表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/77

33


「あれを、つかえ」


声を振り絞りシアが指さしたのは、研究途中の血液で獣の血液を主体とした物だった。ヒスイは言われるがままに容器を取り、彼の胸元へ注射しようとしたが、それが不完全な物だということを彼女が一番理解していたことで、使う事を躊躇した。


「これは、やはり危険です。私が一番理解しています」


「構わない。今頼れるのは、それだけだ」


ヒスイは苦しみ続けるシアを見て、「お願い」と何度も何度も囁きながら、それを彼へ注射した。暫くするとシアの身体には温もりが戻り、落ち着きを取り戻し始めた。ヒスイの膝に頭を預け、シアはその景色に涙した。


「久方ぶりに見る、夜空だ。月の涙を見るのは初めてだ」


「何故。何故あの方で無ければ、いけないのですか。他では、いけませんか。…私では、愛せませんか」


ヒスイがそれを伝える頃には、シアは気を失い眠っていた。彼女はそんな彼の寝顔を眺めて微笑み、そのまま見守った。それからしばらくして、シアの身体に異変が起きた。大き過ぎる鼓動に、煮え滾りそうに身体が熱く感じた彼は、飛び起きるように目を覚ました。驚いたヒスイが近寄ろうとすると、「来るな」と彼女を振り払い、シアは外へ飛び出した。身体の異常に悶えながら雪原へ出た彼は、身体の熱を冷まそうと雪の中へ転がり込んだ。しかしそれでも身体は熱く、それは陽の間近で光を浴び続けているようだった。そしてシアは雪原を進み続け、不意に空を見上げて月を見た。その途端、彼の身体は業火に焼かれているかの如く痛みを増した。


「貴様までも。貴様までも我を拒むというのか!」


呻きながら歩き続けるシアの前に、数人の人影が現れた。それ等は彼に向かって武器を構え、魔法使いらしき者は囁き始めた。そしてシアに向かって槍や矢が飛び始め、炎塊をも放たれた。慌ててシアも魔法を使おうと、囁こうとするも言葉が出て来ない。訳も分からず戸惑う彼に、更に追い討ちをかけようとするその者達に、「やめろ」と叫んだつもりのシアの声は、恐ろしい姿をした獣の咆哮だった。腕を振り払いながら放たれたその咆哮は、追い打たれた魔法や武器を弾き飛ばした。その時にシアは漸く気が付いた、自らの姿が人では無くなっている事に。漆黒の毛並みに赤い瞳に鋭い牙と爪、そして衣類には先程からの攻撃に血が滴っているのを見たシアは、その場から逃走した。獣と見られているということは、確実に殺されてしまうと確信したからだ。しかしシアが逃げた先には、底知れぬ崖が広がっていた。追い詰められた彼が振り向くと、魔法使いが既に囁き始めていた。次の瞬間、鋭い氷柱がシアを襲い、肩を掠めたものの足を踏み外して彼は崖の底へ落ちて行った。


朝を迎えてしばらく、樹の国からの捜索隊が城を訪れていた。そして対面した白王は、その一行の中にシアの父がいた事に驚いた。


「レンシ殿…!真に生きて居られたのか。先日噂を耳にしたものの…。久方ぶりに会えて、嬉しいぞ」


「久しぶりだな、白王。我の責で、此方に怪物を逃がしたのでな。更に傷まで負わされる始末。この度は真申し訳なかった。それはそうと、白王。

昨夜雪原で、見たことも無い獣の様な怪物を追い払ったのだが。あの赤い瞳に、衣類も纏っていた。魔法といいこの地域には、不可解かつ奇妙な物が溢れているな」


「そのような怪物の話は、初めて耳にした。いや、ご無事で何よりだ」


「父は、最期まで怒っていたであろう。法院にも、顔を出そう」


レンシは白王と共に法院を訪れたが、そこには床に腰を下ろし項垂れているヒスイしか居なかった。彼女は二人を見ると、揺らりと立ち上がり少し頭を下げた。


「現法院の頂は何処か」


「分かりません」


「レンシ殿、このヒスイ様が頂に最も近い者。頂が居ないとなれば、彼女がその代わりだ」


「そうか。父の後を継いだ頂を、見たかったのだがな。そなたに聞きたい。我は昨夜雪原にて、赤い瞳の怪物を払ったのだが見聞きしたことは無いか。法院の者なら、知っている事もあるやもと思ってな。これがその怪物が、身に付けていたであろう衣類だ。知能は高いはず、雪原に出る際は心しろ」


ヒスイはその血に塗れた布を受け取ると、腰を抜かして膝をつき抱き締めながら涙を流した。その様子に白王はシアが怪物の正体だと確信した。レンシにこの事を知られる事と、シアの全てに恐怖を抱いた。それから数日後にレンシが樹の国へ帰ると、白王は直ぐに動いた。


「この度、皆へ重大な報せがある。雪の国で王族と同等に力を有する法院。その頂であるシアが、魔法と謳い危険かつ凶悪な所業に手を染めたあげく怪物であった事が分かった。以前から囁かれていた噂は、真であったのだ。今日より、法院を封鎖する。書物や知識を魔法士団で管理し…」


「何を言っているの!?勝手なこ…」


「黙れ!法院は怪物の住処だった。そのように危険な場所を、存続させる訳にはいかん!直ぐに建物の取り壊しに掛かれ」


制止しようとしたリアリを突き飛ばし、白王は宣言を終わらせた。広場でそれを聞いていたヒスイは魔法を使い、氷柱を白王へ飛ばした。


「貴方は何も分かっていない。法院とは、何を指して居るのでしょうか。

建物でしょうか、書物でしょうか。確かに、シア様はもう居ません。しかし、まだ私が居ます。頂を一番間近で見てきた、この私が居ます。貴方等が彼や法院へ行った事を、私が許す事は無いでしょう。私が魔法を、途絶えさせません」


ヒスイはそれを言い残すと、白王に背を向けその場を去ろうとした。彼は激昴してヒスイを捕らえる命令を出した。戸惑いながらも、城に帰属する魔法使い達は彼女を捕らえようと、様々な魔法を駆使したが全てを払いのけてヒスイは法院へ戻った。支度を済ませて出ようとすると、法院の外には数十人の魔法使いが集まっていた。追っ手だと思いヒスイが魔法を使おうとすると、彼等は慌てて説明した。


「我々も貴女に着いて行きたいのだ。それは叶わぬか」


「いいえ。喜ばしいことです。共に此処を出ましょう」


そして彼女達は、城下町のあるその場所を離れて雪原に出ると、北西にある町を目指した。辿り着いたそこは、厳しい寒さの環境に廃村のようになっていた。ヒスイ達はそこで荷を解くとここに自分達の場所を築く事を決めて、魔法を使い住を整えた。


ヒスイ達が居なくなって数日経った頃、白王は樹の国から騎士といわれる者達を護衛に呼び入れ、鎧や武器を持つ者が巡回し始め、これまでの城下町とは様変わりした。しかしそれでも、白王の恐怖は拭えなかった。彼は赤い瞳を持つ者を見ると、それが幼い子供ですらシアを重ねるようになった。セイレンと樹の国が結ばれ、さらに関係が強固になった後に、白王は赤い瞳を持つ者を投獄し始めた。法でも無く、それはただの彼の命令だったが、それがまかり通る程に白王の力は大きくなっていた。しかしそれには流石に批判も大きく、捕えられた子の家族達は、酷く反発していた。


その状況に見兼ねたリアリは、少数の魔法使いや従者を連れてヒスイを探し始めた。いくつかの町を渡り、ようやく彼女達の居る町へ辿り着くと、リアリが訪れた事にヒスイは驚いた。そしてリアリが城下町や魔法士団の話を伝えると、ヒスイは一つ一つの話に相俟ち丁寧に聞いていた。


「分かりました。此処でその者達を、匿いましょう」


リアリはそれに深く頭を下げて、直ぐにヒスイと数人の魔法使いと共に、投獄されている場所へ向かった。辿り着いた牢の中には、赤い瞳をした人々が身を寄せあい収容されていた。リアリが監視している騎士や魔法使いの気を引いている間に、ヒスイ達は見つからないよう一人ずつ外へ出していたが、幼い子供達が騒いだ事に気づかれてしまった。


ヒスイは魔法を使い檻を壊して急いで最後の一人を外へ逃がすと、彼等を追おうとする騎士達の前に出た。そして共に来た魔法使いに逃がした人々を任せると、追っ手を引き付けた後で影の魔法を使いそれ等を一掃した。その話は城や城下町で直ぐに広まり、白王への批判は更に強まった。しかしそれと同じように、ヒスイ達を批難する声も多々あった。それはヒスイが追っ手に対して気を失わせただけだった事で、彼女が使った影の魔法を初めて見た騎士達が、化け物だと口を揃えて広めたからだった。この事で、法院に縁遠い者達には酷く恐れられるようになった。数日後、逃がした人々の住を整え終わり皆がヒスイの周りに集まると、彼女はそれ等を見つめて言った。


「もう、私達は城下町どころか、雪の国へは戻れません。此処から始めましょう。私達で法院を継ぎ、繋ぎましょう。私が、いいえ。我が率いてみせる」


その後も赤い瞳を捕らえる動きは広まったが、リアリの計らいで捕えられた者達は、ヒスイの所へ渡って行った。彼女達は魔法を何重にも施し、町の姿を隠してひっそりと過ごしていった。



「お父さまはもうすぐ帰ってくるー?」


「もう帰ってくるわよー。お部屋で待っててね」


セイレンは結ばれた騎士との間に子を授かり、平穏な日々を過ごしていた。シアの事は頭の片隅には留まっていたものの、安住の日々にそれ等の気は紛れていた。帰って来る夫の騎士を迎えに行くと、従者の女性とひっそりと話している彼を見つけた。


「騙されたようなものだよ。容姿は美しいが、聞きたくは無い噂で溢れている」


「そうですね。確かに彼女には、あまり良い話はありません。可哀想な騎士様。このひと時だけでも、私が気を紛らわせる事が出来れば…」


抱き締め合う二人を見つめながら、セイレンはただ立ち尽くした。そうしていると彼女の胸元に、激痛が響いた。そして胸元から青白い光が放ち始めると、その彼女に騎士は気付いた。慌てて従者と離れて、謝罪をしながら近づく彼から、セイレンは走って逃げ出した。胸の痛みに壁に身体を預けて光に目をやると、彼女はシアとの誓を思い出した。その瞬間、セイレンは甲高い音と共にその場で凍りついた。駆け寄った騎士が見ると、彼女は微笑むような温かい表情で、その温もりごと氷の中へ閉じ込められて居るようだった。その後氷が溶けることは無く、人目に触れない山へ安置された。そしてその誓という名の呪いは何世代にも引き継がれ、とてもとても長い間解かれる事は無かった。





「これは驚いた。崖から落ちたと思うたが、我は空へ上ったのだな。あの星のようになりたいと、その願いは叶ったということか。我は今、夜空に散らばる光の一欠片と、なれているのだろうか。見つけた者に響くひと時は、どのような色なのだろうか。いや、いいや。そうか。我は、元より…。そうだったのだな。…今も尚、我の光はそなた等へ届いているか。その光は、好まれる色だろうか。我が響かせるのは、どのような色なのだろう」







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ