バールの長い一日(3)
扉を開けると、そこは何本もの柱が立ち並ぶ広々とした空間だった。天井は突き抜けるように高く、一部ガラス張りになっている場所から傾きかけた日差しが差し込んでいる。
床には赤い絨毯が敷かれており、その先に見えるのは魔王が座るであろう玉座。豪華な装飾がほどこされ扉の前からでもその輝きをうかがうことができる。
そして、玉座と扉の中間地点に置かれた机。机を挟むように2つの椅子が置かれている。そこに腰かけている布の服を着た男。その両脇を挟むように武装した兵士が立っている。
玉座を見るが誰も座っていない。木の椅子を見る。男が座っている。もう一度、玉座を見る。誰もいない。
ここは間違いなく謁見の間であろう。さて、魔王はどこにいるのかだろうと扉の前で考えていると、男がちょいちょいと手招きをしている。
招かれるままに男に近づいていく。
「やぁ、いらっしゃい。」
気さくに声をかけてくる男。男というより、年齢的にはおっさんといったほうが近いだろう。白髪の髪から生えた二本の黒い角。優しい目でおれのことを見てくれている。
おっさんを観察していくとどこかで見たような既知感のような物を覚えた。
「・・・魔王様ですか?」
「そうだが?」
おれはその場で片足を跪き、頭を下げる。
「魔王様に御会いできて光栄です。この度は―――」
「あーそういう固いのはいいから席に着きな。」
魔王様があいさつを手で制す。横にいた兵士が椅子を引いてくれ進められるがまま、席についた。
テーブルにはラッカセイと飲み物が置かれている。
「改めて、魔王城へよく来たな。」
魔王の顔を観察する。髪と角は演説のときと同じだ。立派にたくわえられた髭が無くなっている。白銀の鎧は布で作られた服に変わっている。手にじゃらじゃらとつけていた宝石つきの指は外されており、左手の薬指にエンゲージリングと思われるシンプルな指輪だけ。意思の強そうな瞳は優しさに溢れる瞳に変わっている。演説のときのように威厳に溢れているわけではないが、その立ち振る舞いから上品さのような物が感じ取れた。
「ずいぶんと、演説の時とは雰囲気が違うんですね。そのお髭とか。」
「あの髭はつけ髭だ。普段は髭なんて生やしてない。公務のときは皆の期待に答えるためにもしっかりと仕事をしないといけないからな。プライベートではこんな感じだ。驚いたか?」
ラッカセイを放り投げ、口でキャッチする魔王。行儀が悪い。
「少し、驚きましたね。イメージとはだいぶ違いました。」
「ワハハッ、普段から気を張っていたら疲れてしまうからな。息抜きも必要さ。それにしても面と向かって雰囲気が違うと言われたのは初めてだ。みんな会った時には戸惑うんだが、何も言ってこないからな。正直に言われると嬉しいぞ。ワハハッ」
またラッカセイをつまむ魔王。好きなのだろうか。
「魔王様、お先にこれをお渡ししておきます。ベジタ村からの献上品です。」
抱えていた大根を魔王に手渡す。自分の子どもが成人して旅立ったときはこんな気持ちになるのだろう。立派になってくれて嬉しいが、いなくなってしまうのが悲しい気分。
大根をまじまじと見つめる魔王。
「ほう、これは大層立派なものだ。色、つや、はり。どれを見ても一級品だな。お主が作ったのか?」
「流石魔王様。その大根の素晴らしさを一瞬で見抜くとはお目が高い。はい、わたしが愛情をこめて一から育てた物です。」
「ワハハッ、お目が高いとは商人のようなことを言うな。そうかお主が作ったのか。これは素晴らしいものだ。どのようにして食べるのが一番うまいのだ?煮るのか?焼くのか?」
「薄くスライスして、生のまま塩で召し上がるのが一番美味かと思います。」
「ほう、生で食べるのか。めずらしいの。おい、お前これを調理室へ。」
そう言い隣にいた兵士に大根を渡す魔王。大根を渡された兵士は急いで部屋から出ていく。おそらく調理されたものが再びこの部屋に持ちこまれるのだろう。大根をたべた魔王の顔を想像するとにやける。
「ところでお主、ベジタ村から来たのだな。名をなんという?」
「バールと申します。」
「おお!お前がオデットのところのバールか。ふむ。確かに・・・」
まじまじと顔を見つめられる。そんなに見られると男相手でも照れてしまう。満足げな顔をする魔王。
「聞いていた通りの男のようだな。ところでオデットは元気にしているか?」
チコさんといい、魔王といい。魔王場内の偉い人に顔が広いなオデットさん。
「元気ですよ。相変わらずの筋肉です。」
「そうか、そうか。相変わらずの筋肉か。まだ毎日筋トレを続けているのであろう。ワハハハッ。あいつとは良き友人であり、お互いを助け合う仕事仲間であったからな。懐かしいのう。」
「オデットさんと仕事仲間だったんですか?」
「ああ、そうだ。わしがまだ魔王に即位する前のころ、一緒に先代魔王の直属の親衛隊をやっておったわ。もう会ったと思うが、バーボンやアンナも一緒に働いておった。」
オデットさん達が魔王直属の親衛隊だったなんて信じられない。親衛隊っていったら魔王城の中でも相当地位が高いだろうしなぁ。側近みたいなものだろう。魔王の懐刀。響きがかっこいい。
魔物と戦ったときに噛まれても傷一つついていなかったし、毎日筋トレしているので戦闘能力はすごい高いのかもしれない。いや、高くないと魔王を守る立場にはなれないか。
魔王は昔話をし始めた。
「親衛隊の頃、オデット、バーボン、アンナ、わしの4人は『ゴルトキアの4人の悪魔』と恐れられたものじゃ『圧砕のオデット』『粉砕のバーボン』『氷帝アンナ』『炎帝グロティウス』なんて異名がつくこともあった。そう呼ばれ始めたのも4人で反人族派魔族の反乱を抑えたころからだったか。・・・あの頃のわしはまだ若かった。」
遠い目をする魔王。その眼は過去を懐かしんでいるのか哀愁がただよっている。
「とにかくオデット達とは古い友人なのだよ。結婚してベジタ村に行かなければ、この城で働き続けてほしかったがな。」
それからも魔王と色々なことを話した。村での出来事、おれがどれだけ作物に愛情を注いで育てているかということ。オデットさんの家族の話。魔王が三人の子どもを溺愛しているという話。ゴルトキアに来て驚いたこと。ラッカセイの美味しさを周りは理解してくれないという愚痴。ラッカセイの話については意気投合して、来年の謁見の時に収穫したものを持ってくるという約束をした。
そして人族と友好を結んで行くことがいかに大事かということを魔王は熱く語ってくれた。
魔王は良くワハハッと笑い、こちらの話も真剣に聞いてくれてとても話しやすい人物だった。オデットさん達が親しみやすいといっていたのも納得だ。いくらでも話していられる。
「おまたせしましたっ!」
先程大根を抱えて出て行った兵士が戻ってくる。手には綺麗に薄く切り並べられた大根がのる皿を持っている。切り口は潤っており、一目見ただけで、たとえ犬であろうと、この大根のもつ水水しさが分かるだろう。
テーブルに皿が置かれる。
「おお!これは!」
魔王が驚愕の声をあげる。
「この大根の水水しさ、湧水のようではないか!!」
流石、魔王。分かっているではないか。実際に口に入れれば大根のエキスが湧水のように溢れだす。そして、今まで味わったことのない大根本来の甘さに感動するだろう。さぁ召し上がってください魔王様!!
「ではいただこう。」
魔王が大根をつまみ口に入れようとしたときだった。ガラスの割れる甲高い音が広間に響き、白い物体が玉座の間に落下する。割れたガラスが絨毯の上に落ちて曇った音を鳴らす間に、白い物体は着地すると、一気にこちらとの距離を詰めた。
魔王様の傍にいた兵士二人の首が一瞬にして刈りとられる。武器を構える間もなくだ。だらんと膝から崩れ落ちる兵士の姿が見えた。
兵士の姿に気を取られているとお腹の辺りに鈍い痛みを受け、後ろにおれは吹っ飛ぶ。衝撃で二回転ほど身体が回る。痛みをこらえながら体制を立て直すと魔王と白い物体が対峙している姿が目に入った。
般若のような顔、手には等身ほどの巨大な鉈をもち、白衣を身にまとった魔族。それが白い物体の正体だった。こいつをおれは本で見たことがある。こいつの正体は鬼と呼ばれる魔族だ。
鬼の持つ鉈からは赤い血が滴っている。
どうやら魔王に机ごと蹴られ、安全であろう場所まで吹き飛ばされたらしい。赤い絨毯の上で直線上に並ぶ三人。鬼、魔王、距離が空いておれの順番に並んでいる。その横に皿ごと床にひっくり返っている大根の姿におれはショックを受けた。
魔王が口を開く。
「おいおい、人の家に土足で入ってくるなんていい趣味とはいえないぞ?」
先程までの話しやすい魔王とは全く違う雰囲気だ。背中を向けていてもピリピリとした威圧感が伝わってくる。鬼は無言のままニマァと不吉な笑みを浮かべている。
鬼と視線が合う。その空虚な眼差しに全身を寒気が襲い、背筋が凍りついた。おれには興味がないのか、弱すぎて敵として見られていないのか、分からないが鬼はすぐに視線を魔王に戻した。
「無視か・・・何なんだ?お前は?」
鬼は質問に答える代わりに魔王に襲いかかった。鬼の袈裟切りを魔王が身体を逸らしてかわす。空を切った巨大な鉈の風圧がここまで感じられる。重い一撃だ。手を休めることなく鬼の攻撃は続く。
巨大な鉈を振り回しているにもかかわらず、鬼の攻撃速度は速い。しかし、その素早い鉈による波状攻撃を簡単にいなしている魔王はかなりの実力者だろう。
魔王が鉈による攻撃をくぐり抜け、鬼の真横をとる。
「爆発ッ!(エクスプロージョン)」
無防備に空いた脇腹に魔法を叩きこむ。鬼の真横で炎による爆発が起きた。至近距離でこの魔法をくらってはひとたまりもないだろう。爆心地からは黒い煙が上がっている。決着はついたとおれは考えていた。
しかし、魔王は違った。爆心地から目を離さずに睨みつけている。
煙から白い影が飛び出し、魔王に向う。
白衣の一部が黒く汚れているものの、鬼はほとんど無傷である。
ちっ、舌打ちをし、魔王は距離を取ろうとバックステップで下がるが追いつかれてしまう。鬼が鉈を振りかぶる。
「炎壁」
魔王と鬼の間に炎の壁が出現する。しかし、鬼は炎の壁を気にもせず鉈を振り抜いた。それに気がついた魔王は半身をそらした。
鬼の鉈は炎の壁を破って魔王に到達した。破った、というよりは炎の壁を通り抜けたという表現が正しい。切れ味のよい包丁で食材を切るかのように炎の壁を切り裂き、その刃先は魔王の左腕を根元から切り落とした。
左腕を失い血を流しつつも無表情の魔王。床に無造作に転がっている左腕が痛々しい。痛みにもがき苦しんでもいいはずなのに冷静に鬼を見つめている。
対して鬼は相変わらず不気味な笑みを浮かべ、表情一つ崩さない。
魔王は右手を左腕の付け根に押しあてた。今までのような赤い炎ではなく青白い炎が魔王を焼く。肉を焦がして止血をしたようだ。
「目的はなんだ?」
「オマエノ命ダ。」
初めて鬼が口を開いた。
「・・・そうか。」
魔王の残された右手に魔力が圧縮されていくのが分かる。
魔王の右手から青白い炎が放出される。じりじりと遠くにいても焼け焦げるような熱い炎。謁見の間の温度がみるみるうちに上昇していく。魔王の放ったそれは姿を変え、青い龍になり鬼に襲いかかる。
一閃。
鬼の鉈が魔王の龍を真っ二つに切り裂いた。
片膝をつく魔王。肩で息をしている。このとき初めて魔王が追い込まれていることをおれは実感した。左手を失っても余裕の表情を見せていた魔王にどこか安心感を覚えていた。魔王なのだから負けるはずがないと。しかし、鬼は魔王の全力を込めたであろう一撃を打ち破った。
今の状況で魔王を助けるためにおれには何が出来るだろうか。おれの実力はおそらく農民に少し毛が生えた程度。実力はこの二人の足元にもはるかに及ばないだろう。それは自分が一番良く分かっている。
それでも魔王を助けるために、この状況を打破するためにできることはないか考える。
右手に全力で魔力を注ぎ炎の球を作る。魔力をひたすら圧縮、圧縮、圧縮し、密度の濃い炎球を作り出す。おれが鬼に攻撃すれば、一瞬でも鬼の注意を引きつければ戦況は変わるかもしれない。そう考え、鬼に攻撃することに決めた。
おれの全力を込めた炎球を鬼に向けて放った。
炎球が勢いよく鬼に向かって飛んで行く。鬼はこちらの攻撃に気がつくとニタァと笑い、鉈を振った。
鉈と炎球が交差する。炎球は鉈をはじき、鬼の左肩にぶつかりはじけた。
「や、や、やった!当たった!」
白衣が焼け焦げ、火傷をし、ただれた皮膚があらわになる。初めて鬼の身体にダメージを与えたのだ。
鬼の顔からは不気味な笑みが消え、殺気のこもった目で睨みつけられた。あまりの恐怖に身体が硬直する。
「よくやった。」
一瞬の隙をつき魔王が鬼の左腕をつかみ、魔力を流し込む。鬼は左腕からとぐろを巻くように青白い炎に包まれていった。
「グガアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァ」
鬼のうめき声が謁見の間に響き渡る。鬼は痛みに苦しみながらも鉈を構え、振り切った。
魔王の首が飛ぶ。
鬼を包み込んでいた青白い炎が消え去った。鬼の白衣は焼け焦げ、あらわになった身体には黒く蛇が巻きついたかのような火傷のあとが残っていた。
鬼がギロリとこちらを向く。足を引きずりながら、だらんと腕を垂らし、鉈を引きずりながらこちらへゆっくりと向かってくる。鬼が一歩近づく度に、自分が死へと一歩近づいていくのが分かる。
鬼はぼろぼろだ、走って逃げれば逃げ切れるかもしれない。しかし、目の前の死の恐怖に足がすくんで動かない。
鬼がニマァと不敵に笑う。
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。
頭の中が恐怖に支配される。
一歩鬼が近づく。
ベジタ村のみんなは元気かな?
一歩鬼が近づく。
おれがいない間、畑はどうなっているのだろう?
一歩鬼が近づく。
じゃがいもとラッカセイ村の畑に植えたかったなぁ。
一歩鬼が近づく。
オデットさん、ミヨさん、エリー、おれはここで死ぬんだ、帰れなくてごめん。
鬼が正面に立つ。ニタァと再び笑みをもらした。
おれの大根を魔族界に広げる夢もここまでか・・・。魔王が大根を食べようとしたら鬼が降ってきて・・・。鬼のせいで大根は魔王の口に入らず床に落ちて・・・。本当は魔王が大根を食べて魔族界におれの作った大根の名がとどろく予定だったんだけどな・・・・。
・・・・おれの夢が遠ざかったのも全部こいつが乱入してきたせいじゃないか。しかも人が丹精込めて育て上げた大根を無駄にしやがって。・・・・この野郎っ!
恐怖は自然と怒りへと変わっていた。キッと鬼を睨む。
「ニマニマニマニマ笑いやがって気持ちが悪いんだよ。」
相変わらず鬼は不敵に笑っている。鬼は鉈を振りかざした。
ここで死ぬわけにはいかない。何か身を守るものが欲しい、そう思ってエリーから貰った胸元のネックレスを握り締めた。すると青い石が砕け散り、光の壁がおれを包み込んだ。
鬼の鉈を光の壁がはじく。
鬼がおれを睨みつけるが負けじとにらみ返す。
しばらく睨み合ったのち、鬼はくるりと後ろを向き、跳躍をして、自分が入ってきた場所から出て行った。
鬼が去ったことを確認して大きく息を吐く。
扉の向こうからはどたどたと騒がしそうな物音がする。
「魔王様ッ!!大丈夫ですか!!」
鬼と入れ替わりにチコさんが扉を雑に開けて入ってくる。・・・・来るのが遅いよ。
ともかくおれの命は助かったようだ。力が抜けて、へたりとその場に座り込んだ。