気しか無かった、という証拠か、これは。


「雛乃……?あと15秒よ?その間に、貴女は答えを決めないと──」



 何だ……?何故、莉央は黙った?

 そして何なのだ、この妙な静寂は……!?

 私たちのいるこの空間だけ、時間が動かなくなった様に、皆が静まり、固まった。

 その中で私だけが身体を動かせた。

 この原因は、無論雛乃にあるに違いない。

 私は雛乃を見た。


 唖然。

 それを見た、私、そしてこの場にいた雛乃以外の全員の感情だ。

 “それ”とは、


 莉央が私にカッターナイフを向けていたその右手を、何も臆することなく握り締め、その鋭く光る刃物を強奪し、自分に突きつける、という光景だった。

 その彼女の顔は凛々(りり)しく、何も恐れない堅固たる勇気に満ちた表情である。もし仮に雛乃が男だったのなら、私は心を奪われていただろう。


「こうすればいいんだよね」


 雛乃は、別の何かからそう言えと指示されたように、棒読みで答えた。


「貴女まさか──」


 自らそうしろと言ったはずの莉央が、その僅か数秒先の光景を見るまいと放った言葉は届かず、

 雛乃は、



「あうっ」




 自らの頸動脈(けいどうみゃく)を、


 軽やかに切り裂いた──。




 舞い散る血飛沫ちしぶき

 乱暴に投げ捨てられる、罪の無いカッターナイフ。

 そして、

 傾いた置物のようにゆっくり倒れて行く、雛乃の身体。


 私も、閑名も花蝶も、莉央も、その全てをしかと目に焼き付けていた。いや、焼き付けさせられた、(いや)(おう)でも。

 こんな画を、誰も見たくなかった。

 だが見させられた。金縛りにあったみたいに、微動だにできない。

 その金縛りから、私たち4人が解放されたのは、

 その雛乃の重い胴体が一度地面につき、反動で一度跳ね上がってから、更にもう一度地面に叩きつけられ、動かなくなった時だった。


 誰も叫ぼうとしない。

 皆、この空間をさっさと去りたかった。

 それなのに、身体はここに佇むことを選ぶ。

 そして、広がっていく雛乃の血をただ見つめる。

 それが十数秒間続いた後、閑名が動いた。

 彼女に続いて花蝶が、そして莉央が、逃げ去ろうと駆け出した。

 その刹那だった。



「……待って……よ……!」



 死に瀕していたはずの雛乃が、むくりと立ち上がった。

 その様は、さながら不屈の闘士。

 しかしながら勿論、彼女は闘うために苦しみながら立ち上がったのではない。

 彼女が行おうとしたそれは、受けた者にとっては実におぞましくなる行為だった。


「莉央ちゃん……約束して……私死ぬから…………。

 これ以上……誰にも手を……出さないで……!

 私…………見てるから……!

 これ……その証拠。……私が、莉央ちゃんを見つけやすく……する為……に」


 雛乃は、その首からドクドクと流れる赤い血を、細くたくましく成長した人差し指と中指ですくい取り、

 鬼胎きたいで堕ちた“元”女王のつやのある柔らかな頬に、ベットリと塗りたくった。

 お陰で莉央の顔は今以上に蒼ざめ、彼女はその場に、膝から崩れ落ちた。

 それと全く同時。

 同じように、雛乃も再び倒れた。

 その一部始終を見届け、私は(ようや)く動いた。

 それを真似するように、閑名と花蝶の付き人コンビも、莉央に駆け寄り、ガクガクと震える彼女の肩を抱えた。


「は……早く行こうよ……!アイツ、イ、イカレてる……!」


 閑名はそう言い、慌てて階段を降りていった。

 この構図を見て、私は悟り、自分が恥ずかしくなった。


 今まで私は、莉央が『大人』だと思っていた。才色兼備、運動万能、それに精神的にも発達している彼女は『大人』だった。

 そんなのは誤解。

 彼女は、そして彼女の手駒たちは皆、『コドモ』だった。

 表向きで『大人』を演じているだけの、知ったかぶりの『コドモ』だったのだ。

 対して雛乃の表面は『子供』。親ですらも不安になる程、成熟が遅く見られた。

 けれど、彼女こそ育っていたのだ。

 取り繕っていたわけではない。『子供』の仮面を被っていたのではない。

 彼女ですら知らないうちに、彼女は『大人』になっていたのである。

 その証拠に、己に従う人々の姿を見て愉悦(ゆえつ)(ひた)っていた『コドモ』の生半可な殺害予告を、『大人』は厳格さを持って真正面から向き合い、(はかな)く散った。

 そんな雛乃に、私は心底から、大いなる敬意を表したい。


 しかし、私は改めてこの状況に、ショックを受けた。

 そして、そんな事をして時間を無碍むげにしている場合ではない、と、何か対処を(ほどこ)すことにした。

 不幸なことに、私はこの時、服以外の何も持っていなかった。ついさっき閑名たちにここに連れられた際に、全て階段の下に置いて来られたのだ。よって私が何か使うとすれば、この一張羅(いっちょうら)からどうにかするしかない。

 とにかくずは止血だ。私は致し方なく、その身に(まと)っていた白のブレザーシャツを脱ぎ、傷を抑えた。

 雛乃の目は開かない。声も、息も無い。

 先程の莉央に対する忠告が、彼女の遺言(ゆいごん)──だなんて認めない。

 何としても彼女は救い出す。

 もう……友だちを失うなんて、うんざりなんだ!

 私は無我夢中で止血しようと努めた。

 だが、ブレザーの白を染める赤には、勝てなかった──。


 誰かからの通報を受け駆けつけた救急隊員と、その後に慌ててついてきたこの学校の教員が、上半身が下着のみの状態で打ちひしがれる私を見つけたのは、雛乃の死を見送ってから数分後のことだった。

 その状況と、後の様々な捜査の結果、私はシロであることは証明された。

 一方私はその時のショックからか、それ以後数日、嘔吐(おうと)を繰り返していた。

 そのおかげで栄養失調にかかった私は、数日間の休みを貰った。

 そこから私の引きこもりは始まり、やがては、1日がいつ始まりいつ終わるのか判らない程の状況にまで堕落した。


 1ヶ月。


 私が、社会という場所に出る準備に要した時間だ。

 友を、ましてや最も近しいと言える友を2人も失ったショックを、治せなくともせめて和らげるには、それくらいが必要不可欠であった。

 その間、学校の友人は無論、父母とも話さないまま。ストレスか何か判らないけど、いつの間にか生活は昼夜逆転。食欲も湧かないから、まるで自分が“人造人間ヒューマノイド”みたいに思えてくるくらい、食事を摂らなかった。

 “人造人間ヒューマノイド”──。

 私の友を2人も奪ったのは、そんな存在があるという“事実”だ。

 だが、その友の1人は、“人造人間ヒューマノイド”であり、もう1人はそれを守ったがために亡くなったのだ。

 それを改めて認識した私は、ある使命を胸にすることになる。



 私は、ここでウジウジとしている場合では無い。

 生を受けたからには、2人のぶんを生きなければならない。

 権利では無い、義務だ。

 そして、2人の想いも無駄には出来ない。

 だから私は……

 “人造人間ヒューマノイド”のことを知らねばならない。

 そして……想いを叶える為に……!

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