プロローグ1・恭一[1]
初の長編ホラーです。少しずつ更新していきますので、気長に読んでみてください。
蛍光灯の豆電球だけの薄暗い中で、恭一は一人で窓の外を見ていた。
早く寝なさい、と母親に追い立てられてしぶしぶ二階の部屋に上がったものの、まだちっとも眠くなかった。
夏の終わりの夜風は、夕方に降った雨を含んでほのかに湿り気を帯び、窓辺に布団を寄せていた恭一の風呂上がりの肌には、少し寒いぐらいだった。
恭一の父親が生まれる前に祖父が普請したという家は、かなりの古家屋になっており、掃き出し窓の木枠は黒ずんで、豆電球のぼんやりしたオレンジ色の光に目が慣れると、桟の溝には針で突いたような小さい虫食いの穴がいくつもあるのが目についた。窓側に寝たいと言い出したのは恭一だったから文句は言えないが、両親と三人分の布団のはじっこに一人で寝ていると、それだけで何だか取り残されたようなうら寂しい気分になってくる。
夏休みが終わって、また毎朝バスに乗って幼稚園へ通うのも、恭一にとってはあまり嬉しいことではなかった。先生やクラスの子に会うのが億劫だった。みんなで何かをやるのも得意ではなかった。けれども両親に幼稚園が嫌いなのか、と聞かれても答えに窮してしまい、黙ってかぶりを振る恭一に幼稚園を拒否する自由は与えられなかった。
湿った夜気の向こうに、闇が黙ってじっとこちらを見ている。夜って、どうしてこんなに暗いんだろう。恭一は目を閉じて、またそっと開いた。
突然ブォン、と耳障りな音がして、網戸に何かが勢いよくぶつかってきた。バシッと網戸が震える。恭一はびくっとして目を凝らした。
大きなカナブンがしきりに網戸に向かって羽ばたいていた。飛んでいるカナブンをこんなに近くで見ることは滅多にない。恭一は身震いをして薄い肌掛け布団を頭の上までぐっとかぶった。
甲虫が飛んでいる姿は、あまり気持ちのいいものじゃない。恭一は、周囲の子ほど虫に興味がなかった。カブトムシやクワガタがホームセンターのプラケースの中で蠢いているのにも興味がなかったし、蝉の抜け殻や蝶やバッタやカマキリを見ても、特に面白いとは思えなかった。
カナブンはいつまでたってもどこへも行かず、しきりに網戸にぶつかってくる。バチッバチッという音が耳について、次第に大きく激しくなってくるような気がする。そのうちこんな薄い網戸なんて突き破って襲いかかって来るに違いない・・・。恭一はいたたまれず、布団から起き上がると一気に階段を駆け下りた。
「あら恭ちゃん、起きてたの?」
キッチンを覗くと、ダイニングテーブルから振り返ったのは、沙織だった。まっすぐな髪をうなじのすぐ下で切りそろえ、ぱっちりした瞳が黒々と輝いている。すらっとした手足は小麦色に色づき、健康そうな若い香ばしさが漂ってくるようだ。沙織は恭一の母の年の離れた妹で、母方の実家から大学進学のために上京して以来一年半、この小野家に同居していた。
恭一はほっとして沙織の膝に甘えて頭を乗せた。
「こら、恭一、夜更かしも甘ったれもダメよ」
そう言ってにらむ母親にいやいやと首を振りながら、恭一は沙織の赤い麻のミニスカートにすりすりと顔をこすりつけた。
「いいじゃない、まだ園児だよ、恭ちゃんは」
そう言って沙織は恭一の脇に両手を入れてすくい上げ、自分の膝の上によいしょ、と抱き上げた。
恭一は沙織の肩に顔を埋めた。胸のふくらみの温かさが心地よい。それはわずかに上下して、恭一が沙織の首筋に耳を当てると、静かな拍動が恭一の鼓動と一つになる。少しずつ眠気がさざ波のように寄せてきた。
「二学期はどう?幼稚園は、二学期なんて言わないか」
沙織はゆっくりと恭一の汗ばんだ髪を撫でる。細い指に梳かれて、恭一は頭がすうっとして気持ちよかった。
やっぱりさあちゃんがいちばんすきだ。
恭一は安心して全身を沙織に預ける。沙織は、両親や幼稚園の先生のようにあれこれうるさく恭一に注文をつけてくることはない。いつも必ず恭ちゃんはどうする?と聞いてくれるし、恭一がうまく答えられずに黙っていても、返事をうるさくせっついてくることもない。ほわっと暖かくて、恭一をそのまますっぽり受け止めてくれ、恭一は沙織が側にいればいつもリラックスしていられた。
「あらまあ、寝ちゃったよ、他愛もない・・・」
沙織の声が遠くから聞こえる。そのまますとんと意識が落ちた。




