沁みる響に見えた音
ヒスイは今宵も、彼を待っていた。彼女は、誰も居なくなった部屋でただ一人。そして、それは当たり前になっていた。初めてここでシアに出会った頃は、セイレンのように彼に惹かれていた事を思い出す。誰も居なくなった頃に訪れる彼に、ほんの少しの時間でも共に時間を重ねたいと、魔法の書物を読む事に持ち得る気を覆い隠し、あの日もその日もまたの日も、夜の深まる時に現れる彼に会うために。いつの日からかそれを彼女は日常として、それは彼の日常になり、それが二人の日常になっていった。セイレンだけではなく、これまでも彼に惹かれて会いに来る女性は居たが、彼はそれ等に惹かれなかった。しかしヒスイは感じていた、今回はこれまでとは違うと。セイレンを見てシアを見て、二人を見て。これまでとは、違うことが朗らかと。容姿も身分も、彼に見合い彼が惹かれたとして、自分自身もそれを許せると感じていた。そしてそこへまた、セイレンが顔を見せた。ヒスイは彼女と挨拶を交わし、他愛もない会話をすると、書物を取りに別室へ向かった。久しく音の滞っていた彼女が訪れることに、嬉しささえ感じながら書物を抱えて戻ると、シアも現れていた。それに声をかけようとした彼女の目は、二人を見て先日までとは朗らかに何かが違うことを見て取り、彼女がそれを理解するのに時間はかからなかった。彼の腕に手を掛け寄り添う彼女に、掛けられた手に手を添えながらそれが凍えていることに気付き、擦り温める彼の手に、さらに手を重ね温め合う二人。彼がヒスイに気付き声を掛けようかとしたが、その当たり前を彼女は受け入れられずに少し頭を下げて、書物を抱えたまま帰って行った。
「どうして。どうして、こんなにも苦しいの」
無表情に涙が流れる彼女の腕を、後ろから誰かが引き止めた。抱えていた書物を落とし彼女が振り返ると、そこには上着や手袋を抱えたシアが立っていた。涙を流すヒスイに戸惑いながら「何かあったのか?」と声をかける彼を見て、周りの目もセイレンの事も、これまでもこれからも全て投げ捨て、目の前にいるシアに身体を寄せようとした彼女が見た彼の目は、ただただヒスイに心を配るとても温かい目をしていた。
「いいえ、なにも。ああ、書物が。落としてすみません。上着も、ありがとうございます」
「体調が優れないのか?無理をするな。お前が居ないと、我も困る」
「はい」と涙を拭い上着を着て手袋をはめると、書物を拾い上げ雪を払った。そして苦しみに悲しみが追い付かないままに、彼女はまた彼へ少し頭を下げて帰って行った。