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“人造人間”の迷惑  作者: 彩葉 軀
第1部
2/69

第1章 了知

  午前7時30分。歯磨きを終え、朝の支度は終わる。外からは、まだ賑やかな声は聞こえない。


姫花ヒメカ?体操服は入れたの?今日は体育の授業があるんでしょう?」


 リビングに戻ると、台所で皿を洗っていた母の光李ヒカリが確認の質問をしてきた。この3人の予定をその小さな頭に全て叩き込んでいるのだから、その記憶力には毎度畏れ入る。


「入れたよ。ま、あんな授業、体操服無しでもできるよ」


 私は冗句(じょうく)を投げかけたつもりだったが、母は「そう」と微笑むだけであった。


『昨日17日、新たに3人の“人造人間ヒューマノイド“の返還が、国会議事堂特設室にて行われ、その家族にそれぞれ50万円の謝礼金が手渡されました──』


 テレビから流れる、ニュースを読む女性アナウンサーの声は無機質そのもので、起きたことをただそのままに伝えているだけであった。


『──返還された“人造人間(ヒューマノイド)“の1人、高貴コウキさんの家族であった多一タイチさんはインタビューに応え、

「正直返還するか悩んだが、彼と相談して自身で納得したようだったので、それでやっと決心がついた。これからどうなるかわからないが、どうか元気でいてほしい」と、涙を浮かべながら話していました』


 朝の情報番組特有のテンションの切り替わりの早さは、テレビ業界がいくら廃れようとも変わらない。嬉しいようで哀しいニュースの後だと言うのに、そんなことは無かったかの如く、最新ファッションの特集が始まる。


「変な時代ね」


 母は突然、誰へともなくそう呟いた。


「いくら機械って言ったって、見た目は人間そのものよ?それを見たこともない人間に渡して謝礼金がどうのって、言い方は悪いけど人身売買みたい…。そう思わない?姫花」


「……私わかんないや、難しくて」


 ──本当は分かっている。なんとなく。

  ただよくはわかっていない。知ったかぶりをしたくないのでこう言った。

 その後も母は何やらボソボソ続けていたが、私は聞いていなかった。


 それから数分後、母の一人演説を断ち切るが如くタイミングで、ドアベルが鳴った。この時間にベルを鳴らす人間は一人しかいない。


「ほら、雛乃ヒナノちゃんよ。待たせてあげないで早く行ってあげなさい」


 ベルに応答した母が私に告げる。


「わかってるわかってる」


  私は言いながら、そろそろ身体に合わなくなってきたランドセルを背負う。

 

「ほら、あなたも。早く準備して」


 母は、さっきから新聞ばかり読んでいた父の肩を揺らす。

 

「お、もう時間か」

 

 何というか、部長職レベルのサラリーマンが言うような口調で、平社員の父──和真カズマがスーツを着る。

 それを見ながら、私は砂で少し汚れた靴を履いて、


「行ってきます」


と、大音量でありながら落ち着いた──自分で言うのも何だが──小学校高学年女子らしい声で挨拶し、家を出る。

 門の前で、まるで前からそこにあったかのように立っている雛乃。彼女は私を見つけると、


「おはよ!」


 と、こちらはまだ小学校低学年のと変わらない無邪気な声で挨拶してくる。

 まだ彼女に精神的な発達が見られないのは、スポーツ大好きな彼女の友達に男の子が多いからではないかという、勝手な推測を私は立てている。

 もちろん悪い子ではない。だが彼女と私は少し趣向が合わない。しかしこうして毎日一緒に彼女と学校に通っているのは、家族ぐるみで仲のいいこの関係を狂わせたくないという理由に他ならない。

 

 学校に着き、5-Aの教室にある自分の席に着くのは、いつも決まって8時13分である。

 歩くペース、道順、家を出発する時間が同じなら何らおかしくないことではあるが、それでもこの時間にこの位置にたどり着けるということに(かす)かな喜びを感じる。

 このクラスでの会話は少ない。別に、私だけはみ出た奴だから話しかけてもらえない、なんて言うようないじめられっ子めいたわけではなく、このクラス全体の会話量が少ないのだ。当事者の我々には何の違和感もわかないが、長年子供を見てきた先生方にとっては、妙にギスギスして見えるこの空間が奇妙で仕方ないようだ。

 十数分後、その異様な沈黙を保つ空間に、一人の女教師が入ってきた。彼女は葉瀬ハセ 理莉花リリカ。この静寂保つ5-Aの担任である。

 ことわっておくが、この静寂空間は彼女が作り出したものではなく、あくまで我々生徒自身が作り出したものである。何なら彼女だって、この統制されたような空気にムズムズしているはずだ。

 先生が教卓の前に立つと言われてもいないのに皆は起立し、委員長の久道(クドウ)さんが、


「おはようございます」


 と挨拶し、それに続いて皆が挨拶をする。

 そして皆は着席すると、これまた奇妙な笑顔を浮かべ出した。そんなことをしたら余計に怪しがられるに違いないのにそういうことをしだす。このクラスの面子の思考は、そこそこには見破れない──。



 授業が始まると、皆の会話量を徐々に増してくる。と言っても、社交辞令的なそれだが。

 この様を見て私の分析結果はこうだ。

 私自身含めたこのクラスの人間は基本、“面倒臭いこと”が苦手なのだ。

 人間関係で起こる“面倒臭いこと”。下手に暴れてケガしてからの“面倒臭いこと”。先生にとやかく言われるという“面倒臭いこと”。

 言われたことを言われたようにやるのは朝飯前。言い換えればそれ以外のことは徹底的にやらない。それがこのクラスである。

 恐らくこれも、この2100年代の社会が作り出したものであろう。

 まあ私もこの一員であるから、何かを言えた立場でもない。

 そんなことを考えているうちも時間というものは進み、気が付けば四限目が終わろうとしていた。

 葉瀬先生は、基本自分だけで淡々と授業を進める。だからこうしてボーッとしていても何の支障もない。

 祖母の時代には、“ノート”とかいう、先生が“コクバン”に書いた字を写すためのものがあったらしく、それに文字を書くので精一杯だったそうだが、今はそんなこともしなくていい。

 先生が予め用意している、授業の内容をまとめたテキストファイルが、それぞれの机に備え付けられたコンピュータに届く。それに何かを書き加えたり、個人用の携帯端末に入れたりするのは、それぞれの自由だ(大半はそんなことなどしないが)。

 そんなこんなで、終業のチャイムが鳴る。少し古い型のスピーカーなので、少々壊れており、変に高い音がやたら耳に突き刺さる。

 さて、昼休みだ。この学校は給食制を採用しておらず、弁当持参か購買の食品を食べるしかない。ちなみに、先生は職員室に帰る。


皆木(ミナキ)さん」

 

 机の上に弁当を出して、(はし)を手に持たんとした時、私にこう声をかけてきたメガネの女子、名を花理崎カリサキ 菜那ナナと言う。

 その容貌と口調から毎年皆に委員長を押し付けられるも、本人は『責任を負うことはあまりしたくない』と言っている。名前負けならぬ“見た目負け”のいい例である。


「一緒に食べましょ」


 私と親しい彼女であったが、そんなことを言うのは珍しかった。だから一瞬面食らったが、嬉しくないことではないからもちろん快諾(かいだく)した。


 今日のおかずは、唐揚げに、ハンバーグ3つに、焼いたソーセージ。……相変わらず茶色い。強いて言えば、申し訳程度に入っているレタスが緑色である。だが作ってもらっている身だ、文句など言えやしない。それに、母の作る弁当で不味かったり味が薄かったものはない。だから不満ではない。

 

 さて頂こうかと、箸で唐揚げを掴んだ時、私の机に、もう一つ弁当箱が乗った。

 雛乃である。


「ワタシもいっしょに食べたい!」

 

 至極無邪気だ。羨ましいくらい。

 無論、私たち二人に断る理由など無く、席を譲ってあげた。だが雛乃は椅子に座ろうとはしなかった。


「ゴメン、ワタシ先にトイレ!」

 

 そんな大きな声で言うものでもないことを威勢良く宣言した後、彼女はぴゅーっと教室を飛び出す。……かに思われたが、ドアの前で彼女は立ち止まり、頭だけをこちらに向けて私たちに尋ねた。

 

「二人はいーの?」と。


「私はいいわ」


「私も」


 菜那に続いて私も応えた。

 

「わかった!」


 と言って、雛乃は去っていった。


 改めて私は食事を始める。同時に食べ始めた菜那だったが、不意に何かに気づいて私に尋ねた。


「ねぇ、皆木ミナキさん」


「何?」


「おかしなことだと思うけど一つ訊いていいかしら」


「ふふ、何?早く言ってよ」


「皆木さん、トイレっていつ行くの?」


 失礼ながら、この女は何を言っているのだと一瞬感じた。だが直後、ハッとした。


 私は生まれてこの方、一度たりとも、

 トイレに行った記憶が無い──。


 だが考えても見ろ、いちいちトイレに行ったなんて記憶するやつがいるだろうか。短期的記憶はあったとしても、そこまで長期的記憶はまあ無いのではないか。


 いや、一概(いちがい)にそうだとは言えまい。新しく行った店の間取りをトイレから覚える、なんてことも少なくないはずだ。ならトイレのみを覚えていることもあるはずだ。私にだって。


「皆木……さん……?」


 考える私を我に返したのは、菜那だった。


「まさか、トイレに行ったことが──」


「無いわけないじゃん。たまたま菜々が見てなかっただけだよ」

 

 私は食い気味に否定した。

 その後あれやこれやと立て板に水の勢いで喋ったが、そうすることによってより怪訝(けげん)そうな表情になっていく菜那の顔に、少々怯えていた。

 そうして、次は何を言おうかと迷っていた時だった。


「何?何の話?」


 助かった。トイレから帰ってきた雛乃の大きな声が、何か言わんやとしていた私の声に覆いかぶさるようにして飛び込んできた。

 しかし、話はまだ続く。


稀崎キサキさん、アナタ皆木さんが──」


「ね、ねぇ、雛乃!昼休みは何して遊ぶ?」


 もうこれ以上話を続けたくなかった私は、先刻の雛乃さながらの勢いで菜那の話を(さえぎ)った。

 

「あっ、私!“追跡ごっこ(チェイス・ゲーム)”したい!」


  周りのどんなことよりも遊びが大事な雛乃は、菜々の話など放っておいて、ああしたいこうしたいと、いろいろ話していた──。



 どうにかこうにかランチタイムを乗り切った。菜那に話をさせまいと、常に話題を提起し続けた。あとで謝っておかなければ。ああメンドくさい。

 そして今と言えば、私と雛乃、そして彼女が誘った数名の男子で、追跡ごっこ(チェイス・ゲーム)を始めようとしている。

 ジャンケンで“追跡者チェイサー”を決め、他はみんな“逃避者ランナー”となる。追跡者は、逃避者を全員捕まえれば勝ち。シンプルなゲームで、何十年か前にあった“オニゴッコ”とか言う遊びが元なのよと近所のおばさんは言っていた。

 

 今回は雛乃が追跡者。私たち逃避者を約15分以内に捕まえなければ彼女の負けだ。


「じゃあ10数えるよー」


 と雛乃が言うと、男子たちが一斉に「おう!」と呼応(こおう)した。彼女は知らぬ間に男子たちの中でアイドル的存在にでもなっていたのかもしれない。

 雛乃が10数え終わり、ゲーム開始。

 

「行っくよー!」


 と彼女は宣言する。


 そこからは、やはり私の想像通りだった。

 瞬く間に逃避者は捕まり、気がつけば逃避者は私と男子1人だけ。彼女の俊足には恐れに似た感情すら抱く。

 だが私は別にこれがやりたくて外に出てきたわけではない。教室の中にいたところで、不利な状況が続くだけだから逃げてきただけだ。なんだから早いとこ捕まって──。


「姫花!危ない!」


 そんな雛乃の声に気付いた時、私は、滑り台の目の前にいた。

 その滑り台の上を1人の小さな女の子が滑っていたが、私に気付いたところでブレーキはかけられなかった。

 私たちは激突した。それだけなら、額にコブができて終わりだ。

 だがその時の私は、運が悪かった。

 

 バランスを崩し、私は後ろに倒れた。いや、正式には左斜め後ろだ。そこに今や都会では探す方が難解とされるコンクリート製のブロックが。

 そこからはご想像の通りだ。

 私は盛大に、コンクリートブロックとごっつんこしたのだった──。


 

 ──まだ腰辺りに(にわか)に痛みを感じる。

 事件、というより事故が起きたのは昼休み終了直前、時刻にして12時55分ぐらいだったろう。

 今はもう夕日が差している。何故かこの病院には時計が少なくて、今の正確な時間は把握出来ないが、5月にこの景色が見られる時間となればもう19時前だろう。

 

 こんな長時間持続する痛みだと言うのに、医者は骨折はしていないと言う。

 骨折する程の怪我は今までしたことがないから、もしかすると私の思い込みなのかもしれないと一時は思った。

 だが、診察が終わった後に母の光李ヒカリにそのことを伝えると、ひっくり返るくらい驚愕していたのでやはりそうでもないのだろう。

 彼女の骨折率たるや尋常ではない。ハードホッケーなる、『この世で一番危険なスポーツ』に学生時代を費やしたことを考えれば不思議ではないが。

 その母がおかしいと言うのだから、骨折しても不思議ではないのであろう。

 

 そんな母も、抜けられない仕事が出来たとか何とかでさっさと退散した。入院するわけでもないし、11歳にもなれば一人で帰るのも当たり前だ。病院ココから家までだってせいぜい20分ぐらいだし。

 


 というわけで、私は一人でトボトボ帰る。ボーッとせずに、しっかり前を見て歩こう。

 先ほどに比べれば、痛みもだいぶ和らいだ。一歩一歩踏み出すたびに、患部(かんぶ)を細い縫い針みたいなものでチクチク刺されているみたいな痛みが走る。


 今日は己の身体に宿る不思議を二つも知ってしまった。

 

 その1、私はトイレに行ったことがない(可能性が高い)。


 その2、私の骨の強度が異常に高い。


「あれっ──?」


 私は閑静な住宅街のど真ん中で思わず立ち止まり、呟いた。

 脳内で今日気づいた二つの不思議を整理したら、何か引っかかった。


 この特徴……どこかで聞いたことがある。


 確か何の気なしに見ていたテレビだ。しかも、そんな昔の話じゃない。つい最近のことだ。

 何だったっけ……!思い出せ……私……!


 数分、私は思考を巡らせることに神経をフル活用し、その為に歩道の真ん中で突っ立っていた。途中、何人か私の隣を横切ったが、そんなものは一つも気にならなかった。

 

 そして私は、いや、私の思考はようやく、その脳の奥深くに存在する倉庫にあったその記憶を引き摺り出し、私に提示した。

 その結果に、私は一瞬、モヤモヤしていた気分が晴れスッキリしたが、

 次の瞬間、

戦慄した。

恐怖した。

 そして、果たしてそれが本当にその答えであっているのか、不安になって確かめたくなった。

 私の足は、“さっさと家に帰る”という目的を忘れて、家とは別の方向に向かっていた──。



 閉館時間が20:00まで延長されていたとは。

 街の中で一番有名とはいえ、本を読まない私は図書館なんて滅多に来ない。

 覚えている中で最後にここに来たのは3年前だった。あの頃はまだ絵本だって読んでいたから楽しかったが、ある日それが急に恥ずかしくなって、抜け出すために薄っぺらい児童文庫に挑戦したが、開始一時間で夢の中に入ってしまい、それで挫折した。

 

 20世紀後半から21世紀初頭にかけて存在した、後に“第一次高度デジタル発達期”と呼ばれる時代、それから約半世紀後に起こった“第二次高度デジタル発達期”に、図書館と言うものも遅れを取るまいと、書籍のデジタル化やデジタルメディアの貸出のみにする図書館も登場したりなど、古き良き紙媒体(かみばいたい)の存在は薄れつつある。


 だが私が今いるこの図書館には、半分ずつの割合ではあるものの、アナログとデジタルが共存している。全国的な規模で見れば珍しい。

 従って、昔の本もまだ残っている。

 私は、今まで手も触れていなかったような、ロマンのある汚れ方をした、少々分厚い本を、これも今時珍しい木製の本棚から拝借した。


 タイトルは、「“人造人間ヒューマノイド図鑑ペディア」。

 書いて字の如く、“人造人間ヒューマノイド”に関する基本的な情報から、マニアも初耳だと言うような知識も載っていると聞く。それ故、全5巻構成。私が手に取ったのはその第1巻。

 私はその23ページを開いた。目次と前書きの次にある、基礎情報が書かれてある部分だ。私が探したいことは、きっとそこにある──。



 ──“人造人間ヒューマノイド”は、それまで造ることが不可能とされた『成長する“機械人間サイボーグ”』である。

 2034年から始まった“極度少子高齢化”時代に日本が突入した際、日本政府によって、当初は秘密裏に製造が開始された。

不妊症、不育症などの様々な事情により子供を持たなかった夫婦を対象に行われ、その目的は(もっぱ)ら、人口増加であった。

 前述の通り、機械であるにも(かかわ)らず、心身ともに成長するということが最大の特徴と言える。

対象者には、乳児状態で譲渡(じょうと)され、それ以降は、通常の出産後の手続きと同様である。その後も、乳児から幼児、幼児から少年、少年から青年、と人間と遜色無い成長を遂げて行く。

 活動に必要なエネルギーも、普通の人間と同じ食べ物から主に摂取する。身長や体重にも影響が及ぶ。脳の代わりとなる電脳コンピューターには、人間の本能、三大欲求など、生きて行く上で欠かせないもの以外はプログラムが(ほどこ)されていない──。



 堅苦しいなぁ、としか思えなかった。読書経験の浅い姫花ワタシには、ただただこれが呪文にしか見えなかった。

 だが、次の段落に入った途端、私の集中力は一気に増した。

 私の探していたモノが、そこにあったから──。


 ──その他にも、機械マシーンとしての認識を失われないよう、いくつかの特徴を持っている。

 排泄をしないこと、カルシウムや鉄分などの人間の場合と同じ栄養分で構成される、鉄に限りなく近い骨、通称“堅構骨ソリッドボーン”と筋肉で身体を構成していることなどがその中の一部である。

 食事で得たエネルギーは、電気へと変換されて活用される。従って、直接電気を得て活動することも可能である──。


 背筋が凍る、とはこのことだと実感した。

 

 (あらかじ)め、答えは知っていた。私がこれを読みに来たのは、それが正か否かを知る為だ。

 答えを出す、ということは言い換えれば、そうであることを認める、ということだ。

 1+1が2であるという答えを出すことは、1に1を加えれば2となる、ということを私は認めるという表明だ。

 だから、私が図書館に来る前に予め出しておいた答えを、私は認めざるを得ない。

 しかし、どうしてもそれを阻止してやろうとする自分がいた。


 認めない。


 認めてはならない。


 しかし、認めなければならない。


 2つの意識が混在する中、私はその本を持ったまま、電子セルフカウンターに足を運び、貸出手続きを済ませるのであった──。

 


「ただいま」

 

 玄関で靴を脱ぐ。その際に出た暗くて低い声は、気持ち良いくらいに誰もいない家に響いた。

 私が挨拶した目的は、こうして家に人がいるかどうか確かめる、ということである。そして確認の結果、今、家には私以外の人間はいない(はずだ)。

 階段を一歩一歩、必要以上に音を立てて上っていく。

 二階に着くと、いつものように自室に入るのではなく、隣にある両親の寝室に入った。

 ここにしかない立体映像計算盤ホログラムコンピューターで、ある事を調べるためだ。

 昨年くらいから毎日のようにニュースで取り沙汰されている、『“人造人間(ヒューマノイド)”返還問題』。そんなことが問題になっていることなど、今時珍しいテレビっ子の私以外でも、皆が周知している事実だ。

 だが、よくは知らない。

 アナウンサーは抑揚(よくよう)なんて言葉はその辞書にないのかなと思うくらい単調に読むから聞いていて退屈だし、専門家とかキャスターの解説は小学生には優しくない。新聞を読もうにも、文庫本の活字すら読めない人間があんな小さな文字読めるはずがない。

 だから私は、この電脳コンピュータで、開始から既に100年経つにもかかわらず未だ健在な、インターネット事典を活用することにしたのだ。


「じ……ん……ぞう……にん……あ、N2個いるんだ」

 

 と空間鍵盤エアキーボードに慣れない私はぶつぶつ独り言を呟きながら、ようやくその4文字を打ち終わった。

 事典は、すぐにその結果を提示してくれた。

 出てきたのは、“人造人間(ヒューマノイド)”の記事。その前半に書かれていたのは、例の図鑑に書かれていることと同じだった(というか、そこから引用したんだろう)。問題はその次からだった──。


 ──しかしながら、2094年、城石 究【シロイシ キワム、2021〜、日本】教授が発表した『特殊人形機械、“人造人間(ヒューマノイド)”について』の論文によって、その危険性が世に知らされた。

 1つは、“人造人間(ヒューマノイド)”の製造工程の中でのみ発生する特殊なガス、『静殺気体アサシンガス』の危険性。毒性の成分を持ち、吸いこんだ者の身体を数十年をかけて(むしば)み、鈍痛(どんつう)を帯びた死をもたらすと言う。

 もう1つは、その電脳コンピューター脆弱性(ぜいじゃくせい)。全ての“人造人間(ヒューマノイド)”に備わる電脳(ノウ)は、2064年頃からその存在が知られるようになった(せい)()(ちょっ)(かつ)機関、“人造人間ヒューマノイド”管理局にネットワークが繋がっており、その情報が全て管理局に提供される仕組みとなっている。

 無論、電脳及び管理局のコンピューターそれぞれに日本が現在持ち得る最高技術のセキュリティが施されているが、仮に管理局のコンピューターがハッキングされた際、集団テロ行為や人類史上最大の人災が起こりかねない、と城石氏は喚起(かんき)した。

 これに対し当時の日本政府は、人口の回復も背景に、最新の【テロ対策基本法】をはじめとする数本の法に(のっと)り、【“人造人間(ヒューマノイド)”案件基本法】を設立した。

 これにより速やかに“人造人間(ヒューマノイド)”の製造は中止された。翌年にはさらに改正が成され、2110年までの“人造人間(ヒューマノイド)”ゼロを目標とした、【“人造人間(ヒューマノイド)”案件基本法における“人造人間(ヒューマノイド)”返還に関する項】が設けられた。

 新たに設置した、管理局直轄機関、“人造人間(ヒューマノイド)”管理兼保護課に、全ての“人造人間(ヒューマノイド)”を集約する為に、“人造人間(ヒューマノイド)”の所有世帯にその返還を義務付け、引き換えに、所有していた年数に応じた謝礼金を渡すことが約束された。

 また、2105年の時点で所有している世帯には通知書が送付され、特定の期間内に返還がされなかった場合、世帯主及びその家族には、()()(ちょう)(えき)の刑が科せられる。但し、“人造人間(ヒューマノイド)”は強制返還となる。

 これに対し、“人造人間(ヒューマノイド)”の所有者たちはデモを数回起こした。現在は、デモ発起人である巻波マキナミ氏が代表を務める『“人造人間(ヒューマノイド)”を守る会』が結成され、公演やイベント等を行っている──。


 

 無期懲役。その言葉の重大さは、小学5年の私にも容易に判った。

 半世紀ほど前に日本でも死刑制度が撤廃され、無期懲役が一番大きな刑であることはテレビで知ったので、法に逆らった者はそれを科せられるのかと思うと、少し理不尽にすら感じた。

 しかしながら、そうまでして“人造人間(ヒューマノイド)”を回収しなければならない国の危機感も理解できる。城石教授とやらが発表した仮説が実現してしまえば、本来生きて行くべき人間が己らが作り上げた機械の影響で死ぬと言うのは、さらに許されないことである。

 これを知った今、親が帰ってくるのを待って夕飯の時にでも議論したいものだが、残念ながら私はそんな悠長(ゆうちょう)なことをしている場合ではない。

 国よりも他の“人造人間(ヒューマノイド)”よりも身近な、私の家族に、危機が迫っているのかもしれないのだ。

 仮に私が、“人造人間(ヒューマノイド)”だったとするならば──。

その未来が、走馬灯のように、信じられない勢いで私の中に流れ込んできた。未来、なのに。

 いよいよおかしな汗が流れてきた。数週間前、遊園地に行った時、絶叫系のアトラクションに乗りたくなかったのに乗せられ、その時にかいた冷や汗を思い出すが、そんな時とは比にならない量である。

 自分の命を失うのももちろん怖い。だがそれよりも、

 自分のせいで、家族が悲惨な目にあう方が嫌だ。

 至極真っ当な感情でなかろうか。

 だがそれだって、私の仮説が正しければの話だ。排泄の話だって骨がどうこうの件だって、全部私の勘違いと考え過ぎなのかも知れない。

 挨拶みたいに、毎日何回も“人造人間”という単語を聞いているから、それが真っ先に脳裏をよぎったからかも知れない。

 嗚呼、今ここで、自分の骨格がどんななのか知りたい。普通の骨か“堅構骨”なのかだけでも知れたら、こんなに考える必要もないのに。

 いや、そうしても、仮に私が“堅構骨(ソリッドボーン)”で構成されていたと知ったら、その事実を受け入れようとはしないだろう。決して。

 仮に私が“人造人間(ヒューマノイド)”だったら、失うものは多い。いや、多い、なんてもんじゃ済まない。私を取り巻く環境全てが消滅し、代わりが用意され、強制的にそれに従わされる。

 父さん、母さん。

 菜那、雛乃……。葉瀬先生も……。

 彼らにだって、私が“人造人間”だったという衝撃が走るはずだ。父と母はさておき、クラスの友人は、騙されていた気分だが誰も否めないという、やりようのない気持ちに苛まれるはずだ。

 ……どうすればいい。両親にも、友人たちにも迷惑をかけない方法などあるのか……?

 ……そうするしかないのか……?

 そう……するしかない…………な……。

 数分の間、脳内のみで繰り広げられた自問自答の末に私が出した結果は、私が思いつく限り最善の、しかしそれもまた多くの人間に迷惑をかけるに違いない、

 とある方法だった──。

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